ノート:田中卓

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職歴について[編集]

2007年2月に学事顧問を辞任とありますが、そうなんですか?以上の署名の無いコメントは、Mattamatta(会話履歴)氏によるものです。栄華

私も知りませんでしたが、知人に尋ねたところ、今年(2007年)2月にて辞任したとのことです。--善導大師 2007年5月3日 (木) 18:08 (UTC)[返信]
私も知人にたずねたところ、確認できないということでしたので、[要出典]のテンプレートを張りましたが、名誉職については得てしてそういうものかもしれません。事実であるならそれで結構ですが、Wikipedia:検証可能性は一度ご確認ください。--栄華 2007年5月5日 (土) 12:39 (UTC)[返信]


近年の活動について[編集]

Kokokugoji殿により女系天皇容認論争についての記述(IPにて書き込まれたるもの)が消されておりますが、何故のことでせう。『諸君』誌上で新田教授と田中名誉教授が論戦を展開したのは事実です。皇位継承に関する議論は軽薄な気持ちで行ふものにあらすして、御両者そのこと重々承知のうへでのことと思います。あるいは、これを殊更に削除するのは、何か重大特殊な理由があつてのことでせうか?--前図書頭 2007年6月27日 (水) 15:14 (UTC)[返信]

女系天皇を公認するか否かの問題に関して、一大学内の意見対立をことさらとりあげて保守陣営の対立を示されることは、果して適当か否か。辞典としてとりあげる性質ではないのでは。(ただし、田中博士の主張が保守陣営に少なからず影響を与えたことは私も認めます)
また、田中博士の生涯において女系天皇論を唱えられたことは、新田氏と対立したことに意義があったのか否か。やはり、田中博士の項目に不要と感じます。
しかし、田中博士の項目に新田氏との対立はどうしても記さなくてはならない性格のものだ、と諸兄が同意されるのであれば、これ以上意見は申しません。ご判断ください。--Kokokugoji 2007年6月28日 (木) 12:55 (UTC)[返信]
田中名誉教授は保守派の論客としてよく知られた存在であり、「建国記念の日」創設や家永教科書問題をあげるまでもなく、その業績は論争を抜きに語ることはできないものと申せませう。田中名誉教授が万一「テキトー」な気持ちで皇位継承問題に手を出したのならいざ知らず、そんな筈が万々が一にも無い以上、この問題について記述しない訳には参りますまい。さらに、貴殿も御指摘のように皇位継承問題について、田中名誉教授の影響は非常に重大と思います。その結果としての新田教授との論争ですから、田中名誉教授の主張を書くなら書き放しにせず、その影響をある程度記述するのは当然と感じますし、田中名誉教授の主張に対して保守派の中からも反論が有ったことを書くのは大事なことと考えます。その際に皇學館内部の意見対立が有った事は別段隠すべきこととは思えません。(弟子筋であるはずの新田教授から反論~といった書き方ならば流石に宜しくないとは思いますから、あの表現で宜しいと思います)事典であるからこそ、事実を事実のままに書くことが何より大切でありましょう。なお、蛇足ながら新田教授も博士号を取られていますよ。--前図書頭 2007年6月29日 (金) 08:02 (UTC)[返信]

なるほど、そのような事件があったのなら、時系列的に考えると、田中氏は女系天皇を認める発言をしたので学事顧問という名誉職を・・・、という風に事情が推測できるので、きっと経歴とも深く関わる事柄です。是非この論争の事は残すべきです。--Mattamatta 2007年6月29日 (金) 10:33 (UTC)[返信]

新たに入手した情報だと、『日本を虐げる人々』という本での内部告発によれば、「皇国史観の正統皇學館大学」というのは今日じゃ当てはまらないことになるようだ。つまりこれは間違い。直しました。--Mattamatta 2007年6月29日 (金) 14:19 (UTC)[返信]


