ノート:笠松口駅

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笠松駅の変遷[編集]

ノート:笠松駅にも書きましたが、『笠松駅(初代)を尾張街道沿いに移転(笠松駅 (2代)開業)』が、1916年9月22日とされましたが、『官報』2751号(1921年10月1日)の彙報 通運欄「地方鉄道停車場移転並停留場設置」(国立国会図書館デジタル化資料)によると、「美濃電気軌道株式会社所属 笠松停車場ヲ移転シ 八剣 笠松(注:竹鼻鉄道の元の初代 新笠松)間ニ 笠松口停車場ヲ設置シ 去月二十一日ヨリ営業開始」とあり、笠松駅(初代)の移転は1921年9月21日で、移転と同時に笠松口駅(2代)になっているようです。また官報同号同欄「地方鉄道停車場名称変更」(国立国会図書館デジタル化資料)では、竹鼻鉄道の新笠松駅(初代)が、笠松駅(3代)に改称されたのも1921年9月21日とあります。---210a会話) 2013年5月16日 (木) 18:13 (UTC) 一部訂正 --210a会話2013年5月16日 (木) 18:23 (UTC)[返信]

コメント - 参考文献(渡利)によると
  • 「笠松 (2代)開業(1916年9月22日)」のソースは『美濃電気軌道株式会社 1916(大正5)年上半期 第14回報告書p5,7』
  • 「笠松(2代)→笠松口(2代)、新笠松(初代)→笠松(3代)の改名が1921年9月1日」のソースは『名古屋鉄道百年史 1994年6月13日 名古屋鉄道 p874』
だそうです。どうもこの部分は資料によってバラツキがあるようで…。とりあえず手元にある資料を見てみると
鉄道旅行地図帳(今尾)
  • 笠松口の開業、新笠松(初代)→笠松(2代)の改名が1921年9月21日
    • この部分に関しては官報準拠っぽいです。…なのに笠松(初代)の廃止は1921年9月1日。
    • 笠松(初代、なぜか笠松口(初代)※は未記載)が本線側に載ってるためか移転関係の説明なし。
名鉄の廃線を歩くほか(徳田、筆者は他の本にも同じ図を流用している)
  • 笠松口の開業、新笠松(初代)→笠松(2代)の改名が1921年9月1日
    • 『笠松(初代)が笠松口に改称し移転したという「説」がある』と記述されており、今尾同様に別扱いしている。
    • 笠松(初代、やはり笠松口(初代)※は未記載)の期間は1914年6月2日~1921年8月31日。
事象は異なりますが、官報に無い「1921年9月1日」に何か(廃止、移転、改名)があったということは各ソースで一致しています。恐らく百年史準拠だと思いますが。
個人的には『百年史』は同じ竹鼻線で「栄町駅の誤記(渡利氏と同じ鉄ピクにある白土貞夫『竹鼻鉄道「竹鼻駅」駅名異聞』)」が指摘されており微妙だと思うけれど、(閲覧できてませんが)渡利氏が挙げている『美濃電気軌道株式会社 1916(大正5)年上半期 第14回報告書』が虚偽とも思えないし…。こういう場合は両論併記ですかね。
  • ※こうして見ると笠松口(初代)→笠松(初代)の変遷が載ってない文献って結構あるのですが、渡利氏の記述では複数の出典がありますし、官報にも載ってました([1][2])。
  • (蛇足)“美濃電気軌道株式会社所属 笠松停車場”が「笠松(2代)」のことで、「新笠松(初代)→笠松(3代)」へ移ったことが(美濃電として新たに共同使用駅になるという意味での)“移転”と解釈すれば「1921年9月」までは一致することになるのですが、それだと「笠松(2代)→笠松口(2代)」を“設置”と表現するのは不自然ですね(あ、これが今尾・徳田にあった「別扱い」ってことか?聾石駅と旭前駅みたいな)。まぁ邪推しても独自研究になっちゃうので無意味ですが。--ButuCC+Mtp 2013年5月17日 (金) 08:19 (UTC)[返信]
すみません。『官報』2751号の「美濃電気軌道株式会社所属 笠松停車場ヲ移転シ 八剣 笠松間ニ 笠松口停車場ヲ設置シ 去月二十一日ヨリ営業開始」の解釈が誤っていました。『鉄道停車場一覧. 昭和9年12月15日現在』によると、笠松口駅の開業日が1921年9月21日、笠松駅の開業日が1914年6月2日になっています。つまり笠松駅(初代)を(竹鼻鉄道の笠松駅の位置に)移転して、八剣駅との間に笠松口駅を設置したということになっています。要は八剣 - 笠松間の移設であり、美濃電としては笠松駅の位置は変えたが名称は変えていない(竹鼻鉄道側が美濃電の駅名に合わせた)ようです。昭和10年版の『地方鉄道及軌道一覧』では広江 - 笠松間の開業日が1914年6月3日になっており(駅の開業日と1日違うのは謎ですが。ちなみに手持ちの平成18年度版の『鉄道要覧』でも竹鼻線の笠松 - 西笠松間の開業は1914年6月3日になっています)、新線の新規開業としていない点からもうかがえます。笠松駅(初代)→笠松口駅(2代)説では、確かに「設置」では不自然で、「改称」と表現されていなければなりませんね。 --210a会話2013年5月17日 (金) 18:59 (UTC)[返信]
ちょっと混乱してきたので以下に表にしました。コメントは後ほど。--ButuCC+Mtp 2013年5月19日 (日) 13:58 (UTC)[返信]
節を設けてトピックごとに議論できるようにしました。--ButuCC+Mtp 2013年5月19日 (日) 16:30 (UTC)[返信]

