ノート:藤原実成

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

「顕信に出家の相があるとして娘との縁談を断った」…それで実成の人を見る目の確かさが知れ渡ったとのことですが、経緯こそ異なれ最後には同じ出家遁世の道を選んだもう一人の婿、源顕基卿について一言だに触れないのはなぜですか。Yume149会話2014年1月3日 (金) 17:55 (UTC)[返信]

直接的には、出典たる文献(この場合『大鏡』)に記載がないためかと存じます。『大鏡』ということで考えると、実成が娘を能信の室としたことが、公季流を後三条白河以下の院政期の皇統ラインに近づけ、のちの閑院流の繁栄の大きな要因となったこと、を作者(源顕房?)が意識していた(wikipedia的に言えば「特筆性がある」と考えていた)ことは間違いないでしょう。それに比べて、実成と源顕基の関係性については、『大鏡』の作者が特筆性を感じていなかったと言うことかと思います。--Snap55会話2014年1月4日 (土) 03:55 (UTC)[返信]