ノート:朝鮮総督府/temp

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ここは、記事「朝鮮総督府」についての議論や意見を出すためのノートページ(以降、親ページという)のサブページです。

ノート:朝鮮総督府が現在、削除依頼中であることを考慮して作成されました。削除依頼の結果が表されるまで親ページでの議論を一旦中止し、このページにおいて、朝鮮総督府に関する議論や提案を行ってください。このページの親ページで行われている議論に関しましては、その議論の場とされている節へリンクさせるようにして、議論を再開させてください。そのとき、相互のページの履歴を繋ぐことがないように、つまりは、そのままコピーアンドペーストを行わないように注意してください。--ムカイ 2008年4月12日 (土) 08:23 (UTC)[返信]

序文の整理[編集]

親ページでの議論についてはノート:朝鮮総督府#序文の整理についてを参照されてください。

現在、修正案が出されており、AΩさんの反対理由について議論中にて、その関連により4月12日現在、私は直接図書館へ出典されている文献に関して検証に行ってまいりました。ここではまず、その報告であります。

参照した文献は全て、百科事典です。歴史関係の事典に関しては、詳しく明記して下されておりませんので参照しておりません。

  • 相賀徹夫著・編『日本大百科全書 15』1987年 小学館 (日田市立淡窓図書館蔵 昭和62年4月18日 72279)
出典:朝鮮総督府『施政二十五年史』1935年/山辺健太郎著『日本統治下の朝鮮』岩波新書/朴 慶植著『日本帝国主義の朝鮮支配(上下)』1973年 青木書店
  • 下中直人編『世界大百科事典』1988年 平凡社(日田市立淡窓図書館蔵 ・番号を調べるのを忘れました。)
  • フランク・B・ギブニー著『ブリタニカ国際大百科事典 13』1974年 TBS-Britannica (日田市立淡窓図書館蔵 昭和51年2月24日 K-2,812)

これは私の意見でしかありませんが、何れも朝鮮総督府に対してよい印象を受けるような記述はほとんどみられませんでした。--ムカイ 2008年4月12日 (土) 09:26 (UTC)[返信]

サブページ作成、お疲れ様でした。「総督府が悪いものとして書かれたものが多いから、それを中心に書くべきだ」というAΩ氏の主張を実現するには、まず、多いという証明をしなければなりません。すべての著書、研究者、評論家等の統計を見せ、証明しなければならないでしょう。なぜイチ執筆者が書いた百科事典にこだわっているのか不明です。そして「多い」と証明できた時点で、そちらを多めに書くことは同意します。ただし、少数派の意見もしっかり記述することは「中立的観点」からしても当然のことです。--武者小路 2008年4月12日 (土) 09:58 (UTC)[返信]

調査は必要ですね。日本語文献だけでなく、朝鮮語、英語等の文献もすべて。30年くらい待てば良いでしょうか。いくらでも待ちますよ。学会誌レベルの独自の「研究史論」として高く評価されると思います。--219.180.110.40 2008年4月13日 (日) 12:15 (UTC)[返信]

文献の検証も行いましたし、議論する場所もあります。これ以上、AΩさんが話し合いをはぐらかすようであるのでしたら、意見の同意へともっていく意志がないものとみて、要約をいたしたいと思います。ただし、この案を反映させる前に、どなたかがすでにこの案にも関わる部分を編集されておられるようですので、その分に関して、任意で差し戻しをされるようにお願いを申し上げましたがお応えがございませんので、差し戻しを行いたいと思います。よろしく、ご協力をお願いいたします。--ムカイ 2008年4月13日 (日) 14:19 (UTC)[返信]

「対して」の部分に出典をつけておけばいいのでは? 両者を「対して」という等価ともとれるものとして評価している「研究史論」があれば。学会誌の「研究展望」のようなものでも説得力はあるでしょう。「序文」というおおきな全体の動向を示すところに書くのなら、そのくらいの出典は必要でしょう。待つと言っているのだから、慌てずにゆっくりと探したらいかがでしょう。--219.180.110.27 2008年4月13日 (日) 14:35 (UTC)[返信]

ご意見ありがとうございます。もちろん、数日で変えようとしているわけではありませんが、30年もこのまま待つということはできません。私も、そのくらいの出典を待っております。しかし、私は提案者であり、その詳しい理由の示されていない意見に対する質問者で、同等に扱うべきではないとの意見の元となった文献の提示を求めている者でありますので、私は、それに関して文献を示す義務はありません。詳しい議論の内容や経緯については、ノート:朝鮮総督府#序文の整理についてを参照されてください。

