ノート:聖絶

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尊敬の助動詞削除につき[編集]

工事中ではありますが、少し編集させて頂きました。

神に敬語を使いたいというのは執筆者の心情としては理解出来るのですが、二つの理由から尊敬の助動詞を削除しました。特に1番目の理由がメインです。2番目の理由は蛇足的なものです。

  1. ウィキペディア(のみならず大多数の百科事典)においては敬語は使われません。これはキリスト教に限定される扱いではなく、天皇についてすらも日本語版ウィキペディアでは敬語が使われていないことにも現れています。
  2. 尊敬の助動詞「られる」(削除した部分は連用形「られ」)ですが、平安古文でも助動詞「らる」は、「せたまふ」といった最高敬語表現に比べて随分低い扱いのものです。最高敬語表現「せたまふ」に対応する現代語訳では「られる」ではなく「お~になった」(ここでは「お用いになった」になるか)といった苦し紛れの不自然な訳がされることがあります。つまりそもそも、現代口語でも古文でも、「る」「らる」「れる」「られる」は、それほど高い尊敬を示すものでは無いのであり、執筆者の意図に反して、不当に低い扱いを神に対してしているとすら見る事も可能ではあります。--Kinno Angel 2011年3月3日 (木) 07:34 (UTC)[返信]

統合作業完了のお知らせ[編集]

テンプレートで提案した内容とは逆の形になったのですが、これが最終形態であることは合意済みですので、この度めでたく統合作業が完了したということにします。修正作業はあくまでも仮のものだと思ってください。後のことはこの分野に詳しい方にお任せします。Bokemiannさんが書かれたヘブライ語聖書では58箇所云々という記述は間違っているので削除しておきました。それから「ヘブライ人」や「イスラエル人」と書くべきところを「ユダヤ人」と書いている箇所がかなり4箇所あるのですが、なにか意図があってそうしているかもしれないので、これはそのままにしております。Bokemiannさんとイザヤさんからは「宗教的迫害」について注文を付けられたのですが、対案を出されないのでとりあえず「宗教的行為」に改めてあります。他にいい案があればどなたでも結構ですので提案してください。今回は以上です。--ימח שמו וזכרו 2011年4月16日 (土) 23:32 (UTC) 敬称が抜けていたので加筆しました。それから「かなり」は大げさだったので訂正してあります。--ימח שמו וזכרו 2011年4月18日 (月) 14:16 (UTC)[返信]

キリストを冒涜するヘブライ語名称ユーザーによる1週間たたない強引な統合を差し戻します[編集]

まだ1週間経っておらず、キリストを冒涜するヘブライ語名称を使うユーザーによる統合を差し戻します。これは、キリスト教神学を踏まえないものとなっています。このような形での統合は合意が得られておらず、この統合方法そのものに問題があり、また、Bokemiann氏の記述の除去は合意を得られています。そのため、削除します。--イザヤ 2011年4月21日 (木) 14:02 (UTC)[返信]

Bokemiann氏をおもな執筆者とするヘーレムの記述[編集]

Bokemiann氏はマックス・ウェーバーの『古代ユダヤ教』上巻(岩波文庫)の聖戦の個所、岩波のヨシュア記とサムエルの聖戦の解説を参考に記述したと述べています。また、『聖書思想事典』でも戦いとアナテマの項目でヨシュア記のヘーレムを扱っています。Bokemiann氏のヘーレムの記述は本人が言う通り、聖戦です。

[1]で、Bokemiann氏はここで本記事の統合先はアナテマを候補にあげており、Bokemiann氏は現「ヘーレム」を「聖戦(古代ユダヤ教)」或は「聖戦(ヘブライ語聖書)」へ改名するのもよいのではないかと思うようになりました。と述べています。Bokemiann氏はまずは「聖戦(古代ユダヤ教)」への改名を提案します。と述べておられます。しかし、ヘブライ語ユーザー氏とSillago氏はこれをあくまで「聖絶」への統合であると言い張り、編集を強行しています。ヘブライ語ユーザー氏は4月22日 (金) 15:33 (UTC)[2]で、 Bokemiann氏が「何を血迷ったか「聖戦(古代ユダヤ教)」への改名を主張し」たと述べており、Bokemiann氏とご自分が異なる見解を持っており、合意が成立していないことを認識していたわけです。しかし、彼はあくまで「統合」の合意があると言い張り、これを強行しました。「本来ならBokemiannさんがすべきことを仕方なく代行したという認識しかありません。」と述べていますが、Bokemiann氏の代行であれば、聖戦へと改名しなければならなかったはずです。そしてそれが執筆者のBokemiann氏自身が提示した出典に沿っています。Bokemiann氏のこの議論における最後のコメントは[[3]]ですが、「ימח שמו וזכרוさんとはどうも対話にならないようです。淡々と作業だけしていればよいかと思いましたが、無理なようです。本来は今週早々作業に入れるかと思っていたのですが、こんなやりとりを続けている限り、また直ぐに月末になってしまいます。私も仕事がありますから、その期間はウィキブレイクをしなければなりませんが、そんな個人の事情も理解できず、対話拒否だの何だのと個人のノートで延々と個人攻撃をしてくるような方とやりとりをして記事を作ってゆくような余裕は私にはありません。」と言っておられます。この発言は賛同とは言えませんが、ヘブライ語ユーザー氏とSillago氏はこれが、「賛同」、「合意」であると主張して、編集を強行しました。--イザヤ 2011年4月27日 (水) 22:12 (UTC)[返信]

