ノート:日中戦争/過去ログ1

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満州事変との区分について[編集]

15年戦争の「後半」とはいかがなものか。

あと事変と戦争を区別し、必要とあれば事変を記事とすべきではあるまいか。

0null0 14:14 2003年9月23日 (UTC)

『ただし、現在でもこの点を根拠とし「戦争と呼ぶのは誤りだ」とする意見もある。』ということですが、昭和16年12月12日に以下のように閣議決定されていますから、戦争と呼んでも間違いではないと思われます。”今次の対米英戦は、支那事変をも含め大東亜戦争と呼称す”。

問題がなければ該当箇所は削除が妥当と思われます。 Zeek 2004年11月8日 (月) 06:21 (UTC)

「『日中双方が宣戦布告をしていない』から、それを根拠として支那事変と呼ぶのが妥当である」と主張しているんだから、お互いに宣戦布告をしたという事実を示さない限り、削除は難しいんじゃないですか?それは、日中戦争と呼んでも間違いではないという根拠でしかないですよ。 --矢刺幹人 2004年11月12日 (金) 04:28 (UTC)

日中戦争は1937年7月7日の盧溝橋事件から始まったと言うのが日本の一般的な考えでは? なぜ張作霖爆殺から始まっているんですか?61.210.56.132 2004年12月27日 (月) 18:46 (JST)

日中戦争って満州事変から終戦までの期間で、盧溝橋事件からの終戦までは日中全面戦争と区別する学者もいたはずですよね?違ったっけ??ちゃんこなべ 2005年1月24日 (月) 19:11 (JST)

満州事変は塘沽協定で完結しており、盧溝橋事件とは何の関係もありません。ご確認を願います。よく間違われますが、満州事変は戦争というより現場でのやりあいです。太平洋戦争とのつながりは全くありません。ちなみに、日中戦争も当初は「支那事変」でした。当時は戦争反対の勢力のほうが議会では有力であり、大規模な戦争を始めるはずがなかったのです。日本は中国側が譲歩してくるだろうと楽観視していましたが、当時は国民党と共産党が激しくやり合っていた時代であり、敵に背中を見せるわけにはいかなかった国民党政府は降参せずに逃げ続け、戦局は泥沼化し太平洋戦争に絡むことになってくるのです。

年表について[編集]

日中戦争年表ですが、日中戦争太平洋戦争の年表内の年表と記載が重複しているため、この項目をすべて削除した上で統一して、「満州事変から終戦(仮)」という題にリンクするのはどうでしょうか。 --A6M4 2005年2月1日 (火) 13:18 (UTC)

日中戦争に関わる記述について[編集]

日中戦争に関わる内容(例:盧溝橋事件、南京大虐殺、等)に関しては、中国の国情から、中国側に不利な資料や情報が積極的に出ることはほぼありませんので、日中戦争に関わる事項を記述する場合は、必ずそのことを記載していただきたく思います。

当たり前のようなことですが、子供等、政治情勢等諸事情を把握しつつ内容を読むことができない人も多数読むものですし、さらに日中戦争での事象は政治的にも歴史的にも影響力も大きい内容ですから是非ご検討いただけると嬉しく思います。

また、このようにしないと、所謂、「資料の有無の証明しろ、中国側が持っている資料の内容を出してくれ」などという非建設的かつ(前述の中国の国情により)不可能な話ばかりになってしまい、資料等の検証ができない間は、ずっと中国側の言い分とそれに同意する人々の言い分に偏った一方的な内容の垂れ流しだけが載ることになります。

ウィキペディアは中国の主張や一部の一方的な主張を載せる場ではないと考えますので、他説があるならば、その内容も記載し、記載されない場合は、先にも書いたように読者に注意を促す一文 ・「現在の中国の国情により、一部内容の公正な検証が不可能なため、現在記載されている内容も中国側の資料を検証できるまでの一時的な内容です」 等々を記載すべきではないでしょうか。内容に諸事情を無視したフェアとは思えない記載が見受けられたため、投稿しました。Smithp 2005年5月25日 (水) 21:12 (JST)

編集合戦回避のために[編集]

何を揉めているのかと思えば関連項目に何を入れるかで編集合戦が起きていたのですか。この解決策は可能な限り記事の中に取り込むことだと思います。その努力をするのが先決なのではないでしょうか。(たとえば日露戦争などが参考になると思います。) 現在の記事はまだ骨組みも出来ていないような状態です。いつ、どこで、誰が、何をして、どうなったのか。そしてそれはなぜなのか、という視点から記述して記事を充実させる過程で解決されるものと考えます。充分知識を持っているなら私がたたき台を作成しても良いのですが、今の知識ではこれをやり遂げられそうにないので止めておきます。詳しい方の執筆に期待します。58.0.137.40 2006年3月26日 (日) 22:30 (UTC)

保護解除すべきでは?[編集]

上記程度の問題で保護すべきではない。Northface 2006年9月9日 (土) 03:47 (UTC)

再度、同じ提言をしておきます。保護申請された利用者:たねさんへ、事後のフォローを必ずしてください。あちこちにみられる放置処理はあなたの信頼を損ねていることも念頭に入れて。Northface 2006年11月5日 (日) 07:14 (UTC)

Peace系がこれだけ大暴れしている現状では[1]、peace系のために「保護」に追い込まれた記事の「保護解除」を行うのは、ちょっと冒険でしょう。

それよりも、いかがでしょうか。私は今、「半保護の強化」の提案を考えています。「半保護」記事の編集資格は、現状「ログイン後4日以上のログインユーザー」ですが、これを「ログイン後30日以上」に変更しよう、という提案です。

こうすれば、管理者の方に「月1回の大掃除」さえしていただければ、Peace系は「半保護記事」に手を出せなくなります。しかし、例えば私やあなたは、「半保護」となったこの記事を自由に編集できるわけです。

実際の提案にはもう少し「世論の醸成」を待つ必要があると思いますが、提案の節には、ご検討いただければ幸いです。ゆう(matunami) 2006年11月5日 (日) 08:38 (UTC)

(Peace系発言を除去)

なんで「保護」が解除されないのか、よくお分かりになったことと思います(^^)。このアカウントがブロックされた時点で、「投稿ブロックの方針」3.3.5に基づき、上のアラシ発言は削除しておきます。上の暴言だらけの発言を「復活」するようなアカウントが出てきたら、すぐに「彼」だとわかりますので、また黙って削除することになります。ゆう(matunami) 2006年11月8日 (水) 11:33 (UTC)
削除しました。ちなみにこのユーザーの、昨晩のアカウント作成記録です。どんな方なのか、よくわかると思います。ゆう(matunami) 2006年11月8日 (水) 21:53 (UTC)
  • 2006年11月9日 (木) 02:54 歯科大生って嘘だろ?
  • 2006年11月9日 (木) 02:48 ほんと暇な歯科医大生だことプッ
  • 2006年11月9日 (木) 02:41 道理で管理者の成り損ない荒くれの錬金術士
  • 2006年11月9日 (木) 02:24 一億総入れ歯を企む歯科医
  • 2006年11月9日 (木) 02:19 偉大なる朝鮮
  • 2006年11月9日 (木) 02:18 大国韓国成功物語
  • 2006年11月9日 (木) 02:12 不正発覚を恐れて無差別ブロックを装う愚か者
  • 2006年11月9日 (木) 02:09 きちがい歯科医は日本に不要
  • 2006年11月9日 (木) 02:02 歯科医になれない中年男ウィキで虚勢

保護解除について[編集]

一部の人物の荒らし(特にPeace系)などによって保護すべきではないと思います。保護するということは、その記事の発展を止めてしまうということではないでしょうか? 現に大東亜戦争の内、この「日中戦争」以外の太平洋戦争第二次世界大戦は着々と発展しています。それは、テンプレートを使用することによって一目である程度のことがわかることに差が出ていると感じます。

また、保護を解除するにしても半保護をすべきとは思います。皆様のご意見をお聞かせ下さい。--kouko0515 2007年9月21日 (金) 10:34 (UTC)

保護解除に賛成。保護の原因となった2006年2月7日の編集合戦の内容を見てみると、他愛の無いもので、2年もの長期保護は不要であると考えます。もう少し様子を見た後に保護解除を依頼します。--Cave cattum 2008年1月9日 (水) 03:50 (UTC)
保護解除を依頼しました。--新幹線 2008年4月26日 (土) 04:01 (UTC)

日本人被害[編集]

CNN. Photos document brutality in Shanghai

The photos, taken by a Swiss photographer near Shanghai in 1937, all depict the brutality of Chinese soldiers toward Japanese prisoners and Shanghai residents accused of helping the Japanese as they began their military conquest of China.--210.231.15.201 2008年8月2日 (土) 05:25 (UTC)

「文明論的に~」以下の文章[編集]

ここで要出典が剥がされた部分の記述に関して。「政権が国土を完全に掌握していない → 戦国時代 → 前近代 → 講和が難しい」という論理には、著しい強引さを感じます。もしそうであるとするならば、下関条約ポツダム宣言はどうやって解説が可能になるのでしょうか。--Clarin 2008年12月23日 (火) 08:24 (UTC)

最初に要出典を貼ってからそろそろ2ヶ月経つので、何も出てこなければ除去しときます[2]。--Yhiroyuki 2009年1月17日 (土) 02:35 (UTC)

南京大虐殺についての出典(for 210.138.182.133氏の「要出典」)[編集]

「南京大屠殺(南京大虐殺)」について「30万人は政治的な数字」、「プロパガンダ」の出典です。文章は推敲してみます。

http://blog.canpan.info/fukiura/category_20/ より (吹浦「Closing the Japan-China Perception Gap」) 中国側にもようやく、「犠牲者30万人というのはあまりに政治的な数字であり、学者はその良心に従って科学的な数字を極める必要がある」といった声が出てきており、こうしたシグナルを見落としてはならないとしている。

(楊教授) 「南京で日本軍による数万人単位の虐殺があったことは動かぬ事実」 としたものの、焦点の犠牲者数に関しては、 「30万人説には多くの主観的要素が含まれている」 と述べ、中国政府が一貫して主張してきた「30万人説」をオーソライズするのを避けた。

(程兆奇教授) 「私は30万人という数字は政治的な数字であり、私たち研究者は学問的数字を究めて行く必要がある」

自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」の小委員会である「南京問題小委員会」が平成19年6月19日に牽制記念館で行なった南京問題の総括文書より

「南京大虐殺」の枕詞「犠牲者三十万人」は二〇〇六年十二月二十六日に発足した「日中歴史共同研究会」以降、中国の有力サイトから〝三十万人〟との数字が消えている。中国の公式見解の変更は、アイリス・チャン氏が「ザ・レイプ・オブ・南京」の中で主張する「二十六万から三十五万人が虐殺された」を否定した事になる。今後、世界で多数製作される「南京攻略戦」の映画は、「ザ・レイプ・オブ・南京」を参考にしているものが含まれている事で、それらの映画が「政治宣伝映画」と中国が認めた事になる。

