ノート:立春

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2005年10月27日 (木) 20:07の版で書かれているのは、中国の気温と日本の気温に1ヶ月の差があるという話であって、西洋と東洋の春の区切りの違いの話ではないと思います。221.190.142.18 2006年1月17日 (火) 14:38 (UTC)[返信]

同意します(というか、あの文を書いたのはたしか私ですが)。二十四節気にも同様のことが最近書かれましたが、これも論点が少しずれているように感じます。nnh 2006年1月17日 (火) 14:48 (UTC)[返信]

『中国の気温と日本の気温に1ヶ月の差がある』とはどういう意味でしょうか。中国も日本も北半球にありますから、気温に?℃くらいの差がある、ということならわかりますが、季節の経回りには違いはないはずですが。緯度や標高による『気候の違い』と『季節の変化』を混同されているのではないでしょうか。--210.253.253.93 2006年1月17日 (火) 16:18 (UTC)[返信]

わかりにくく書いて申し訳ありません。正確に書けば、気候変化の仕方に1ヶ月の差があるということです。二十四節気と日本の気候のずれについては他の百科事典にも記載されています。日本では1月下旬から2月にかけて平均気温が一番下がる時期ですが、中国の華北では1月半ばに平均気温が最低になって2月の平均気温は1月よりも高くなっています。また2月の平均気温は12月よりも高いので、12月から1月への下がりよりも1月から2月への上がり方のほうが早いのです。[1]のようなサイトもご参照ください。221.190.142.18 2006年1月17日 (火) 17:40 (UTC)[返信]

見てきました。確かに夏至から立秋にかけてのピークは1ヶ月くらいずれているように見えますね。しかし、冬至から立春にかけてのボトムはずれていません。土地土地による気候の違いと季節の変化とを混同されているものと考えます。--210.253.252.85 2006年1月17日 (火) 19:39 (UTC)[返信]

混同しているのではなく、異なるものと考えているのです。210.253.252.85さんのいう『季節』とは経回りとするのですから、立春から立夏の前日までを「春」とするというものですよね。その規定であれば日本と中国はおろか世界中で同じです。しかし、その規定が作られたのは中国の『気候』(大陸性気候)をもとにして作られているということです。そのサイトの図からも分かるように、日本の気候は2月にはほとんど上昇せず、3月になって12月の平均気温まで戻ります。一方で中国では1月下旬の段階で12月の気温に戻っています。つまり、中国では立春の時に気温が急上昇している時であるのに対し、日本ではそうではありません。ですから、日本ではニュースなどで立春を「暦のうえでは春」と紹介しているのであって、日本人が肌で感じられる気温の変化や植物の生長などから観察できる「春」とは異なるということです。221.190.142.18 2006年1月18日 (水) 02:23 (UTC)[返信]

『春』をどこからどこまでとするかは世界中で同一である必要などありません。東洋では『立春から立夏まで』を『春』と考え、西洋では『春分から夏至まで』を『春』と考えているというだけのことです。 図をもっとよく見てください。日本の気温でも立春の頃寒さがピークに達していますね。『寒さがピークに達したとき、つまり寒さが緩み始めるとき』が『立春』なのですから、全くずれていません。『温かく感じられるようになったとき』を『立春』とすべきだと考えているから、ずれがあると感じてしまうのです。世の『権威ある』百科事典の執筆者も、『立春』の意味を勘違いしているのでしょう。--210.253.253.93 2006年1月18日 (水) 04:14 (UTC)[返信]

論点がずれています。「春」が世界中同一だとはいっていません。「立春から立夏まで」がどこでも同じだということです。「立春」は『太陽が視黄経315°を通過する日』であって、暑さ寒さとは関係ありません。日本だろうが中国だろうが西洋だろうが同じです。しかし、その名称を「立春」とすることが中国中原の気候にもとづいていると言っているのです。ちなみに二十四節気上でいう寒さのピークは大寒であって立春ではありません。221.190.142.18 2006年1月18日 (水) 05:05 (UTC)[返信]

