ノート:汪兆銘狙撃事件

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加筆が必要と思われる点について[編集]

スタブテンプレートを貼り付けた者です。以下の2点について加筆を要するものと思います。御検討お願いいたします。--Snlf1 2011年11月2日 (水) 12:16 (UTC)[返信]

  1. 犯人の動機、背後関係について触れられていません。汪兆銘での記述(ただし出典不詳)によれば、これらの事情は不明のままのようですが、それならそう書くべきです。また、適切な仮説があれば言及すべきかなと。
  2. 近い時期の日本人・親日派へのテロ事件が列挙されていますが、どういった関連性があるのか不明です。関連性があるなら、それが明らかになるよう解説すべきですし、関連性が無いなら誤解を招くので列挙は不要かなと思います。
なるほど、少々加筆させていただきました。当時の中国は軍閥の集まりなので、それぞれの政治姿勢などが異なります。蒋介石や汪兆銘などが主流派でしたが、それに反発するグループも多かったわけです。なかでも、共産党や十九路軍などは有名です。主流は抗日路線を避けていましたが、共産党や十九路軍などは中央に対して批判的であり、武力行使を辞さない姿勢でした。第一次上海事変では相当激しく日本軍と衝突しています。その後も十九路軍は抗日と反中央を主導する活動を続けてきましたので日中提携に対するテロや当時引き起こされた関係する事件などを記述してみました。厳重警戒下で多数が参加した計画的テロ事件なだけに突発的なものと異なり様々な背景があると思われます。当時の汪氏とその対日外交とそれに対する反対派の動きなどご存知なようでしたら加筆していただけると幸いです。--Chichiii 2011年11月2日 (水) 13:54 (UTC)[返信]
加筆ありがとうございます。残念ながら私は適当な資料をもちあわせませんが、当時の日本からの見方だけでなく、中国側文献や後世の歴史研究の中での検証や評価が欲しいところと思っています。--Snlf1 2011年11月2日 (水) 15:49 (UTC)[返信]
犯人一味が逮捕されていること、襲われたのが総理大臣にあたる行政院長ですから、裁判記録から出版物にいたるまで相当数の文献が台湾または台湾系のウェブサイトにあると思われます。興味があるようでしたら調べてみてください。--Chichiii 2011年11月4日 (金) 13:03 (UTC)[返信]