どうもー 編集を強行した江本亨進と申しますー ימח שמו וזכרו様の記事は、ちゃんと「へーレムを聖絶と訳したつながり」で括った「百科事典に載るような編集」ではありますし、どっちかというとイザヤ様の編集の方が強引かつ排外主義的で、1新改訳聖書、福音派のみの使うタームという印象があり、岩波委員会訳聖書でも使っている、という「百科事典に載せていい言い訳」が無い(聖霊みてたら「聖隷」という記事が前あったんだけど、これはwikiに載せちゃいかんだろう系どこかの異端だかなんか派のジャーゴンだったらしいので消されている)2カルト的とは言わないが、歴史と伝統の上に立っている感じが払拭されているので、うーん百科事典書記としてはどうかと思いますが(『ヴォルテールさんとリチャード・ドーキンスさんとカール・マルクスさんとマーク・トウェインさんが手をたたいて喜びそう』な記事(イザヤ様の編集した日本語版聖絶の項目、「敵に関する非寛容」を掲げて、「こういう言い訳でクリスチャンは世界に人殺しを」と言えそう)になってそうではあります)そういや聖戦のセクションではありましたので、ימח שמו וזכרו様とsillagoさんの意見を汲んでリバート(なんだか知らんけどימח שמו וזכרו様と私の資料で微妙な食い違いが)し、(編集中にימח שמו וזכרו様と私の間でいたーい指摘のし合いがあったけど無視)かつイザヤ様の唱えるご意見で、聖戦の方に書かせていただきました。そーだー 戦争の後半でやるやつだー、いいんだ平和ボケでー、ちなみに書いている当時のイザヤさんは「まあ平たく言ったら戦場」に居られてますー…一応「差し戻し上等!」という物にさせていただいたはずでございますが、sillago様のごとき「普通のリバート合戦」をやる体力はございません  --江本亨進 2011年5月3日 (火) 02:21 (UTC)--江本亨進 2011年6月4日 (土) 05:08 (UTC)[返信]
新聖書注解や21世紀ブックレットなど、福音派の出版物にもヘーレムを使った例があり、福音派がヘーレムの語を使ったからといって、記事ヘーレムに書かれていることとは別概念です。同じ語を使いながら別概念であることはウィキペディアで珍しくもなく、ウィキペディアでは項目を分けて書きます。括弧付の仕方もあります。Bokemiann氏やヘブライ語ユーザー氏もヘーレムの語も聖絶の語も使っていますが、それは別概念として使っています。岩波の説明は聖戦であると執筆者のBokemiann氏は述べ、『古代ユダヤ教』の聖戦を出典として書いています。たまたま同じ語を使うことがあっても、別概念であり、ましてや聖絶は福音主義神学の造語です。--イザヤ 2011年5月4日 (水) 05:14 (UTC)[返信]
はい、bokemiann様の使っている岩波訳旧約聖書の前の分冊版『ヨシュア記 士師記』にも、「神託~出撃~戦闘~都市攻略」の後に「聖絶」と聖絶物のしかるべき処分、と言う形で当時の戦闘が行われている、とあります。そして、ぜんぜん無関係ですが疫神流しの記事は、誰もやってませんが「疫神送りと疫神流がいつの間にか普通の記事になっている」程度に(一応、バイト数の関係で)分かれるはずです(誰もやってませんが)。さらに、「イザヤ様の使う資料にも、岩波訳で聖絶が使われている旨が書かれている」以上、百科事典(せいぜつ と引くと出る)の性格と宗教的中立性から「福音派の唱えるヨシュアがむりやりボトムアップされ、普遍的存在としてのイェホシュアになる」ような編集になってしまうのはいたし方ありません。それから当たり前ですが「福音派はカルト教団ではない」以上、そこだけのタームが一般名詞化するのは当たり前です もーリバートする体力ありませんが。--江本亨進

 一番良いものとしては、まず「イザヤ様がちゃんとニクダーの違うヘーレムとヘレムを出す」のなんですが。そうしたら 私は あー ヘーレム(ヘレムがユダヤ教だから)で、なぜか聖絶と書く編集をさせていただきます。なんか編集態度として異様では在りますがー、「前から在る儀礼とかを、改めて捉え直す」のがイェホシュアの仕事のはずでー、歴史と伝統が変わりながらも継承はされている訳でー、だからオリジナリティはまともであれば在る程なくなる訳だー ていうのが、「善意で見てるノンクリスチャン」だって程度はー、ご理解いただけないでしょうかー ううっ--江本亨進 2011年6月4日 (土) 05:08 (UTC)[返信]

