ノート:汎神論

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非日本語の情報源を出典とする場合について[編集]

Wikipedia:信頼できる情報源#日本語以外の言語で書かれた情報源」に従い、原文を引用してください。

記事の中で非日本語の情報源を自身で日本語に翻訳したものを引用する場合、外国語による原文の引用を明確にするようにし、読者が元の情報源が何を語っているのかと翻訳の正確さを確認できるようにすべきです。

よろしくお願いします。--202.162.137.166 2022年6月10日 (金) 12:08 (UTC)[返信]

外国語の翻訳を引用した箇所は2点あり、両方とも対応しました。あなたは他の記事のノートで、ガイドラインを誤解して外国語の情報源を全く使えないと主張していたと思いますが、「可能な限り日本語による情報源を示すべき」ということでそれらは努力義務という指摘は理解できましたか?(Wikipedia:明白なソックパペットはすぐにわかるWikipedia:ありのまま言う)--2400:2410:C1A3:5300:4BA1:F38E:E7B8:BADF 2022年6月12日 (日) 00:07 (UTC)[返信]
202.162.137.166の日野ケーブルテレビのIPユーザーさんと2400:2410:c1a3:5300::/64の範囲のBBIXのIPユーザーさんはノート:一神教#非日本語の出典や一次資料でも言い合いになっているようですが、利用者‐会話:2400:2410:C1A3:5300:5B65:9FA4:13A9:BC3で指摘されているようなことや方針理解全般、対する言い分などについては、動的IPアドレスを経由した非ログイン投稿について(よくお読みください)に基づきWikipedia:コメント依頼#利用者の行為についてのコメントで解決されたらどうでしょうか。それまでは手を休めるべきかもしれません。その上で記事の内容がどうあるべきかはノートで話し合って編集対応されればよろしいかと。記事のノートで互いにブロックをちらつかせたりパペットを疑っても先に進まないと思います。--市井の人会話2022年6月12日 (日) 02:45 (UTC)[返信]

信頼できる情報源の評価[編集]

最近はガイドラインに関する編集が多いのでいくつか明確にした方が良いと思います。

汎神論等の哲学理論については特別な記述はありませんが、哲学分野には誤った実験等がないでしょうから、歴史のガイドラインに従うべきであると考えられます。 歴史のガイドラインに忠実に対応するならば、専門家によって記述された一般書の出典は信頼性は低くなり、国際会議で採用された学術論文、ピアレビュージャーナルに掲載された査読論文またはモノグラフ等の優先度が高くなります。

  • このガイドラインは外国語の論文についても同様に適用されるべきです。「しかし外国語の情報源は、検証可能性や、日本語の情報源と同じ基準に従うという観点では受け入れられます。」(Wikipedia:信頼できる情報源#日本語以外の言語で書かれた情報源)
  • また「日本語の情報源はできるだけ提供されるべきであり、外国語の情報源より常に優先して使われるべきです(同じ品質と信頼性だと仮定しています)。例えば、相当する記事が日本語の新聞にないような場合以外は、外国語の新聞を情報源として使ってはいけません。」では2つの基準が示されています(Wikipedia:信頼できる情報源#日本語以外の言語で書かれた情報源)。
  1. 日本語の情報源にない場合
  2. 日本語の情報源より品質が高い場合

つまり編集者が外国語の情報源を使う場合、両方またはいずれかの基準を満たすことになります。汎神論は海外由来の理論であるため、翻訳されていない外国語の文献が多く、これらの基準は満たしやすいと考えられます。また検証可能性についてはGoogle ScholarJSTOR等にある論文や、複数学者によって査読され論文審査が行われた博論はネットでもアクセスできるため、外国語でも入手可能で検証ができます。

汎神論に関する無記名のマイペディアの記事の引用は少数意見であり中立性に反する[編集]

汎神論は「多神教,アニミズム,自然崇拝と区別なく用いられることもある」と『百科事典マイペディア』にはある」との文言が荒らしと見られる人物によって追加されていますが、4点の問題があります。(荒らしによると見られる編集、2022年6月24日 (金) 13:55‎ 240d:1a:506:1700:b81f:ea9c:38f1:e19c 会話‎ 64,867バイト +1,166‎

  • kotobank内の記事では他の百科辞典に同内容は存在せず、『百科事典マイペディア』だけが主張している少数派の意見であること
  • 『用いられることもある』といった付加的なまめ情報が、定義をまとめている冒頭の序文に目立つように顕示されていること
  • 百科事典マイペディアの記事には著者の記名がなく、非専門家の編集員が執筆したものと推定できること
  • 哲学史宗教哲学を専門とする複数の学者によって編集、執筆された「Routledge Companion to Philosophy of Religion」によると汎神論は非有神論的一神教の一形態であると定義されており、多数派が形成した定説と認められること[1]。つまり適切な2次資料である専門書の記述と荒らしと見られる方の投稿は相互に矛盾していること。

こうしたデタラメな編集はWikipediaの品位を不当に貶めるだけでなく哲学史宗教哲学を馬鹿にしている印象さえ受けます。

では研究Aに対して、同じ分野の研究B・C・Dと並べていくことは正しいでしょうか?これも不可ではありません。しかしこれもまた中立的な観点に反する可能性があります。例えば研究Aが定説として評価されており、他のB・C・Dはそれに比べれば学界での地位が低いとした場合、A・B・C・Dを並列に並べることはAの価値を過少に、B・C・Dの価値を過大に書いていることになるからです。 — Wikipedia:信頼できる情報源#中立的な観点との兼ね合い
ただ単にごく小さな少数派にしか支持されていない観点を掲載することは、独自研究に認定される場合があります。 — Wikipedia:独自研究は載せない#中立的な観点
もしあなたの考え方が多数派に属するのであれば、広く認められている参考文献を示してその観点を実証することは容易なはずだ。