笠松駅・笠松口駅・新笠松駅の関係について[編集]

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『名鉄の印象』 百年史p.874 『鉄道地図帳』 『廃線を歩く』 『官報』 『停車場一覧』 『いろは』[3]
1914.06.02 開業:笠松口① 開業:笠松①
(竹鼻線笠松―西笠松間に掲載され、
本線には載っていない)
開業:笠松① 開業:笠松① 『558号』
開業:笠松口①
開業:笠松① 開業:笠松口
1916.02.01 改称:笠松口①笠松① 『1051号』
改称:笠松口①笠松①
1916.09.22 移転:笠松①笠松②
1921.06.25 開業:新笠松① 開業:新笠松① 開業:新笠松① 開業:新笠松①
1921.09.01 改称:笠松②笠松口②
改称:新笠松①笠松③
開業:笠松③笠松口②
改称:笠松①笠松口
(社史では同日に『路線変更』とあるが、
百年史p.874では移転に触れていない)

改称:新笠松①笠松②
廃止:笠松① 開業:笠松口
笠松①笠松口
移転改称した「説」あり)

改称:新笠松①笠松②
1921.09.21 開業:笠松口
改称:新笠松①笠松②
『2751号』
開業:笠松口②
移転:笠松①笠松②
改称:新笠松①笠松②
開業:笠松口

差異があるので便宜的にこの色をA駅、この色をC駅、この色をD駅として区別しています。なお、現・笠松駅(B駅)と東笠松駅(E駅)については特に疑義が無いので省きました。

初代笠松駅(A駅)[編集]

初代笠松駅について。

開業当初は「笠松口」だったのか
1914年開業なのは統一されており、1916年に笠松駅に改称された最初から笠松駅だったかの2説があります。とはいえ、現時点では「笠松口(初代)」だったで妥当かと思います。--ButuCC+Mtp 2013年5月19日 (日) 16:30 (UTC)[返信]
いつ移転・廃止されたか
①1916年移転説(名鉄の印象)、②1921年9月1日移転説(社史、廃線を歩く)、③1921年9月1日廃止説(地図帳)、④1921年9月21日移転説(官報)の4説に分かれます。こうしてみると会社側の主張は9月1日に変化があった(②)とし、社外の資料では9月21日としている(④)ことになりますね(③はその折衷か?)。①は笠松②が1916時点にあるという前提なので根本的に異なります。
個人的な都合を言えば「1921年9月」なら図を修正しなくて済むので両論併記でいいと思うのですが、①が問題です。--ButuCC+Mtp 2013年5月19日 (日) 16:30 (UTC)[返信]

最終的に笠松口駅として廃止された駅(C駅)[編集]

