ノート:甘えの構造

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

人間関係についての説の1つ[編集]

2011年5月13日 (金) 11:02の版にある「カレル・ヴァン・ウォルフレンKarel van Wolferen は、文芸春秋2011年5月号に「アメリカに甘える時代は終わった 後編」を寄稿している。」という記述ですが、『甘えの構造』は人間関係についての説の1つ、1物の見方であって、国際関係についてのそれでは直接はないと思うのですが、カレル・ヴァン・ウォルフレンは文芸春秋2011年5月号で『甘えの構造』に触れていますか?Uryah 2011年5月13日 (金) 21:08 (UTC)[返信]

ウォルフレンは、『甘えの構造』に言及してませんが、『甘えの構造』の196ページ(第5章の連帯感・罪悪感・被害者意識)の~宮沢通産相の話~を、読んでみて下さい。土居自身は、Uryahさん、の指摘されている、国際関係の問題にも「甘え」の概念は関係すると、捉えていた、と私には、見えます。--Hiroshi Okimura 2011年6月13日 (月) 07:15 (UTC)[返信]
手持ちの『「甘え」の構造』(増補普及版)昭和46年2月25日初版1刷発行 平成21年10月15日増補普及版3刷発行 ISBN 978-4-335-65129-8 第五章 「甘え」と現代社会 連帯感・罪悪感・被害者意識 pp.260-267 を確認しました。そこに書かれている宮沢通産相の話は、話の前に置くフリであって、「連帯感・罪悪感・被害者意識」は、当時のべ平連などニュー・レフトの気持ちの在り方について説を述べ考察している部分です。宮沢通産相の話は、何か交渉でもする前にきょうはいい天気ですね、などと話すような意味合いで書かれていて、著者が述べようとしている説であるところの「甘え」についての考察の記述ではありません。
さて、手元に本があるのでいちおう確認はしましたが、でも以上のことはどうでもよくて、ウォルフレンが寄稿した文芸春秋2011年5月号の「アメリカに甘える時代は終わった 後編」の中に『「甘え」の構造』への言及がないのであれば、当記事に「カレル・ヴァン・ウォルフレンKarel van Wolferen は、文芸春秋2011年5月号に『アメリカに甘える時代は終わった 後編』を寄稿している」などと書いてはいけません。Hiroshi Okimuraさんは「ウォルフレンは、『甘えの構造』に言及してません」と言うですから、記事の該当部分、削除しますね。Uryah 2011年6月13日 (月) 14:07 (UTC)[返信]