ノート:東郷いせ

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

出典の問題[編集]

こちらの記事ですが、出典のほとんどがご本人が書いた本で、他に参考としてあげられているものを見ても父と夫が著名な外交官だったということ以外にどのような特筆性があるのか、現状の書き方ではよくわかりません。Wikipedia:削除依頼/著名人物の親族の記事というのもありますが、著名人の親族だということだけではWikipedia:特筆性 (人物)を満たせないと思いますし、本人の書いた本が主要出典だというのはWikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料などに照らしても良くないと思います。この方について書かれた独立した他の出典や、あるいはこの方が書かれた本がどう評価されているのかわかる書評などを集めて、この方の特筆性がわかるような構成にしたほうがいいと思います。このため、問題テンプレートを貼付しました。--さえぼー会話2018年12月26日 (水) 09:22 (UTC)[返信]

本文の出典の問題については、父茂徳についての伝記によって幾分か改善を試みました。子茂彦の著作のため特筆性の証明にはなりませんが、質の面では他の伝記と比べても遜色なく、確認していなかったのは迂闊でした。第三者による言及としては、STuDeOの第6節のほかは、新聞・雑誌のインタビュー記事等がありますが、客観的にその生涯について踏み込んだものは少なく、本文の出典として使えるものは限られます。
一方、事績の特筆性については、もし「父と夫が著名な外交官だったということ以外」というのが父・夫から独立して行った活動という意味であれば、そのような実績には乏しいのが実状です。メディアでの取り上げられ方もおおむね「令嬢」「婦人」としての扱いですし、五大紙の訃報でも肩書きは妻とされています。
そもそも自分がこの記事を執筆した動機は、戦前の国際結婚の事例について調べる中、東郷いせはその混血として生涯を明らかにした資料があり、外交官の親族としての活動が結婚後も続いたことから、その生涯を記事にすることが有意義だと考えたためでした。しかし、もしその出自や親族としての活動が特筆性として認められず、その資料も出典として不十分なのであれば、残念ですが特筆性を見出すのは難しく、記事の存続にこだわるつもりはありません。--Aiaiaiaiaia会話2018年12月29日 (土) 03:21 (UTC)[返信]
  • 参考文献に「インタビュー/稲木紫織「日本の貴婦人 1 東郷いせ」、『CLASSY.』第9巻第9号、光文社、1992年9月。」など、「日本の貴婦人」としてこの方だけをとりあげたものがあるのであれば特筆性は保てそうな気がしますし、この記事を存続させる必要がないとは思わないのですが、やはり出典の大部分が東郷いせ本人か東郷茂彦が書いたものであるというところで、関係者出典に頼りすぎているような気がいたします。書き方の工夫やさらなる資料の充実を待つということでよいのではないでしょうか。--さえぼー会話2019年1月9日 (水) 06:01 (UTC)[返信]