カナン時代に限定されません[編集]

聖絶はヨシュア記、カナン時代に限定されません。ヘブライ語ユーザー氏、Sillago氏、江本亨進氏の編集は神学をふまえておらず、神学的に完全な間違いです。聖絶はイザヤ書、エレミヤ書の重要なメシア預言、終末預言に書かれ、また新約の救済論につながっているにもかかわらず、ヨシュア記周辺以外の聖書と神学を無視した編集でした。--イザヤ 2011年5月4日 (水) 00:11 (UTC)[返信]

申し訳ありませんが、差し戻させていただきました。というのも今回の編集もノートでの合意等が取られていない、加えて議論がなされた形跡もない。なお、履歴不継承の場合は、削除依頼の必要がありますから、編集除去では対応できません。そして、これを書いている間にすでに差し戻しをされていますが、どうか脊髄反射でご自身の編集を強行せず、真摯な対応をお願いします。--Koon16000 2011年5月4日 (水) 00:28 (UTC)[返信]

ノートでの指摘にもかかわらず、強引な編集を強行しているのは、ヘブライ語ユーザー氏、Sillago氏、江本亨進氏らです。私の神学的な指摘に彼らはこたえていません。--イザヤ 2011年5月4日 (水) 00:33 (UTC)[返信]

統合の同意も得られていないにも関わらず、「賛同」による「統合」と称した履歴継承なしの強引な編集に対する差し戻しです。--イザヤ 2011年5月4日 (水) 00:41 (UTC)[返信]

ノート:ヘーレムに、私がBokemiann氏にかなりの時間をさいて説明したものと、Kinno Angel氏を交えて話し合い、合意が形成されたものがありますので、合意を無視なさらないでください。編集の前にKinno Angel氏、Bokemiann氏、私の議論を確認、理解し、そこで議論されている問題についての返答をお願いします。--イザヤ 2011年5月4日 (水) 00:48 (UTC)[返信]

もうしわけありませんが、ノートを見る限りそうは見えません(加えて、イザヤさん含めてあちこちに議論を拡散しているおかげで非常に分かりにくい。ご自身のノート含めて、どこかで議論する場所をまとめていただきたい)。どちらかというとお互いに言ったきりになっており、議論がなされていない感があります。答えていないから差し戻すのではなく、まずもっと対話をする姿勢をもっていただければと思います。Wikipedia:合意形成の方針に則った形で、提案から始めても遅くはないはずです(相手が一方的に編集するからと言って、自身が強行的に差し戻してもよいということにはなりません)。いずれにせよ、保護が解けてからいきなりの差し戻し合戦になっているというのは大変残念なことです。まずは、ノートにて提案を行うべきです。なお、統合についてはノート:ヘーレムにおいて一応の議論が行われているようで、議論の期間を十分に取っていない気はしますが、形式的な合意形成がなされていると見ることもできますから、今回は元に戻す側がまず提案をする必要がある気がします。最後に、私に対してですが、敵視されているというか非常に敵対的な印象を受けます。今回の議論そのものについては私は中立であり、あくまで真摯に議論すべきである、という立場から、合意形成を提案しているわけです。--Koon16000 2011年5月4日 (水) 01:02 (UTC) - リンクを修正。ただ、ノート:へーレム等、わかりにくい所にまで議論が拡散しているので、まずは本当に、場所を統合していただきたい。--Koon16000 2011年5月4日 (水) 01:10 (UTC)[返信]

Kinno Angel氏、Bokemiann氏と私の議論と合意に対する、返答なしの強引な編集でした。Bokemiann氏は聖戦への改名を主張しており、ヘブライ語ユーザーもそのことは認識していました。つまり、Bokemiann氏とヘブライ語ユーザー氏の意見が異なり、合意は形成されていません。Bokemiann氏が聖戦への改名を主張されたのは、彼自身の執筆した出典にそった発言です。これをもって合意というならば、聖戦へと改名するべきでした。また、Bokemiann氏のこの議論における最後の意見はこの通りです。[4] 彼らはこれが「賛同」、「合意」であると強弁しておりますが、どうみてもそうではありません。また、彼は『古代ユダヤ教』や岩波の聖戦の個所を出典にしています。『聖書思想事典』では「アナテマ」と「戦い」の項目に書かれてあります。彼らの編集は合意とも出典とも異なる編集です。「合意」と称すればウィキペディアは出典と異なる編集が認められるようになったのでしょうか。私は合意とも出典とも異なる編集を差し戻しました。--イザヤ 2011年5月4日 (水) 01:25 (UTC)[返信]