もしあなたの考え方が言及するのに意味があるような少数派に支持されているのであれば、同じ意見を持っている著名な支持者の名前を挙げるのは容易に違いない。

もしある観点が極めて小さな(あるいは極めて限定された)少数派に支持されているのであれば、それが正しいかどうかに拘らず、あるいはあなたがそれを証明できるかどうかに拘らず、その内容はウィキペディアで言及するに値しない — Wikipedia:独自研究は載せない#中立的な観点

宗教哲学の専門家の定説を過小に評価し、(非専門家の手による)少数派の珍説の価値を過剰に評価していると考えられるため、中立性の観点から否定されるべきです(Wikipedia:信頼できる情報源#中立的な観点との兼ね合い)。この偏った編集は独自研究と認めることも可能です。

編集をされた方は荒らしと認められる前に、Wikipediaのガイドラインを読んで理解してから投稿してください。情報源についてはWikipedia:信頼できる情報源#信頼できる情報源の発見・アクセス方法にあるように、CiNiiKAKENで情報を見つけてください。該当内容については異論が一定期間なければ削除します。--2400:2410:C1A3:5300:68D6:CB6E:9F35:94C3 2022年8月5日 (金) 01:27 (UTC)[返信]

コメント こんにちは、私は33メルメルと申します。IPユーザーである皆さまには、次のウィキペディアのルールに従うことをお願いいたします。
誰の発言かを区別しやすくするためにも、ログインすることが推奨されます。Wikipedia:説明責任も参照してください。
(方針「Wikipedia:署名」)
多くの利用者は「既存の記事を大幅に変更する際にはアカウントを取得し、ログインし、説明責任が果たせる立場になった上で編集してほしい」と望んでいます。
(ガイドライン「Wikipedia:説明責任」)
この点については「一神教」のノートでもコメントいたしました[1]
さて、『マイペディア』に基づく記述を削除すること自体には、私は強く反対はいたしませんが、賛成もいたしかねます。非専門家が書いた可能性がある百科事典類が一応「ウィキペディアの目的には信頼できる情報源」とガイドラインで認められていること、コトバンクの辞事典を出典とする時専用の「Template:Kotobank」が「10,000以上のページで使われてい」ること等を踏まえると、コトバンクの百科事典『マイペディア』を出典として執筆することは、基本的に問題ないと思われます。もちろん、「現存する百科事典よりも優れた記事を書こうという大望をウィキペディアンたちが抱いたとき[2]、そのような著者の記名がない三次資料の内容に頼るようでは目標の達成には充分ではありません」(WP:RS)。私としては、宗教学やその関連学問を元に記事を執筆する場合、査読済み論文のような二次資料を出典として使用し執筆することが最も適切かなと思います。
出典(『マイペディア』)にこう書かれている[2]、という記述方法はWP:VWP:NOR、「Wikipedia:言葉を濁さない」から見て妥当に思われます。(私は、『マイペディア』をぜひ出典として使用すべきだ、と申しているわけではございません。) 以前の版では「俗説において~」という文章でしたが、出典(『マイペディア』)の内容と比較するとこの文章は、方針を守って出典に「解釈を加えていないもの」であるとは言い難いと思います。
なお、一部のIPユーザーさん(2400:2410:C1A3:5300:68D6:CB6E:9F35:94C3さん)には「Wikipedia:個人攻撃はしない」、「Wikipedia:礼儀を忘れない」(WP:CIV)、「Wikipedia:善意にとる」も一応確認していただければ幸いです。一神教ノートの方でも申し上げましたが、例えば方針WP:CIVでは
  • 「大きなお世話です」
  • 「不注意な誤字を修正した」
などといった発言さえも「無礼」として禁じられています。
  • 「編集のしかたも知らないのか」
  • 「(こんな間違いをする人は)ウィキペディアに来ない方がいいよ」
  • 加筆した人に対して、その語学力や言葉の選択を理由に見くびること。
なども不可とされています。
IPユーザーさんの「デタラメな編集はWikipediaの品位を不当に貶めるだけでなく哲学史、宗教哲学を馬鹿にしている印象さえ受けます」、「編集をされた方は荒らしと認められる前に、Wikipediaのガイドラインを読んで理解してから投稿してください」などといった発言は、もし仮に私がIPユーザーさんを庇おうとしても、非常に困難だと言わざるを得ません。
また、今まで提出された投稿ブロック依頼のうち承認された依頼では、【依頼対象のユーザーさんが他の方を「荒らし呼ばわり」[3]、「荒らし認定」[4]したことが理由】として挙げられている依頼が複数あります。これも一神教ノートと内容が被り気味になりますが、相手方に対して荒らしと呼んだり投稿ブロック依頼を出したりするには、相手方が方針「Wikipedia:荒らし」に該当していることを示す必要がございます。たとえば同方針が定めている「荒らしの類型」をご覧いただくと、単に方針・ガイドラインに違反しているというだけでは「荒らしの類型」に含まれていません。同方針では
ウィキペディアにおける荒らしとは、百科事典の品質を故意に低下させようとするあらゆる編集のことを言います。
最も一般的な荒らしの種類としては、すでに書かれている文章を卑猥な言葉などと入れ替えること、ページの白紙化、広告の挿入、虚偽の情報を書き込む、あるいは必要の無いジョークや無意味な言葉の挿入です。
とあります。つまり、ある利用者Aさんが荒らしであることをウィキペディアコミュニティに納得させたいとBさん(達)が考えた場合、Aさんのルール違反が「故意」であることをBさん(達)が明示する必要があるということなんですね。「利用者の行動のルールを、複数の別の利用者からたびたび説明されても理解しようとしない利用者は、コミュニティを消耗させる利用者として、理解できると思われるまでの期間ブロックされます」(WP:BP)。
なお、「利用者の行動のルール」には
なども含まれています(WP:BP)。以上のほど、よろしくご理解とご協力をお願いいたします。--33メルメル会話2022年8月9日 (火) 14:33 (UTC)[返信]
荒らしにご主張については了解しました。まず理解していただきたいのは、これらのコメントを書いた際に私が参考にした記事(私論)です。