現在、我が国では「南京大虐殺」派といえども、中国側の主張する南京で「三十万人の大虐殺」を認める研究者はほとんどいなくなっている。

中国の「南京大虐殺」の「政治宣伝における犠牲者数」は、八十年代が「三十万人~四十万人」と中国側が認めたが、南京の状況を一番把握していた当時の「政治的犠牲者数」は「二万人」だったのである。

http://sankei.jp.msn.com/life/education/071227/edc0712270306000-n3.htm より 歴史実証主義の重視を唱える一部の若手研究者たちが、「30万は政治的数字」とか「死者埋葬の統計には水増しがある」と言いだしたのを許容しているのも、いずれ30万を20万前後に切り下げ、わが国の虐殺派との再提携を狙う伏線かもしれない。いずれにせよ、硬軟自在のしたたかな対日外交の行く末を、油断なく注視する必要がありそうだ。(はた いくひこ)

http://jp.youtube.com/watch%3Fv%3DS4W85wZWRds 南京市当局が、南京郊外の江東門近くに、「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」 を建設中の事。半本氏ら日本の教科書是正グループ等が、同当局に対して、建設の 中止を申し入れた際、同当局は、「日本社会党の田辺誠・書記が二度も頼みに来た ので建設しているのだ。30万人と言う被害者数は、政治的数字だ」と返答したそう です。つまり、「30万人」と言う数字一つ採っても、「歴史的事実」では無く、 「政治的数字」であると、支那側が自ら認めている。Fghf 2008年12月27日 (土) 17:47 (UTC)

記述する場所が違います。ノート:南京大虐殺ノート:南京大虐殺論争で提案して保護解除依頼をしてからどうぞ。johncapistrano 2008年12月29日 (月) 07:02 (UTC)
私共が編集に参加した時より以前から「南京大虐殺について」という節がありまして、210.138.182.133氏の「要出典」にお答えしたものです。また、以前は南京大虐殺についての「日本側の主な資料、証言」や「中国側の~」などの詳細な節があり、いずれ膨大な記述量になることは目に見えていましたので「日中戦争」の項目では不適切と判断して「誤魔化され易いポイントのみ」を最新の情勢を元に編集しています。Fghf 2008年12月29日 (月) 08:02 (UTC)
私もjohncapistranoさんと同じく、南京大虐殺についての記述は南京大虐殺南京大虐殺論争でなされるべきだと考えます。この記事は日中戦争全般についての記事であって、独立した記事がある以上「南京大虐殺」の項目は全削除が妥当ではないかと考えます。以上を大前提とした上でFghfさんへのお答えをさせていただきます。
上記の文章を読んでもFghfさんの仰る「誤魔化されやすいポイント」というのが今ひとつよくわかりません。私が言っているのは、記事内にもあるとおり南京大虐殺については「個々の事件についてその資料解釈、国際法解釈などによる虐殺の定義や規模の論争が続いている」(注:私が記述した部分ではありません)のであって、中国政府の公式見解(被虐殺者数30万人説)のみが「南京大虐殺」ではない、という至極簡単なことです。現在の文章では、南京大虐殺については中国政府の公式見解(被虐殺者数30万人説)しか存在せず、それが否定されれば南京大虐殺の存在そのものも否定される、というように読めます。
なお、「南京大虐殺」の項目は、ここで結論が出るまでひとまずコメントアウトにするべきだと思うのですが、よろしいでしょうか?--210.138.182.133 2008年12月29日 (月) 16:47 (UTC)
以前から「南京大虐殺について」という節がありまして210.138.182.133氏は2008年12月9日 (火) 14:22からこの節の編集に加筆参加されているようです。私共が「南京大屠殺(南京大虐殺)」についての「30万人は政治的な数字」「プロパガンダ」を加筆参加し、それに対して210.138.182.133氏は出典を要請され、上記のように出典を提出するなど誠意をもって応じてきたつもりですが、今になってこの節の全削除を要請するとは共同編集者として極めて不誠実な対応としか言いようがありません。南京大虐殺は日中戦争の一部ですから現状の最新情報にとどめ、個々の事件の詳細については該当項目に誘導する編集をしていますので問題はないでしょう。どうしても全削除が必要と思われる場合はこの節を立ち上げられた方も含めた議論、もしくはコメント依頼で意見を募って合意を形成されればよいでしょう。あとRivet氏の編集についても「前史が長すぎる」としてごっそり削除されていますが、これについても同様に合意を形成されるように要請します。
johncapistrano氏の意見はここで南京大虐殺の議論をしてくれるなというものですから、私共は「誤魔化されやすいポイント」の説明を控えていましたが210.138.182.133氏からの意見を受けて後日それにお答えしておきたいと思います。Fghf 2008年12月29日 (月) 18:45 (UTC)

(インデント戻し)johncapistranoさんは、「南京大虐殺についての記述は南京大虐殺南京大虐殺論争で行え」ということを遠回しに言っているのでしょう(日中戦争の記述についての議論をノート:南京大虐殺ノート:南京大虐殺論争で行えというのでは、筋の通らないおかしな話ですから)。私も最初から「南京大虐殺南京大虐殺論争に記述すべき事柄を(保護されていて書き込めないからといって)日中戦争に追加記述していくというのは正しいやり方とはいえない」と考えていたのですが、編集合戦などの泥沼になるのを恐れてそのような意見表明を回避していました。その点については、最初からきちんと全削除という意見表明をしておくべきだったと反省しております。なお、件の部分に「要出典」をつけたのは、前記のとおり「現在の文章では、南京大虐殺については中国政府の公式見解(被虐殺者数30万人説)しか存在せず、それが否定されれば南京大虐殺の存在そのものも否定される、というように読め」るという理由で、それについての出典を求めたものです。--210.138.182.133 2008年12月30日 (火) 05:59 (UTC)

(追記)コメントアウトはやはり問題があると考え直しましたので、代わりにノートに誘導するようにしておきました。あと、細かいことですが、Fghfさんは「私共は「誤魔化されやすいポイント」の説明を控えていましたが~」と書いておられますが、「私共」とはどういう意味なんでしょう? あなた御一人ではないのですか?--210.138.182.133 2008年12月30日 (火) 11:35 (UTC)

無意味な言動は控えてもらえますか?わからない日本語があるなら自分で辞書を調べてはどうです。一人称です。
最新の情報を出典と共に編集していますので~テンプレートの観点~は不適切なので除去します。最新の情報に反論言説があれば編集すればいいだけのことです。この場合、無いのだから貼り付ける意味もないでしょう。あと前回も注意しましたが、Rivet氏の編集についても「前史が長すぎる」としてごっそり削除されていますが、これについても同様に合意を形成されてからするように再度要請します。Fghf 2008年12月30日 (火) 14:14 (UTC)
無意味な言動? 「私共」は複数形です(一人称とは別次元)。あなた御一人なのになぜ「私共」なのか疑問に思ったのです。それほどムキになるようことでもないと思うのですが。テンプレートは不適切ではありません。勝手に剥がさないでください。大体あなたはご自分の文章にリバートしてから私をノートに誘導していますが、これもご自分の記述を固定化しようとなさる行為と受け取られても仕方ないと思いますよ。
なお、前述のとおり私の意見は本来基本的に「南京大虐殺の節は全削除」です。その点についてのご意見もお願いします。--210.138.182.133 2008年12月30日 (火) 15:29 (UTC) --ここより後の部分の記述は「南京大虐殺の節について」に移動しました。--210.138.182.133 2009年1月5日 (月) 16:02 (UTC)

要約欄「誤魔化されやすいポイント」の説明[編集]

「南京大屠殺(南京大虐殺)」の30万人という数字は、中国国民党による南京軍事法廷の判決の中で認定されている数字です。南京大虐殺紀念館(「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」)はそれを踏まえて「南京大屠殺(南京大虐殺)」の犠牲者300000、期間についても1937.12.13-38.1、と明確に掲示し、中国政府の公式発表として世界に発信されてきたことは言うまでもありません。このように犠牲者と期間に定義付けされている「南京大屠殺(南京大虐殺)」を受けて、主に日本の歴史学者や識者が資料研究・検証を積み重ねることによって、その定義である30万人と言う数字を肯定する者が存在しなくなっているわけです。肯定派は犠牲者30万人という「南京大屠殺(南京大虐殺)」が否定されていてもなお「数の問題ではなく南京大虐殺は事実だ」などとして、南京軍事法廷判決及び中国政府の公式発表である「南京大屠殺(南京大虐殺)」を否定せずに、世界に拡散しているプロパガンダ用語である固有名詞を肯定的に使用し続け誤った情報を日本からも発信しているわけです。

肯定する日本の学者はもはや存在せず、近年中国の学者さえも否定的に評価されている中国政府が世界に宣伝してきた南京30万人大虐殺、いわゆる「南京大屠殺(南京大虐殺)」と諸説とを明確に区別しない肯定派の言動は「誤魔化し」だということです。IP210.138.182.133氏は虐殺が存在さえしていれば「南京大屠殺(南京大虐殺)」という固有名詞を使用し続けるのではないでしょうか。

IP210.138.182.133氏のご意見がありましたのでお答えしておきます。では良いお年を。Fghf 2008年12月30日 (火) 14:14 (UTC)

申し訳ありませんが全く反論になっていません。もう1度私が書いた文章を書いておきます。
南京大虐殺については「個々の事件についてその資料解釈、国際法解釈などによる虐殺の定義や規模の論争が続いている」のであって、中国政府の公式見解(被虐殺者数30万人説)のみが「南京大虐殺」ではない。
現在の文章では、南京大虐殺については中国政府の公式見解(被虐殺者数30万人説)しか存在せず、それが否定されれば南京大虐殺の存在そのものも否定される、というように読めます。
「南京大虐殺」というのは1つの歴史用語であって、数の問題ではないという日本の歴史学者の意見はまさにそのとおりでしょう。それとも被虐殺者が1万人なら南京大虐殺ではないのですか? 1,000人なら南京大虐殺ではないのですか? 正直に申し上げまして、あなたの理屈は南京大虐殺否定派がよく使う言説で、まさにそれこそ誤魔化しです。--210.138.182.133 2008年12月30日 (火) 15:29 (UTC)

南京軍事法廷で既に定義付けされた固有名詞としての歴史用語を改竄するのは肯定派の属する勢力がよくやる誤魔化しです。

中国国民党による南京軍事法廷の判決の中で認定され、南京大虐殺紀念館(「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」)でそれを踏まえて虐殺数300000、期間についても「1937.12.13-38.1」と明確に掲示し定義付けられている、中国政府の公式発表として世界に発信されている事件が「南京大屠殺(南京大虐殺)」です。これを受けて日本の歴史学者が資料研究・検証し、既に定義付けられている「虐殺数30万人」を否定した言説(いわゆる「諸説」)や期間や地理的範囲を拡大した誤魔化し言説は「南京大屠殺(南京大虐殺)」ではありません。

「被虐殺者が1万人なら南京大虐殺ではないのですか?」「1,000人なら南京大虐殺ではないのですか?」という質問は肯定派が誤魔化すためによく利用する言葉と表記のトリックです。1万人でも1000人でも「南京大虐殺は事実」と誤魔化す事を予告しているかのような質問ですね。いったい何人以下なら「南京大虐殺」が否定されるのでしょうか?この場合のIP210.138.182.133氏の言う「南京大虐殺」の定義も明確にお答えください。