わけがわかりません。論点をどんどんすりかえているのは 221.190.142.18 さんの方ではありませんか?  大寒は寒さのピークではなく、立春がピークであり、春のスタートです。それが東洋の『春』なのです。それが理解できない限り、どこまでいっても議論は噛み合いませんね。--210.253.253.93 2006年1月18日 (水) 06:01 (UTC)[返信]

まず定義から整理してください。「立春」は「太陽が黄経315°を通過する日」、「大寒」は「太陽が黄経300°を通過する日」です。これが大前提です。「大寒は寒さのピークではなく、立春がピーク」なのは日本の気候でそうだということであって、中国の気候ではそうではなく、大寒頃が寒さのピークで、立春は気温上昇中の頃です。にもかかわらず、両国ともに立春を「春のスタート」とするのは同じなので、ずれが生じるという話です。221.190.142.18 2006年1月18日 (水) 06:23 (UTC)[返信]

221.190.142.18 さんは、『日本人が肌で感じられる気温の変化や植物の生長などから観察できる「春」とは異なるということです。』と言ってみたり、『「立春」は『太陽が視黄経315°を通過する日』であって、暑さ寒さとは関係ありません。』といってみたり、論理に全く一貫性がありません。私は『寒さがピークに達したとき、つまり寒さが緩み始めるときが『立春』だと一貫して主張しているだけです。図を見ても、寒さのピークは中国(の1都市に過ぎない)も日本も一致しています。--210.253.253.93 2006年1月18日 (水) 06:37 (UTC)[返信]

私としては一貫した論理を持っているのですが…。もう一度、言いますと、『立春』の定義は「太陽が視黄経315°を通過する日」です。これ以外の何者でもありません。立春は日時であって気温とは関係がありません。ですから、表は寒さのピークから見比べるのではなく、「太陽が視黄経315°を通過する日」つまり今年であれば2月4日という特定の日を比べて見てください(線が引いてありますよね)。そうすると中国では寒さのピークを過ぎてかなり気温が上昇していることが分かると思います。一方で『春』には二つの定義があり、「立春から始まる暦上の『春』」と「肌で感じられる『春』」です。中国の華北ではこの二つの春が大体一致するけれども、日本では一致せず、気温の上昇が「肌で感じられるような『春』」が中国よりも遅くやってくるということです。221.190.142.18 2006年1月18日 (水) 07:21 (UTC)[返信]

文献の提示[編集]

第三者です。それぞれの自説を展開されてもお互い納得されないでしょうから、然るべき文献を具体的に提示されてはいかがでしょうか?--Dojo 2006年1月18日 (水) 06:46 (UTC)[返信]

そうですね。私は下記によっています。残念ながら古代の文献ではありませんが...

鈴木敬信『天体観測ハンドブック』(誠文堂新光社 1965年)

--210.253.253.93 2006年1月18日 (水) 07:21 (UTC)[返信]

私はすでに提示しているのですが…。なぜずれる? 二十四節気と季節感などが参考になるでしょう。それから平凡社『世界大百科事典』二十四節気の項といった百科事典にも書かれています。--221.190.142.18(履歴より署名補完--Dojo 2006年1月18日 (水) 07:42 (UTC)[返信]

他の文献を比較検討されることも有意義ではないかと思われます。各々の意見が多数の文献にて支持されているようなら、落としどころとしては両論併記が現実的ではないかという印象があります。--Dojo 2006年1月18日 (水) 07:42 (UTC)[返信]

221.190.142.18 さんは、『『春』には二つの定義があり、「立春から始まる暦上の『春』」と「肌で感じられる『春』」です。』と言われます。個人的に『春』にこのような二重定義をしても何ら問題ではありませんが、それをもとにして議論しようとするから噛み合わないのです。東洋の『春』の定義は『立春から立夏まで』であり、肌に温かく感じられる季節のことではありません。 立春を過ぎたばかりの寒いときも含めて『春』なのであり、それが東洋の季節感なのです。--210.253.252.240 2006年1月18日 (水) 09:58 (UTC)[返信]