個人攻撃を禁じたり、無礼な振る舞いを禁じたりする方針などが、利用者を荒らしや個人攻撃から守るためではなく、利用者の行った編集を論評から守るために頻繁に引用されています。じゃまな編集ばかりしている編集者は文字通りじゃまな編集者です。特定の観点を推してばかりいる利用者は偏向編集者です。荒らしてばかりいる利用者は荒らしです。こういった利用者に話しかける際に言葉を飾る必要はありません。ただし、ありのまま言うことはきちんとした編集者の仕事の一部ですが、その際には礼儀を忘れてはいけません。 — Wikipedia:ありのまま言う
今回の投稿者については、荒らしというよりWikipedia:中立的な観点に適合しない偏向編集者にあたるでしょうから、荒らしとの表現は撤回させていただきます。
次に33メルメルさんは「次のウィキペディアのルールに従うことをお願いいたします。」としていますが、これらは推奨でありルールではありません。一方的に私がルールに違反したかのように印象操作を行うのは、ノート:一神教でも明らかにされている33メルメルさんの基準を適用するならば十分に無礼な発言であり、礼儀に反するのではないでしょうか?
多くの利用者は「既存の記事を大幅に変更する際にはアカウントを取得し、ログインし、説明責任が果たせる立場になった上で編集してほしい」と望んでいます。
33メルメルさんの『「デタラメな編集はWikipediaの品位を不当に貶めるだけでなく哲学史、宗教哲学を馬鹿にしている印象さえ受けます」、「編集をされた方は荒らしと認められる前に、Wikipediaのガイドラインを読んで理解してから投稿してください」などといった発言は、もし仮に私がIPユーザーさんを庇おうとしても、非常に困難だと言わざるを得ません。』のコメントについては、これが例として上げられた無礼な表現に相当するかは、個人によって異なる主観的なものにも見えます。33メルメルさんの言われていることは私の態度が気に食わないとのことでしょうので、そう思われたなら申し訳ありませんが、33メルメルさんの見解を拡大するならば、「荒らしによる編集を取り消しました」との管理者の要約でさえ、個人攻撃にあたるのではないでしょうか?
また33メルメルさんは一見中立的かのように『マイペディア』の記事が妥当であると言っていますが、私の主張は一貫して信頼できる情報源であるかでなく、情報源の信憑性とWikipedia:中立的な観点に関する主張しているにも関わらず、この点を無視されています。
では研究Aに対して、同じ分野の研究B・C・Dと並べていくことは正しいでしょうか?これも不可ではありません。しかしこれもまた中立的な観点に反する可能性があります。例えば研究Aが定説として評価されており、他のB・C・Dはそれに比べれば学界での地位が低いとした場合、A・B・C・Dを並列に並べることはAの価値を過少に、B・C・Dの価値を過大に書いていることになるからです。 — Wikipedia:信頼できる情報源#中立的な観点との兼ね合い
ただ単にごく小さな少数派にしか支持されていない観点を掲載することは、独自研究に認定される場合があります。 — Wikipedia:独自研究は載せない#中立的な観点
もしあなたの考え方が多数派に属するのであれば、広く認められている参考文献を示してその観点を実証することは容易なはずだ。もしあなたの考え方が言及するのに意味があるような少数派に支持されているのであれば、同じ意見を持っている著名な支持者の名前を挙げるのは容易に違いない。もしある観点が極めて小さな(あるいは極めて限定された)少数派に支持されているのであれば、それが正しいかどうかに拘らず、あるいはあなたがそれを証明できるかどうかに拘らず、その内容はウィキペディアで言及するに値しない — Wikipedia:独自研究は載せない#中立的な観点
それゆえ一般的に、「一次資料」は注意して取り扱い(上記を参照)、「二次資料」がウィキペディアの記事の参照先として依存する素材庫になります。 — Wikipedia:信頼できる情報源#情報源
33メルメルさんは一般論として無記名で注意が必要な三次資料について肯定なされていますが、今回の事例では中立的な観点でないとの問題の要点を無視されています。
  • (33メルメルさんは無視)kotobank内の記事では他の百科辞典に同内容は存在せず、『百科事典マイペディア』だけが主張している少数派の意見であること
  • (33メルメルさんは無視)『用いられることもある』といった付加的なまめ情報が、定義をまとめている冒頭の序文に目立つように顕示されていること
  • (33メルメルさんは無視)哲学史宗教哲学を専門とする複数の学者によって編集、執筆された「Routledge Companion to Philosophy of Religion」によると汎神論は非有神論的一神教の一形態であると定義されており、多数派が形成した定説と認められるため[3]、適切な2次資料である専門書の記述と荒らしと見られる方の投稿は相互に矛盾していること。
ここで問題となっているのはWikipedia3大原則の一つであるWikipedia:中立的な観点#適当な重み付けです。もしこの点を理解できてないなら、33メルメルさんはガイドライン、方針をもう一度読み直す必要があると思います。
また33メルメルさんの言われている内容が以下の方針に適合しないかも読まれたほうが良いかと思います。
規則の悪用 (Gaming the system) とは、ウィキペディアの方針とガイドラインを意図的に悪用して、ウィキペディアの目的を妨害することです。規則の悪用は、手続きの乱用や、妨害的編集、あるいはコミュニティが合意したことの本質にあるものを無視することが当てはまります。規則を悪用する典型的な編集者は、腕づくで自分の意見を押し通そうとしたり、編集合戦へと発展させたり、中立的でない特定の観点を強く主張します。 — Wikipedia:規則の悪用
実際には方針に矛盾する見解や立場だと知りながら、あるいはそう偽って、保護や正当化を求めたり、方針の文言に裏付けられていると主張する。 — Wikipedia:規則の悪用#方針とガイドラインの悪用Wikipedia:規則の悪用#合意形成の悪用Wikipedia:規則の悪用#制裁制度の悪用
--2400:2410:C1A3:5300:7419:F031:1702:AF14 2022年8月10日 (水) 03:11 (UTC)[返信]