ですから、さまざまな意見の方がいるのは当然のことです。はっきり言って今回の場合、お互いがそれぞれセッションを追加しては言いたい放題言っているだけである意味で双方とも議論になっておりません(セッションを追加しては、自説を述べ、それに対して反論があってもそこから下に議論が追加されることはなく、また別のセッションで自説を述べる。それの繰り返しになっています。これはとくにイザヤさん、あなたに顕著な気がします)。ただ、統合については直近においておおむね議論がなされている(そこで指摘されているようにイザヤさんは参加できていないという問題はありますが)ように見えます(Bokemiannさんも統合については賛成されているようですが)。それと記事名は別でしょう。そして私は、個人的にではありますがまず編集合戦ありきの、イザヤさんの姿勢には大いに疑問を感じます。--Koon16000 2011年5月4日 (水) 01:48 (UTC)[返信]

Bokemiann氏は聖戦への改名を主張したのです。そして、これが出典通りです。いろいろな意見と言われますが、ヘブライ語聖書のヨシュア記に着目したヘーレムまた聖戦と、イザヤ書、エレミヤ書、そして新約聖書、神学を踏まえたキリスト教用語の聖絶は別概念です。どうして、キリスト教聖書用語、神学用語にイザヤ書、エレミヤ書、新約聖書を無視しようとするのですか。それはキリスト教ではなくユダヤ教か他の異なる宗教です。この語はキリスト教の用語として造られた造語です。議論によって別概念であることがさらに明白になっております。別概念を統合するとする主張はナンセンスなわけです。Wikipedia:腕ずくで解決しようとしないに「もしあなたの加筆した記述が、そこの記事との関連性や重要性が乏しいといわれたら……良い例 ‐ もっと最適な記事がないか探して、そこに移動させる。または新たな項目を作る。」です。Bokemiann氏の出典に沿った聖戦またはふさわしい項目の作成はウィキペディアにおける良い例に該当します。私は編集合戦は望んでおりませんが、正確な記述を望んでおります。--イザヤ 2011年5月4日 (水) 02:08 (UTC)[返信]

