ノート:昭和金融恐慌

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メモ[編集]

事態の推移の説明、背景を充実させようという個人的(笑)欲望の下に、当該時期の背景にかかる情報源を雑多に集めてメモって置きます。

検索キーワードは「片岡 東京渡辺」@ Google.co.jp

現代日本経済史 7 武田晴人

この中に、片岡蔵相の失言の原文と、実際の払い戻し額などが書かれています。また、参考文献(参考表)として、

  • 金融恐慌時の休業銀行『近代日本経済史要覧』111ページ
  • 震災手形の残高、震災手形の大口債務者、同前112ページ
  • 鈴木商店の台湾銀行、普通銀行の集中、同前113ページ 

などが御座います。これに当たれればよいかな、とか存ずる次第。

また、背景に、争点を失った云々というのが御座います。こちらも目を通しておくと良いかも。

その他に、

とかも御座います。東 遥 2007年9月5日 (水) 09:05 (UTC)[返信]

というのも、まとまってます。東 遥 2007年9月5日 (水) 10:24 (UTC)[返信]

ちょっと視点・内容が違いますが、脚注に参考になりそうな事柄があります。東 遥 2007年9月5日 (水) 10:50 (UTC)[返信]

ぃぇ、以前便利に使わせて戴いていたのですが電脳故障時にブックマークを吹っ飛ばして見失い探していたのを、漸く見つけました。今度は、此処に書いておきますので、以後は困らないでしょう(笑)。ぃゃぁ、「震災手形 鈴木商店」でサーチをかけると、一気に往時の世界へ飛ぶことができます(笑)。震災手形を往時は震手と略して居たんですね、という事も分かります。往時の雰囲気がヒシヒシと。東 遥 2007年9月7日 (金) 02:48 (UTC)[返信]

「マリア様が~」考えたら、著作権違反ともとれるページですので、リンクを取り消します。東 遥 2007年9月7日 (金) 06:53 (UTC)[返信]

search 「金融恐慌 銀行 政党 結びつき」@ Google より

search 「金融恐慌 銀行 政党 結びつき」@ Google より

以上、チョッピリ追加....ぁぁ、デュアルディスプレイが欲しい....東 遥 2008年1月2日 (水) 11:33 (UTC)[返信]


「失言」とは?[編集]

所謂「片岡蔵相の失言」ですが、これは果たしてどんな意味合いで捉えるべきでしょうか。

  1. 辛うじて経営が続いていた銀行について、憶測・誤った情報に基づいて「破綻した」と言った事
  2. 濫りに「銀行が破綻」などと口にすべきではないところを、うっかり(?)口にしてしまった事
  3. 既に金融不安が広がる中で、うっかり「銀行が破綻」と口にしてしまった事
  4. 「銀行が破綻」と口にした結果、取り付け騒ぎが広まり、後世から見て、あれは「失言」だ、という事、即ち、もし仮にあの発言を受けても取り付けやらが起きなければ、敢えて「失言」と取り立てて言う程のものではなかったのでしょうか、という。

どの意味合いで「失言」と捉えられているのか、ずっと疑問になっている事だったりします。

序に、片岡蔵相は、何故、どのような意図で、「(東京)渡辺銀行が破綻」と口にしたのでしょうか。

  1. 金融不安が広がっている中で、濫りに情報(不良債権の具体的負債者名や金額)を開示すると、不安を拡大して斯様に銀行の破綻を招くから、それを防止する為に情報開示をしない。
  2. 金融不安が今も拡大しつつあり、既に倒産する銀行も出ている。震災手形関係二法を政争の具としてずるずると本筋から外れた議論を続けるのはもうやめて、本来の審議に立ち戻るべきである、という牽制。
  3. 金融不安は最早切迫した事態にあり、既に倒産する銀行も出ている。これ以上時間をかけて事態を悪化させるより、直ぐに震災手形関係二法を通して事態の収集に努めるべきではないか、という牽制。
  4. 上記を理由にして、不良債権の具体的中身を公表せずに済ませたい。
  5. 次官から差し入れられたメモを何も考えずそのまま読んでしまった(さすがに、こうゆうことはないでしょうけど、幼い頃にはこう信じてました、笑)

これも、何故、そう口走ったのか、長年の疑問だったりします。東 遥 2007年9月7日 (金) 04:12 (UTC)[返信]

貨幣価値換算・200円券[編集]