返信 もし私のコメントで IPユーザーさん(2400:2410:C1A3:5300:7419:F031:1702:AF14さん)が気分を害されたのであれば、それはすみません。謝罪いたします。
IPユーザーさんへの私の返信は、基本的には一神教ノートでの返信[5]をご覧いただければと思います。
方針やガイドラインは「ルールの精神を強調する」べきものとして定義されています。Wikipediaのログインユーザーさんたちは投稿ブロック依頼に賛否を投票する場合、「方針・ガイドライン等のルール」[6]「方針・ガイドラインなどのルール」[7]といった言い回しもされています。
まあ要するに、Wikipediaを利用なさる方々には【すべての利用者が従うべき】と定められている方針に従ってほしい、ということです。複数ある方針の一つが、IPユーザーである方々に対してログインユーザーとしての活動を推奨している「Wikipedia:署名」なんですね。(ログインは「ルールの精神」の一部、平たく言えば「ルール」の一部と言えます。ただ一神教ノートで申し上げたように、ログインもウィキペディア編集自体も義務ではありません。)
WP:CIVなどを踏まえても、どんな発言が「無礼」に該当するかは「個人によって異なる主観的なもの」、というご指摘はもっともだと思います。強いて申し上げるなら、「この編集はWikipediaのガイドラインの〇〇(該当箇所名)を遵守していないだけでなく哲学史、宗教哲学の信頼できる情報源を利用していない印象さえ受けます」という風な書き方の方が、WP:CIVなどから見ても問題無く、管理者さんから好意的に見られやすいかなと思われます。
Wikipedia:規則の悪用」は、現段階では「方針やガイドラインとして提案中」のものであり、ガイドラインのように「多くの利用者が基本的に同意しており、従うことが推奨されます」とはなっていません。根拠として使うには、やはり少々弱いように思います。もし私(または誰かしらの利用者さん)をルール違反者や荒らし等として報告なさるのであれば、現行の方針・ガイドライン等のルールを根拠にすることをオススメいたします。結局Wikipediaではどんな発言・行動も、それらのルールが大前提とされているためです。--33メルメル会話2022年8月10日 (水) 16:56 (UTC)[返信]
謝罪に関しては不要です。形式的な礼儀に関する限り、ここでのやり取りは十分に礼儀に沿っていると考えるからです。ただし、33メルメルさんの姿勢には問題があると言わざるえないですね。気になる事が2点あります。
  • Wikipedia:規則の悪用は英語版wikipedia(en:Wikipedia:Gaming the system)の転載でありますが、英語版wikipediaでは提案中ではありません。従ってこうした行為は世界的にも頻繁に行われる規則悪用であると考えることができます。
  • 汎神論の記事では学術的定説と真っ向から矛盾する「多神教が汎神論だとする珍説」の流布を意図したじゃまな編集者、偏向編集者、荒らし(Wikipedia:ありのまま言う)が発生することが想定できます。これは新宗教の宣伝かもしれないし、日本人が西洋人より(道徳的または精神的に)優越してることの証明として用いるため等、様々な理由が考えられますが、特に汎神論の記事にこれだけ規制の代弁者(本人の自発か、宗教宣伝側のクレームによってかに関わらず)が現れる理由の説明にはなります。
33メルメルさんはWikipedia:中立的な観点を無視した主張をなされていますが、あなたはあたかもWikipediaの方針の代弁者かのように上から目線で問題のない編集をしている相手に対して、ありえるはずがないルール違反をしているとの印象を抱かせる表現を使いました。そもそも推奨なのですからルール違反などありえないでしょう。そして極めて主観的な表現の解釈だけを選別しながら、ブロックの可能性をちらつかせ恫喝したわけです。これはWikipedia:規則の悪用のステータスいかんに関わらず、制度を悪用するユーザーが大量に存在し、33メルメルさんのように突然現れ、ルールルールと長文で連呼するが、結局やってる主張はルールによると排除すべきである(適切な2次資料によって確認された定説と真っ向から矛盾する)珍説の擁護をして、Wikipedia:中立的な観点を無視することが頻発しているからでしょう。
適正な2次資料がまっこうから否定している資料的にも信頼性に劣る珍説(汎神論を多神教等と区別なく用いるとの少数派の説)をWikipedia:中立的な観点を無視することで、強引に少数派の珍説を擁護なされている。これに関してWikipediaのルールは明確です。信頼性、中立性、検証可能性のうちあなたは、信頼性ガイドラインの都合のよい部分だけかいつまんで、Wikipedia:中立的な観点に重大な問題がある編集を擁護されたわけです。
私からすれば33メルメルさんこそ長文をノートに投稿してコミュニティを疲弊させているように見えます。--2400:2410:C1A3:5300:62B9:7A37:6C38:6FE2 2022年8月10日 (水) 20:24 (UTC)[返信]
返信 方針では「コミュニティを消耗させる利用者」は、「利用者の行動のルール」を「理解できると思われるまでの期間ブロックされます」と定められています。もし私が2400:2410:C1A3:5300:62B9:7A37:6C38:6FE2さんの仰るように“コミュニティを疲弊させている”としたら、残念ながら私は投稿ブロックに該当する利用者ということになりそうですね。そうだとしたら、投稿ブロック依頼または管理者さんのご判断で、私はブロックされることになると思います。
「ただし、1週間を超える長期のブロックは、投稿ブロック依頼(または裁量ブロック後の追認依頼)が必要です」とも定められており、その点はご理解いただければと思います。
なお、私の主張の要点はこちら[8]になります。--33メルメル会話2022年8月16日 (火) 04:51 (UTC)[返信]
