ノート:松平斉民

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将軍継嗣の記述について[編集]

安政5年の将軍継嗣問題で、本文に

「一部で斉民を次期将軍に推そうとする動きがあった。血筋や年齢からして、幼少の家茂や水戸家の慶喜よりも妥当だといえた。しかし、この派閥は、越前松平家から将軍をとった先例がないこともあり、南紀派や一橋派に較べると脆弱だったため、斉民が将軍に選ばれることは無かった」

とありますが、その根拠は何でしょうか? 血筋はともかく、当時45歳の、それも津山に養子に出された斉民が候補にあがるのは、はなはだ疑問です。当時の45は、初老といってもよく、家宣や家慶が40代で就任したのでさえ、当時では驚かれたものです。 センセーショナルな新説を書き込むのは結構ですが、検証ができるように、出典を明示してくれませんか。 私が思うに、『井伊家史料』にある、直弼が斉民に清水家を継がせ、田安慶頼とともに家茂の後見職に据えようとした、とあるのを、読み違えたのではないでしょうか。 --松貝舟 2008年7月5日 (土) 12:24 (UTC)[返信]

出展の明示を呼びかけたのですが、誰もされていないので、該当部分は俗説であると判断し、本文から註釈に移します --松貝舟 2008年8月7日 (木) 22:46 (UTC)[返信]