それは210.253.252.240さんも同じことです。暦上の春(立春から立夏の前日まで)と我々が感じる春の2種類があることを認めていただけないかぎり、議論は平行線でしょう。みなさんに春はいつから始まると思うかアンケートでもしますか?221.190.142.18 2006年1月18日 (水) 10:19 (UTC)[返信]
ついでに言えば、西洋でもAstronomical Spring(天文学上の春、春分から夏至)とMeteorological Spring(気象学上の春)として区別されています。221.190.142.18 2006年1月18日 (水) 10:47 (UTC)[返信]

221.190.142.18 さんは、常に論点をずらしてくるんですね。私は『個人的に『春』にこのような二重定義をしても何ら問題ではありません』と申し上げています。いつ春が始まるかは、個人個人それぞれの思い出などとも絡んで、いろいろな考えがあるのは当然のことです。しかし、ここで議論しているのは、そうした個人的な感覚のことではなく、あくまで二十四節気に表現されている季節感のことです。--210.253.252.116 2006年1月18日 (水) 12:33 (UTC)[返信]

「二十四節気に表現されている季節感」でしたら、中国の中原の気候が反映されていると何度も申し上げているのですが。何が問題なのでしょう?221.190.142.18 2006年1月18日 (水) 13:01 (UTC)[返信]

どう収拾すべきでしょう[編集]

2005年10月27日 (木) 20:07の版が正しいとして参照サイトを挙げつつ説明してきましたが、なかなか意見がかみ合わないようです。2人では収拾がつかないですから、他の方はどうお考えなのか、たくさんの方に意見を述べていただけるとありがたいのですが。221.190.142.18 2006年1月18日 (水) 14:38 (UTC)[返信]

Dojo さんが「両論併記が現実的ではないかと」とおっしゃっているのですから、それでいいのではありませんか。221.190.142.18 さんが、「2005年10月27日 (木) 20:07の版が正しい」とされる論拠も、それほど確たるものではないように思えますよ。--219.101.175.66 2006年1月19日 (木) 03:39 (UTC)[返信]

勝手に『春』に二通りの定義をして、個人的な感覚を押し付けているだけの 221.190.142.18 さんは分が悪いですね。何せ「文献」が個人HPですし、 百科事典なんてのは、昔から眉にツバ付けて読むものですよ。 一方、10.253.252.240 さんの論旨は首尾一貫して明快だし、説得力があります。 古典文学でも、立春を過ぎれば初春として扱われているんじゃないですか。 現在の版の内容で正しいと思います。--210.251.16.181 2006年1月19日 (木) 12:39 (UTC)[返信]

Dojoです。要約すれば以下の二つの主張に分かれると思いますが、よろしいでしょうか?

  • 「中国の気温と日本の気温に1ヶ月の差がある」
  • 「寒さがピークに達したとき、つまり寒さが緩み始めるときが『立春』」

前者は人伝えに聞いた記憶があり、後者は中学・高校時代に古典の先生から聞きました(具体的な文献を提示しろと言った本人なのに、根拠が伝聞で申し訳ありません)。つまり、いずれの主張もある程度の市民権を得たものだともいえます。したがって、上でも述べたように、各々の主張が複数の然るべき文献にて確認できるようなら、両論併記が妥当ではないでしょうか?なお、主張者の論理展開の巧拙で主張そのものの正否を判断するのは如何なものかと思います。

この議論用の捨てハンで結構ですから、ログインなさることをお勧めします。IPの署名をずらずら並べられても第三者には議論の流れが掴みにくいですし、また可変IPですと同一性が確認しづらくなります。--Dojo 2006年1月19日 (木) 14:10 (UTC)[返信]

Dojo さんへ

まず要旨が舌足らずだと思います。

  1. A氏説「中国の気候と日本の気候にはおよそ1ヶ月の差があるので、日本では二十四節気の季節感にずれがある」
  2. B氏説「寒さがピークに達したとき、つまり寒さが緩み始めるときが立春である。実際の気温変化と一致しており、日本においても二十四節気の季節感にずれはない」

B氏説は、B氏自ら挙げられている文献の他、同じ鈴木敬信氏の著作ではありますが、1935年発行(1969年再刊)の「暦と迷信」にも詳しく述べられており、古典文学における季節感とも合致しています。