情報 今までのところ、私に対して投稿ブロックが実施された事例はございません[9]。--33メルメル会話2022年8月22日 (月) 07:05 (UTC)[返信]
あなたはノート:一神教でユーザーアカウントの登録をしてWikipedia:荒らしの通報をすることをご親切にも私に教えようとしているにも関わらず、あなたがブロックされていないこと脈絡なく強調していますね。まだ自分はブロックされていないから、ブロックされていない自分は正しいといった議論をするためだけに不毛な議論、子供じみた論点ずらしを続けるのはコミュニティを疲弊させるだけしょう。--2400:2410:C1A3:5300:AB44:D68F:662E:7579 2022年8月30日 (火) 23:24 (UTC)[返信]
今のところ異論、つまり広く認められる出典(査読された2次資料)によってごく少数者の意見ではないと示せている方はいません。またこの汎神論と多神教を同一視する珍説を教義とする新興宗教の宗教宣伝を擁護するためにWikipedia:規則の悪用をする方も出現しているため、該当内容は削除したいと思います。
もしあなたの考え方が多数派に属するのであれば、広く認められている参考文献を示してその観点を実証することは容易なはずだ。もしあなたの考え方が言及するのに意味があるような少数派に支持されているのであれば、同じ意見を持っている著名な支持者の名前を挙げるのは容易に違いない。もしある観点が極めて小さな(あるいは極めて限定された)少数派に支持されているのであれば、それが正しいかどうかに拘らず、あるいはあなたがそれを証明できるかどうかに拘らず、その内容はウィキペディアで言及するに値しない — Wikipedia:独自研究は載せない#中立的な観点
それゆえ一般的に、「一次資料」は注意して取り扱い(上記を参照)、「二次資料」がウィキペディアの記事の参照先として依存する素材庫になります。 — Wikipedia:信頼できる情報源#情報源
では研究Aに対して、同じ分野の研究B・C・Dと並べていくことは正しいでしょうか?これも不可ではありません。しかしこれもまた中立的な観点に反する可能性があります。例えば研究Aが定説として評価されており、他のB・C・Dはそれに比べれば学界での地位が低いとした場合、A・B・C・Dを並列に並べることはAの価値を過少に、B・C・Dの価値を過大に書いていることになるからです。 — Wikipedia:信頼できる情報源#中立的な観点との兼ね合い
悪意をもって編集している利用者が、明確に誤った事を成り立たせたり(また押し進める)ために、(競合する)他者の行為を、明らかに理にかなわない悪意ある曲解によって「証拠」とし、方針とガイドラインを用いて(糾弾すること)。さらには、しばしば善意にとるのガイドラインにも違反したものであり、特に、不当な「警告」を繰り返すことは礼儀を忘れないへの違反に当たるでしょう。もし、悪用に基いて他の利用者へ疑義を呈したり、「悪意ある編集者」として印象操作を行うなら、それはまた個人攻撃はしないの方針に違反したことになるでしょう。 — Wikipedia:規則の悪用
日本における汎神論が新興宗教やカルトにとって重要な宣伝アピールポイントで腕づくでも通したいとの必死さは伝わって来ますが、彼ら(宗教宣伝者達)は強力な学術論文やモノグラフ等の専門書を引用して実証すべきです。単一のウェートの低い資料だけにのみ支持された弱い少数派の観点がより強い資料の定説と矛盾するならWikipediaに言及するのに相応しくないでしょう。少なくとも多数派である事を証明するのは容易なのに、それを行わず、それに対して妨害行為や荒らし、規制を悪用した不当な「警告」が絶えないのは極めて限られた少数派の新興宗教的な観点である事の証左でしょう。--2400:2410:C1A3:5300:B8F0:53DE:6EBC:1781 2022年8月28日 (日) 02:50 (UTC)[返信]
コメント 『マイペディア』を出典とする記述を除去すること自体については、私からは特に異論はございません。
ただし現状では、この記事の編集に関わったことが理由でブロックされた方は居ないようですし、管理者さんから警告を受けたような方も居ないようです。IPユーザーさん(2400:2410:C1A3:5300:B8F0:53DE:6EBC:1781さん)はこの記事に関して、"妨害行為や荒らし、規制を悪用した不当な「警告」が絶えない"と仰り、そういった行為の立場は"極めて限られた少数派の新興宗教的な観点である"と仰っていますが、今のところウィキペディア運営側は対処(ブロック等)を行っておりません。運営側またはコメント依頼ページに対し、この記事の"妨害行為や荒らし~観点である事"が報告された事例も見受けられません。それらを踏まえると、他利用者さんについてのIPユーザーさんの評価は疑問だと思われます。
言わば私の態度は、IPユーザーさん(2400:2410:C1A3:5300:B8F0:53DE:6EBC:1781さん)の記事編集(『マイペディア』に基づく記述を除去すること)については特に反対はしていないものの、IPユーザーさんの他者評価については反対というか疑問を持っている、という感じです。--33メルメル会話2022年8月30日 (火) 11:16 (UTC)[返信]
あなたはノート:一神教でユーザーアカウントを登録しWikipedia:荒らしの通報をすることを提案しているにも関わらず、あなたがブロックされていないと脈絡なく主張しています。まだ自分はブロックされていないから、ブロックされていない自分は正しいといった、議論をするためだけに不毛な議論、子供じみた論点ずらしを続けるのはコミュニティを疲弊させるだけしょう。--2400:2410:C1A3:5300:AB44:D68F:662E:7579 2022年8月30日 (火) 22:41 (UTC)[返信]

