ノート:施政方針演説

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施政方針演説は通常一月に行われる[編集]

1994年3月7日に河野洋平自民党総裁が細川政権の施政方針演説に対する代表質問で、国会への本予算案の提出、そして施政方針演説は通常一月に行うべきと述べています。

「私は質問を始めるに当たって、細川内閣が通常一月に行うべき国会への予算案の提出、そして施政方針演説を恣意的に三月四日までおくらせたことが、いかにさまざまな混乱を呼び、結果として国民生活に重大な影響をもたらすことになるかということを総理が正しく認識しておられるかどうかについて、まずお尋ねしなければならないと思います。予算案は、しかるべき時期に提出され、国会審議に誠実に臨んで年度内成立を図っていくことが、四月一日からの国や地方の事業の執行を円滑に実施していくための必要条件であり、それが同時に、最低限の景気対策であることは言うまでもありません。(中略)戦後、三月に施政方針演説を行った例は、ただ一つ、一月に衆議院が解散された海部内閣のときに例があるだけであります。二月にずれ込んだのも、総理大臣が病気であった場合、あるいは安保改定の混乱で正副議長が辞職をしたという特異なケース、消費税導入をめぐって国会が紛糾したときのたった三回だけであります。この三回は、いずれもそれぞれそのすぐ後に政変になっているということも心しなければならないと思います。」

本予算提出に基づく施政方針演説が1月以外になった例をあげると・・・

  • 2月 1957年・1960年・1970年・1984年・1989年・1997年・2002年
  • 3月 1968年・1990年・1994年

ん? 2月演説に関しては「総理大臣が病気であった場合」(1957年)と「安保改定の混乱で正副議長が辞職をしたという特異なケース」(1960年)と「消費税導入をめぐって国会が紛糾したとき」(1989年)の3回というが、1994年の発言だから1970年・1984年を加えて5回が正解で3回ではないのではないか?
3月演説を1990年・1994年の2回だけではなく、1968年にもやっていますね。これは1967年12月に衆院解散になり、総選挙が1968年1月29日に行われたという事情があるものだけど。--経済準学士 2007年10月19日 (金) 19:34 (UTC)[返信]