「『南京大屠殺(南京大虐殺)』は嘘だったが、南京で1万人(1000人)が虐殺された」とは言えないんですね肯定派は。Fghf 2008年12月30日 (火) 18:02 (UTC)

南京大虐殺の冒頭の定義文の部分にある、「南京大虐殺は、日中戦争初期の1937年に日本軍が中華民国の首都南京市を占領した際、約6週間-2ヶ月にわたって多数の中国軍捕虜、敗残兵、便衣兵及び一般市民を不法に虐殺したとされる事件」というのが私の考える「南京大虐殺」の定義ですし、百科事典などでも「南京大虐殺」は基本的にこのような定義となっています。もともと肯定派は「30万人」などと定義してはいません(10数万人~20万人前後としています)。
ところで、こちらは脇道の議論ですが、上の本筋の議論にもお答えをお願いします。--210.138.182.133 2009年1月4日 (日) 15:41 (UTC)

「約6週間-2ヶ月にわたって」「私の考える「南京大虐殺」の定義」ではお話になりません南京軍事法廷の判決と南京大虐殺紀念館(「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」)でそれを踏まえて虐殺数300000、期間についても「1937.12.13-38.1」と明確に掲示されていることを確認してから、もし反論があるならしてください。Fghf 2009年1月4日 (日) 17:02 (UTC)

いや、だから最初から「南京軍事法廷の判決や南京大虐殺紀念館の主張」は「南京大虐殺の定義」とは別のものだと言ってるんですが。なぜお話にならないのかさっぱりわかりません。--210.138.182.133 2009年1月5日 (月) 12:59 (UTC)

歴史的事実を確認もせず定義を改竄したい人に何を言っても無駄なのでまとめておきます。

中国国民党による南京軍事法廷の判決の中で認定され、南京大虐殺紀念館(「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」)でそれを踏まえて「虐殺数300000」、期間についても「1937.12.13-38.1」と明確に掲示し定義付けられている、中国政府の公式発表として世界に発信されている事件が「南京大屠殺(南京大虐殺)」です。

これを受けて日本の歴史学者が資料研究・検証し、既に定義付けられている「虐殺数30万人」を否定した言説(いわゆる「諸説」)や期間や地理的範囲を拡大した誤魔化し言説は、研究者それぞれの「私の考える南京大虐殺」であり「南京大屠殺(南京大虐殺)」を否定したものです。

歴史的事実を確認もせず定義を改竄したい人に何を言っても無駄なのでまとめておきました。Fghf 2009年1月5日 (月) 16:44 (UTC)

それに対するお答えは、やはり前述の繰り返しになってしまいます。やれやれ、堂々巡りですね。私が言っているのは、あなたの記述しているものが南京大虐殺研究者の共通認識にはなっていないということです。「南京大虐殺」の節を設けるなら、南京大虐殺南京大虐殺論争に記されている内容を要約した記述とし、その上であなたの記述も追加するというのがバランスの取れた記述であろうと考えます。しかし、あなたは私が南京大虐殺冒頭の定義文から編集した、最大公約数的な記述をリバートしてご自分の記述(上記の主張)のみの記事になさっていますが、そういう方に誠意ある回答を求めるのは、確かにあなたの仰るとおり「定義を改竄したい人に何を言っても無駄」なのでしょう。この議論は上でのご指摘のとおり、本来はノート:南京大虐殺論争でするべき議論でしょうから、私はここらで打ち止めとさせていただきます。--210.138.182.133 2009年1月10日 (土) 15:32 (UTC)
下の説でも同じようなことを繰り返し述べられていますが、上記の出典と説明を読んで自力で理解していただくしかないようです。あと、ウィキペディアの記述は出典にはなりません。南京大虐殺研究者の共通認識にはなっていないということは上記の史実に裏付けられた定義を明確に否定したうえで定義を明示した出典があるはずです。210.138.182.133氏は出典を求めるだけでなく、その出典が存在するなら明示すべきでしたね。出典の裏づけの無い意見を繰り返しても解決しません。定義の改竄の試みを打ち止めにしていただけて幸いです。Fghf 2009年1月13日 (火) 14:15 (UTC)

南京大虐殺の節について[編集]

(追記)繰り返しになりますが、南京大虐殺についての記述は南京大虐殺南京大虐殺論争に記述すべきです。保護されて編集できないからといって、「日中戦争」に節を設けて追加記述していくという裏技のようなやり方は好ましくありません。きちんと保護解除依頼などの正式な手続きを踏むべきであろうと考えます。--210.138.182.133 2009年1月4日 (日) 15:41 (UTC)

その件については年末にこのように意見を述べています。
「以前から「南京大虐殺について」という節がありまして210.138.182.133氏は2008年12月9日 (火) 14:22からこの節の編集に加筆参加されているようです。私共が「南京大屠殺(南京大虐殺)」についての「30万人は政治的な数字」「プロパガンダ」を加筆参加し、それに対して210.138.182.133氏は出典を要請され、上記のように出典を提出するなど誠意をもって応じてきたつもりですが、今になってこの節の全削除を要請するとは共同編集者として極めて不誠実な対応としか言いようがありません。南京大虐殺は日中戦争の一部ですから現状の最新情報にとどめ、個々の事件の詳細については該当項目に誘導する編集をしていますので問題はないでしょう。どうしても全削除が必要と思われる場合はこの節を立ち上げられた方も含めた議論、もしくはコメント依頼で意見を募って合意を形成されればよいでしょう。あとRivet氏の編集についても「前史が長すぎる」としてごっそり削除されていますが、これについても同様に合意を形成されるように要請します。」
「johncapistrano氏の意見はここで南京大虐殺の議論をしてくれるなというものですから、私共は「誤魔化されやすいポイント」の説明を控えていましたが210.138.182.133氏からの意見を受けて後日それにお答えしておきたいと思います。」
「要出典」の要請に手間隙かけ誠意をもって対応した編集をいまさら全削除と言う失礼なおこないとあわせて、その要請への私共の立てた「出典」の節を勝手に変更するなど失礼極まりないおこないもしないように要請します。 Fghf 2009年1月4日 (日) 16:55 (UTC)
全削除の主張にしても、節の名称の変更にしても、それほど失礼なこととは私には思えないのですが。どちらにしてもこのままでは全くの平行線ですので、仰るとおり第三者の意見を伺うためにコメント依頼を出しておきましょう。--210.138.182.133 2009年1月5日 (月) 12:59 (UTC) --ここまでの記述は「出典」の節より移動してきたものです。--210.138.182.133 2009年1月5日 (月) 16:02 (UTC)

210.138.182.133氏は出典要求しておきながら出典が出るとコロッと主張を変える態度はいかがなものでしょうかね?拝見してて大変に見苦しい姿です。もともと南京について記述されていたのですから、Fghf氏には何ら問題はありませんし、何よりもこのような210.138.182.133氏の編集姿勢は問題アリと言わざるを得ません。以後お気をつけになっていただきたい。全削除に反対はしませんが、当該部分を南京虐殺へ記述することに210.138.182.133氏は賛成であるということでよろしいですね?--Dondokken 2009年1月5日 (月) 16:39 (UTC)

Fghf氏へ。南京大虐殺南京大虐殺論争は現在保護中ですので、Fghf氏がこちらで記述した内容を出典つきで当該両ノートにうまくまとめて記述しておいていただけませんか?将来記述いたしますので。--Dondokken 2009年1月5日 (月) 16:42 (UTC)

了承しました。議論当初から出典も明示し必要最低限の記述にすべきと考えて議論してきましたが、210.138.182.133氏の不誠実な参加姿勢には疲弊するばかりでしたので、間に入っていただき感謝します。年始ということもあり時間はかかるかもしれませんが該当ノートにも準備してまとめておきたいと思います。Fghf 2009年1月5日 (月) 17:23 (UTC)
日中戦争全体にとって南京大虐殺は一部に過ぎないから、最低限の記述にしようということには賛成です。しかし、最低限の記述だから中国側から(?)誤魔化されないようなポイントを記述しようという論理は、自分自身が論争に関わる立場として必要なことを書いてしまったということであり、百科事典を執筆するという立場を根本から放棄してしまったと見做せます。それに関してはWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは演説をする場所ではありませんをよく読んでください。また日中戦争の下位項目は南京攻略戦であり、その下位項目は南京大虐殺であり、その下位項目は南京大虐殺論争です。「中国政府が発表した南京大虐殺の犠牲者数はプロパガンダだ」という記述はどう見ても南京大虐殺論争向きの内容であり、百科事典的に日中戦争全体にとっては限りのない枝葉末節といえる内容で一節が作られてしまっているのは偏向したバイアスの結果であると考えられます。--Clarin 2009年1月9日 (金) 17:17 (UTC)
私自身の考えは上の節にも書いたとおり、「南京大虐殺」の節を設けるなら南京大虐殺南京大虐殺論争に記されている内容を要約した記述とし、その上で新たな記述も追加するというのがバランスの取れた記述であろう、というものです(ただし私自身はあの長大な記事を要領よくまとめる自信はありませんし、節そのものが必要ないとも思っております)。Fghfさんの記述では南京大虐殺における記述を否定するような記述のみとなっていたので、それに対して要出典をつけたわけです。最初からその点を明らかにしてノートなどで説明を求めるべきでしたが、やや面倒だったのでそこまではしませんでした。その点については不十分な対応だったと反省しております。
なお、当該部分を南京虐殺に記述することに賛成かとのことですが、それはどの記事のどの箇所にどのような形態で記述されるかによっても違ってきます。実際に記述されていない段階で賛成か反対かと聞かれてもお答えのしようがありませんが、南京大虐殺論争#虐殺否定説・まぼろし説に追記という形なら反対はいたしません。--210.138.182.133 2009年1月10日 (土) 16:01 (UTC)
主張内容はよくわかりました。お応えありがとうございます。中国の研究者の証言もあり、それが「まぼろし説」になるのか疑問ではありますが、少なくとも南京大虐殺論争#虐殺否定説・まぼろし説への記述には210.138.182.133氏は反対しないというお言葉をいただけたことを確認させていただきました。--Dondokken 2009年1月13日 (火) 02:59 (UTC)
端的に「誤魔化されやすいポイント」は出典(for 210.138.182.133氏の「要出典」)読めば理解していただけるように、まず第一に「南京大虐殺」の定義です。これは私共が個人的に決定した定義ではありません。中国国民党による南京軍事法廷の判決の中で認定され、南京大虐殺紀念館(「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」)でそれを踏まえて「虐殺数300000」、期間についても「1937.12.13-38.1」と明確に掲示し定義付けられているという歴史的な事実ですから「偏向したバイアスの結果」ではありません。この歴史的事実に目をつぶって「30万」を「多数」、「6週間」を「6週間を2カ月」などと改竄しているのは210.138.182.133氏だけです。第二として中国側学者を含めて「30万人は政治的数字」であることを認め、それに反論している学者は存在しないと言う最新情報についてです。これら出典も明示した記述についても「偏向したバイアスの結果」でもなんでもなく事実をそのまま伝えただけにすぎません。210.138.182.133氏の求めに応じて出典を提示し、歴史的に確定している定義と最新情報の最低限の記述に留めたもので日中戦争の項目ではこの程度が限界でしょう。210.138.182.133氏が数年間も保護されている南京大虐殺南京大虐殺論争に記されている内容を要約した記述とともにその上で新たな記述もここに追加するという意見はとてもじゃないですが賛同は得られないでしょう。また、あちらの項目にも追記するにしても歴史的事実からの学術的定義や否定する学者も存在しない最新の情報を「まぼろし説」に追記すべきというおかしな意見も賛同は得られないでしょう。210.138.182.133氏は南京大虐殺論争の「30万人説」が「南京大虐殺」で、それ以外の諸説は「南京大虐殺」を否定したものであることをこれまでの議論や出典で確認すべきです。「まぼろし説」以外の否定説を「南京大虐殺」の定義に含めようとするのはネットに蔓延る肯定派のよく試みる定義の改竄であり誤魔化し以外の何ものでもないことも最新情報の出典から確認すべきです。日本における諸説は国際的に「南京大虐殺否定説」として評されることもお調べになるといいでしょう。Fghf 2009年1月13日 (火) 13:55 (UTC)
或る中国の学者が30万人説を否定したというだけで、殆どの学者や政治的勢力の意見が一致しているという出典は提示されていません。Wikipedia:中立的な観点#中立的な観点についての方針声明(新版 拡張版)には「記事には特定の立場が正しいと明記したり、暗示したりするべきではない」と明記されています。「中国の見解はプロパガンダだ」と百科辞典に要約して書くことができるのは、中国以外の大半の国でそれが公式見解とされるようになってからでしょう。--Clarin 2009年1月16日 (金) 06:31 (UTC)
その出典については上節の「9出典(for 210.138.182.133氏の「要出典」)」で決着打ち止めになっています。「30万は政治的数字」であることを中国側の学者だけではなく、日本では以前から南京30万人虐殺、いわゆる「南京大屠殺(南京大虐殺)」を肯定する学者は存在しませんでした。逆にClarin氏が未だにそれを肯定している学者及び「30万人は政治的数字」との主張に反論もしくは否定している学者がいるのであれば出典を添えて議論すべきでしょう。また「政治的勢力の意見が一致」とか「中国以外の大半の国でそれが公式見解とされるようになってからでしょう」との主張も非現実的でナンセンスです。上節でも指摘したように、出典の裏づけの無い意見を繰り返しても解決しません。Fghf 2009年1月16日 (金) 16:40 (UTC)
上の節では、決着打ち止めになったのではなく、議論の打ち切りをさせていただいたのです(Fghfさんが同じことを繰り返し述べるばかりで議論にならないこと、南京大虐殺そのものを論争する場ではないことから)。繰り返しになってしまうので、あまり書きたくもないのですが、「南京大虐殺の定義=30万人説であり、30万人説以外は南京大虐殺ではない」という見解が、大多数の南京大虐殺研究者の共通認識となっている、ということについての出典の提示が求められているのです。あなたの出典では、上記の見解をとる研究者がいる、という出典にしかなっていません。上記の見解をとっていない著作をいくつか示しておきます。
  • 森武麿『アジア・太平洋戦争 日本の歴史20』集英社、1993年
  • 北岡伸一『政党から軍部へ 日本の近代5』中央公論新社、1999年
  • 有馬学『帝国の昭和 日本の歴史23』講談社、2002年
  • 天児慧『巨龍の胎動 中国の歴史11』講談社、2004年
  • 伊香俊哉『満州事変から日中全面戦争へ 戦争の日本史22』吉川弘文館、2007年
--210.138.182.133 2009年1月16日 (金) 17:27 (UTC)

