ノート:祭祀 (神道)

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祭祀・お祭りとは節の序文について[編集]

記事の重み付けからみれば神宮祭祀が「日本の神道の祭祀とは…妥当である」であることに異論は無いですが、改めて宣言してしまうと神宮祭祀以外の諸社祭祀・家庭祭祀が例外的存在のようになり、中立性を損ねるように思います。無くても不自然になるとも思えないので祭祀・お祭りとは節のを序文的な文節を除去したいと思いますが、いかがでしょうか。--茂林寺たぬき会話2018年3月6日 (火) 12:31 (UTC)[返信]

検証可能性は満たしているので、家庭祭祀の節を作るなどして中立性を作って頂いた方がいいと思います。重要な神社は書籍・論文も多く発行されていると思いますし、辺鄙な神社はそうではありません。そういう意味で、神宮祭祀への言及はWikipedia:中立的な観点#釣り合いのとれた重みづけに従っていると思います。
どのように中立的な観点がとれていないのか、検証可能な出典を示してくださいということです。そういうものがあれば、釣り合いのとれた重みづけがしやすいということです。--タバコはマーダー会話2018年3月7日 (水) 06:44 (UTC)[返信]
教派神道や両部神道などの諸派を網羅した鎌田東二『神道用語の基礎知識』、神道指令後の神道を意識して書かれたと思われる真弓常忠『神道祭祀』の2冊の書籍を例としますと、どちらの本も祭祀の総論部分のさわりではマツリの語源や神事行為の一般的な流れなどを説明していますが、「伊勢神宮と属する諸々の神社」といった法人を出さずに説明しており、総論の後半部で神宮祭祀にクローズしていく流れとなっています。翻って当記事の序文ですが、神社本庁が最大権威なのは私も疑いないのですが、神道指令以前の出典のせいか、いささか強調しすぎな気がします。マツリの語源、神霊・祖霊祭祀などの前置きを加えて、祭祀を説明するのに必要充分な程度に権威付けの表現を抑える方向で編集するのはいかがでしょうか。--茂林寺たぬき会話2018年3月8日 (木) 02:12 (UTC)[返信]
#収穫祭としての新嘗祭の出典資料には、中心的祭祀者があらわれる前の、部族的な状態の祭祀をはじまりとして書かれていたのです。各々の祭祀、民衆的なもの、起源といったことを書いてはいけないということはないのですが、一旦こういう風になっております。中心から書いたので他の部分が充足していないということです。Wikipedia:中立的な観点#中立的な観点とはの「相対的な勢力差を正確に示す」は反映されているものでしょう。来年実施される大嘗祭は国民行事かのようにまだ広く報道されていますし、「いささか強調しすぎ」というほどの社会変化があるとも思えません。他の部分の加筆が足りないということです。
教派神道#信者数を見ても267万人、おそらく同じ統計で人口では8000万人以上が神社本庁系(教派神道神宮教の発展継承)となり中心的だといえます。そういう意味で、「神社本庁が最大権威なのは私も疑いない」と仰られているのだと思います。私なんかは出身が仏教系でしたのでこういう説明がないとまったく分かりません。たぬき様が思っているほど自明ではないと思うので、消すというのがよく分からないのです。単に「マツリの語源、神霊・祖霊祭祀」などについて加筆していただいてはどうでしょうか。--タバコはマーダー会話2018年3月8日 (木) 03:55 (UTC)[返信]
「自明ではない」という意見について了解いたしました。加筆のみの編集で対応しタグは撤去しましたのでご見分ください。定義に「お祭り」が入っていたのでちょっとだけ言及してみましたが、記事名的にはあの程度の方が宜しいでしょうね。--茂林寺たぬき会話2018年3月10日 (土) 06:25 (UTC)[返信]
ありがとうございます。家庭祭祀も少し書いてみました。文献としては『家庭の祭祀事典 : 神棚と敬神行事』[1]このようなものもあるみたいですね。-タバコはマーダー会話2018年3月10日 (土) 08:06 (UTC)[返信]