ノート:杉原紙

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従前の版には一切出典がなかったため、出典を基に全面的に書き換えました。

私が利用した出典では確認できなかったエピソードとして、下記2点はひとまずコメントアウトしましたので、出典がある方は再加筆をお願いします。

記事の方でも注釈およびコメントアウトで書きましたが、杉原紙研究所の主張する「起源」には、年代に関する重大な齟齬があり、いくら出典があると言ってもちょっとこのまま書くことはできないと判断しましたので、こちらにてその問題点について書いておきます。何らかの出典を基に解決できる方、よろしくお願いします。

  • ここで「奈良時代(7世紀後半)」には既に他の地域より進んだ製紙技術があり、質・漁とも日本一の紙だったと書かれています。
  • しかし、7世紀は601年~700年であり、奈良時代は710年に始まりますから、「7世紀後半」が奈良時代であるという記述が小学生レベルで誤りです。
  • 飛鳥時代(7世紀後半)とするか、奈良時代(8世紀後半)とするか、はたまた平安時代(8世紀後半)とするかでないと、どうにもなりません。
  • さらに、全国の手漉き紙生産者の団体である全国手すき和紙連合会のHPでは、国内最古の紙が702年(8世紀初頭・飛鳥時代)のものとしています。これは正倉院の収蔵物の全調査を行った際の報告書に基づくものです。(ただし、これは「現存する最古の紙」であり、「現存しないがもっと古いもの」があったという論理的な可能性は残ります。)
  • 和紙#紙の国産化 -奈良時代-には、紙の本格的な国産化は「製紙技術伝来の100年後」(つまり8世紀初頭)であり、天平9年(737年)に播磨で紙漉きが始まったとの記述があります。(ただし出典はありません)

これらの情報を総合すると、「杉原紙研究所」の主張だけが飛び抜けており、「7世紀」と「奈良時代」という明らかな誤謬があることも考慮し、杉原紙研究所の主張は記述しませんでした。 何らかの強力な出典が登場するか、杉原紙研究所の主張における年代が訂正されない限り、このあたりのことを記事に書くのは不適切だと判断します。--柒月例祭会話2014年10月24日 (金) 18:45 (UTC)[返信]

(追記)なお、[1]の内容等については、近日中に別の文献などによる言及について調べたうえで改めて加筆します。--柒月例祭会話2014年10月24日 (金) 18:50 (UTC)[返信]