何度も言っていますように、「南京大虐殺」の定義は私共が個人的に決定した定義ではありません。中国国民党による南京軍事法廷の判決の中で認定され、南京大虐殺紀念館(「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」)でそれを踏まえて「虐殺数300000」、期間についても「1937.12.13-38.1」と明確に掲示し定義付けられているという歴史的な事実です。この歴史的事実が南京大虐殺研究者の共通認識にはなっていないというなら、上記の史実に裏付けられた定義を明確に否定したうえで定義を明示した出典があるはずです。210.138.182.133氏は私共の発言を捏造し、ただ書籍を示しただけで、それぞれどのように上記の史実を否定しているかの内容を全く示していませんので、「誤魔化し」と言わざるを得ません。Fghf 2009年1月16日 (金) 18:00 (UTC)

南京軍事法廷や南京大虐殺紀念館が上記のような定義をしたこと、それ自体は事実でしょう。あなたはそれと「南京で実際に起こった事実」という意味での「南京大虐殺」を混同しており、ここで問題とされている「南京大虐殺」は後者のほうです。「南京大虐殺」の定義そのものが研究者によって違っており(だから南京大虐殺論争にもあるように諸説がある)、南京軍事法廷や南京大虐殺紀念館による定義のみが「南京大虐殺の定義」ではない、と何度も申しております。あなたが言う「研究者それぞれの「私の考える南京大虐殺」」こそが「南京大虐殺」なのです。歴史用語が後世に定義しなおされることなど、ごく普通にあることにすぎません。--210.138.182.133 2009年1月16日 (金) 18:37 (UTC)

それぞれの歴史研究者は南京軍事法廷及び極東国際軍事裁判で認定され定義付けられた「南京大屠殺(南京大虐殺)」を対象として研究した結果、それを否定した結論としてそれぞれの見解を発表しているのであり、それ以上でも以下でもありません。国際的に史実として認定され定義付けられた歴史用語「南京大屠殺(南京大虐殺)」の定義をそれら研究者のバラバラの見解「私の考える南京大虐殺」に定義を変更するなどという誤魔化しをごく普通にあることと認識している210.138.182.133氏の歴史に向き合う際の歪んだ姿勢とあなたの属性が窺い知れます。(期間や地理的範囲を勝手に改竄した「笠原十九司の南京大虐殺」とでも呼ぶべき見解は「南京大屠殺(南京大虐殺)」とは別ものとして中国側学者も否定し、上記の史実を受けて公式発表されている定義であることを確認しています。私共の知る限り、史実そっちのけで自分の見解を上位に置こうとするのはこの類の方しか知りません)

上節の「出典(for 210.138.182.133氏の「要出典」)」と「要約欄「誤魔化されやすいポイント」の説明」をよく読んで210.138.182.133氏自身がなぜ「定義の改竄の試みを打ち止め」ざるを得なくなったかを再確認し、また「打ち止めを宣言したのに別の節でまたまた蒸し返してしまった自分」についてよく考えてみるべきでしょう。あなた自身が「南京軍事法廷や南京大虐殺紀念館が上記のような定義をしたこと」を認めている時点で結論は出ているのであり、それ以降の個人的なご意見は、「南京大屠殺(南京大虐殺)」が政治的プロパガンダであり、もはや否定されてしまっていることを覆い隠すための「誤魔化し」をまた蒸し返しているだけです。Fghf 2009年1月19日 (月) 12:56 (UTC)

何度同じことを言えばおわかりになるのでしょうか? 「南京大虐殺」とは「日本軍が南京を占領した際に起こった歴史的事実」を指しており、「南京軍事法廷や南京大虐殺紀念館による定義」がそのまま「南京大虐殺の定義」にはなりません。
また、それ以前の問題として、私に対する「歴史に向き合う際の歪んだ姿勢とあなたの属性が窺い知れます」とか「定義の改竄の試み」などという、根拠のない罵詈雑言はおやめください。とてもじゃありませんが、誠意ある対話をしようとする方の姿勢とは思えません。--210.138.182.133 2009年1月20日 (火) 17:11 (UTC)
前に挙げた著作(他の著作も追加)の内容を記しておきます。かなり長くなってしまいますがご容赦を。
  • 森武麿『アジア・太平洋戦争』日本の歴史20、集英社、1993年、P132
「国民党の首都であった南京をようやく占領した日本軍は、おもに一九三七年一二月一三日の占領から一週間にわたり、中国軍の捕虜、敗残兵の殺害および一般市民に対する虐殺・強姦、さらに民家の略奪・放火など未曾有の残虐行為を集中的に行った。その後も二か月間にわたり、殺害・暴行・強姦・放火が繰り返された。」
「南京における中国兵捕虜、敗残兵、一般市民の虐殺実数を確定することは困難であるが、これらの研究を踏まえて現在では南京城内外での中国人の虐殺はほぼ二〇万人を下らないといわれている。」
  • 狭間直樹・長崎暢子『自立へ向かうアジア』世界の歴史27、中央公論新社、1999年、P171
「十二月十三日、日本軍は南京を占領した。ここで日中戦争中、最も悪名高い虐殺事件が起こった。南京大虐殺である。被害者数は二〇万人とも、三〇万人とも言われている。数値はできるだけ正確な方がよいが、今のところ確定は難しい。当時の人口数から押して三〇万人は過大とも思われるが、ともあれ、日常感覚をはるかに絶した数値なのである。」
  • 北岡伸一『政党から軍部へ』日本の近代5、中央公論新社、1999年、P291、P293
「南京事件は、日本軍が南京入城にあたって、多数の一般市民と捕虜を虐殺したといわれている事件である。」
「その数は、はっきりとしたことは分かりようがないが、少なくとも板倉由明の一万六〇〇〇人(「南京事件の数量的研究」『軍事史学』二六巻一号、一九九〇年)、おそらく秦郁彦の四万人(『南京事件』、「南京虐殺事件」『現代史の光と影』)あたりではないかと考える。」
  • 由井正臣『大日本帝国の時代』日本の歴史8、岩波ジュニア新書、2000年、P155、P158
「そして十二月十三日、日本軍は南京城を陥落させた。それから約二ヵ月にわたって、南京城内外における日本軍の略奪、放火、強姦、虐殺などの蛮行が繰り返された。」
「虐殺された捕虜や民間人の数は十数万人から二十万人近くに達するものと推定される。」
  • 有馬学『帝国の昭和』日本の歴史23、講談社、2002年、P218
「一九三七年一二月一三日に、中国国民政府の首都である南京が陥落した。南京の占領に際して、虐殺が発生したのは、今日知られているとおりである。占領直後の日本軍は殺気立った兵の統制が困難となり、中国兵のみならずおびただしい非戦闘員が殺害されたといわれる。」
  • 天児慧『巨龍の胎動』中国の歴史11、講談社、2004年、P76
「一二月、上海を制した「中支那方面軍」五万は、首都南京を攻めわずか数日間で攻略に成功した。そして今日なお生々しく議論されるあの「南京虐殺」の惨劇が生まれたのである。虐殺の数に関しては四万人説(秦郁彦)、五万~六万人説(ラーべ日記)から、一一万九〇〇〇人説(極東国際軍事裁判判決)、三〇万人説(中国公式数字=おそらく戦死者を含む)など様々であるが、いずれにしても大規模な虐殺という事実を否定することはできない。」
  • 伊香俊哉『満州事変から日中全面戦争へ』戦争の日本史22、吉川弘文館、2007年、P93、P147~148
「かくして一九二七年以来国民政府の「首都」であった南京は一二月一三日に陥落した。そしてこの占領過程から三八年二月頃まで、南京城内外と周辺農村部では日本軍による捕虜・「便衣兵」(民間人の服装をした兵士)・一般住民虐殺や強姦事件が多発したのである(後述)。」
「一二月一三日の日本軍の南京入場から、一二月一七日の日本軍入城式までの期間が、最も激しい掃蕩がなされた時期であったが、その後も掃蕩は継続され、日本軍の暴行が下火になったのは約二ヵ月後のことであった。日本軍が南京総攻撃を開始してからの約二ヵ月間に南京城内外で虐殺された中国兵捕虜・敗残兵などと一般住民の犠牲者数は、「十数万以上、それも二〇万人近いかそれ以上」と推計されている(笠原十九司「数字いじりの不毛な論争は虐殺の実態解明を遠ざける」)。中国側では公式的な見解では、被害者数三〇万人とされている。」
--210.138.182.133 2009年1月23日 (金) 16:18 (UTC)