ですから・・・改名と統合は別の問題であって、ごっちゃにすること自体が間違っています。内容についてはそれこそ議論をちゃんとすべきです。あとせめてインデントくらい守るようにしてください。いちいちインデントが無い投稿を行うのは非常に議論を見にくくする行為です。そして別概念であることがさらに明白になっておりますならなぜ、まずノートで議論をしようとせず、まず差し戻しをするのですか?これはWikipedia:腕ずくで解決しようとしないの根本的なところに対立します。
ですから、何度も繰り返しますが、まずノートでしっかり議論をしてください。今のままではイザヤさんが独善的に差し戻しているようにしか見えないのです。ただ、この際、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないにイザヤさんが陥らないよう注意してください。少なくとも今までの応答では、目的は議論による解決ではなく、あくまで自身の意見を100%押し通すことに全力を傾けているように思えるので。加えてさらにもし延々と議論をしても、解決策が見出せないとき…… 悪い例 ‐ 別のページのノートにまで同じ話題を持ち出し、議論を拡散させる。にも注意してください。セッションを乱立させ、あちこちのノートへ議論を拡散させる行為は、これにはあたりませんか?さらに、編集合戦を望んでいないなら、なぜ反射的に差し戻しをするのですか?真に望んでいないならまず自分から編集合戦をやめるべきです--Koon16000 2011年5月4日 (水) 02:33 (UTC)[返信]
改名と統合は別の問題であるのですよね。Bokemiann氏の改名の主張に対し、統合にすり替えた行為をどう説明するのですか。長い議論であるので読まれていない人がいるのかも知れませんが、別概念であることは、Kinno Angel氏、Bokemiann氏らとの議論ですでに指摘してあったことです。この議論に目を通し、理解されましたか。その議論で合意が成立しております。その合意で出された神学的な議論内容に対しての返答もありません。強引な統合編集を行なったヘブライ語ユーザー氏は、ご自分で神学について知らないと言っています。私は議論への参加を歓迎します。ご意見を望んでおります。議論されている神学的内容について理解し、対話、議論をお願いします。--イザヤ 2011年5月4日 (水) 02:48 (UTC)[返信]
すり替えが起こっているとは思っていません。合意がなされた後、再度統合提案が出た、と思っています。以前の合意は尊重されるべきですが、変えてはいけない、それで終わりというわけではありません。不都合があれば議論によって覆すことができてしかるべきです。ついでに言えばそういうのも含めて、ノートで議論をしてください。差し戻しをせずに。
で、あなたはなんか繰り返し神学的内容について理解しろと言っていますが・・・そういうのあんまり関係ないんですよ。私が最大の問題にしているのは議論の内容ではなく、行為なんです。あなたは、理解し、対話、議論をお願いしますと言っているにも関わらず、実際には一切の対話、議論を拒否しているように思えるのです。差し戻しありきの編集合戦をたびたび引き起こしていることからも、ほかの人がイザヤさんの編集から守るためになんて言われるのも、真に問題があるのはあなたの論ではなく態度ではないでしょうか?。はっきりいって、ヘーレムのノートを見ても、あなたがWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないに引っ掛かる状態なのは明らかで(そもそも改名やあなたが言う合意についても、相手からすればあなたがいつまでも折れないので仕方なく、であったようですが)、その点については改善を促します。そして、差し戻しをする前にまず相手と議論をしてください。--Koon16000 2011年5月4日 (水) 03:11 (UTC)[返信]
それが「賛同」、「合意」であると主張するヘブライ語ユーザーらに同意する主張をKoon16000さんが持っていることがわかりました。主語がありませんが独善的に差し戻していると判断したのは、Koon16000さんですよね。合意があるとするならば「聖戦への改名」であり、私はそこで統合に反対しています。いずれにしても統合への合意はありません。不都合があれば議論によって覆すことができると言われていますが、その議論と合意については返答がないのは、どういうわけですか。神学について理解も検討もせずに、どうしてその神学についての議論を覆す議論をできるというのですか。議論は尽くされていません。合意を尊重してください。また、出典と異なる記述を認めるのはウィキペディア的ではありません。契約神学について私が説明したにも関わらずに、それを私の「逸脱編集」の例にあげていることでも明らかなように、Bokemiann氏が納得していないのは、神学についての理解不足に起因するところもあります。私は出典を提示し、根拠を示しながら、神学について説明しています。--イザヤ 2011年5月4日 (水) 03:41 (UTC)[返信]
ですから・・・んー・・なんていいますか、もうブロック一直線な気もするのですが。反対するならまず議論してください。差し戻しせずに。議論が尽くされていないと思うなら議論してください。差し戻しせずに。編集合戦を望まないなら、自身から積極的に差し戻しをやめてください。あなたのやってることは独りよがりです。あなたが良かれと思っている差し戻しは、ほかの人からすればヴァンダリズムにあたるかもしれませんし、あなたが正しいと思っている論は、ほかの人からみたら偏屈な教義に凝り固まったものにしか見えないかもしれません。いずれにせよ、他人ともっと協調してください。
また、合意というのは誰一人として反対者がいないことではないです。もし反対する人が一人しかおらず、その人が一切折れないことで議論が滞っている、混乱させられているなら、ブロックもあり得るでしょう。そして、私は理解が不足しているのはBokemiannさんの神学に対する知識ではなく、イザヤさんの共同作業というものに対する理解だと思います。
正直、いままでの応答から、私はブロック依頼が出されれば賛成に回らざるを得ません。そのような不幸なことにならないように、どうか他人の意見に耳を傾けてください。議論とは持論を延々と述べるものではなく、相手と対話をすることです。どうか真摯に対話へ戻ってください。--Koon16000 2011年5月4日 (水) 04:03 (UTC)[返信]
