ノート:東明聖王

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記事統合[編集]

朱蒙東明聖王は同一人物で、記事を分ける必要を感じません。--BitBucket 2006年7月12日 (水) 09:31 (UTC)[返信]

BitBucketさん>分けているのではありませんよ。高句麗の始祖は東明聖王よりも本名である朱蒙として語られる事が多いからです。また「東明」を始祖にする伝統は、扶余・高句麗・百済に共通された現象だったと見られますし、何よりも「朱蒙とは誰の事か?」という疑問から調べた時にこの項目がないのは不都合です。記述が重複するのであれば朱蒙の項は「東明聖王を参照に」という形で残すべきです。--RTC 2006年7月17日 (月) 22:20

同一人物であれば一つの記事で記述して、一方をもう一方へリダイレクトすれば足りると考えます。--BitBucket 2006年7月20日 (木) 09:02 (UTC)[返信]

BitBucketさん>アドバイスありがとうございます。早速リダイレクトしてみました。今後記述する際の参考にさせていただきます。--RTC 2006年7月20日 (木) 16:11 (UTC)[返信]

記事を分ける必要は無いと思いますが、朱蒙と東明聖王がなぜ同一人物だと言い切れるのでしょうか?三国史記では同一人物として扱っていますが、中国の史書では朱蒙と書かれている場合が多く東明聖王などと書かれていません。広開土王の碑文では朱蒙の文字さえ出てきません。また、三国志 (歴史書)では騶(すう)という人物が出てきて王莽に処刑される場面があります。このような絡みが東明聖王の文章に書かれていないのは不思議ですが、どのように扱うのでしょうか?--Hi izurukuni 2006年10月22日 (日) 16:34 (UTC)[返信]

Hi izurukuni氏の主張することは「有る事の証明」と「無いことの証明」と同じで建設的ではありません。諱と字の関係からして、書簡ごとに記名が変わっても別に不自然じゃないです。それにぶっちゃけて言えば朝鮮半島の歴史はまだまだ未開の部分が多いです。そうしたことを鑑みるとwikipediaに載せる記述が通説を頼りにせざるを得ないところは仕方の無いことです。「高句麗の始祖王たる東明聖王は高朱蒙という人物ではない」という学説が学会内で定説化されれば話は別ですけど。--M氏 2006年10月22日 (日) 18:03 (UTC)[返信]
貴重な意見ありがとうございます。東明聖王と朱蒙が同一人物だという扱いはそれで良いのですけどね(笑)ただ、この東明聖王の記述(他の古代朝鮮関係)があまりにも三国史記三国遺事のみの記述に偏りすぎていることに疑問を感じたのです。例えば東明聖王についてをいちいち付ける必要もないと思います。が付いた東明聖王は三国史記に書かれていることですが、一般的に朱蒙か東明王という名前で呼ばれていることが多く古代朝鮮関係の書物を見てみると東明王と書かれていることが多いのです。Googleの検索においても東明王と検索する人の方が多いはずです。--Hi izurukuni 2006年10月23日 (月) 15:59 (UTC)[返信]
「東明聖王=朱蒙」と単純に済ましてしまうのはよくないかもしれないです。始祖神話の比較などから、朱蒙が東明聖王と同一視され、さらに檀君の子と結び付けられるまでを書いたほうがよさそうです。書きかけのものですが↓
  • 魏書』高句麗伝にみる高句麗の始祖伝説は、『三国志』夫余伝にみる扶余の始祖伝説(東明伝説)との共通構造を指摘され、両者の民族的同一性が唱えられてきた。しかしこれらの始祖伝説は単純に同一とはみなせず、高句麗の始祖伝説には南方系の卵生型説話の要素を含んでいることや、墓制の違いが明確であることから、高句麗・扶余の民族的同一性は断定はできない。東明伝説の構成を元に高句麗の始祖伝説を形成し、後には『三国史記』には東明聖王と朱蒙とが同一視され、さらに『三国遺事』では檀君の子であるとされるようになった。
のようなものを、もう少し整理してから本格的に書こうと思っております。高句麗王・始祖について見るのにもっともまとまっている三国史記の段階では両者は一致しているので、同一人物ではないという説が定説化することは期待できないのですが、両者が同一視されていくに至る経緯は、簡略にまとめて記述するほうが良いかと思います。この件でM氏さん、Hi izurukuniさんのご意見をいただけるとありがたいです。--田英 2006年11月4日 (土) 08:23 (UTC)[返信]

人名表記について[編集]

当面の措置として「単に東明王とも呼ばれる」と追加しました。あと、朝鮮史全般に見られる現象ですが朱蒙(チュモン)と()でハングル読みをしている場合が多く見られますが、日本人からしてみればこれは大変覚えにくい表記ではないでしょうか?--Hi izurukuni 2006年10月24日 (火) 01:15 (UTC)[返信]

確かに(日本語の)音読みで読んでしまえばいい話なんですが、いちいち読みを付加しているとそれも少し鬱陶しい感があります。周りをみるに、例えば生態学とか数学の記事なんかは専門用語をバシバシ使ってます、従って歴史項目に関しては人名も用語に類する扱いとして音読みは「自分で読め」的な位置付けとして、朝鮮語読みはおまけとして付加しているという感じです。「朝鮮語読みをしろ」というスタンスではないですね。少なくとも私が書く場合は。--M氏 2006年10月24日 (火) 02:36 (UTC)[返信]

コメントアウト部を削除[編集]

外部リンクとして高句麗研究会が記述された後にコメントアウトされていましたが、社団法人であるもの韓国至上主義といわれても否定できない記述おこなっており中立性に著しい問題があると思われるため一旦削除しておきました。--Yonoemon 2007年7月7日 (土) 13:29 (UTC)[返信]