最終的に笠松口駅として廃止された駅について。

駅がいつから存在したのか
①1914年開業説(百年史)、②1916年移転説(名鉄の印象)、③1921年9月1日移転・改名説(社史、廃線を歩くの異説)、④1921年9月1日新設説(廃線を歩く)、⑤1921年9月21日新設説(地図帳、官報)の5説です。
①は百年史p.874の表記がイレギュラーなせいであってまずないです。ただ、社史の年表で「移転」と表現していた9月1日の出来事が百年史の年表だとなぜか無いです(代わりに9月22日に笠松駅駅舎が損壊したとかの情報(直接関係ないとしてちゃんと確認しませんでした…すみません)が追加されている)。移転したことを否定しているのでしょうか?
②の場合は1916年の時点で旧線が廃止され、八剣~C駅(笠松駅②)が敷設されたことになります。渡利氏によると、典拠の『第14回報告書』ではこの移設後の笠松駅②を美濃電笠松線の終点としているそうです。そして残る笠松③笠松口②間は1921年9月1日に開通したとしており、表にある文献の中で唯一開通時期を分割しています。
③~⑤は移転関係にあるかどうか、1日か21日かの違いだけで基本的には同じです。いずれも笠松駅②は存在せず、笠松口駅は途中駅として設置され、笠松口駅前後の区間は同時に開通したという主張です。ただ、駅ごとの開業日はともかくとして「区間」開通時期について明記されていない場合も多く、そこが若干疑問です。--ButuCC+Mtp 2013年5月19日 (日) 16:30 (UTC)[返信]

現・西笠松駅(D駅)[編集]

どこから移転したのか
現在の西笠松駅ですが、竹鼻鉄道の新笠松駅①として1921年6月25日に開業したという点は一致しています(官報も探せばおそらくあるでしょう)。笠松駅②(または③)が(やはり1日/21日問題がありますが)同年9月に美濃電との共同使用駅となったというのも統一されています。ただ、官報だけは笠松駅①が9月21日前日まで旧位置にあったことになっており、(美濃電視点で言えば)210aさんの仰るように「笠松駅の位置は変えたが名称は変えていない」ということになるのでしょう。--ButuCC+Mtp 2013年5月19日 (日) 16:30 (UTC)[返信]


その他[編集]

『地方鉄道及軌道一覧』の表についてですが、鉄ピクや関連文献にこれの引用と思われる表は度々出できます。ただ、「広江―笠松」が「広江―笠松口」になっているものも複数の文献で見かけており、ちょっと困惑します。ただ、この「笠松」「笠松口」はいずれもA駅のことを指したものであり、問題の区間(現笠松―西笠松間)がいつ頃建設されたのか語ってくれません。--ButuCC+Mtp 2013年5月19日 (日) 16:30 (UTC)[返信]

笠松駅・笠松口駅・新笠松駅の関係について(20140214)[編集]

私の会話ページより誘導されて参りました。先日国立公文書館にて閲覧した、当時の申請・認可書類を元に、笠松駅(笠松口駅・新笠松駅)に関する出来事を時系列順に並べると以下の通りとなります(新たに判明した事象を太字にて記します)。


