ノート:民本主義

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民本主義が衆愚につながるという意見があるという書き込みがありましたが、既にDemocracyと衆愚政治については民主主義の項目で触れらており、この項目であえてまた触れるだけの説得力のあるソースがありませんでしたので、削除しました。 民本主義は、純粋な多数者による政治による衆愚の弊害が、少数賢者の指導によって避けられるという側面がある(と、そのようなことを吉野が主張していたわけですが)ので、さらに不適切な一文であると思います。--Oddmake 2006年5月26日 (金) 13:41 (UTC)[返信]

孟子の民本説について[編集]

  • wikipedia記事孟子#民本からのコピーペーストで項目が作成されておりますが、コピペ元の記事が「おそらく」wikipedianによる独自研究であり、記事の質として良くありません。高橋均 (中国文献学者)の論説を付加しておきましたが孟子の思想の理解や、当時彼の思想が受け入れられなかった理由の解説など、重要な点で高橋の学術的意見とは大きく異なった記事となっていますので、現状の解説を裏付ける信頼できる情報源を探してくるか、高橋1964.6.25で書き直す必要があると思います。--大和屋敷会話2023年7月6日 (木) 04:41 (UTC)[返信]


そもそもの話なのですが、本記事の「民本主義」の民本は孟子の「民本」からとられているのでしょうか。茅原華山、吉野作造の思想と関係があるのならばそれを示す出典を伴って記述すべきであり、単に用語が同じだからという理由で記述するのは疑問に感じます(それならば不要でしょう)。また、関係があるならば簡単に触れるのみで{{main}}で誘導すればよく、長々と説明をすることは避けるべきではないかと考えます。--みそがい会話2023年7月12日 (水) 15:54 (UTC)[返信]
  • 論文調査した範囲では、吉野作造の「民本主義」は吉野がこの用語の借用元として茅原崋山と上杉慎吉を挙げており、上杉については1913年5月に「民本主義と民主主義」という論説で「『東亜之光』第八巻第二号(注:1913年2月)に於いて井上哲二郎氏が…『民本主義』と云ふことを述べられて居る。‥要するに『君以百姓為本』の意でありて、君主が統治するのは、帰する所人民の幸福を増進するに在らねばならぬと云ふ、帝王治国の根本義を指したるものである」とあります(参照:松本三之介「『民本主義』の歴史的形成」(年報政治学8、109-131、1957年、日本政治学会)[1][2](PDF-P.P.4-5)。上杉によれば源流は井上哲二郎だとなります。なお上杉の挙げる『君以百姓為本』は『古事記』仁徳記に出てくる有名な文言です。次に茅原崋山ですが、「民本主義」なる語は1912年に茅原崋山が「万朝報」で使用したのもので、これは茅原本人が述べるように、万朝報の社主である黒岩涙香の造語であって仁徳天皇の故事から採用した思想だとしています(参照:太田雅夫「大正期におけるデモクラシー訳語考」、キリスト教社会問題研究、13号、同志社大学人文科学研究所キリスト教社会問題研究会、1968.3.15)[3]。なお、良く知られているように吉野作造はデモクラシーの和訳として「民本」を借用したのであって、孟子の「民本」の思想を学術的に展開したわけではありません。一方で「孟子」については、その思想内容が【古事記に】反映されているとは思われますが、直接的な関わりを論じる論文は見当たりませんでしたので、wikipedia上では孟子の存在に言及するのは当然可能ですが、孟子が「民本主義」における「民本」なる術語の源流であると記載してしまうのは独自研究に踏み込むことになると考えます。--大和屋敷会話2023年7月13日 (木) 23:27 (UTC)[返信]
調べていただきありがとうございます。私もとりあえずリンク先の文書を斜め読みしたところ、ここでいう「民本」とは孟子とは直接の関係性が明らかでないということですね。『古事記』由来であるとしても、そのさらに由来が孟子であるという根拠が無い限り、単に同じ語であるということしか現状は言えません。関連付けることは大和屋敷さんがおっしゃる通り独自研究に当たると思います。既に問題となる記述は大和屋敷さんによって変更されていますのでこれ以上はこの場で発言することは特にありません。ただ一点、{{main}}で「孟子#民本」をガイドしていますが上記の通り直接の関係性は無さそうなので内部リンクに変更しました。--みそがい会話2023年7月14日 (金) 10:04 (UTC)[返信]