ノート:松平晃

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記事加筆と事実誤認箇所について報告[編集]

おお、まさか松平晃さんの記事が出来ているとは。ファンとしてはうれしい限りです。

私も彼に関しては随分ネタをもってはいるのですが、万人向けである関係上、あまりマニアックなネタは避け、現状の本文に則った修正をいたしました。

その中で、一部以下のような事実誤認がありましたのでご報告を。この他にも、少々直しました。

・「早世した父に代わり家業を継いでいた兄に音楽を身を立てたい旨を打ち明けるが反対され」

→事実がこんがらがっています。昭和13年、伏見さんとの離婚を報じた「都新聞」の記述によると、その当時でもまだお父さんはご存命だったようです。

また、お兄さんは反対どころか、むしろ松平さんを応援し、反対するお父さんを説き伏せてくれた、と本人が「キング」昭和10年6月号の座談会で話しておられます。

・「『若いマドロス』ででレコードデビューした」

→松平さんのデビュー曲は「若いマドロス」ではなく、「讃えよ若き日」「春は朗らか」です。

なお、松平さんの戦後の記述のうち、血液病の話については以下のサイトを参考にしています。

「誰か昭和を想わざる」内「松平晃」の項

http://www.geocities.jp/showahistory/music/singera07.html

本文中にも書きましたが、松平さんの戦後の動向についてはまだまだ未解明の部分が多いです。

間違いなどありましたらご指摘お願いいたします。--MasakiTomasawa 2006年3月7日 (火) 10:58 (UTC)[返信]

上のレコードデビュー曲ですが、曲名を間違えました。「春は朗らか」ではなく「夏は朗らか」です。

訂正事項としてここに書いたので一応ご報告まで。--MasakiTomasawa 2006年3月7日 (火) 17:25 (UTC)[返信]

専属になるまでの前歴が間違いだらけでした……(汗)。高卒ではなく中卒でしたね。

修正してくださった方、ありがとうございました。--MasakiTomasawa 2006年3月12日 (日) 09:15 (UTC)[返信]

藤山さんの所属会社名はビクターのみにしぼらず、ビクターとテイチクを併記した方がいいと思います。かくいう私もビクターを忘れていたのですが……。

それと松平さんの最盛期は、昭和11年に吹き込み数が最大(67曲)を記録していることから、同年までが妥当かと思います。--MasakiTomasawa 2006年3月14日 (火) 23:22 (UTC)[返信]

外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

松平晃」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年10月8日 (日) 04:33 (UTC)[返信]