  • 1914年(大正3年)6月2日 - 広江 - 笠松口(初代)間営業開始[1]
  • 1916年(大正5年)2月1日 - 笠松口駅(初代)を笠松駅(初代)へ改称届出
  • 1916年(大正5年)4月25日 - 笠松駅(初代)および末端区間(新岐阜起点3マイル40チェーン以降)の移設認可申請[2]
  • 1916年(大正5年)5月15日 - 上記申請認可[2]
  • 1916年(大正5年)9月22日 - 笠松駅位置および線路移転工事竣功届出[3]
  • 1916年(大正5年)10月1日 - 笠松駅(2代)使用開始届出[4]
  • 1920年(大正9年)10月25日 - 笠松駅(2代)および末端区間(新岐阜起点3マイル23チェーン以降)の移設、移転後の笠松駅(3代)を同3マイル67チェーン地点に設置し竹鼻鉄道線(当時未開業)との接続駅化、および同3マイル36チェーン地点への笠松口駅(2代)の新設に関する認可申請[5]
  • 1920年(大正9年)12月16日 - 上記申請認可[5]
  • 1921年(大正10年)6月10日 - 笠松駅(3代)地点における竹鼻鉄道線の新笠松仮駅の先行開業に関する認可申請[6][7]
  • 1921年(大正10年)6月16日 - 上記申請認可(仮駅使用期限は同年8月10日)[6][7]
  • 1921年(大正10年)6月25日 - 竹鼻鉄道線新笠松(仮) - 竹鼻間開通[8]
  • 1921年(大正10年)8月8日 - 新笠松仮駅の使用期限を9月20日へ延期する旨認可申請[9][10]
  • 1921年(大正10年)8月29日 - 上記申請認可[9][10]
  • 1921年(大正10年)9月19日 - 各工事竣功届出(同年9月21日付受理)[11][12]
  • 1921年(大正10年)9月21日 - 笠松駅(3代)移転・笠松口駅(2代)開業、前者を新笠松仮駅と統合し竹鼻鉄道線との共同使用駅として供用開始[12]
  • 1922年(大正11年)11月25日 - 竹鼻鉄道線新笠松仮駅廃止届出(同年11月29日受理)[13]
  1. ^ 本館-3B-014-00・平12運輸01889100 『鉄道免許・名古屋鉄道(元美濃電気軌道)1・明治45年~大正5年』 「14. 軽便線旅客運輸開始の件」
  2. ^ a b 本館-3B-014-00・平12運輸01889100 『鉄道免許・名古屋鉄道(元美濃電気軌道)1・明治45年~大正5年』 「45. 笠松停車場位置並線路変更の件」
  3. ^ 本館-3B-014-00・平12運輸01889100 『鉄道免許・名古屋鉄道(元美濃電気軌道)1・明治45年~大正5年』 「49. 工事竣功届」
  4. ^ 本館-3B-014-00・平12運輸01889100 『鉄道免許・名古屋鉄道(元美濃電気軌道)1・明治45年~大正5年』 「52. 笠松停車場新駅使用開始届」
  5. ^ a b 本館-3B-014-00・平12運輸01557100 『鉄道免許・名古屋鉄道(元美濃電気軌道)2・大正6~10年』 「26. 笠松線々路及工事方法変更の件」
  6. ^ a b 本館-3B-014-00・平12運輸01557100 『鉄道免許・名古屋鉄道(元美濃電気軌道)2・大正6~10年』 「42. 仮停車場設置の件認可」
  7. ^ a b 本館-3B-014-00・平12運輸01635100 『鉄道免許・竹鼻鉄道(名古屋鉄道)2・大正10年~昭和4年』 「8. 仮停車場設置の件」
  8. ^ 本館-3B-014-00・平12運輸01635100 『鉄道免許・竹鼻鉄道(名古屋鉄道)2・大正10年~昭和4年』 「9. 笠松、竹鼻間運輸営業開始の件」
  9. ^ a b 本館-3B-014-00・平12運輸01557100 『鉄道免許・名古屋鉄道(元美濃電気軌道)2・大正6~10年』 「46. 仮設停車場使用期限延期の件」
  10. ^ a b 本館-3B-014-00・平12運輸01635100 『鉄道免許・竹鼻鉄道(名古屋鉄道)2・大正10年~昭和4年』 「13. 仮設停車場使用期限延期の件」
  11. ^ 本館-3B-014-00・平12運輸01557100 『鉄道免許・名古屋鉄道(元美濃電気軌道)2・大正6~10年』 「51. 線路変更工事竣功届」
  12. ^ a b 本館-3B-014-00・平12運輸01635100 『鉄道免許・竹鼻鉄道(名古屋鉄道)2・大正10年~昭和4年』 「14. 共同使用停車場竣功の件」
  13. ^ 本館-3B-014-00・平12運輸01635100 『鉄道免許・竹鼻鉄道(名古屋鉄道)2・大正10年~昭和4年』 「21. 仮設新笠松停車場廃止の件」

上記の通り、笠松駅は2度の移転が行われており、また従来笠松駅(初代)とされた図中A駅は1度目の移転後の笠松駅(2代)を示すものである可能性が極めて高いことが判明しました。以下、順を追ってご説明申し上げます。

初代と2代目の笠松駅

1916年(大正5年)4月25日申請の『笠松停車場位置並線路変更の件』において、美濃電は移転理由を「現在の笠松駅は笠松町本街道と離れているため客貨輸送に不便であり、また将来的な路線延伸に際しても不便なため」と説明しています。この「笠松町本街道」とは、笠松地区の主要道路であった「鮎鮨街道」と通称される街道を指すものと推測され、「3マイル40チェーン付近より現在線を東方に移設し本街道へ近接させる」とした趣旨書の内容と、図中A駅および鮎鮨街道の位置関係は完全に符合します。仮に『岐阜駅から見た名鉄の印象』にある通り、この時点で図中C駅への移転が行われていたのだとすると、「東方に移設」「笠松町本街道へ近接させる」とした趣旨書との整合性が取れません。従って、『岐阜駅から見た名鉄の印象』における記述は、1度目の移転と2度目の移転を混同したことによる誤記と断定してよいでしょう。『美濃電気軌道株式会社 1916(大正5)年上半期 第14回報告書』との整合性に関しても問題ないものと思います。