現在の編集案では

朝鮮総督府(ちょうせんそうとくふ)とは、1910年(明治43)、日韓併合によって、日本の領土となった朝鮮を統治する為に日本が京畿道京城府(現在の大韓民国ソウル特別市)の景福宮の敷地内に設置した官庁のことである。

韓国統監府を前身とし、大韓帝国政府の組織を改組・統合したが主要高官はほぼ日本人であった。初代総督は寺内正毅。総督は日本の現役の陸軍大将か海軍大将が歴任している。1945年太平洋戦争(大東亜戦争)における日本の敗戦に伴い連合軍の指示により業務を停止。その権限はアメリカ軍政庁に引き継がれた。

総督府が行った政策に対し、インフラの整備やハングルの普及などをしたという評価の一方、人権侵害や独立運動などへの取り締まりなどの圧政が行われたとする批判がある。

となっております。

指摘していただいております、両者を「対して」という等価ともとれるもの一方という表現に当てられたものということでしょうか。--ムカイ 2008年4月13日 (日) 16:06 (UTC)[返信]

彼が議論しない理由だった「場」も提供されたわけであり、これで反応がなかったら議論放棄と言えるでしょうね。頻繁に出てきていた方なのですから、とりあえず2週間待っても返答しなかった場合はとりあえずムカイ氏案で修正といたしましょう。反対しっぱなしで何もしないのは対話の拒否Wikipedia:投稿ブロックの方針#8.1項 議論の拒否や妨害にあたります。--武者小路 2008年4月13日 (日) 17:53 (UTC)[返信]

なんだか二つのものを等価に記述しようというお話かと思ったら、違うようですね。「Aという評価の一方、Bとする批判がある。」という書き方は、歴史を知っている人は誤読しないでしょうが、知らない人が見れば「A」が主流の意見で、少数意見として「B」があるという量の評価を含めた記述にも読めます。ならばまず、「A」の方が多いという証明をしなければなりません。すべての著書、研究者、評論家等の統計を独自に研究して見せ、証明しなければならないでしょう。もちろんそれは独自研究になりますから不可です。 A・Bの量について読者に誤解を与える可能性のある記述はしてはならないのです。当該の一文の掲載に反対します。--219.180.110.27 2008年4月16日 (水) 08:37 (UTC)[返信]

ありがとうございます。この議論の焦点になっている一文は、その二つのものを対する見解として見るから、要するにその二つの事実を論争という形によって記述しようとしていることが受け入れられがたいものとなっているのかもしれません。

朝鮮総督府としては何れも行ったことであるのは事実としてありますがその論争の内容に関してはわかりませんので等価や、論争の事実を正確に記述する、というよりは淡々と記述するか、逆に書かないでいたほうが論争の内容に関して誤解させるということは低くなることが考えられます。しかし、朝鮮総督府という記事としてはその内容に論争があることは事実(私の場合は記事の内容や編集履歴を閲覧してのことで、出典があるというわけではないですが)としてあると思われますし、前述(親ページ)の議論にあるコメントにあるように、論争があることは記す必要があるともあります。「Aという評価の一方、Bとする批判がある。」のくだりについて適当かどうか、私もこの通り悩んでおるところです。何か、いいアイデアがあるといいのですが。

たしかに、Wikipedia:中立的な観点には A・Bの量について読者に誤解を与える可能性のある記述はしてはならないといったような文章がありますが、 その続きにそれは論争の形について誤解を与えかねません。公正に論争を記述するためには、競合する様々な観点を、その主題についての専門化や関係者の勢力に合わせて提示すべきです。しかし、これは少数派の観点が、それぞれの記事においても軽い扱いを受けるべきだ、ということではありません。ともあります。論争の形というのを考えたところ、論争の余地のない事実だけが記述された記事だという誤解を持たせてしまうのではないかとも考えられるため全く記述しないのも論争の形に誤解を与えかねないのでは、とも思います。Wikipedia:大言壮語をしないには、事実によって示すようにともあります。これを参考にして『文献何何』にはZを根拠にAと主張し、Bを否定しているが、『云云文献』では、Xを根拠にBを支持している。といった記述の仕方にしたいという考えもあります。

単に賛成だ反対だというご意見よりも、もっと入り込んでいただいて、原案文の形をとどめなくても結構ですので、より建設的なご意見をよろしくお願いいたします。--ムカイ 2008年4月16日 (水) 12:19 (UTC)[返信]