別に「正統」に拘る訳でもないし、その部分を消すのは構いませんが、皇學館と言えば進駐軍に抵抗して廃学になったという来歴から考えても「保守の牙城」というイメージです。『日本を虐げる人々』という本での内部告発を全面的に採用するのはすかがでしょうか?と思います。その辺りをMattamatta殿は論証して欲しいところです。--前図書頭 2007年6月29日 (金) 14:32 (UTC)[返信]
勝手に「正統」を削除したのは宜しいが、文意がおかしくなっておりましたので、ここは一度「正統と目される」と、表現を和らげるようにすることで、性急な改変合戦をやめ、Mattamatta殿の主張を検証するべきかと思います。Mattamatta殿は、御説の論証をされますよう、お願いします。--前図書頭 2007年6月29日 (金) 14:36 (UTC)[返信]
説の論証も何も・・・たしかに「皇国史観」を貫く人もいるようだが、その人が嘆いているというから、間違えないでしょう。進駐軍って、いつの話ですか?「目される」でも別にかまいませんが、主観的な気がします。客観的な意見を求めます--Mattamatta 2007年6月29日 (金) 15:47 (UTC)[返信]
松浦教授の意に沿わない人物が本当に「国を売る輩」であるというべきかどうかは疑問です。また、御貴殿は松浦教授を指して「皇国史観を貫く人」と言うが、果たしてそうなのかどうかも疑問。皇學館大學には田中名誉教授の直弟子が何人か残っているようですし。松浦教授が嘆くというが、それが田中名誉教授の学事顧問退任と関係があるかどうかも大いに疑問。御貴殿の「間違いない」は松浦教授一人の言説に頼りすぎています。どんな組織にも不平不満を持つ者は居るものですし、そういった人の言説のみを根拠にしていたのでは、「客観」の語について新たな解釈を必要とするようになるのではないかと考えるところです。--前図書頭 2007年6月29日 (金) 16:09 (UTC)[返信]


いつの間にか、おかしなことを言う方まであらわれてますが、mattamatta殿、例えば皇學館大學のホームページに、ヒストリーというページがありますからご覧ください。大学としての立場は明らかでしょう。田中博士の経歴云々も、思いつきでおかしな話をしないでください。--Kokokugoji 2007年6月29日 (金) 16:04 (UTC)[返信]


差当り、この一件は現状を維持しておくことにしては如何でしょうか?皇學館内部の勢力争いという誤解(と思います)は憂慮すべき事ですが、ノートにこのような議論の過程も残りますし、大丈夫と思います。--前図書頭 2007年6月29日 (金) 16:27 (UTC)[返信]


松浦博士も、正義感あふれる立派な先生と聞き及びます。その素晴らしい講演を拝聴したこともあります。誤解のなきよう。田中博士は健康上の理由があるというから、枝葉の部分ではあるいは、お互いに直接会うことがないことから生じる行き違いもあるでせう。
始めの件は、ぐだぐだな言い合いになりそうなので、前にも書いたとおり、これ以上の意見は申しません。--Kokokugoji 2007年6月29日 (金) 17:32 (UTC)[返信]
松浦・新田両教授の見識・人格については疑いを持つものでは有りません。無論、田中名誉教授についても、です。よってKokokugoji殿の御懸念は私に関する限りにおいて無用であることを言明しておきます。ただ、mattamatta殿の如く松浦教授の本一つをとりあげて…といふのは客観性に全く欠けると思うと言うことです。最初の件については、あくまで田中名誉教授の主張が持つ重さと、その影響をなるべく短く簡潔に表現するために適切であると認めたのみであります。--前図書頭 2007年6月29日 (金) 18:32 (UTC)[返信]

「人物に関する記述」について[編集]

「人物に関する記述」のテンプレートを貼り付けておられますが、何が問題なのでしょうか。ご説明くださいませ。--善導大師 2007年7月29日 (日) 13:54 (UTC)[返信]

  • 特別問題とする必要はないかと思います。田中博士は存命中の研究者としては珍しく評伝も充実していますし、それゆえ特に中立性には留意せねばなりませんから、かかるテンプレートの存在は無意味とは考えません。よって、テンプレートを付けたのは私ではありませんが、外す必要は無いかと考えます。--前図書頭 2007年7月29日 (日) 14:28 (UTC)[返信]
  • ただし、テンプレートを付けた方からの説明が得られず、善導大師殿がこれを削除した方が良いとお考えなら、それも良いかと思います。テンプレートの添付について、私は消極的な容認意見を表明したに過ぎないとお考え下さい。--前図書頭 2007年7月30日 (月) 23:42 (UTC)[返信]