初代笠松駅の詳細な位置は不明ですが、新経路への切り替え箇所である「3マイル40チェーン」が笠松駅付近の末端区間に相当することから、恐らく図中A駅の手前左カーブ部分を直進ないし右にカーブした位置に存在したのではないかと推定されます。また図中A駅手前の不自然とも感じる左急カーブは、この1度目の移転に際して設置された可能性が高いと思われます。

笠松口駅(2代)に関して

1920年(大正9年)10月25日申請の『笠松線々路及工事方法変更の件』において「(2度目の)笠松駅移転に際しては3マイル36チェーン地点に笠松口駅を開設して笠松町北部の乗客の便宜を図る」とあり、笠松駅(3代)は同(2代)の移転扱いで、笠松口駅(2代)は新設駅であることが明確に示されています。官報など別資料による両駅の開業日なども加味して、『名鉄の廃線を歩く』ほか掲載の「笠松駅(2代)が移転して笠松口駅(2代)となった」旨の記述は誤りと断定してよいでしょう。

3代目笠松駅と(仮)新笠松駅の関係

前掲『笠松線々路及工事方法変更の件』においては、笠松駅(2代)の移転理由を「竹鼻鉄道線開業の後は美濃電との連絡運輸により岐阜方面への客貨輸送の便を図ることが交通上必須である」「現在の笠松駅は位置不適当」とし、移転後の笠松駅(3代)を当時未開業であった竹鼻鉄道線との共同使用駅とすることを明確に謳っています。

しかし、翌1921年(大正10年)6月10日に美濃電および竹鼻鉄道によって申請された『鉄道仮停車場設置の件』において、笠松駅(3代)地点に竹鼻鉄道新笠松駅を仮駅として開設し、竹鼻鉄道線を先行開業させる旨申請が行われ、計画が変更されています。これは前述した美濃電側の線路移転に際して用地買収に手間取ったことなどにより工事が遅滞し、同時開業が困難となったことが理由とされています。この仮駅は当初同年8月10日までの使用認可を得ていましたが、土地収用難航に加えて同年の悪天候(多雨)の影響で美濃電側の工事がさらに遅滞したことを理由に、1921年(大正10年)8月8日に『仮設停車場使用期限延期の件』を申請して同年9月19日までの延長が認可されています。この申請に際しては、線路敷設予定地において美濃電と地主との土地買収交渉が難航し、結局土地収用法の適用を受けて鉄道用地収容認可を得るに至ったことが記されています(該当する官報「土地収用公告」)。

(仮)新笠松駅は1921年(大正10年)9月21日の笠松駅(3代)供用開始とともに発展解消的に廃止されましたが、その届出は『鉄道仮停車場設置の件』において「速やかに手続きする」旨誓約されていたにも関わらず、何故か1年以上も経過した1922年(大正11年)11月25日になってようやく廃止届『仮設新笠松停車場廃止の件』が提出されています。その間の事情は公文書から読み取ることはできませんでした。

なお、従来本設駅とされていた竹鼻鉄道新笠松駅(初代)が仮設駅であったこと、また統合から約1年後に廃止手続きが取られていたことが判明したことにより、笠松駅(3代、現・西笠松駅)の開業日が新笠松駅(初代)ではなく笠松駅(初代)のそれを継承している理由について説明が付けられたものと思います。

八剣 - 笠松(3代)間の新ルート切替日

『名古屋鉄道社史』『百年史』ほかが主張する9月1日説について、公文書からその可能性を読み取ることはできませんでした。当然のことながら美濃電・竹鼻鉄道両社の申請書類における日付はいずれも同一であり、「9月19日竣功」「9月21日供用開始」で統一されています。官報および公文書と事業者編纂資料、どちらを信用すべきかは判断の分かれるところでしょうが、個人的には9月21日説を主として、異説として9月1日説を紹介する形が望ましいのではないかと考えます。

