ノート:稲田大二郎

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谷田部高速周回路での事故に関して[編集]

僕も見た事のあるお話ですが、あくまでも噂の域を出ていない内容だと思います。サンプロス側も公表していないことですし、コメントアウト部分も外した方が宜しいかと思われますが如何でしょうか? --Valbarossa 2008年2月3日 (日) 16:08 (UTC)[返信]

コメントアウト部分の経緯ですが、当時Option本誌、Option2本誌やビデオOptionでも追悼企画が組まれていたので隠されていた訳ではないようです。しかし、死亡事故を起こした際の車両の状態や原因が未だはっきりしていないので、マサ・サイトー氏が死亡したという事実だけの記述で良いのでは?と思います。--222.231.66.232 2008年12月18日 (木) 08:22 (UTC)[返信]

ボンネビルスピードウェイに関して[編集]

1991年のボンネビルスピードウェイの記録に関してですが,果たしてこれは本当に稲田大二郎氏の記録ですか? 私が疑問に思った根拠は(取り敢えず)以下3点.

  1. JUNのサイトに"記録:419.84km/h,ドライバー:小山進"の記述がある.JUN DEMONSTRATION CARS - JUN-BLITZ BONNEVILLE Z32
  2. 1999年時点でのボンビネルの記録一覧ページに"E/BMS Blitz Jun Auto-A S. Koyama ‘91 260.809"の記述がある.Bonneville National Car Record Holders
  3. ボンネビルの記録一覧に"E Blitz Jun Auto-A S. Koyama 08/91 260.809"の記述がある.SCTA - 2010 Certified Records - Cat D

260.809mphは計算すると419.731399km/hであり,JUNのサイトにある419.84km/h(260.876481mph)とは一致しませんが,誤差の範囲程度でさして問題ではないでしょう.3.についてはE/BGMSに記録がありますが,en:JUNの記述によればE/BGMSはE/BMSから名称変更になったもののようなのでこちらも問題はありません.

また,ボンネビルの記録一覧から稲田氏の記録を探しましたが,以下のものしか出てきませんでした.

  • F/BGCC Jun Auto-Greddy-Skyline D. Inada 08/97 233.217

これらを勘案すると,ボンネビルでの記録は稲田氏のものではなく,小山氏のものではないのでしょうか.

本文中には"『Option』や『Video Option』で発表された形としては、1991年にアメリカの~"との記述がありますが,果たしていつのOptionやVideo Optionで,どのように紹介されていたのか知りたいところであります.

明確な出展等得られないのであれば,ボンネビルの記録ページを元に,本文を適切に変更する必要があるかと思われます. --komodo 2011年7月27日 (水) 04:15 (UTC)[返信]

[1]JDMオプション内、Daiちゃんコラムで420km/hぐらい出したけどエンジンブローしたみたいな事は書かれてますね。ただこのコラムには421km/hって書かれてるけど419km/hがレコードになってるしなぁ… ボンネの計測方法(一定区間の平均)とOptの計測方法(瞬間最高速)で色々食い違ってる可能性はありそう。あとは初版書いた私もリアルタイム世代じゃないので間違った可能性も否定はしませんが…。--Myhr 2011年7月27日 (水) 05:14 (UTC)[返信]

JUNとボンネビルのサイトばっかでOPTIONの方は調査不足でしたね.JDM OPTIONも調べておくべきでした.
ボンネビルの記録とJDM OPTIONのそのコラムを見ると,
  • 1991年のボンネビルでE/BMS(現E/BGMS)でJUN AUTOの小山氏が公式260.809mph(OPTION計測421km/h)の新記録を達成.
  • 稲田氏も挑戦するが,420km/hくらいでエンジンブローし,記録更新ならず.
というような経緯かと思われます.そうなると,今の"1991年にアメリカのボンネビルスピードウェイにて、"から"ワールドレコードを記録している。"までの記述は書き換えた方がいいのかなと思いますが如何でしょうか.--komodo 2011年7月27日 (水) 07:28 (UTC)[返信]