定説と矛盾し言及することに意味がない少数派【新興宗教やカルトの宣伝勧誘用の教義と見られる少数派の珍説(汎神論は多神教と同義等)】の意見は言及に値しません。多数派または言及することに意味のある少数派ならば、その珍説を支持している著名な宗教哲学者の書いた査読論文やモノグラフを容易にみつけられるはずです[編集]

新興宗教やカルトの宣伝勧誘用の教義と見られる汎神論と多神教を同一視する珍説(定説では汎神論は一神教の一形態[4])を擁護していると見られる常習的なWikipedia:規則の悪用が後を絶ちませんが、方針・ガイドラインを再確認頂くようお願いします。

ごく少数の人々が主張する意見は、そのような意見を扱うのに特化した記事(地球平面説など)以外には記載すべきではありません。無視しがたい少数派の意見に不当な重み付けをしたり、ごく少数の人々の意見を含めたりすれば、論争の有様について読者を誤った方向に導きかねません。 — Wikipedia:中立的な観点#適当な重み付け
もしあなたの考え方が多数派に属するのであれば、広く認められている参考文献を示してその観点を実証することは容易なはずだ。もしあなたの考え方が言及するのに意味があるような少数派に支持されているのであれば、同じ意見を持っている著名な支持者の名前を挙げるのは容易に違いない。もしある観点が極めて小さな(あるいは極めて限定された)少数派に支持されているのであれば、それが正しいかどうかに拘らず、あるいはあなたがそれを証明できるかどうかに拘らず、その内容はウィキペディアで言及するに値しない — Wikipedia:独自研究は載せない#中立的な観点
それゆえ一般的に、「一次資料」は注意して取り扱い(上記を参照)、「二次資料」がウィキペディアの記事の参照先として依存する素材庫になります。 — Wikipedia:信頼できる情報源#情報源
では研究Aに対して、同じ分野の研究B・C・Dと並べていくことは正しいでしょうか?これも不可ではありません。しかしこれもまた中立的な観点に反する可能性があります。例えば研究Aが定説として評価されており、他のB・C・Dはそれに比べれば学界での地位が低いとした場合、A・B・C・Dを並列に並べることはAの価値を過少に、B・C・Dの価値を過大に書いていることになるからです。 — Wikipedia:信頼できる情報源#中立的な観点との兼ね合い
悪意をもって編集している利用者が、明確に誤った事を成り立たせたり(また押し進める)ために、(競合する)他者の行為を、明らかに理にかなわない悪意ある曲解によって「証拠」とし、方針とガイドラインを用いて(糾弾すること)。さらには、しばしば善意にとるのガイドラインにも違反したものであり、特に、不当な「警告」を繰り返すことは礼儀を忘れないへの違反に当たるでしょう。もし、悪用に基いて他の利用者へ疑義を呈したり、「悪意ある編集者」として印象操作を行うなら、それはまた個人攻撃はしないの方針に違反したことになるでしょう。 — Wikipedia:規則の悪用

日本における汎神論が多神教と一致するとの珍説新興宗教カルトにとって信者勧誘のための重要な宣伝アピールポイントと考えられ、宣伝勧誘用の教義を腕づくでも通したいとの必死さは伝わって来ますが、彼ら(宗教宣伝者達)はウィキペディアの方針・ガイドラインに従い査読論文やモノグラフ等の専門書を引用して実証すべきです。単一の信頼度の低い資料だけにのみ支持された少数派の観点・俗説がより強い資料の定説[4]と矛盾するならWikipediaに言及するのに相応しくないでしょう。少なくとも多数派である事を証明するのは容易なのに、それを行わず、妨害行為や荒らし、規制を悪用した不当な「警告」が絶えないのは極めて限られた少数派の新興宗教的な観点である事をそうした編集をする方自身が理解していることの証左でしょう。--2400:2410:C1A3:5300:B8F0:53DE:6EBC:1781 2022年8月28日 (日) 04:37 (UTC)[返信]