往時の貨幣価値が現在(2000年代初頭)にはどの程度の価値になるのか、具体的には、往時の1円は今でいうと幾らぐらいになるのか、その辺りの換算の表というか調べる手段は、御座いますでしょうか、御存知の方、是非教えて下さい。あるいは、貨幣価値換算、について説明する「記事」を立てるのもありかと存じます。因みに、件の200円券というのは、私が「マリア様がみてる日本史 大東亜戦争編 その2」に出ていた数値から今の貨幣価値に換算してみますと、ぉぉ、100万円強、という事になりまして、何処まで妥当なのか、判りかねる次第です。

序に、往時発行されていた貨幣(紙幣)としては、どんな額面があったのか、最高額紙幣は幾らか、即ち、200円券というのは、既に流通していて、これとは別に片面印刷の紙幣を作ったのか、それとも、200円券というのは、当時無くて、慌ててそうゆうのを作ったのか、その辺りも分かれば幸いです。日本銀行券あたりを調べればよいかな、ちょっと時間がかかりますが。 東 遥 2007年9月7日 (金) 04:12 (UTC)[返信]

貨幣価値換算については、

というのが御座いました。これで見ますと、1927年もカバーしている統計は「企業物価戦前基準指数」というもので、1927年が1.099、2006年が698.4で、約635.49倍、すると往時の200円は、2006年において12万7千円強の価値、という事になります。むぅ、どっか計算間違えたんだな。すみません、どうも桁の大きい数字に弱くて(笑)

序に、日本銀行券の中を見ますと、既に甲200円券、というのが10年前に出ているのですね。

という訳で自己完結しました。お騒がせしてすみません。東 遥 2007年9月7日 (金) 09:51 (UTC)[返信]

秋の加筆コンテスト参加[編集]

何か、ノってきましたのでこれを機会に秋の加筆コンクールに出す、という方向で考えています(笑)、ぃゃ、本文の参考文献のうち2冊を衝動買いして見てみたら、また、これが色々と奥が深いですし。んで、もう一冊を注文しちゃいました。これは最早「衝動買い」ではございません(笑)。もう一冊は残念ながら廃版とのこと。

とは言え、本業・専門とは全然違う方向の事で、なにかしら大ポカをやってしまいそうですので、遠慮なく突っ込み、御意見、を頂ければ幸いです。東 遥 2007年9月17日 (月) 15:12 (UTC)[返信]

東 遥さん、今度の加筆、ご苦勞さま。--玄史生 2007年11月5日 (月) 16:49 (UTC)[返信]
玄史生さん、態々お声をかけて頂き恐縮です。色々と調べていくと、また、他の事が目の前に出てきて、深み・泥濘に足を取られた状態、ちょっとまとまりのつかない状態で一区切りとせざるを得ませんでした。まだまだ書くべき事はあると思いますが、取り敢えず、骨格なりはある程度できたかな、と存じます。今回、調べて見て判ったのは、
  • 「そんなことはできません」という発言が見当たらなかったこと
  • 何故「倒頭破綻」と発言したのか、その意図なり理由なりに、一応の回答は得られたのではないかと存じます。要するに、答弁の主旨は、「実態を明らかにせよ」という質問への直接の回答を避けて、通りいっぺんの回答に留めた、所謂「答になってないよ」という類の答弁なのでしょうね、という事。そのついでに、実際潰れた銀行についてどうしなきゃいけない、というその例示だったのですねぇ、という事なのでしょう。また、これを牽制だ、と指摘する記事もあったのですね。
  • 所謂戦後不況について、第一次世界大戦からそのまま落ち込んだのではなくて、暫時落ち込んだものの、1919~1920年には、戦後ブームと呼ばれる好景気→景気過熱、言わばバブル経済があったのですね。この頃には地価の高騰もあったそうです。
  • 4月の恐慌については、台湾銀行に加えて近江銀行十五銀行も潰れるなど影響があったのですね。
  • 震災手形を容れる時には、危ないのを避けるとか、担保を持って来いとか、その様な事に紛れて不良債権(手形)が容れられたのですね。
  • ワシントン会議も鈴木商店に影響を及ぼしていたこと(まだ書いてないですが)
などの事に行き当たったのが興味深かったです。まだいろいろと書くべきことが残っておりますが、おいおい書いていこうと存じます。東 遥 2007年11月9日 (金) 15:42 (UTC)[返信]