一方、A氏説は個人HPに書かれた現在の中国の1都市における気温データや眉ツバ百科事典に基ずくものであり、Dojo さんも人伝に聞いたことがある程度とのこと。やはり、「春とは温かい季節」という西洋風の季節感から来る思い込みだとするB氏の指摘は当っていると思います。

しかしだからといって、両論併記に反対するものではありませんが、「B氏説の方が有力であるが、A氏のような説もある」というような表現が妥当ではないかと考えます。--219.99.96.84 2006年1月21日 (土) 04:20 (UTC)[返信]

要旨の補充をしていただいたようでありがとうございます。現状からは219.99.96.84氏が例示されたような「扱いに差を設けた両論併記」がベターではないかという印象を受けますが、いずれの説も参考文献の追加が望まれます。A氏説に関しては「筆者が特定できる著作を複数」、B氏説に関しては「鈴木敬信氏以外の著作」を挙げられると非常に説得力を持つように思います。--Dojo 2006年1月21日 (土) 06:58 (UTC)[返信]

A氏説を積極的に支持する声は聞こえてきませんから、B氏説に基づく現在の版のままでよいのではないでしょうか。A氏説を裏付けるまともな文献が見つかったときに両論併記に改めても遅くはないと思います。--210.251.11.16 2006年1月22日 (日) 12:45 (UTC)[返信]

反対です。一般百科事典への掲載は信用性の担保としては弱いかもしれませんが、世間の認知度という点では評価できます。B氏説が絶対的に正しいと仮定したとしても、A氏説はその認知度ゆえに「俗説」「よくある間違い」的な扱いで掲載されるべきでしょう。「差を設けた両論併記にすべき」という提案はかような意図によるものです。もっとも、B氏説の根拠として「鈴木敬信氏以外の著作」が提示されていない段階では、B氏説を積極的に支持することもできません。
蛇足。可変IPユーザーが入り乱れていますから、多数決的な解決策はいただけません。--Dojo 2006年1月22日 (日) 13:28 (UTC)[返信]

21日に「差を設けた両論併記にすべき」という提案をさせていただいた者ですが、私も本音を言えば 210.251.11.16 さんのご意見に近いです。枕草子の三段の「七日、雪間の若菜つみ」には普通「1月7日は雪の間から顔を見せている春の若菜を摘む日である」という現代語訳が付されているように、(旧暦)1月は間違いなく春であるととらえるのがごく一般的な解釈であり、日本においては春が遅れてやってくるというような記述は見られません。つまり、B氏説はほとんど自明のことであって、A氏説のような解釈があること自体、多くの人にとっては「想定外」ですから、それを裏付けるようなことがわざわざ書いてある書物が Dojo さんをも納得させられるほどいくつも見つかるとは思えません。Dojo さんはA氏説にも認知度があるとお考えのようですが、少なくとも私はこれまで聞いたこともありませんでした。そういう意味で、単純な両論併記でなく、(A氏説は)『「俗説」「よくある間違い」的な扱いで掲載されるべきでしょう』というご意見に改めて賛同するものであります。--219.99.96.17 2006年1月22日 (日) 14:36 (UTC)[返信]

221.190.142.18(A氏説)です。Dojoさんの意見に従い、ログインしてみました。中国中原の気候変化を反映した二十四節気と日本の季節感にはずれがあるという主張は昔からあってめずらしいものではありません。図書館に行ってざっと見てきたところ、
  • 内田正男『暦のはなし十二カ月』(雄山閣、2004年)「立春」p.57~p.58
  • 岡田芳朗・阿久根末忠『現代こよみ読み解き事典』(柏書房、1993年)「二十四節気の由来」p.29
  • 『日本を知る事典』(社会思想社、1971年)「暦と年中行事」p.483
がありました。気象統計を取り寄せて、中原(黄河中下流域)と日本において平均気温が上昇に転じる日を比べてみれば確実なんでしょうけども。なお何度も申し上げているのですが、東洋の春と西洋の春が異なることはあたりまえのことですし、立春から立夏の前日までを春とすることに何の異論もありません。私は2005年10月27日 (木) 20:07の版が削除されたことと、西洋と東洋の春の違いを削除の理由にすることに反対しているだけであって、古典文学に見られる春は当然、二十四節気の春です(『万葉集』は7世紀後半の中国の暦が浸透する時期のものなので、それまでの自然暦を反映した春と中国暦の春が混在しているとの主張を見た覚えがあります。今度調べてみます)。2005年10月27日 (木) 20:07の版で「実際の春」という記述が引っかかるのなら、「日本の気候変化」とでも直せばいいのではないでしょうか。Cholgi 2006年1月23日 (月) 13:51 (UTC)[返信]