210.138.182.133氏は上節「9.1 要約欄「誤魔化されやすいポイント」の説明」の打ち切りを宣言されたはずですが、撤回してまだ「定義の改竄の試み」を繰り返したいのですか。何度も説明してきたように、 南京軍事法廷及び極東国際軍事裁判で認定され定義付けられた「南京大屠殺(南京大虐殺)」を対象として研究した結果である各研究者の意見や説明、またはそれらを紹介した解説などは「南京大屠殺(南京大虐殺)」の定義ではないですよ。210.138.182.133氏はそれらを寄せ集めて、今や「政治的プロパガンダ」として否定(これも出典と共に説明済み)されている歴史的事象の中で認定、定義付けられた「南京大屠殺(南京大虐殺)」、の期間や地理的範囲を拡大することによって、独自に定義改竄をおこなおうと試みているに過ぎません。日本だけでなく中国側学者でさえ政治的プロパガンダと認めているものを、ここで210.138.182.133氏が誤魔化しても意味がありません。笠原十九司の言葉を借りれば「数字いじりの不毛な論争」の内容を勝手に「南京大屠殺(南京大虐殺)」の定義にすりかえられても困ります。これほど説明しても理解できない210.138.182.133氏は、ご自身の勘違いを自力で解決するようにしていただいて、ご自身の打ち切り宣言を守っていただくように重ねて要請しておきます。Fghf 2009年1月24日 (土) 06:06 (UTC)

「南京大虐殺の定義」はノート:南京大虐殺ですべき議論。--Clarin 2009年1月24日 (土) 06:30 (UTC)
確かに仰るとおりです。johncapistranoさんにも前に指摘されたことですが、話がずいぶん横道にそれてしまいました。すいません。
話を元に戻しまして、「南京大虐殺」の節は全削除したほうがよいと思うのですが、いかがでしょうか? Fghfさんは反対するのでしたら、以前Clarinさんが指摘したように、「殆どの学者や政治的勢力の意見が一致しているという出典」を提示してほしいところです。--210.138.182.133 2009年1月24日 (土) 07:39 (UTC)
まだ蒸し返したいのですか?それについても既に解決済みです。「30万は政治的数字」であることを中国側の学者だけではなく、日本では以前から南京30万人虐殺、いわゆる「南京大屠殺(南京大虐殺)」を肯定する学者は存在しませんでした。逆にClarin氏が未だにそれを肯定している学者及び「30万人は政治的数字」との主張に反論もしくは否定している学者がいるのであれば出典を添えて議論すべきことです。上節の「出典(for 210.138.182.133氏の「要出典」)」にある最新情報に反論している学者が存在するなら出典と共に提示し付記すればいいだけのことです。提示できなかったことを蒸し返しても意味がありません。210.138.182.133氏はご自身の勘違いを自力で解決するようにしていただいて、ご自身の打ち切り宣言を守っていただくように再度、重ねて要請しておきます。これ以上まだ蒸し返したいのであれば、出典と共にノート:南京大虐殺で提示してください。Fghf
ほとんどの学者や政治的勢力が「南京大虐殺の定義は中国政府の公式見解である30万人説だ」という意見で一致している、という見解の出典の提示を求めているのです。その出典はまだまったく示されていません。また、独立した項目があるという意味でも「南京大虐殺」の節は必要なく、全削除したほうがよいと思います。--210.138.182.133 2009年1月24日 (土) 08:24 (UTC)
だから、「南京大虐殺の定義」はノート:南京大虐殺ですべき議論だと何度言ったら・・・。ところで、「Clarin氏が未だにそれを肯定している学者」って・・・誰?--Clarin 2009年1月24日 (土) 08:30 (UTC)

(再要請)これ以上,定義改竄の試み、議論の誤魔化しを続けたいのであればノート:南京大虐殺でお願いします。Fghf 2009年1月24日 (土) 08:41 (UTC)

ここで議論している内容は、南京大虐殺に関するものです。だから、南京大虐殺の内容が Fghf 氏の主張に沿った内容なのであれば、それに反対する者がノート:南京大虐殺にて提起する必要があります。逆に、南京大虐殺の内容が Fghf 氏の主張に沿っていない内容なのであれば、Fghf 氏がノート:南京大虐殺にて提起をする必要があります。南京大虐殺の内容は Fghf 氏の主張する「定義」とは異なっています。ですから、Fghf 氏が反対者にノート:南京大虐殺にて提起せよ、と発言するのはここでは意味が通りません。--Clarin 2009年1月24日 (土) 08:51 (UTC)
一番最初の文章をもう1度書いておきます。
南京大虐殺についての記述は南京大虐殺南京大虐殺論争に記述すべきです。保護されて編集できないからといって、「日中戦争」に節を設けて追加記述していくという裏技のようなやり方は好ましくありません。きちんと保護解除依頼などの正式な手続きを踏むべきであろうと考えます。--210.138.182.133 2009年1月24日 (土) 13:34 (UTC)

両氏がようやく論点の脱線から復帰していただけたのは喜ばしいことですが、同じ意見を再び最初から蒸し返す議論に意味はありません。南京大虐殺は日中戦争の一部ですが、この項目では現状の重要点の概説程度に留め、各学者の研究紹介やその内容についての詳細は南京大虐殺南京大虐殺論争に誘導されています。何度も要請しているように、両氏は他の利用者への迷惑を鑑み、これ以上の蒸し返しはお控えください。Fghf 2009年1月25日 (日) 10:08 (UTC)

南京大虐殺南京大虐殺論争に誘導されているからその内容を記述する必要はなく、追加文のみを「日中戦争」に記述するというのはおかしな話です。もしどうしても「南京大虐殺」の節が必要なら、南京大虐殺(および南京大虐殺論争)の内容を要約した文章を記述した上で、その中に新たな追加文を加えるべきでしょう。上にも記したとおり、「保護されて編集できないからといって、「日中戦争」に節を設けて追加記述していくという裏技のようなやり方は好ましくありません。きちんと保護解除依頼などの正式な手続きを踏むべきであろうと考えます」。
私やClarinさんの書き込みが、なぜ「他の利用者への迷惑」になるのでしょうか? 解決も決着もしていないものを「解決済み」「決着がついている」と言ったり、あなたには独りよがりな意見が多すぎます。いくら聞いても、あなたが答えになっていない同じ意見を繰り返し書くので、こちらも同じ質問を繰り返さざるを得ないのです。--210.138.182.133 2009年1月25日 (日) 11:38 (UTC)
それも蒸し返しですね。Fghf 2009年1月4日 (日) 16:55 (UTC)参照  Fghf 2009年1月25日 (日) 12:11 (UTC)
議論の継続がなぜ蒸し返しになるのか全くわかりません。--210.138.182.133 2009年1月25日 (日) 13:08 (UTC)
あなたは議論の蒸し返しを継続しているだけです。Fghf 2009年1月25日 (日) 15:33 (UTC)
そのような態度は対話を拒否しているように見られます。お気をつけください。また反論できないから対話を打ち切ろうとしているようにも見えます。お気をつけください。--210.138.182.133 2009年1月25日 (日) 15:47 (UTC)
現在「南京大虐殺」の節に記述されているのは、明らかに南京大虐殺論争または南京大虐殺に記述されるべき内容であり、それを両項目に記述しないまま、より上位項目である「日中戦争」にのみ記述するというのは、保護解除依頼などの正式な手続きを踏まないまま、とりあえず保護されていない別の項目に書き込もうという態度に見えます。そのような姿勢が好ましくないことは言うまでもありません。また、そのようなことをしていたら、「日中戦争」の項目が保護されている下位項目についての記事であふれかえってしまう危険性もあります。よって「南京大虐殺」の節は削除が妥当であろうと考えます。--210.138.182.133 2009年1月25日 (日) 15:39 (UTC)記述を該当箇所に移動。--210.138.182.133 2009年1月25日 (日) 15:47 (UTC)

同じ意見の蒸し返しが繰り返されますので当節最下部にこのリンクを固定しておきます。ノート:日中戦争#南京大虐殺の節についてノート:日中戦争#南京大虐殺についての出典(for 210.138.182.133氏の「要出典」)ノート:日中戦争#要約欄「誤魔化されやすいポイント」の説明も参照してください)Fghf 2009年1月25日 (日) 10:08 (UTC)

「南京大虐殺」の節の削除に反対していた唯一の方であるFghfさんが、peace系として投稿ブロックされました。長期にわたって議論がなされ、コメント依頼も出しましたが、他に反対する方はいないようですので、「南京大虐殺」の節は削除ということでよろしいでしょうか?--210.138.182.133 2009年2月7日 (土) 07:46 (UTC)

210.138.182.133さん、こんにちは。今の量はコンパクトで読みやすいので残していただきたいのですが。それで量が増えた場合には、ある程度のまとまりを南京大虐殺あるいは南京大虐殺論争の記事にも書き込むか、移動すべきかを話し合えばいいのではないでしょうか。いずれにしろ簡単な説明以上は日中戦争の記事にあるべきと考えています。こういった場合のために「詳細は・・・を参照」という表現が利用されるとも考えています。--Sweeper tamonten 2009年2月7日 (土) 13:03 (UTC)
私の意見は「削除すべき」というもので、理由は前記のとおりですので繰り返しません。また、現在の「南京大虐殺」の節の記述はpeace系として投稿ブロックされたFghfさんによる記述がほとんどであるため、その意味でも削除が妥当であろうと考えます。--210.138.182.133 2009年2月8日 (日) 10:06 (UTC)
貴方の主張は南京大虐殺の節の内容がこの記事にあるべきではないということ。これは南京大虐殺という題名ではなくその内容がふさわしくないということ。さらに下位において保護されている記事に関しては記述することははばかられるべきとのこと、と理解しました。すると下位において保護されている記事に関しては記述することははばかられるべきということに包括されるようですが、そうなのでしょうか?--Sweeper tamonten 2009年2月8日 (日) 14:33 (UTC)
210.138.182.133さんの「現在の「南京大虐殺」の節の記述はpeace系として投稿ブロックされたFghfさんによる記述がほとんどであるため、その意味でも削除が妥当であろうと考えます。」に納得しました。削除されるべきですね。私の前コメントはお忘れ下さい。--Sweeper tamonten 2009年2月8日 (日) 22:25 (UTC)

