ノート:般若経

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改名提案[編集]

「般若経とは、大乗仏教の中核的概念である、般若波羅蜜を説く経 ...」といった趣旨になっておりますが、その般若波羅蜜については般若にも波羅蜜にも記載が無いようです。現状のこの記事を般若波羅蜜に改名したほうが書きやすいと思いましたが、いかがでしょうか。読者も、より有名な般若心経と混同する恐れがあると思います。--Yuasan会話2023年9月1日 (金) 17:42 (UTC)[返信]

反対 このページは般若経典について記述しています。般若波羅蜜について詳しく書きたいならば、波羅蜜に加筆するか、「般若波羅蜜」として独立した記事を立てるべきです。いずれにせよ、問題とすべきは「般若波羅蜜」のリダイレクトをどうするかではないでしょうか。--Ryo 625会話2023年9月2日 (土) 01:30 (UTC)[返信]
それではPrajñāpāramitāの正訳である、般若波羅蜜経WP:COMMONNAMEに改名すれば、本記事に記載できます。熟語ですから、般若でも波羅蜜においても不完全になります。--Yuasan会話2023年9月2日 (土) 02:05 (UTC)[返信]
コメント本項は「般若経」類についての記事です。英語版をちら見して判断するのでなく、中国語版にも注意してください。経典のタイトルに「Prajñāpāramitā」とあるからといって、「般若波羅蜜」に改名すべき理由にはなりません。「般若波羅蜜」(Prajñā-pāramitā)は「波羅蜜」(Pāramitā, Pāramī)の一支分ですから「波羅蜜」に節を設け、「般若波羅蜜」についての具体的な内容はそこに記述するのが筋でしょう。「般若波羅蜜」の記述が長大になれば、独立した頁としてもよいかもしれません。いずれにせよ、「般若経」を「般若波羅蜜」に改名する積極的な理由は、貴方の英語版との混同以外にないように思えます。--Ryo 625会話2023年9月2日 (土) 18:44 (UTC)[返信]
コメント経典としてのPrajñāpāramitāの正訳などというものはありません。「般若波羅蜜経」でも「般若波羅蜜経」でも「般若経」でもその他でもありえます(たとえば「放光般若経」(T221)や「道行般若経」(T224)や「大明度経」(T225))。これらを総称して一般に「般若経典」とか「般若経」と呼んでいるに過ぎません。--Ryo 625会話2023年9月2日 (土) 19:00 (UTC)[返信]
zh:摩訶般若波羅蜜多も存在しているようなので、どちらかの方向で今後検討します。--Yuasan会話2023年9月3日 (日) 16:52 (UTC)[返信]
コメント何を検討しているのかはよく分かりませんが、ノートで議論せず、勝手に新規ページを作って、記述を移転するのはおやめください。--Ryo 625会話2023年9月3日 (日) 18:34 (UTC)[返信]
 追記付言しておくと、いわゆる「般若経」「般若経典」を、「摩訶般若波羅蜜」あるいは「摩訶般若波羅蜜多」と呼称・表記することは正訳でもなければ、一般的な表記でもありません。--Ryo 625会話2023年9月3日 (日) 20:35 (UTC)[返信]
コメント 般若経においてノート議論途中にもかからわず、勝手に波羅蜜に転記しているのは、私ではなくあなたですね。発言と行動を一致させてください。--Yuasan会話2023年9月4日 (月) 04:05 (UTC)[返信]
返信 あなたが勝手に英語版から断片的かつ機械的に翻訳してコピペしたものを、意味が通るようにしているだけです。このように漢文にもサンスクリットにも十分通じず、また仏教に対する基礎的な理解も欠いた状態で、英語版から断章主義的に機械的な翻訳文を増設するやり方については一度あなたの会話ページで指摘しましたが、あなたは開き直られましたので、わざわざ再翻訳して、可能ならば出典の検討も行っています。この場でもう一度ご忠告しますが、このような行為はおやめください。Wikipediaはあなたの勉強ノートやブログではありません。--Ryo 625会話2023年9月4日 (月) 08:51 (UTC)[返信]
波羅蜜に加筆するか、「般若波羅蜜」として独立した記事を立てるべきとご自身で案を示しながら、その発言から24時間も経たないうちに、勝手に転載することにしたのはあなたです。信頼というのは「発言と行動を一致させる」ことですよ。できない案は最初から示すべきではないです。--Yuasan会話2023年9月4日 (月) 11:54 (UTC)[返信]
返信 もう一度私の発言を読んでください。「「般若波羅蜜」(Prajñā-pāramitā)は「波羅蜜」(Pāramitā, Pāramī)の一支分ですから「波羅蜜」に節を設け、「般若波羅蜜」についての具体的な内容はそこに記述するのが筋でしょう。「般若波羅蜜」の記述が長大になれば、独立した頁としてもよいかもしれません。」。「波羅蜜に加筆する」or「「般若波羅蜜」として独立した記事を立てる」とは言っていません。まず「波羅蜜に節を設けるのが筋」だと言っています。ついでに丁度良い機会なのでここで言っておきますが西洋語のWikipediaにおいては、「仏教」に関するページは執筆者のレベルが低い場合が多いです(研究者のレベルは高いですが)。なので、あまり英語版などのWikipediaで仏教を勉強しない方がいいと思います。出典を参照できない場合も多く、そこからつまみ食い的に日本語版に移植すると、皆にとって不利益になりますし、なにより貴方のためにもなりません日本の研究者の本か論文で仏教は勉強しましょう。--Ryo 625会話2023年9月4日 (月) 12:31 (UTC)[返信]
その発言から7時間を待たずにして、ノートの議論を待たずに、勝手に記事を転記することにしたと、ご自身で説明いただきました。「あなたはノートの議論を待て、しかし私はノートの議論を待たない」では、信頼を損ないます。仏教の勉強どうこう以前に、発言と行動を一致させてください。--Yuasan会話2023年9月4日 (月) 12:49 (UTC)[返信]
コメント なんだか論争になっていますが、Wikipedia:論争の解決では“議論の対象は、議論相手ではなく議題そのものに集中して下さい”とありますので、議題そのものに集中しませんか。私はこの議題については詳しくないのですが、とりあえずコトバンクで般若経般若波羅蜜を読んだ限りでは、「般若経」は大乗仏教の経典群の総称で、「般若波羅蜜」はそれらの経典で説かれている徳目の一つということになるのかと思います。現在の般若経の記事は経典について書かれていますので、もし般若波羅蜜について詳しく書きたいのでしたら、Ryo 625さんの2023年9月2日 (土) 01:30 (UTC)のコメントにあるように、“波羅蜜に加筆するか、「般若波羅蜜」として独立した記事を立てるべき”であると、私も思います。--ねこざめ会話2023年9月5日 (火) 15:39 (UTC)[返信]
議論を待たずに編集されてしまいましたが、差し戻すつもりはないので、このまま議論終了でよろしいです。--Yuasan会話2023年9月6日 (水) 07:23 (UTC)[返信]
返信 いろいろと言葉を飲み込んで議論を終了してくださり、ありがとうございます。--ねこざめ会話2023年9月6日 (水) 15:12 (UTC)[返信]