ノート:西沢広義

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西澤中尉の撃墜数に付いて[編集]

成美堂出版『太平洋戦争 陸海軍航空隊』によると、西澤中尉の公式撃墜数は87機で、太平洋戦争中の日米両軍通じての最高の撃墜数と記述されています。他の書物を見ても同じ様な記述が見られます。個人の記録を重視しない当時の日本軍航空隊の慣例に従うと様々な記録が散在すると思いますが、岩本徹三中尉が『日本で1番の撃墜王』とする根拠と資料を提示頂けませんでしょうか?以上の署名の無いコメントは、211.126.155.229会話/whois)さんが[ 2007年7月31日 (火) 21:59 (UTC)]に投稿したものです(GFによる付記)。[返信]

  • 書籍によって撃墜王なるものは大分変わってきます。西沢飛曹長の説に関しては主に坂井三郎氏の「大空のサムライ」にて有名になった数字で全軍布告が基になっていますが、これは彼の所属した各航空部隊の撃墜総数から推測したり、証言を基に出された数字らしいです。(昔なんかの書籍で読んだ覚えがあります)従ってこの87機という数字が必ずしも正しいものであるとは限りません。一方で岩本中尉の記録に関しては本人が戦後に著した著作の中で主張している数字であり、全てが虚偽であるとはいえないものの、共同撃墜もかなり含まれているのではないかという意見もあります。実際、彼の著作中にある撃墜を主張する日には、彼が出撃していなかったり、またその地域にいなかったりしていることが航空隊の日誌から明らかになっており、この齟齬が彼の主張の根拠を疑問視する理由になっています。
    結局のところ日本軍が個人撃墜に関して公式にカウントしていなかったから今日こういう問題がおきているわけですが。ですから「日本一の撃墜王」という称号は記載しないほうが無難だと思います。--GF 2007年10月22日 (月) 11:40 (UTC)[返信]
  • "現在一般には最多は岩本徹三であろうと考えられている" の文章に要出典範囲をつけました。そのものずばり書かれている文献があるのなら出典を。そうでない場合は、"xによれば岩本を、yによれば西沢を最多撃墜王としている" などの記述がベターではないでしょうか。--Soica2001 2011年2月1日 (火) 04:00 (UTC)[返信]