コメント 上の節で申し上げたように、『マイペディア』を出典とする記述を除去すること自体については、私も特に異論はございません。ですがIPユーザーさん(2400:2410:C1A3:5300:B8F0:53DE:6EBC:1781さん)のご主張――"妨害行為や荒らし~証左でしょう"等――については、上の節でコメントした理由により、やはり疑問に思われます。--33メルメル会話2022年8月30日 (火) 11:16 (UTC)[返信]
英語版ではWikipedia:ありのまま言うの他に私論として(33メルメルさんの意見に似た)荒らしを荒らしと言うべきでないとの記事がありますが、方針にはなっていません。荒らしを荒らしとありのまま言うべきか(または言わないべきか)の点においてコミュニティのコンセンサスは英語版でさえ取れていないようです。またWikipedia:ありのまま言うは私論であっても同一コミュニティ内の意見です。33メルメルさんはそれが正しくないと考えるなら、Wikipedia:ありのまま言うのノートであなたの私見を表明し、逃げ隠れせずに堂々と彼らが方針・ガイドラインに違反していると指摘することができます。
個人攻撃を禁じたり、無礼な振る舞いを禁じたりする方針などが、利用者を荒らしや個人攻撃から守るためではなく、利用者の行った編集を論評から守るために頻繁に引用されています。じゃまな編集ばかりしている編集者は文字通りじゃまな編集者です。特定の観点を推してばかりいる利用者は偏向編集者です。荒らしてばかりいる利用者は荒らしです。こういった利用者に話しかける際に言葉を飾る必要はありません。 — Wikipedia:ありのまま言う
あなたが疑問に思ってる点については以下のように答えさせて頂きます。
  • 一神教、汎神論、汎心論以外の記事ではあなたや、他のIPユーザーのように異常に規制に執着して不当な警告を続ける方は見たことがありません。特定の宗教に関わる記事だけに似非規制警察ユーザーが大量出現し、さらにそれを擁護するユーザーが偶然現れるのは、それ自体が怪しげに見えるわけです。彼らは白紙化を行う荒らし行為、非専門家による一般書籍を引用して大量の文字投稿、外国語出典を排除すべきとの告知の濫用と不当な警告、そして定説に反する珍説を定説と同列に編集する行為をしています。33メルメルさんはそれを長文で擁護(または沈黙による容認)していたと記憶しています。さらに、あなたはマイペディアの定説に真っ向から反する珍説も擁護していたはずで、明らかに違和感を感じます。Wikipediaの中でも最重要方針のはずの中立的な観点に反するにも関わらずです。
  • 汎神論は多神教と同義等の珍説を悪用したアインシュタイン便乗商法、宗教宣伝については、ユーザーに対する決め付け等として論点ずらしをなされているようですが、普通に読めば珍説がカルトや新興宗教の宗教宣伝に使われている事を指摘しているに過ぎないことは明白なはずです。これは宗教宣伝を行っているとみられるWikipediaユーザーに限らず、ネット社会に流布している珍説、俗説であり一般論として受け止めてください。
  • 新興宗教の宣伝については、彼らがそうした珍説を言及したいのであれば、上記方針を守り著名な宗教哲学者の出典を出してください。それができないなら、言及する意味のない珍説でしょうしWikipediaで言及する価値はありません。
規制を弄んで他の編集者の邪魔をするだけの邪魔な編集者(Wikipedia:ありのまま言う)を擁護する姿勢に疑問に思われます。
最後にあなたはノート:一神教でユーザーアカウントの登録をしてWikipedia:荒らしの通報をすることをご親切にも私に教えようとしているにも関わらず、あなたがブロックされていないと脈絡なく強調していますね。まだ自分はブロックされていないから、ブロックされていない自分は正しいといった議論をするためだけに不毛な議論、子供じみた論点ずらしを続けるのはコミュニティを疲弊させるだけしょう。--2400:2410:C1A3:5300:AB44:D68F:662E:7579 2022年8月30日 (火) 23:17 (UTC)[返信]
報告 IPユーザーさんは短期間でIPが変わり会話ページへのお知らせが届かないこともあり得るため、やむを得ずこちらでもコメントいたします。「Wikipedia:コメント依頼/IP:60.117.32.138 2400:2410:c1a3:5300:xxxx 2回目」を提出しましたので、「被依頼者のコメント」の節でコメントをお願いいたします。--33メルメル会話2022年9月2日 (金) 13:15 (UTC)[返信]
コメント依頼2回目とのことですが、記憶ではもう少し出ていたはずです。引用されているXyyさんのコメント依頼には後述する小出-小坂井さんからしか反応が無く(管理者等からのコメントはなし)、33メルメルさんの依頼に反応をする方には注目しています。
  • Xyyさんについてはソックパペットとの理由でブロック依頼を出していたはずですが、管理者に無視されていたとの記憶があります。直接的な関わりとしては攻撃的な姿勢(人身攻撃)が全面に押し出されており、話しのキャッチボールが全く通じなくて困ったことと、Xyyさんが紀要論文をガイドラインに違反して出典とした事を注意したことぐらいです。当時はかなり個人的に受け取られたようで、脅迫ともとれる言動がありましたが、その後ブロック依頼等は出ていないという理解です。神道、神国思想、豊臣秀吉に関わるトピックに過敏に反応される方として覚えがあり、利用者:小出-小坂井さんに共闘を呼びかける等の書き込みがあったと記憶しています。
  • Xyyさんのコメント依頼で唯一反応した利用者:小出-小坂井さんについては「利用者:小出-小坂井さんの会話」で分かる通り最終的には諦めたという理解です。Category:小出-小坂井の操り人形だと疑われるユーザーの項目がある通り、マルチユーザーアカウントと見られる方とのやり取りは今回が初めてではありません。利用者‐会話:小出-小坂井#投稿ブロック依頼提出のお知らせによりブロックされたようですが、この方に合意形成する意志はみえず議論のための議論に終始するため、終わりが見えず対応に難儀したと記憶しています。
この二人は告知テンプレートを使った不当な規制悪用をしてはいないため、一神教汎神論汎心論の記事で不当な警告を繰り返すユーザーの特殊性を浮き彫りにしてくれる好例かと思います。