編集合戦になっていることはお詫びします。しかし、反対理由に私はきちんと出典をあげ、神学について説明しています。私が出典としてあげた本と神学の説明について理解していれば、彼らも強引な編集はできなかったはずです。神学用語に神学理由を提示しても納得しない時に、問題があるのは神学について理解せず、出典と異なる主張をしている方になります。数学について理解せずに強引な編集をしたらどうでしょうか。数学の記事は数学に付いて書かれるべきです。数学の記事に別の概念が書かれてあれば独自研究でしかありません。これは福音主義神学の用語としてつくられた造語であって神学について正確に書かれるべきです。神学は長くて古い歴史のある難しい学問的領域です。神学について書くには神学についての理解と出典が必要となります。また差し戻すことがすべてブロックに相当する悪い編集であるとは、言えないはずです。統合の合意が成立しておらず、出典とも異なる編集であれば、ウィキペディアンとして差し戻すのがまっとうな編集なのです。他の誰が差し戻してもそのはずです。--イザヤ 2011年5月4日 (水) 04:27 (UTC)[返信]
まず、Wikipedia:編集合戦をご覧ください。編集合戦は有害無益であり、いかなる時でも避けるべきです。相手は理解していない、無知であるとして取り合わず、差し戻すのがまっとうな編集などと自画自賛する、その態度こそが問題だと言っているのです。協調性の無いユーザーこそウィキペディアにとって有害無益です。あなたがどれほどお詳しいか知りませんが、自身の知識のみが正しい、ほかの人の意見で自分と異なる部分はすべて間違っている、とお考えでしたらどうぞお引き取りください。自説の羅列はブログなどでどうぞ。なぜ、自身の編集がたびたび差し戻され、さらにコメント依頼が出されたりブロック依頼の提出までにおわされてるのか、今一度お考えください。--Koon16000 2011年5月4日 (水) 05:11 (UTC)[返信]
Kinno Angel氏、Bokemiann氏、私を交えた議論と合意を無視し、「独善的に差し戻している」と決めつけを行なわれたので、そのあなたの判断に単する反論です。「自画自賛」などでは決してありません。私は「差し戻し」が必ずしも悪いことではないと言いました。「差し戻し」自体は悪いことではないのです。差し戻すべき時に差し戻さない事、また差し戻すべきでないときに差し戻す事がよくない編集のはずです。違いますか。私は自説など全く述べておりません。キリスト教神学記事を書くにあたり、キリスト教文献を出典にしております。この議論はBokemiann氏との間に始まりました。この長くなされてきた議論を無視するべきではありません。議論がなされているのを見、その議論について参加しようとするならば、その議論内容について理解しようと務めるべきです。私が彼らの意見を「取り合ってない」ということはありません。Bokemiann氏の出典に基づいた意見もきちんと参考にしています。またキリスト教プロジェクトのKinno Angel氏とは長く対話し、協力もありました。共同作業の能力がないわけではありません。もちろん、対話と協力はさらに深めていきたいと願っています。神学の記事について、神学的な議論が出て来ることは当然のことです。福音主義神学についてご存じであるというMore_blessingさんも、議論と編集に関わってくださると言っています。この長い議論を考慮するならば、今までの議論と合意を無視した性急な編集をするべきではなく、ヘブライ語ユーザー氏、Sillago氏、江本亨進氏の強引な編集に対して、Koon16000さんが同意を与えたことで、今となってはKoon16000さんも編集の当事者となっています。--イザヤ 2011年5月4日 (水) 05:42 (UTC)[返信]
繰り返しますが、Wikipedia:編集合戦を見てください。なぜ、あくまで自身の記述に差し戻すのですか?あなたが差し戻しをやめれば、相手は差し戻しをせずに穏便に議論をできるとは考えませんか?それまで「必要な差し戻し」であるというなら、私はブロック依頼を提出しなければなりません。その態度は編集合戦を招く以外、何も生み出さない悪い態度ではないでしょうか?ついでに、私が1回差し戻しした後、あなたは即座に差し戻しました。その後私は差し戻していません。なぜ差し戻していないか考えたことはありますか?
さらにいえば議論を見る限りBokemiannさんは統合には賛成の意思を示していますが。あと、当事者として言わせてもらえば、今回の編集は合意に則ったものと一応みなすことができ、もし編集合戦が禁止されていないなら差し戻されるべきはイザヤさんの編集のほうである、といわせていただきます。ここに論の正しい間違っているは関係ありません。あくまでシステム的なものです。なので私は初めに、合意を覆す提案をしてください、と言っていますよね?あと、能力があるかどうかは他人が判断するものであって、それこそ自画自賛というやつでしょう。--Koon16000 2011年5月4日 (水) 06:05 (UTC)[返信]
それが合意であるとするなら、Bokemiann氏は「聖戦への改名」に賛成の意志表示をしています。リンクしてありますし、何度も指摘しました。納得できませんか。それが「合意」であると主張するなら、改名先、統合先を間違えています。Bokemiann氏の書いたヘーレムは聖戦に改名してください。さらに、Kinno Angel氏、Bokemiann氏、私の議論に対する合意を覆す提案はなされていません。統合先の間違いがあり、また、記事構成について合意を覆す提案がないままに、強引な編集がなされています。--イザヤ 2011年5月4日 (水) 07:20 (UTC)[返信]
えーと、改名に賛成したことと、今回の統合の合意と、関係があるのでしょうか?おまけに、Bokemiannさんは改名すべき理由を、イザヤさんとこれ以上編集合戦するのに疲れた(あなたとの議論?に疲れたという方はほかにもいらっしゃるようですが、これだけでもコミュニティを疲弊させるユーザーということでブロック相当になるのですが、理解できてますか?)という、非常に困った理由です(論が正しい等の理由ではない)。おまけにこの提案は本人によって取り下げられています。後半の部分についてはいくらなんでも無茶苦茶でしょう。もはや自身の編集を強行するためにほかの人の名前を借りている以外には思えません。統合提案でその以前の合意とやらと衝突する部分は、後の合意のほうが優先されると考えるのが自然ではないでしょうか?それ以前の議論を一切踏まえてないならともかく、以前の議論に参加されている方もかかわっているのですから、覆す目に見える提案がなかったからといって、覆されていないっていうのは詭弁でしょう。--Koon16000 2011年5月4日 (水) 08:16 (UTC)[返信]