言いがかりにも見えなくもないですが、こうすれば指摘部分はなくなるのでは?総督府が行った政策に対し、インフラの整備やハングルが普及した等という肯定的意見と人権侵害や独立運動などへの取り締まりの圧政が行われたなどとする否定的意見の両論が存在している。--武者小路 2008年4月17日 (木) 05:10 (UTC)[返信]

  • 武者小路さんのご意見を参考に、私も考えてみました。

総督府により、言論や結社の禁止、独立運動などへの取り締まり等が行われた。インフラの整備が行われ結果として伝染病の予防や出生率の増加におよび、教育施設では皇民化教育、日本語やハングルの教育が進められた。これらの政策に対しては批判する意見と評価する意見がある。

その批評は別にして、ただ、事実を簡略して並べて見ました。--ムカイ 2008年4月19日 (土) 02:13 (UTC)[返信]

それでも指摘部分がなくなりますね。219.180.110.27さん、いかがでしょうか?--武者小路 2008年4月20日 (日) 23:11 (UTC)[返信]

Flgspman 2008年4月20日 (日) 16時42分 (UTC)(Flgspmanさんの意見)分より

こんにちは、Flgspmanさんより親ページへご意見を頂いておりましたが、削除依頼の事情をご存知でないようすでしたので、会話ページへその旨を報告いたしました。まだご返事等はございませんが、親ページの内容から抜粋して、回答や解釈をいたしております。

  • これらはすべて事実であり、歴史学者が書いた歴史書を見れば書いてあることです。事実である情報を、無理に削除しようとする行為自体が、中立性に反しています。

それらは全て事実でしょう。その事実が検証可能なものであれば削除されることは少ないですが、その記述があることにより矛盾などができる場合には移動や、やむを得ず削除されることがあると思われます。しかし、それは議論が開かれて合意形成を得ている場合にのみ実行されるべきでしょう。

また、提案は、削除ではなく移動と統合です。しかも無理にではなく、こういった議論を行っておりますのでご参加ください。提案本文(原案)は親ページに詳しくありますので、参照されてください。修正案はこのページに前述しております。

  • 歴史書とは、歴史研究の訓練を受け大学院で学位を持つ歴史学者が書いた本です。歴史学者以外の素人歴史家が書いた、素人向けの変な本に載っている奇妙な意見

では、私たちは、百科事典であるWikipediaに参加できないということになります。私たちが執筆しているのは変な百科事典でしょうか。そんな失礼な話はありません。また、暴言は認められません。訂正されてください。

  • 素人が書いとんでも本や2ちゃんねる的意見も存在しますが、どこの歴史書にも載っていないし明らかに少数意見ですし、それを正しいと信じて百科事典の編集に参加してしまうのも低レベルすぎる行為といもの

あなたがそのトンデモ本や2ちゃんねる的意見としていらっしゃる記述には出典の明記があり、検証が可能でありますので、私がそれを否定することは難しいでしょう。

  • そもそも宮殿正面に総督府庁舎を建てたことは、本文内の外部リンク写真などを見ても明らかなことだし、それさえも削除しようというのはどういうつもりでしょうか

削除ではなく移動と統合です。現文章は、庁舎の存在を詳細に説明しています。庁舎で説明されるべき文章を序文に詳しく入れる必要があるのでしょうか。

また、宮殿正面に総督府庁舎を建てたことは、本文中にも「宮殿正面に総督府庁舎が建てられている写真」があるので、見ればわかります。記述するまでもないように思われますが。

  • しかも鉄道などを造ったのは満州進出と自国領の基礎とするため

そういった意見や見解がある場合は出典の明記が必要です。--ムカイ 2008年4月22日 (火) 15:12 (UTC)[返信]

しばらく、様子を見ておりましたが、反対意見をされておられる方からご意見がありませんので、ここで、提案内容の確認のために要約を行いたいと思います。

このままご意見をいただけないものと見られる場合は、コメント依頼をいたしたいと思います。

現在の提案内容は以下のようにです。

(提案内容の要約)

現本文の序文より、主に、朝鮮総督府が行った政策や事業に関して簡潔に記述し、以下の節にあるべきものは移動を行い、序文においては、論争のある事実は簡略し、最小限にとどめます。以下は提案文です。