CholgiさんがA説を根拠づける「筆者が特定できる著作を複数」提示されたため、A説は相当程度の認知度があるものと判断します。したがって、「一方の説を明確に否定する複数の文献」が提示されない限り、A・B両説を対等な両論併記とすることを提案いたします。--Dojo 2006年1月28日 (土) 10:34 (UTC)[返信]

反対! Cholgi さんて、何言ってるのか、さっぱりわからない。この人、論理ってものがわかってるの?

http://hotwired.goo.ne.jp/nwt/051220/ を見よ。

Wikipediaはブリタニカと同等に正確?

主張1:間違ったことを真実だと固く信じて投稿している素人に、間違いだと納得させることは至難の技だ。

主張2:所詮オタクの落書きノート。本文は余所のページからの無断転載が多い。どこかの識者は、日本のWikipediaはカルト分野だけは詳しいと嘲笑っていたらしい。 Wikipediaに投稿する事が生きがいで、それがステータスだと勘違いしているウィキペディアンと言う存在自体も問題。特に過去の朝鮮戦争等、日朝関係問題の書き換え合戦をはじめとした、ウリナラが有利になるように記事を書き換えてしまうウリペディアンが多数存在するなどの要因で、百科事典としての信頼性は皆無。

なげかわしい! Dojoさん、そういうことなんですよ。わかっていただけませんか?

賛成。Cholgi さんの主張はコロコロ変わって信頼性ゼロ! こんな主張は排除すべし!--210.251.9.231 2006年2月6日 (月) 15:40 (UTC)[返信]

Cholgi さんのような主観的で根拠の無い主張は排除すべきです--219.99.96.48 2006年2月6日 (月) 15:45 (UTC)[返信]

Dojoです。私自身「B説が正しくA説はよくある間違い」という認識だったのですが、CholgiさんがA説を裏付ける複数の資料を提示されたため、どちらかが正しくどちらかが誤りとも判断できず困っていたところです。何度も書いていますが、私のスタンスは以下の通りです。
  1. 主張者の論理展開の巧拙ではなく、信頼するに足る文献に言及されているかという点に重きを置く。
  2. 一方の説を明確に否定する文献がない限りは、両説ともニュートラルに扱う。
  3. 仮に一方の説が誤りであることが判明しても、両説とも相当の認知度を有す(複数の文献にて言及あり)ことから併記する。
素人の私がこれ以上口出しをしても、かえって混乱を招くだけかもしれませんね‥‥。--Dojo 2006年2月6日 (月) 16:14 (UTC)[返信]

現在の版の内容で正しいと思います。--210.253.252.222 2006年2月11日 (土) 15:53 (UTC)[返信]

上記お三方は具体的にご意見を述べていただけるようお願いします。現状ではA説を排除するだけの説得力があるとは思えません。--Dojo 2006年2月11日 (土) 17:14 (UTC)[返信]

Dojo さん、あなたこそご自身の意見が何もないなら、もう出てこなくていいですよ。誰もあなたに行司役など期待しておりません。『私のスタンス』をお持ちになるのは Dojo さんの勝手ですが、それをこんなところで他人にまで押し付けないでください。--210.253.252.120 2006年2月12日 (日) 00:32 (UTC)[返信]