  • 汎心論については「汎心論とアニミズムを同義とする」珍説の画像を消したことで、投稿したと見られるIPユーザーが感情的になり、人身攻撃ともとれる文を含むコメント依頼が行われたはずです。依頼数にはそれも含むと良いでしょう。汎神論と似ているのは、当事者が規制警察をよそおって人身攻撃や恫喝を繰り返したり、告知テンプレートを悪用する事、新興宗教信者が宗教宣伝や勧誘のために固執するであろう特定宗教トピックの書き込みへの擁護の姿勢が顕著に見られるため、汎神論一神教のユーザーと同じグループに所属している可能性も否定できませんね。
最後に繰り返しますが、33メルメルさんは人身攻撃に逃げずに、Wikipedia:ありのまま言うのノートであなたの私見を表明し、逃げ隠れせずに堂々と彼らが方針・ガイドラインに違反していると指摘することができます。もしくは他のIPユーザーさんに対してもユーザー登録していないとの理由でルール違反であると長文で糾弾することで自己矛盾に陥らずにすむかもしれません。--2400:2410:C1A3:5300:D546:E4B:CF31:FCCF 2022年9月3日 (土) 05:55 (UTC)[返信]
返信 複数のページへ議論が拡散することを防ぐためにも、利用者についてのコメントはコメント依頼ページでお願いします。「記事のノートページは記事を改善するための議論の場」とガイドラインにもあります。--33メルメル会話2022年9月22日 (木) 07:48 (UTC)[返信]
情報 補足。一神教と汎神論を編集されたIP:60.41.117.6会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんに、ログイン推奨の方針ガイドラインをお知らせしようかと思いましたが、この方は公開プロキシとして1年ブロックになりました。--33メルメル会話2022年9月22日 (木) 07:53 (UTC)[返信]
まず「ノートページは「記事」について議論するための場」であり、ノートページ内での細かな言葉使いやアカウント登録について議論する場ではありません。33メルメルさんは今後はこの手の記事と無関係な通知文は控えて、コメント依頼で議論してください。今後そうした文章をノートページで投稿されても、返答は一切しません。
ノート:汎神論#信頼できる情報源の評価で提案している通り、非専門家の著述を出典とせず、CiNiiやKAKENで専門家の著述した信頼できる情報を見つけるようにしてください。定説に反する珍説を記述するのであれば、査読論文やモノグラフ等の信頼できる二次資料を出典としてください。これが私からの唯一で最終的な提案です。--2400:2410:C1A3:5300:C952:7F15:FD7:39F1 2022年9月26日 (月) 13:56 (UTC)[返信]
  1. ^ Routledge Companion to Philosophy of Religion, edited by Chad Meister, Paul Copan, Routledge; 1st edition (September 1, 2007), ISBN:978-0415380386, p. 275
  2. ^ Giles, Jim (2005-12-15). Internet encyclopaedias go head to head “Our goal is to get to Britannica quality, or better.”. Nature 238: 900-901. doi:10.1038/438900a. https://www.nature.com/articles/438900a Internet encyclopaedias go head to head 2021年2月9日閲覧。. 
  3. ^ Routledge Companion to Philosophy of Religion, edited by Chad Meister, Paul Copan, Routledge; 1st edition (September 1, 2007), ISBN:978-0415380386, p. 275
  4. ^ a b Routledge Companion to Philosophy of Religion, edited by Chad Meister, Paul Copan, Routledge; 1st edition (September 1, 2007), ISBN:978-0415380386, p. 275 "Like "atheism" the term "pantheism" was used in the eighteenth century as a term of "theological abuse," and it often still is (Tapper 1987). A.H. Armstrong says the term "pantheistic" is a "large, vague term of theological abuse," (Armstrong 1976: 187). With some exceptions, pantheism is non-theistic, but it is not atheistic. It is a form of non-theistic monotheism, or even non-personal theism. It is the belief in one God, a God identical to the all-inclusive unity, but pantheists (generally) do not believe God is a person or anything like a person. The fact that pantheism clearly is not atheistic, and is an explicit denial of atheism, is disputed by its critics. The primary reason for equating pantheism with atheism is the assumption that belief in any kind of "God" must be belief in a personalistic God, because God must be a person."