提案文

朝鮮総督府(ちょうせんそうとくふ)は、明治43年(1910年)、日韓併合によって、日本の領土となった朝鮮を統治するために当時の日本政府が京畿道京城府(現在の大韓民国ソウル特別市)の景福宮の敷地内に設置した官庁のことである。

韓国統監府を前身とし、大韓帝国政府の組織を改組・統合したが主要高官はほぼ日本人であった。初代総督は寺内正毅。総督は日本の現役の陸軍大将か海軍大将が歴任した。1945年太平洋戦争(大東亜戦争)における日本の敗戦に伴い連合軍の指示により業務を停止。その権限はアメリカ軍政庁に引き継がれた。

総督府により、言論や結社の禁止、独立運動などへの取り締まり等が行われた。インフラの整備が行われ結果として伝染病の予防や出生率の増加におよび、教育施設では皇民化教育、日本語やハングルの教育が進められた。これらの政策や事業に対しては批判する意見と評価する意見がある。

以上です。ご意見をいただきたく思います。--ムカイ 2008年4月27日 (日) 03:55 (UTC)[返信]

冒頭を簡潔にすること自体は別にいいと思いますが、出典を隠したり除去したりする方もいるようなんで、何とかして下さいね。折角百科事典を参照されたのであれば反映した方がいいのではないかと思いますが。johncapistrano 2008年5月3日 (土) 15:49 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございます。もちろんせっかくなことですので、反映いたしたいと思います。
もちろん、出典の除去や隠したりするのは、好ましいとはいえませんので元に戻したり、一方的に除去した方へ注意を促していきたいと思います。ただし、作業の上、私にも限界がありますので、ぜひともご協力をお願いいたします。--ムカイ 2008年5月4日 (日) 02:40 (UTC)[返信]

ムカイ氏の提案文に異論ありません。--武者小路 2008年5月5日 (月) 09:40 (UTC)[返信]

ありがとうございます。では、反対意見をされていた方からのご意見などを募りましたが返事がございませんし、それ以降も特に反対意見とみられるコメントは見られませんので、前述の提案へ合意されましたことと判断し、前述の「提案内容の要約」を以ってこの議論の要約といたします。長い議論にお付き合い頂き誠に感謝いたします。 以後、この編集作業に関して意義などがあるという場合は、このノートへお願いいたします。--ムカイ 2008年5月6日 (火) 07:54 (UTC)[返信]

序文ですが、現役軍人の朝鮮総督は二代目までであり、三代目以降は全て予備役の軍人ではないでしょうか?それと、朝鮮総督府は朝鮮に置かれた統治機関であって、京城にあった建物は正式な呼び名は知りませんが本庁舎のようなものではないのでしょうか?--yasumi 2008年5月8日 (木) 13:31 (UTC)[返信]
こんにちは。

朝鮮総督府は朝鮮に置かれた統治機関であって、京城にあった建物は正式な呼び名は知りませんが本庁舎のようなものではないのでしょうか

原文
日本の領土となった朝鮮を統治するために当時の日本政府が京畿道京城府(現在の大韓民国ソウル特別市)の景福宮の敷地内に設置した官庁である。

何度か読み返してみましたら、確かにこれは建物自体の説明になっているように読むことができます。

修正案文
日本の領土となった朝鮮を統治するために当時の日本政府が設置した官庁である。庁舎は、京畿道京城府(現在の大韓民国ソウル特別市)の景福宮の敷地内に設置された。

これでいかがでしょう。

歴代総督に関しては、Wikipedia内にて確認しても、現役大将と見られるのは確かに3代までです。恐らく軍隊における現役という言葉に誤解があったのだろうと思います。通常使われる現役という言葉は、在職中であり引退していない状態なのでそれと誤解して使用したのかもしれません。

原文
総督は日本の現役の陸軍大将か海軍大将が歴任した。
修正案文
総督は日本の現役または予備役の軍人で陸軍大将か海軍大将が歴任した。

できれば、ソースがあると力強く修正ができると思います。--ムカイ 2008年5月9日 (金) 10:09 (UTC)[返信]

