ノート:筆坂秀世

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>隠し文字:有田氏は旧共産党員で、その問題点を熟知したジャーナリスト。日垣氏は当事者でも党関係者でもないが、ノンフィクションライターであり専門家。共産党要人の見解を載せているのだから、批判的第三者の共産党評を載せる事には意味がある。-->

>批判的第三者の共産党評を載せる事には意味がある。

外部リンクに第三者リンクは適さない。それは、認めれば増えすぎるためである。ここは“筆坂秀世セクハラ問題総合リンク集”ではない。外部リンクはあくまで【参考】であるため、必要最低限の一次情報にとどめるべきであると考える。その観点から、私の有田リンクを削除するのもありと思うため、非表示化した。--以上の署名のないコメントは、211.134.46.63会話/Whois)さんが 2006年6月4日 (日) 20:58 (UTC) に投稿したものです。[返信]

本ページは、たしかに「筆坂秀世セクハラ問題総合リンク集」ではない。しかし、筆坂氏を語る上で共産党の離党と、その後の著作による同党批判の問題は、極めて大きな部分である事は事実。ページ内でもこれらの問題に言及している以上、読者がそれらの事柄をさらに考える上で参考になる資料を外部リンクに添付する事は当然。
有田氏は旧共産党員で、同党が内包する問題を熟知したジャーナリスト。桧垣氏もジャーナリストだ。情報に精通していない一般人が気まぐれに感想を述べているわけではない。従って、そのようなジャーナリストの筆坂問題に関する記事が「増えすぎて困る」ほどあるとは考えられないし、事実、外部リンクに2つの記事をはって以降、同様のリンクが「増えすぎ」た事実はない。
外部リンクに共産党側の人物の主張のみを載せることを「必要最小限」の「参考」とするのは間違いだし、共産党側の見解だけを「必要最低限の一次情報」とするのも間違い。この場合、自分達に都合の悪い事は当然言及しないだろうし、筆坂問題を考える上では偏った内容だ。筆坂問題が内包する問題を、背景にまで迫って言及したジャーナリストによる、批判的記事は、そのような情報の偏りを是正する上でもむしろ資料価値が高い。--Kogane 2006年6月5日 (月) 00:01 (UTC)[返信]
「共産党側の人物の主張」では「偏った内容」になるという懸念は分かりますが、実際のところ「ジャーナリスト」や「第三者」なら中立的と限ったものではない、という点にも考慮は必要かと思います。リンクを載せておく場合、その人物のスタンスを注記するくらいのことはしておく方が良いと思います。はっきり言って、有田芳生も日垣隆も中立的な立場とは思えませんし。 -- NiKe 2006年6月5日 (月) 00:12 (UTC)[返信]
ご指摘の内容は良くわかります。ただ、有田、日垣両氏の見解が中立的立場だといっているのではありません。「第三者」が必ず中立だといっているわけでもありません。筆坂氏に対する共産党側の主張と、その主張と対極の位置にある意見を両方載せる事で、参考資料の提示としては、偏りが薄まるだろうということです。また両氏は同党に批判的ではありますが、共産党を巡る問題に精通しているジャーナリストであり、単なる感情論ではない情報の裏打ちがある。決して偏った考えの批判とする理由はないでしょう。その意味で、参考資料としての価値はあると考えます。--Kogane 2006年6月5日 (月) 00:41 (UTC)[返信]

西暦と年号の表記について[編集]

「和暦」は不要との編集をリバーとしたものです。理由は、西暦に合わせて年号の表示もあった方が便利だと思うからです。要・不要の判断は慎重にすべきです。また、もともとこのページの本文はすべて西暦、和暦(年号)併記で統一されていたので中途半端な表記にはなっていませんでした。西暦表示のみは関連書籍の刊行年だけで、これは一般の文章での引用文献の出典の表記、引用文献欄の記載などでは一般的な慣習です。--222.146.183.106 2008年6月25日 (水) 09:55 (UTC)[返信]

二次情報の充実を[編集]

例えば「筆坂は○○と主張している。」という文章の出典が筆坂本人の著作中の主張であってはなりません。この場合必要なのは「筆坂は○○と主張している。」という内容が丸ごと含まれた、第三者による情報源です。そうでなければ独自研究となってしまいます。--60.239.200.20 2015年7月21日 (火) 17:20 (UTC)[返信]