9月1日説の可能性を探るとすれば、仮に八剣 - 笠松(2代)間の廃止および八剣 - 笠松口(2代)間の開通が9月1日に先行して未届のまま実施されていたとすると一応説明は付くと思います。笠松駅(2代)が笠松口駅(2代)となったという誤解を生じさせた根拠ともなりうると思いますが…個人的な憶測なので流してください。
終わりに

錯綜していた笠松駅周辺の路線変更および駅名改称に関する情報について、ある程度は整理できたのではないかと思います。ただし、初代笠松駅の場所など未だ明確でないことも多く、また時間の制約から今回目を通すことが叶わなかった関係公文書もまだ数多くあるため、いずれ再び調査する機会を作りたいと考えています。この調査結果が皆様の議論の一助となれば幸いです。--MaximusM4会話2014年2月14日 (金) 11:45 (UTC)[返信]

コメント - 詳細な調査ありがとうございます。上記の意見をもとに、図中年表の改訂案を下に示します。
図中年表改訂案
A1 A2 B C D※ E
1914/6/2 笠松口 (1)
1916/2/1 笠松 (1)
1916/10/1 移転 笠松 (2)
1921/6/25 新笠松
(仮,1)
1921/9/21 移転 笠松口 (2) 笠松 (3)
1922/11/25 廃止
1930/8/20
1930/9/5
1935/4/29 新笠松 (2) 東笠松
1935/8/1
1936/5/** 笠松 (4) 西笠松
1942/6/1 廃止
1943/3/1
2005/1/29 廃止
  • :新笠松駅(仮)と笠松駅 (3) は同位置
これで問題なければこの方向で図を修正しようと思います。位置が特定できていない図中A1駅(図中A駅=表中A2駅)については推定位置(あるいは未記載)とするつもりです。--ButuCC+Mtp 2014年2月15日 (土) 13:50 (UTC)[返信]
  • 賛成 異論ございません。A1駅(初代笠松駅)の表記など体裁につきましてはお任せいたします。--MaximusM4会話2014年2月15日 (土) 16:25 (UTC)[返信]
    • コメント - 賛同していただきありがとうございます。図の改訂後は本文中の年表(当ページおよび笠松・西笠松両駅、本線・竹鼻線年表)も修正することになると思いますが、その際はどのように明記すればよろしいでしょうか(ex.【本館-3B-014-00・平12運輸01889100 『鉄道免許・名古屋鉄道(元美濃電気軌道)1・明治45年~大正5年』 「14. 軽便線旅客運輸開始の件」】→【『鉄道免許・名古屋鉄道(元美濃電気軌道)1・明治45年~大正5年』 「14. 軽便線旅客運輸開始の件」】?)。--ButuCC+Mtp 2014年2月16日 (日) 07:21 (UTC)[返信]
      • 返信 “(作成部局名) 『(資料の題名)』 「(xx. 件名)」”でよろしいかと思います。前掲資料では、 『鉄道免許・名古屋鉄道(元美濃電気軌道)1・明治45年~大正5年』の作成部局が「鉄道院監督局」、『鉄道免許・名古屋鉄道(元美濃電気軌道)2・大正6~10年』および『鉄道免許・竹鼻鉄道(名古屋鉄道)2・大正10年~昭和4年』の作成部局が「鉄道院監督局・鉄道省監督局」です。なお、「本館~」は資料の請求番号(資料別に割り振られた一意の識別記号)ですので、省略しても構わないでしょう。--MaximusM4会話2014年2月16日 (日) 07:55 (UTC)[返信]
改訂後

報告 - 図の修正および関係記事の修正を行いました(とりあえず年表など最低限の修正ですが)。当初は元の図を更新しようかと考えていましたが、旧図を更新するとここでの議論上の記号(A駅とか)が訳わかんなくなりそう(各記事の過去版も同様)ですし、修正前後で内容がかなり異なっていることから、別の図として改めてアップロードしました。前述した理由により、旧図は削除しない予定です(コモンズ画像なのでここで言っても意味ないかもしれないけども)。--ButuCC+Mtp 2014年2月18日 (火) 13:02 (UTC)[返信]

  • コメント 作成大変お疲れ様でした。各駅の変遷が従来と比較してより分かりやすくなったように感じます。また仰る通り、過去の議論その他との整合性を鑑みれば別ファイルとして新規にアップロードされたのは正解だと思います。--MaximusM4会話2014年2月18日 (火) 14:56 (UTC)[返信]