ノート:日本の改軌論争

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鉄道の歴史 (日本)を見ると、1911年には「軽便鉄道補助法」が作られたとあるのを見ると、改軌だけではなく、より広範囲に鉄道を引こうという意図もあるようですし、そういう部分も書いていただければと門外漢は願う。0null0 2006年7月14日 (金) 12:13 (UTC)[返信]

もともとは、金がなかったので、植民地使用の狭軌になったのでは?202.233.244.251 2006年7月17日 (月) 07:00 (UTC)[返信]

「日本では鉄道の発祥時に、大隈重信が半ば適当に外国人の意見に押される形でレール幅(軌間)を1067mmと決定してしまった」・・・そもそも熟慮したのかお仕着せのまま受け入れたのか明確な出典もなく、資金不足のために狭軌にせざるを得なかった面も充分理由として考えられる問題について、(後に大隈侯が後悔したとかは別として)外国人技師も明治政府側もその時に取り得た最善策を選択したとも考えられる。「半ば適当に」という根拠もない主観の入ったな記述は適切でないと思う114.183.87.87 2010年11月28日 (日) 01:40 (UTC)[返信]
当時のイギリスでは「標準軌は無駄が多いので狭軌化して低コストにすべきだ」みたいな説もあったみたいですし、すすめられたならそういうことと見た方が自然でしょう(参考:齋藤晃「第7章 狭軌鉄道の始まり」『蒸気機関車200年史』NTT出版、2007年、ISBN978-4-7571-4151-3、P117-148。)。ちなみに1835~1860年代前半頃には逆に広軌ブームがあって5フィート以上の軌間を持つ国はこのブーム時の建設が多いそうです(同書P71-73)--カーラ・ミーキタ会話2018年2月25日 (日) 04:21 (UTC)[返信]