(インデント戻し)横から失礼いたします。はじめにKoon16000さんへ。誰もが尻込みするような厄介な問題にあえて介入してくださったことに大変感謝しております。昼過ぎから「聖絶」の項目に動きがあるのに気付いていたのですが、この一か月ほど当事者として問題の対処にあたっていた身としては、Koon16000さんのおかげで久しぶりに客観的な視点で議論を眺めることができ、少々リフレッシュさせていただきました。という次第で参戦が遅れたことをお詫び申し上げます。

そこで本題に入ります。イザヤさんは今回も含め、演説をぶつさいは必ずといっていいほどBokemiannさんとKinno Angelさんとイザヤさんの3者で交わされた合意を持ち出されます。この3者間合意というのは「聖絶」から「ヘーレム」へと改名したBokemiannさんによる2月16日のこの編集のことを言っておられるのでしょう。しかし、こんなものはわたしに言わせれば子供のお遊戯でしかありません。この3人の中で「ヘーレム」について知っている人間が何人いたのですか? 唯一知っていたのはイザヤさんだけで、しかもこの程度でしかないのです。「ノート:ヘレム」を見ればわかるとおり、「ヘレム」と「ヘーレム」が同じ概念であることすら誰も理解できていない有様だったのです。幼稚園児の男女が区役所に婚姻届を提出したところで誰も受理してくれないでしょう。イザヤさんらによる3者間合意などその程度のものでしかないのです。そもそもこのときの改名の目的というのは、記事の内容に相応しい項目名にするためだったのでしょうか? 違いますよね。Bokemiannさんによる1月26日の提案の(A案)を見れば明らかなように、それぞれで記事を私物化し、いうなれば不可侵条約のようなものを結んで手打ちにするためだったのでしょう。実際それ以降はお互いに相手の記事には全く手を出さなくなっています。暗黙の了解ということでしょうか? 2月24日から3月10日までの「聖絶」の編集を見れば、まるで保護者が幼児を見守っているかのごとき異常な状態であったことがうかがえます。今回の統合でイザヤさんがこれ程までに頑なになっているのは、3者間合意、つまりは密約が反故にされたと考えているからではないのですか?

ヘーレム」について知っている利用者がいなかった以上は暫定的な措置として「ヘーレム」への改名も致し方がありません。しかし、運が悪いことに1か月もしないうちに「ヘーレム」について知っているIPユーザーが現れ、当時書かれていた内容がヘーレムではなくアナテマや聖絶でしかないことを指摘しました[5][6]。回りくどい言い方をしておりますが、その趣旨は「ヘーレムから立ち退いてくれ」ということです。IPユーザーはその後アカウントを取得して正式に統合について意見をうかがいました[7]。その結果、3者間合意を結ばれたひとりであるBokemiannさんさえもがヘーレムから立ち退くことに合意されたのです[8]。ここでイザヤさんに理解してもらいたいのですが、この時点で3者間合意は無効化しているのです。イザヤさんにしろKinno Angelさんしろ、当時ウィキブレイクに入られていた以上は議論に加わる権利を放棄していたも同然なのですから、後になって文句を言われても従うわけにはまいりません。Koon16000さんの言われるように文句があるのならしかるべき手順を踏んでください。

つぎに今後の統合先、あるいは改名についてですが、「聖戦」というBokemiannさんの主張を前面に出されても対処いたしかねます。Bokemiannさんの記事を「聖戦」に改名するのは正直不可能なのです。Wikipedia:コメント依頼/ימח שמו וזכרוでも申し上げた通り、ヘブライ語の חרם (ヘーレム)を holy war や crusade などと訳出している翻訳聖書や辞書はどこにもありません。それにヘーレムを聖戦とするのはあくまでも岩波の解釈でしかないのです。その岩波が聖絶という言葉をヘーレムの訳語にあてている以上、結局のところは「聖絶」こそが項目名として最も相応しいことになるのです。わたしが残念でならないのは、Bokemiannさんが最後まで自分自身に嘘をついていたことです。この方は岩波委員会訳聖書の信奉者であることから、自分の書いている記事が聖絶以外の何物でもないということ誰よりも理解していたはずなのです。ならば腹を括って聖絶への統合、つまり2月16日以前の状態に戻す決断をすべきだったのです。それによって、たとえイザヤさんとの間で編集合戦が勃発したとしても、誰もがBokemiannさんの記事を守るために行動を起こし、イザヤさんの排斥に乗り出すことは明らかだったのです。それはわたしが「ヘーレム」を「聖絶」に統合して以降、2度にわたってリバート合戦が起きていることからも証明されております。このリバート合戦というのは、ひとえにBokemiannさんの記事を守るために行われたのです。なぜこれほど分かりきった将来を予測できなかったのでしょうか? このわたしでさえもWikipedia:コメント依頼/ימח שמו וזכרוを提出して間接的にイザヤさんの排除に乗り出しているのです。なぜこれほど自分にとって有利に傾く将来を避けたのでしょうか? ここはBokemiannさんに登場願ってぜひとも答えてほしいところなのですが、結局のところは答えられない何かがあるのかもしれないということなのです。でなければ、イザヤさんみたく頑なになって聖絶への統合を拒む理由はなかったはずなのです。2月16日の改名が判断ミスであったことを認めたくないからという理由であれば、人間としてあまりにもスケールが小さすぎましょう。

