ノート:木村昌福

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該部分は『日本陸海軍総合事典』(秦郁彦編・東京大学出版会)2005年8月15日を転載したもの。KASAGI氏に注意を促すも無視し編集を強行。2006年10月16日 (月) 20:48 (UTC)~

木村昌福の変更部分については、「日本陸海軍総合事典」からの転載ではありません。その本は手にしたことすらないです。私が参考にしたのは、「最前線指揮官の太平洋戦争」岩崎剛二著であり、文言も全くそのままではありません。醍醐忠重の項でも、間違った書名をいくら訂正しても、なぜか強引に間違った書名を復活させようとする210.172.24.54という御仁がいましたが、その人でしょうか。まずは自分が間違っていないかどうか確認してください。--KASAGI 2006年10月17日 (火) 10:31 (UTC)[返信]


戻しました。 これが最後に私が加筆した分と210.172.24.54との差分です [1] 具体的にどこが問題なのか全くわかりません。210.172.24.54のノートにも書きましたが、まともな返答がありません。--KASAGI 2006年10月18日 (水) 15:16 (UTC)[返信]

「略歴」「人物像」と章立てしてあるにも関わらず、両者が混在した文面になっているようです。 南雲忠一の項でも指摘しましたが、こういう記述方式にすると得てして公正さが損なわれます。それを踏まえて、修正を行ってみます。。--利用者:Ryuga 2006年12月15日 (水) 09:42 (UTC)[返信]

ミッドウェー海戦時、鈴谷が「機関故障」と偽って艦を停止して「三隈」乗員救助に当たった逸話が、実際に救助に当たったのは他の駆逐艦で信憑性が低いと注にかかれていますが、歴史群像№109掲載の当時鈴谷機関員だった木舩一二三氏の証言によれば、実際に機関は故障していなかったが、機関停止の命令を受けて停止させたそうです。また、三隈艦長崎山大佐をはじめ生存者を収容しているようなので、鈴谷運用長の証言を「信憑性がない」と切り捨てるのは如何なものかと思いますが。--夜叉熊 2011年9月30日 (金) 23:40 (UTC)[返信]

同意します。出典明示がなく、誰が「信憑性がない」と述べているか不明なためコメントアウトしました。--Stingfield 2011年10月2日 (日) 02:50 (UTC)[返信]