(インデント戻し)ご理解ありがとうございます。他に反対意見もないようですので、「南京大虐殺」の節を削除させていただきます。--210.138.182.133 2009年2月9日 (月) 14:50 (UTC)

明確に削除に反対を表明します。118.144.187.156 2009年2月9日 (月) 14:55 (UTC)
理由もきちんと明記してください。--210.138.182.133 2009年2月9日 (月) 14:59 (UTC)

年表について2[編集]

「前史」の部分が増え続けていますが、あまりにも時代がさかのぼりすぎではないでしょうか。日中戦争との関連性を考えると、さかのぼっても華北分離工作、あるいは満州事変ぐらいまでというのが妥当であろうと感じます。最大限にさかのぼってもせいぜい張作霖爆殺事件ぐらいまでで十分でしょう。このままでは「前史」の部分が際限なく膨大化してしまう恐れがあり、最低限の記述にするべきだと思います(太平洋戦争の年表なども参考に)。--210.138.182.133 2008年12月30日 (火) 11:53 (UTC)

失礼ですが日中戦争を考える際は、当時の中国の情勢をよく理解する必要があると思います。当時の中国では義和団事件をはじめ、国際法を無視した中国人による暴動やテロ行為、殺人など列強の圧制と愛国心と間で愛国無罪暴動(2005年の中国における反日活動)のような行為が多数あったのは確かです。また日中間の戦争と言えども実際には必ずしも中国という統一国家と戦争をしていたわけでなく、中国は軍閥によって分裂状態にあり複数の政権があったことや時局ごとに人物や細かなイベントの影響によって情勢が変化している点など、前後の事実関係が不透明すぎる点が多すぎます。もっと大局的に歴史を認識し、経緯を適切に理解できるようにすることが大切だと考えます。このような状況を良く整理した上で日中戦争に至ったか詳しく記すことが全体を理解する上で重要だと思います。--Rivet 2008年12月30日 (火) 14:30 (UTC)
さらに歴史誤認とのことですが、中国の歴史視点・参考資料のみがすべてだということはないと思います。この記事に書くのは結果論ではありません。あなた方にとってはただの侵略という言葉で済むことですが、なぜ、起きたのか?その原因は?経緯は?そして日中両国の見解はなど詳しくまとめ整理することが大事です。南京大虐殺もそうですが、中国政府の公式見解は30万日本政府の公式見解はあっただろうが犠牲者数は不明日中学者は法律の解釈、学術的調査中という風に見解がしっかりと示されています。概要を書く程度なのですから良いと思います。
また210.138.182.133さんの編集行為を拝見させて頂きましたが、その多くは中国にとって都合の悪い情報については合意もせず、いきなり白紙化(削除)するなどの行為が目立ちます。英語版のフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』でもこのような歴史修正活動が見受けられます。もう少し中立的な視点で参加にしていただけませんか?--以上の記述は 2008年12月30日 (火) 14:30~14:50にRivetが編集したものです。
まず基本的な問題ですが、ここの文章を見てもあなたは誤字脱字が多すぎます。プレビューを活用して誤字脱字や記述の重複がないようによく確認してください。なお、事実誤認(歴史誤認ではありません)としたのは、8月17日 - 満洲国皇帝[[愛新覚羅溥儀|康徳帝(溥儀)]]が退位宣言。満洲国(清朝)が完全に消滅。という部分です。満州国は清朝ではありませんので(あなたにはそういうかなり基本的な部分での間違いが時々見られます。またここにも誤記が見られます)。確かにいきなりリバートは乱暴でしたが、正直に言いましてあなたのそういう基本的な誤記や事実誤認の修正を何度も行っており、ややうんざりしていたのも確かです。
私が問題としているのは、「前史」が長すぎる、ということです。歴史の流れをある程度押さえる必要はあるにしても、限度があります。「中国革命同盟会」だの「アヘン戦争」だのはいくらなんでも遡り過ぎで、「日中戦争」前史としてそこまでは不要でしょう。--210.138.182.133 2008年12月30日 (火) 15:52 (UTC)

中国政府または中国人による編集と思われる編集工作行為の例[編集]

  • [ 歴史から消された広安門事件と廊坊事件]--以上の記述は 2008年12月30日 (火) 14:30~14:50にRivetが編集したものです。

210.138.182.133さんの行為[編集]

管理者の方に仲介を頼んでおきます。正正堂堂とやりましょう。--以上の記述は 2008年12月30日 (火) 14:30~14:50にRivetが編集したものです。

こちらの記述もRivetさんのものでしょうか? 署名を忘れないでくださいね。まずはコメント依頼をするほうが適切かとも思うのですが、あなたが管理者に頼むというのならお任せしますのでよろしくお願いします。--210.138.182.133 2008年12月30日 (火) 15:52 (UTC)

「前史」は不要[編集]

「前史」は全削除で構わないと思います。どうしても戦争以前の事件などについて記載する必要があれば、Template:MainTemplate:Main2Template:seeTemplate:see alsoといった内部リンク用テンプレートを使って参照する形を取れば良いのです。--花蝶風月雪月花警部 2008年12月30日 (火) 19:31 (UTC)

ご意見ありがとうございます。私は前段で、前史については必要最低限の記述に抑えるべきと書きましたが、それは「もしどうしても必要だというならば最低限の記述に」というもので、花蝶風月雪月花警部さんの仰るとおり、基本的に年表の前史(戦後史も)はなくてもかまわないと考えます。--210.138.182.133 2009年1月4日 (日) 15:11 (UTC)
花蝶風月雪月花警部氏が節を立ててくださいましたが、この節でも以前からRivet氏の各編集に対して対話すること無く削除行為を繰り返し、また自身の編集もおこなっておきながら今になって全削除をRivet氏に要求する210.138.182.133氏の共同執筆者に対する失礼なおこないに反省を再度促しておきます。
この年表については、現時点でどうしても全削除あるいは削除する必要があるという合理的な理由が説明された場合には警部氏の内部リンク用テンプレートを使う提案に賛成します。Fghf 2009年1月4日 (日) 17:51 (UTC)
こちらに関しても話が平行線のままなので、第3者の意見を伺うためにコメント依頼を出しておきます。--210.138.182.133 2009年1月5日 (月) 12:59 (UTC)
この記事は大きくなり分割を考えてもよろしいのではないかと思います。日中戦争の場には各種の勢力が関係し、その歴史的な説明を十分するとかなりのスペースを取ります。第二次世界大戦の背景といった記事と同様のものを日中戦争に対して作成することもひとつの選択肢でしょう。--Sweeper tamonten 2009年1月5日 (月) 17:54 (UTC)
よく読んでいただければわかると思いますが、私は全削除でもかまわないと言っているだけで、全削除を要求しているわけではありません。前史が多すぎるから減らすべきだという意見ですが、全削除でも当然記述が減るのでそういう選択肢でもかまわないというだけです。--210.138.182.133 2009年1月10日 (土) 16:10 (UTC)

YouTube の出典について[編集]

東條由布子、櫻井よし子、石原慎太郎などが出演しているTV番組の動画を出典として記事が加筆されていますが、TV番組の映像の著作権は放送局が保有しており、著作権侵害幇助にあたる可能性があるため控えるべきでしょう。またTV番組とはいえ重大な発言であれば活字になっている筈ですし、百科辞典はエッセイやブログではないので、なるべく活字メディアをもとに記事を執筆するようにしてください。--Clarin 2009年1月16日 (金) 09:33 (UTC)

理路不整然といいますか、エッセイやブログと違って、TV番組の著名人の発言などの映像は明快で疑いの無い出典でしょう。もしそれにリンクすることが著作権侵害幇助に該当するなら、明快な出典を確認しながらも出典リンクを削除したClarin氏は、リンクしない形の文章表現でその出典を復元するべきでしょう。それをしないのは著作権を理由(理由は何でもいいのでしょうけども)に東條由布子、櫻井よし子、石原慎太郎らの生の発言を百科事典から除去したいだけの行動のようにしか受け取れません。Fghf 2009年1月16日 (金) 17:03 (UTC)
ウィキペディアは、まとめサイトではありません。またウィキペディアは、2ちゃんねるではありません。Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側にには「出典を示す責任は、ある編集を行った執筆者、またはその編集を残すことを希望する執筆者にあります。」とあります。そもそも出典が「朝まで生テレビ」の動画しかない内容を百科事典に歴史的事実として書くということは通常ありえないことです。またこの編集で Fghf 氏は http://を ttp:// に変更していますが、「ttp://」というわけのわからないものを読者に提示するのはお控えください。また同じ編集で、#「文明論的に~」以下の文章で問題を指摘して1週間以上経過した記述を無言で差し戻し、さらに特定の主張の記述にボールド体を付け直していますが、相手が理路整然と根拠を挙げて行動しているものを黙って差し戻すのは、荒らしです。--Clarin 2009年1月17日 (土) 03:22 (UTC)
YouTube の出典は東條由布子、櫻井よし子、石原慎太郎などの発言そのものでこれ以上確かな出典はないでしょう。それにhttp://を ttp:// にしている意味を一番よく知っているのは、著作権をを楯にお気に召さない著名人の発言を除去したClarin氏でしょう。ピントのボケたことを言っていても議論にも進歩にもなりません。その明瞭な出典をどのように問題なく表現するかが、除去したあなたのやるべきことです。Fghf 2009年1月19日 (月) 13:14 (UTC)
「著作権侵害幇助にあたる可能性がある」と言っているのに「確かな出典」だと反論することに何の意味があるのでしょう。ttp:// という意味の不確かなものを百科事典の読者に提示するなといっているのに、Clarin は意味がわかっているはずだ、と反論することに何の意味があるのでしょう。「ピントのボケた」などと無礼な発言をしたからには、わたしの論の具体的にどの部分のピントがずれているのか指摘してもらえませんか。また「著作権をを楯にお気に召さない著名人の発言を除去した」という発言はWikipedia:個人攻撃はしないに該当する明らかな個人攻撃であり、これ以上対話を続けるのであればまず謝罪をしてください。ところでWikipedia:検証可能性はお読みになられましたか?何故著作権侵害を指摘した者が代わりの出典を示す必要があるのですか?それ以上公式な方針を無視してご自分ルールの主張を繰り返されるのであれば方針の要熟読として投稿ブロックが依頼される可能性があります。--Clarin 2009年1月19日 (月) 13:57 (UTC)
著名人の発言の出典としてその著名人の画像と音声で確認できる映像は、当人の発言であることは疑う余地の無い「確かな出典」ですから、検証可能性をクリアした出典はもう示されているわけです。その出典の示し方(この場合直リンクすること)にClarin氏は「著作権侵害幇助にあたる可能性がある」としているわけですから、読者のためにも問題の無い示し方を工夫して出典を生かす努力をしてはどうですかと言っているのです。人を荒らし呼ばわりしたり「ttp:// という意味の不確かなものを百科事典の読者に提示するな」と偉そうなことを言う前に、読者の目からその情報を除去したあなたも出典を生かす努力をしてくださいと言っているんですよ。Fghf 2009年1月19日 (月) 14:57 (UTC)
わたしの立場は最初に述べたように、歴史的事実の記事はなるべく活字メディアをもとに執筆すべき、です。ですから、わたしがあなたの立場に立って「生かす努力」をするつもりは、全くありません。--Clarin 2009年1月19日 (月) 15:33 (UTC)
「なるべく」という控えめな言葉に反してClarin氏のおこなった除去は豪快でした。元々は私共がリンクしたものではないですが、努力協力の欠片も無い人にはWikipedia:編集方針#他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてくださいを読んで参加姿勢から見直してくださいとしか言いようがありません。Fghf 2009年1月19日 (月) 16:19 (UTC)
違法なリンクに豪快な除去と豪快でない除去があるのですか?だったら教えてください。またWikipedia:編集方針#他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてくださいには著作権侵害は例外とされており、的外れです。--Clarin 2009年1月20日 (火) 09:33 (UTC)