話を元に戻します。イザヤさんが「聖絶」の項目にてBokemiannさんの書いた記事との共存をどうしても拒まれるのであれば、その処遇について真剣に考える必要があります。わたしはすでに利用者‐会話:イザヤにおいて「聖絶(新改訳聖書)」と「聖絶(岩波版聖書)」の両輪で行く案を打診しました。しかし「聖絶(岩波版聖書)」にしてしまうと、岩波とは関係のない記述をそぎ落とす必要に迫られ、最終的には削除依頼に回されても仕方がないくらいの貧弱なスタブにまで成り下がってしまうでしょう。しかしこれは「聖絶(新改訳聖書)」についても言えることなのです。つまり現在の「聖絶」に他ならないのですが、いくらイザヤさんが「聖絶」の神学的な意味を説かれたところで、世間的にはオウム真理教の「ポア」と同類の一宗教用語にすぎないのです。「ポア」は裏流行語大賞を取るぐらい世間的に認知された言葉なので立項が許されているのでしょうが、「聖絶」がそれと同等の地位を勝ち取れるとは到底思えません。それに、そもそも記事としてお粗末すぎます。新改訳聖書が手元になければ全く理解できないような内容になっているのです。ようするに新改訳聖書の注釈書みたいな体裁になっているわけで、こんな記事は特筆性がないという理由で削除依頼に回されても当然でしょう。イザヤさんの書いた記事が生き残れる唯一の方法は、「聖絶」という項目名のもとBokemiannさんの書いた記事と共存する以外にはないのかもしれません。それでも共存を望まないのであれば、イザヤさん自身をブロック依頼に回すだけでなく、「聖絶」をも削除依頼に回すことになるかもしれませんが、それでもよろしいのでしょうか? 現状ではイザヤさんの記事よりもBokemiannさんの記事のほうに価値があると見なされているのです。イザヤさんにとって何が一番得策なのかを熟慮してください。ブロック依頼についてはもはや提出せざるを得ない状況に差しかかっているのです。ならばせめて自分の書いた記事をウィキペディアに残しておく道を選んだほうが賢明な判断となりましょう。くどいようですが熟慮を願います。--ימח שמו וזכרו 2011年5月4日 (水) 15:43 (UTC)[返信]

聖戦の意味での聖絶について、および現状の記事についての感想[編集]

『聖書学用語事典』ISBN 978-4-8184-0662-9山我哲雄を筆者とする「聖戦/聖絶」の項目があります。1頁にも満たない記事ですが、原語がヘーレムである旨が示唆され、申命記等にみられる戦争に関連する観念であること、それは必ずしも史実ではなく「理念上、文学上のものとして理解されるべき」との見解、そして同じ語が奉納物の意味でも使われているとの説明がなされています。元は聖書信仰の学者たちが作った造語が、聖書無謬説に立たない一部の聖書学者にも使われるようになった、ということなのでしょうか。その辺の事情は門外漢であるわたしは存じませんが、このことから、神学用語としてだけでなく聖戦の意味も含む聖書学用語としての聖絶にも十分な特筆性があるのではないかと考えられます。それはイザヤさんのいう「非キリスト教」的観念かもしれないが、ユダヤ教プロパーでもなくキリスト教文化という大きな枠の中に属する聖書学という分野のことであり、特定の神学上の立場での聖絶の解釈とも、同じ記事内で混同を回避しながらの棲み分けが可能だと考えます。なお、これは Bokemiann さんがヘーレムに関して記述した内容が妥当であるという意見を表明するものではありません。それを精査できるほどの知識教養も資料も時間もわたしは持ちあわせておりません。

いずれにせよ、わたし個人は聖絶という語に何の思い入れもないのですが、イザヤさんが執筆したキリスト教神学に特化した聖絶の記事は、一般的な読者を想定した百科事典の記事としては不親切すぎると思いました。内輪向けのような印象も受けます。冒頭部での語義の説明と、その下にある神学的説明がどのようにつながるのか、理解力に乏しく前提知識のないわたしにはよく理解できませんでした。いくら出典に即した記述が並べてあっても、ひとつひとつの語や文は読めるのですが、読み進めていっても、点と点がつながってひとつあるいは複数の星座のような意味のまとまりになっていきません。イザヤさんが執筆した他の記事でも往々にして感じるのですが、誰でも読める記事たり得るような何かの説明が欠けているように感じます。--Doomreaper 2011年5月4日 (水) 18:34 (UTC)[返信]

編集保護の解除を依頼しました[編集]

「ヘーレム」を「聖絶」に統合したことに端を発した今回の騒動、すなわち短期間に「聖絶」の項目が2度にわたって編集保護下に置かれている件についてですが、その要因たる2度の編集合戦を引き起こしたイザヤさんに投稿ブロックの措置がなされたため、ここに一応の決着を見たということで編集保護の解除を依頼しました。後は管理者の判断に委ねたいところです。これにてわたしは本件から手を引かせてもらいますが、とりあえずは責任を果たしたということでご理解いただきたいと思っております。これまでに協力してくださった多くの利用者の方々に改めて感謝の意を表します。とはいえ、イザヤさんのブロック期間はたったの1か月でしかありません。今後新たに騒動が起きましても、それはもうわたしには与り知らぬことなので、それも合わせて悪しからずご了承ください。「ヘーレム」の冒頭における曖昧さ回避の内容は再度修正を施しておきましたが、極端な話、「ヘーレム」の項目をわたしが編集をはじめた4月16日以前の状態に差し戻すことで騒動の収束が図られるのであれば、やむを得ない選択肢として異論はないので、その旨をここに伝えておきます。--ימח שמו וזכרו 2011年5月25日 (水) 14:31 (UTC)[返信]