Dojoさんは単に裏付ける資料を提示されることを求めていらっしゃるだけです。なぜそのように攻撃的な発言をされるのでしょうか。ご自分で「主観的で根拠のない主張は排除すべき」とおっしゃるなら、ご自分の主張が独りよがりでない証拠を提示されればよいだけのことです。
天文学的な季節と自然季節(気候学的な季節)の区別をご存じないようですが、そもそもの間違いはこの両者を混同されていることです。天文学的な季節は、地球と太陽の関係(黄道における太陽の位置)のみによって区分されたものであるので、その区分規定を受け入れさえすれば世界中どこへいっても変わりませんが、自然季節は地球と太陽の関係のほか大気(気団)と陸や海との関係も関わり、各地によって異なります。東洋では視黄経315°から45°までを、つまり「立春から立夏まで」を春とし、西洋では0°~90°まで、「春分から夏至」までを春とするのは天文学的な季節による説明であり、「寒さがピークに達したとき、つまり寒さが緩み始めるとき」や「春は暖かいものという思いこみ」というように寒暖や気候変化を扱うのは自然季節による説明です。各論説それ自体には間違いはありませんが、両者は別次元の論説であって、一方で一方を定義できるものではないし、また一方の定義で、もう一方の定義を否定することもできません。両者は違う論理から成り立っており、それを組み合わせることに問題があるのです。Cholgi 2006年2月12日 (日) 06:37 (UTC)[返信]

en:spring (season)においても「……天文学上では春分から夏至までとされているが、……気象学上では3月・4月・5月とされている」とありますね。気候とは独立した定義をもって「東洋と西洋では季節感が異なる」と結論付けるのは早計ではないでしょうか。--Tuny 2007年1月4日 (木) 11:51 (UTC)[返信]

私はCholgiさんの言っていることが筋が通っているように思えます。おっしゃるとおり、「暦の上の春」というのは中国から輸入した文化上での春でしょうし。文化というのはその民族の嗜好や気分が影響するわけですから、どちらが正しいと言うものでもないし。主観的な区分ですね。天文学上の四季は、もちろんある数字を元にした客観的な区分といえるのです。主観的なものと客観的なもののどちらが正しいという判断をしようとすること事態間違っていますね。ぽくぽく 2007年2月17日 (土) 14:25 (UTC)[返信]

Cholgiさんが書かれていることが正しいと思います。二十四節気の春夏秋冬(伝統的な東洋の春夏秋冬、暦の上の春夏秋冬)は、寒暖によって区別しているのではありません。太陽黄経で説明してあるものが多いようですが、より一般的な言葉で説明すれば、太陽高度の高低や日照時間の長短(昼夜の長短)で説明できます。日照時間の長いのが夏、短いのが冬、長くも短くもないのが春と秋です。二十四節気の季節と体で感じる季節にずれが生じるのは、日照の長短のピークと寒暖のピークに1ヶ月~1ヵ月半のずれがあるからです。地球上に1年サイクルの寒暖の変化があるのは、日照に1年サイクルの変化があるからで、最も重要な寒暖変化の要因に着目した、極めて客観的な季節区分方法だと思います。既に、一部の項目に、日照時間の長短で季節を区分していることを書きましたが、この観点からの記述を徐々に増やしていきたいと思います。--OKG 2008年6月20日 (金) 05:18 (UTC)[返信]

すみません。日照時間の定義を勘違いしていました。「日照時間の長短」は「昼夜の長短」に読み替えてください。--OKG 2008年6月30日 (月) 15:41 (UTC)[返信]

現在の問題点[編集]

「○○であろう」とか「○○と考えれば納得がいくとか」そういう個人的な主観と、客観的な論文とが入り混じった記事となっています。個人的な主観は残念ながらウィキペディアには掲載することができません。二十四節気に詳しい方がおりましたら、ぜひとも改善をお願いします。--Newtype 2008年2月6日 (水) 13:30 (UTC)[返信]

自分で編集しましたので、何かありましたらお知らせください。--Newtype 2008年2月6日 (水) 13:54 (UTC)[返信]

年内立春の歌[編集]

『一年(ひととせ)を』の部分は、立春の日に過去一年間をふり返っていると解釈したほうがしっくりきます。
「年が明けないうちに立春が来てしまった。昨日までの一年間を去年と言おうか、今年と言おうか」 いかがでしょうか?--61.207.250.36 2008年2月7日 (木) 05:30 (UTC)[返信]