Clarin氏は当初の「著作権侵害幇助にあたる可能性がある」とする主張を「違法なリンク」「著作権侵害」と断じた表現を使用して議論の前提を歪曲されています。調べてみたところ、YouTubeの出典はこの項目だけではなくウィキペディア内で数え切れない程使用されているようですから、この項目だけの問題ではなく、全体の問題としてそのリンクを認めるのか認めないのかの広い議論が必要と感じます。Clarin氏は、検証可能性をクリアした出典の示し方(この場合直リンクすること)の問題点を回避し、読者のためにも問題の無い示し方を工夫して出典を生かす努力をしてください。また特に懸念しておられる著作権問題を解決するには、この項目のYouTubeだけを除去するだけでは無理です。「ただ気に入らない編集を除去したいから著作権を持ち出しただけ」とされないためにもClarin氏はその懸念を解決すべく頑張っていただきたいものです。Fghf 2009年1月24日 (土) 06:50 (UTC)

Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側にが理解できるまで毎日読んでください。あなたの個人的言いがかりにこれ以上付き合うつもりはありません。--Clarin 2009年1月24日 (土) 07:05 (UTC)
何度言っても理解しようとしない人ですね。著名人の発言の出典としてその著名人の画像と音声で確認できる映像は、当人の発言であることは疑う余地の無い「確かな出典」ですから、検証可能性をクリアした出典はurlリンクでもう示されているわけです。著作権侵害の可能性のある映像への直リンクを問題としているのですから、たとえば出典のYouTubeに番号が付されていれば「YouTubeの~分野の1675番より」と表現を変えれば問題は解決されるわけです。この項目のYouTubeだけを除去するだけで工夫、協力する気のないClarin氏は「Wikipedia:編集方針#他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてください」が自力で理解できるまで読まれたほうがいいでしょう。Fghf 2009年1月24日 (土) 07:54 (UTC)
YouTube の何番、と指定して閲覧を促すことは幇助です。--Clarin 2009年1月24日 (土) 08:13 (UTC)
直リンクについては方針文でそれらしき文章があるようですが、Clarin氏の主張の根拠となる方針文があるなら示してください。Fghf 2009年1月24日 (土) 08:27 (UTC)
閲覧の促し方が機械を使うか、人力で行うかという違いでしかない以上、著作権法違反の動画を不特定多数に閲覧させることの幇助に違いはないと考えます。--Clarin 2009年1月24日 (土) 08:37 (UTC)
Clarin氏の主張の根拠となる方針文をお願いします、と言っているのですが?Fghf 2009年1月24日 (土) 08:44 (UTC)
確かにWikipedia:著作権#外部ページへのリンクには「リンク」としか書いていません。しかし、著作権法というのはウィキペディアが定めた方針ではなく、法律です。リンクさえしなければよいのだ、という主張に対して、法的なリスクの観点から考えるのは当然です。またそもそも、YouTube の何番と指定して閲覧を促す、そんな脱法を目的とした不正な手段を、ウィキペディアの方針文に盛り込むはずもないし、そのような非常識な例は一々方針文で禁止していたらきりがないのです。逆に聞きたいのですが、Wikipedia:編集方針#他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてくださいには著作権侵害は例外と明記してあるのに、Wikipedia:編集方針#他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてくださいを根拠として著作権侵害の動画を閲覧させよ、と主張されるのは一体何なのでしょうか。--Clarin 2009年1月24日 (土) 09:09 (UTC)
Clarin氏の主張の根拠は方針文ではなく著作権法ということですね?では、直リンクせずにただ「YouTube の何番」と記述することが著作権法違反になるでしょうか?たとえばAの著書Bが著作権侵害の指摘を受けたことを記事にする場合、Clarin氏の主張にそえば「著書B」と記述することが著作権侵害幇助になり記事にできないことになってしまいませんか。Clarin氏の主張の根拠を著作権法に基づいて具体的に説明してもらえますか。Fghf 2009年1月25日 (日) 08:17 (UTC)
既に他人の言葉の端に喰らいついて時間を奪うことが目的化しているようです。いやしくも百科事典サイトに、暗に動画サイトの何番と指定して著作権侵害のコンテンツの閲覧を促せ、という論理を認めるつもりは絶対にありません。法的リスクを侵そうとしているのはあなたなのですから、あなたが皆にわかるように説明してください。--Clarin 2009年1月25日 (日) 09:41 (UTC)

Clarin氏の気持ちを根拠に「法的リスク」だと押し付けられても困ります。著作権法に基づいた「法的リスク」の存在を根拠に説明してください。上記の例えでさえも著作権侵害幇助になるとするClarin氏のご意見は全く理解できません。ウィキペディアだけではなくマスメディアさえも報道できなくなってしまいますし、それどころか事実の指摘もできないでしょう。「著作権侵害のコンテンツの閲覧を促せ、という論理を認めるつもりは絶対にありません。」とのお考えでしたら項目You Tubeそのものの緊急即時削除が先決ではありませんか。あなたの強調する主張は誰が見ても理路不整然で「ただ気に入らない編集を除去したいから著作権を持ち出しただけ」とされても仕方がないでしょう。Fghf 2009年1月25日 (日) 11:14 (UTC)

Clarinさんの主張は、動画サイトに投稿されたテレビ番組の動画は、著作権がテレビ局にあるため著作権侵害の疑いがあるのでリンクすべきではない。直リンクはもちろん、誘導するのも実質的に同じことなので問題だ、というものであろうと思います。私にはこれ以上ないくらい理路整然とした主張だと思うのですが。--210.138.182.133 2009年1月25日 (日) 11:50 (UTC)
この節でも210.138.182.133氏が入ると議論が一からに戻ってしまいます。「動画サイトに投稿されたテレビ番組の動画は、著作権がテレビ局にあるため著作権侵害の疑いがあるのでリンクすべきではない。」ここまではWikipedia:著作権#外部ページへのリンクで方針文書で明示されていますので現在、論点とは成っていないのです。私共は「誘導するのも実質的に同じことなので問題だ」についての説明を求め、質問しているのです。項目You Tubeの存在及び内容は「誘導」にはあたらず、例えの「著書B」や「You Tubeの~」などの記述は「誘導」にあたるのですか?他の質問にもお答えいただいておりませんのでお待ちしております。Fghf 2009年1月25日 (日) 16:11 (UTC)
何とかして著作権侵害のコンテンツを不特定多数に見せようとしている、その事実が幇助ではなくて何なのでしょうか。ttp:// や「YouTube の何番」で実際の著作権侵害コンテンツの閲覧が一人でも助けられれば、法的に幇助です。Fghf 氏は「確かな出典」だから、検証可能性(この場合、YouTube 動画に辿り着いて初めて「可能」となる)のために載せるべきと主張しており故意性は満点、法的リスクがない、とは逆立ちしてもいえないでしょう。--Clarin 2009年1月26日 (月) 13:27 (UTC)
Clarin氏が他人の真意を捏造していることはこれまでの議論で明白ですよ。私共はあなたのご意見にそった場合、ウィキペディア全体の問題として項目You Tubeの存在及び内容は幇助にならないのですかと質問しているのです。重要なことですので、他の質問にもお答え願います。Fghf 2009年1月26日 (月) 13:42 (UTC)
まずあなたが、項目You Tubeの存在及び内容が幇助にあたるとする理由を述べてください。--Clarin 2009年1月26日 (月) 13:55 (UTC)
もう一つ逆に聞きたいのですが、「真意を捏造」とは、あなたのどの「真意」が「どう」捏造されたというのか、捏造した、とだけ言われてもわからないので具体的に説明してください。--Clarin 2009年1月26日 (月) 14:05 (UTC)
ああもう一つだけ。「私共」と発言されていらっしゃいますが、共有アカウントですか?--Clarin 2009年1月26日 (月) 14:11 (UTC)

気付いた点だけ[編集]

大規模編集中の様子ですので、気付いた点だけ書いておきます。

  • 冒頭:「日本での公式の呼称」って何でしょう。「当時の政府による呼称」が正しいですよね。この類の表記はしばしば見られますが…。「現在の中華民国や中華人民共和国での呼称」も同じく。
  • 当時関東軍参謀だった瀬島龍三」って…。当時って何時ですか?
  • 国民革命軍の挑発行為」。挑発って言います?
  • 12月の首都南京陥落後も、国民政府は首都を内陸部の重慶に移して徹底抗戦の構えを見せ…」。この辺り以降、時系列無茶苦茶に見えますが…。
  • 中国政府が提示した数字を達成するのに必要な日数」の節って独自研究の類に感じますが…。

... Kanoe 2009年1月31日 (土) 13:24 (UTC)

すみません、追記ですが、参考文献について。研究書と資料は区別した方が良いと思います。咥えて、『大東亜戦争の実相』、『マオ』、『盧溝橋事件の研究』、『南京事件 国民党極秘文書から読み解く』、『南京の実相』、『国境を越える歴史認識・日中対話求め同時出版』、『南京戦史』あたりはちょっと違う気がするんです…。... Kanoe 2009年1月31日 (土) 13:41 (UTC)

文献一覧を作りなおしました。保護中ですのでこちらに置いておきます。関係なさそうなものや、他の資料で互換できそうなものも含まれていますが、とりあえず記事中に現れたものを全部並べてあります。(肩の番号は脚注に対応しています) --Yhiroyuki 2009年2月11日 (水) 15:14 (UTC)


参考文献
総論
書籍
資料集
  • 「支那事変写真全集 <中>」、朝日新聞社、1938年 [17]
  • 南京戦史編集委員会『南京戦史資料集』、偕行社、1989年 [8]
事典
  • “ブリタニカ国際年鑑 1938年版(Encyclopaedia Britannica Book of The Year 1938)” [19]
新聞
ウェブサイト

関連書籍

中国勢力の犠牲者数[編集]

下記出典を明記する必要があります。


”共産党政権維持のための反日プロパガンダも加わり、中国側の「日中戦争の犠牲者数」は日々成長している。特に1950年以降国内で中国政府が起こした大躍進政策での大量餓死(死者は推計2000万-5000万人)、文化大革命での大虐殺(推計3000万-7000万人)、天安門事件などへの国内批判の払拭と中国の対日政策のため、反日教育の一環として大幅に犠牲者数が増えていった。”--以上の署名のないコメントは、123.223.92.10会話/Whois)さんが 2009年4月1日 (水) 15:15 に投稿したものです。