あんまり詳しくはないんですが、朝鮮総督は、現役→1910寺内正毅、現役→1916長谷川好道、1914→1919斎藤実、1925→1927山梨半造、1914→1929斎藤実、1931→1931宇垣一成、1936→1936南次郎、1938→1942小磯国昭、1936→1944阿部信行、と現役軍人は一代目と二代目だけで三代目の斎藤実からは予備役になってから朝鮮総督に赴任しているようですね。結果として軍人が選ばれたことと、1919年以前の制度として軍人を選ぶ必要があったことでは意味合いも違うような気がします。
元ページのノートで指摘されていたことに同感なのですが、メイン記事はあくまで「統治機関」であって、そこに「朝鮮総督」や「建物(本庁舎?中央庁舎?)」記事が同居していて混沌としているように思えます。序文は統治機関である旨を簡潔に書き、付属する記事を紹介して如何でしょうか?
例えば「朝鮮総督府(ちょうせんそうとくふ)は、1910年(明治43年)から1945年(昭和20年)まで朝鮮を統治するために設置された日本の統治機関である。本項では組織としての朝鮮総督府を扱い、朝鮮総督や中央官舎としての朝鮮総督府も取り扱う。歴史については日本統治時代の朝鮮を参照のこと。」のようにして詳細は各項目へ振ったらどうでしょうか?
あと序文の話題ではないのですが、本文の「朝鮮総督は天皇に直隷し、朝鮮における軍事権、立法権、行政権、司法権を掌握し、広大な権限を行使した。」とあるのも、同じく改正前は「第三条 総督ハ天皇ニ直隷シ委任ノ範囲内ニ於テ陸海軍ヲ統率シ及朝鮮防備ノ事ヲ掌ル  2 総督ハ諸般ノ政務ヲ統轄シ内閣総理大臣ヲ経テ上奏ヲ為シ及裁可ヲ受ク」ですし、改正後は「第三条 総督ハ諸般ノ政務ヲ統理シ内閣総理大臣ヲ経テ上奏ヲ為シ及裁可ヲ受ク  2 総督ハ安寧秩序ノ保持ノ為必要ト認ムルトキハ朝鮮ニ於ケル陸海軍ノ司令官ニ兵力ノ使用ヲ請求スルコトヲ得」なので独裁的に権力が振るえたかのような表現は不適切なような気がします--yasumi 2008年5月11日 (日) 11:56 (UTC)[返信]
  • 例えば「朝鮮総督府(ちょうせんそうとくふ)は、1910年(明治43年)から1945年(昭和20年)まで朝鮮を統治するために設置された日本の統治機関である。本項では組織としての朝鮮総督府を扱い、朝鮮総督や中央官舎としての朝鮮総督府も取り扱う。歴史については日本統治時代の朝鮮を参照のこと。」
こんにちは。例文までいただきありがとうございます。私は、とてもいい提案だと思います。序文については、「何々の記述がないのは何々の事実を隠そうとしている意図がある」といったご意見をいただきますが、私も、詳しい内容は後述されている分を参照すればいいことであり、序文に何もかもを詰め込む必要はなく、また、その記事の大体のことについては「概要」というものがあり、それを参照すればわかることだろうという考えがあります。その点で私はyasumiさんの考えた序文は最も理想とするべき形だと思います。
本項では組織としての朝鮮総督府を扱い、朝鮮総督や中央官舎としての朝鮮総督府も取り扱う。
について、中央官庁舎はともかくも朝鮮総督が朝鮮総督府と呼ばれていたのか少し疑問に思います。総督も朝鮮総督府という機関の内ではないのでしょうか。
私も、yasumiさんの提示された例を参考に考えてみました。
本項では組織としての朝鮮総督府を扱う。またその中央官庁の置かれた庁舎についても後述している。
  • あと序文の話題ではないのですが、
申し訳ありませんが、その質問はこの節においてはまた、別のものとなりますので、もしよろしければ、新しく節を設けて、議論への参加を呼びかけみてはいかがでしょうか。--ムカイ 2008年5月12日 (月) 13:54 (UTC)[返信]
訂正、斉藤実は退役から特に現役復帰した上で朝鮮総督に赴任しているようです。--yasumi 2008年6月3日 (火) 13:02 (UTC)[返信]

2008年4月11日 (金) 04:42 の版の差し戻しについて[編集]

2008年4月11日 (金) 04:42 の版を 2008年4月8日 (火) 14:25の版へ差し戻しを行いました。理由は、 ノート:朝鮮総督府#日本統治時代の朝鮮と記述を重複させないのムカイのコメント及びこのページの前節のムカイ(2008年4月13日 (日) 14:19 (UTC))のコメントに示しております。

同様の編集をされる場合には、必ず提案を行い、同意形成をされてください。--ムカイ 2008年4月13日 (日) 14:41 (UTC)[返信]