3500万人とか5000万人とかは、直接日本軍に殺された数を言っているのではなく、戦争の影響で餓死したり病死したり災害死した人の数を含めているので、「独自研究」の議論は不適切です。--以上の署名のないコメントは、221.240.88.123会話/Whois)さんが 2009年4月18日 (土) 2:16 に投稿したものです。

冒頭部[編集]

ご承知のように日中双方の当時の事情から「戦争」とはしなかった事実も鑑みて、冒頭部では無難に確定的事実である「支那事変の別称」としたほうがいいと思います。Renges 2009年9月6日 (日) 06:17 (UTC)

Wikipedia:記事名の付け方#正式な名称を使うことの「通称を使用する場合」に基き加筆しました。--Sweeper tamonten 2009年9月7日 (月) 00:58 (UTC)
どうもお手数をかけました。お陰様でより良くなったと思います。Renges 2009年9月7日 (月) 16:33 (UTC)

そもそも、「支那事変」が正式名称だったのは敗戦後に言い換えが進むまでであって、「現在支那事変が正式名称である」ことではないと思いますが。--彩華1226 2010年2月22日 (月) 20:21 (UTC)

あなたがそう思ってるだけでしょう。「日中戦争」が正式名称になったという根拠も見られません。--uaa 2010年2月23日 (火) 17:43 (UTC)
私の編集は(1)現在において最も通用されているのは「日中戦争」である、(2)「支那事変」は当時の帝国政府による正式名称であるという検証可能な事実を過不足なく述べたにすぎません。「日中戦争」が正式名称になったとの記述はしておらず、そのような主張もしておりません。
現状の記述では「支那事変」が主で「日中戦争」(という最も通用されている名称)が従であるとのニュアンスがあります。これは「あくまで支那事変とすべきである」との特定の観点を推進し問題があるのではないでしょうか。--彩華1226 2010年2月24日 (水) 14:11 (UTC)
『(1)現在において最も通用されているのは「日中戦争」である』という点についてはいずれかの文献からの引用の形を取れますか?取れれば検証可能な事実ですね。(それにしても日中戦争には満州事変が含まれないようなので、満州事変とは中国が自国の領土が取られたと主張できるものではないのかな。満州事変の期間が短すぎて戦争ではなく単なる地方政権と日本との交戦と考えるなら盧溝橋事件から第二次上海事変の直前までは戦争ではなく、やはり事変であり、第二次上海事変が日中戦争のはじまりと考えるとややこしくなってきます。)--Sweeper tamonten 2010年3月1日 (月) 06:26 (UTC)

「大日本帝国」の一律書き換えについて[編集]

百科事典の単なる使用例を出典と称して、文脈を無視した「大日本帝国」を「日本」への一律書き換えが行なわれていますが、反対です。なんとか社の百科事典は単なる使用例に過ぎず、「大日本帝国」の表記を排除する根拠にはなっていません。はっきり言って的外れな出典です。
各表記について検証すると、

  • インフォボックス内と「登場勢力の立場と目的 」の説の国名は他の国が国号なのだから、日本も国号にするべきでしょう。
  • 「戦後の日本では~、大日本帝国時代に定められた呼称は~」は戦後日本との対比の表現ですね。「当時の日本」はわざわざ表現をぼかすような編集です。
  • 大日本帝国が定めた正式名称は~」と言う部分は「日本」でも良いかもしれません。--uaa 2009年10月2日 (金) 18:42 (UTC)

「大日本帝国」の語の使用が百科事典などに一般的ではないことの証明にはなっております。存在しないとまでは言わなくともマイナーな表記をあえて優先する理由はありません。それから「大日本帝国」表記の残すとしても「戦後の日本では~、大日本帝国時代に定められた呼称は~」には反論がございます。「大日本帝国時代」などという時代区分は存在しないと思われます。「当時の日本」が妥当と思います。世界大百科辞典も明治時代、大正時代、昭和時代などの項目は記載していますが、「大日本帝国時代」なる項目は存在しておりません。日本全史ジャパン・クロニック(ISBN 978-4062039949)は縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、南北朝時代、室町時代、戦国時代、織豊時代、江戸時代、明治時代、大正時代、昭和時代、平成時代という時代区分をしていますので参考までに。--Omaemona1982 2009年10月3日 (土) 06:31 (UTC)

脚注5について[編集]

 脚注になってません。むしろ単なる主観的なしかも事実に反する書き込みです。

支那事変対処要綱より 「北支ニ於テハ支那民衆ノ安寧福利ノ増進ヲ以テ政策ノ主眼トシ政治的ニハ防共親日満政権ノ成立」 支那事変対処要綱 国立国会図書館

こういう当時の文書に照らしてさえ、明らかな捏造は即座に変更すべきかと思いますが--123.221.91.254 2009年10月5日 (月) 09:15 (UTC)

中國犧牲數[編集]

  • Chinese death tolls given in the table of this article are misleading and not well-sourced. Following is the original sourcesI of the tolls from Chinese literatures. Please help and translate it to Japanese!
  • 終戦時132万人
    • 【国民政府統計】中華民国軍令部統計:中華民国「陸軍」戦争犠牲者131万9958人 [1][2]
    • 【国民政府統計】1946年中華民国国防部初歩調査にある(1947年5月中華民国行政院賠償委員会引用),「軍人戦死者数132万8501人」は「中華民国国軍」のみで、民間人または共産党軍隊の死亡者、病死者、徴兵時に失った国軍数等は含まれていない。 [3]
  • 1948年438万人
    • 【国民政府統計】439万7504人。1947年中華民国行政院賠償委員会の
    • 「民間人死亡者数」に関した統計にいたって近い。 [3] 。これは「国民党統治区域」に限っての初歩調査に浮かんだ民間人死亡者数であり、共産党統治区域の一般人死亡者数は含まれていないと思われる。 [1]
  • 1950年1000万人
    • 【共産党発表】蒋介石が1947年に言った「軍民犠牲者一千万人」が始まりで、概数である。[1]
    • 【国民政府統計】1947年5月中華民国行政院賠償委員会が出した数字によると[3],軍人死傷者365万0405、一般人死傷者913万4569。ただし共産党軍と共産党根拠地の数字は含まれていないと思われる。
  • 1985年2100万人
    • 【共産党発表】原文は発見されていない。おそらく「全国軍民死亡」者数を指すであろう。軍隊戦死者100万余り、民間人約2000万。詳細は次に述べる。
  • 1995年3500万人
    • 【中華人民共和国国家主席江沢民発言】[4]wiki日本語ページの「犠牲者数」ではなく、「死傷人数」をさす。数字の初めの出所は中国の軍事科学院軍事歴史研究部の研究である。1995年出版の『中国抗日戦争史』下巻の結びに「近年の調査研究の概算統計によると、抗日戦争期間中、中国軍隊死傷者380万人余り、中国人民犠牲者2000万人余り、中国軍民死傷者総数が3500万人以上に達した。[5]。すなわち、3500万人は「国民党軍・共産党軍」、「国民党及び共産党統治区域内の民間人」の死傷者数の合計数である。単なる死亡者数は、軍隊戦死者100万余りと一般人2000万人の合計である。統計表にある1985年の2100万はおそらくこれに基づいているであろう。つまり1985年の数字は全国軍民の犠牲者数をさしており、犠牲者数2100万人と死傷者数3500万の間は矛盾がないと言えよう。
  • 資料來源:
    • [1] 孟國祥. 關於抗日戰爭中我國軍民傷亡數字問題. 抗日戰爭研究. 1995年03期
    • [2] 何應欽. 八年抗戰與台灣光復(台北版). pp36-37
    • [3] 行政賠償委員會1947年5月20日在第四屆國民參政會第三次大會上的報告
    • [4] 江泽民同志在首都各界纪念抗日战争暨世界反法西斯战争胜利五十周年大会上的讲话, 1995.9.3
    • [5] 解放军军事科学院军事历史研究部. 中国抗日战争史•下卷.--MtBell 2010年7月1日 (木) 12:20 (UTC)
Hi, Japanese wikipedians. As above sources indicate that Chinese casuality statistics mentioned in this article is totoally misleading, I will delete the related content. I don't speak Japanese, so pls help to improve that section based on the sources given above. Thank you. --MtBell 2010年6月14日 (月) 17:00 (UTC)

Please write in Japanese. --220.147.7.120 2010年6月15日 (火) 03:40 (UTC)

経緯-特に前史の記述について[編集]

経緯-特に前史の記述について年表を文章化しました。上で年表の内容についてすでに議論されておりますが、日中戦争を理解するには、それ以前の日中関係をどうしても視野にいれる必要があると思います。特に、争点となるような本項目(ただし、日中戦争そのものというよりも、それは南京虐殺ですが)のような場合、そのような歴史的文脈の記載が必要だと思います。上の意見のなかで「無限」または「きりがない」旨の意見がありましたが、それはなくて、やはりアヘン戦争以来の西洋諸国の東アジア進出、そしてそのなかでの東アジア諸国の動きというコンテキストは、実際、日中戦争はもちろん、1945年までも続きます(実際にはその後もですが)。無論、短期的な文脈は満州事変から、という見方もあるかと思いますが、しかし、中国の内戦こそ、文脈としては重要であると思います。また、対共産主義戦争という文脈、ロシア・ソ連の動向抜きに、そして日本と中国にとっての「近代」とはなんだったか、といった事柄抜きに、日中戦争を理解できない。私の加筆は不十分であるのは了解していますが(また再編集するつもりです)、加筆の主旨を説明しました。

なお、下に書こうとしたのですが、どうしても表に入ってしまうので、表の上に記します。--西方 2010年10月21日 (木) 17:40 (UTC)

年表の分割提案[編集]

日中戦争年表を、太平洋戦争の年表の如く、分割し独立項目にすることを提案します。ただし、「経緯」が十分に記述されてからが好ましい。とはいえ、ご存じの方も多くあるように(また本項目をよく読めばわかるように)、日中戦争は単なる二国間戦争ではなく、ソ連、連合軍も相当程度介入しており、事態が複雑です。また、私はそのような全体的な視野にたった日中戦争に関する書籍を知らないため、なかなか記述しづらいです。とまれ、「経緯」の記述が充実するにともない、年表を分割することを事前に提案しておきます。--西方 2010年10月24日 (日) 20:17 (UTC)

中國犧牲數[編集]

発表年 犠牲者数 調査・出典 補足
終戦時 132万 GHQ調査・発表 国民革命軍のみ
終戦時 132万 国民党政府調査・発表 国民革命軍のみ
1948年 438万 国民党政府報告書 1948年までの確認数(【注意!】この時加算された犠牲者数の中には日中戦争終戦後に勃発した国共内戦などでの犠牲者数が含まれていることに注意)
1950年 1000万 共産党政権発表
1970年 1800万 共産党政権発表
1985年 2100万 共産党政権発表(抗日勝利40周年) これ以後 博物館教科書で公式数字となる
1998年 3500万 江沢民発表 江沢民の演説で発言後、南京大虐殺記念館での公式数字となる
2005年 5000万

--以上の署名のないコメントは、61.217.163.13会話/Whois)さんが 2010年5月26日 (水) 15:00 (UTC) に投稿したものです(Isamit会話)による付記)。