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ノート:赤穂藩/削除

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この編集で追記された文章(関が原以降の変遷を述べた部分)は、こちらの外部ページ[1]の冒頭部分の文章と記述内容の取捨選択や順序などが似ているようです。

ちなみに、同ページは赤穂藩のキーワードでGoolgeを検索したらトップに出ました。

Tomos 2004年8月3日 (火) 07:59 (UTC)[返信]


赤穂はそもそも西国将軍と称された池田家の領土でした。このあたりの事情も、輝興の刃傷事件についても、赤穂事件に関係したこととして詳細を書いたのは、私が初めてだと思います。お疑いならばコピーをお送りします。百楽天 2004年8月3日 (火) 15:55 (UTC)[返信]

全体においてどうであるかだけでなく、ある一定量一致した場合は、その一致した部分だけでも転載の判断をするに十分とお考え下さい。今までの議論を見ても、一致しない部分について百楽天さんは強調されますが、少なくとも今までの議論の大半は一致しない部分の量が議論に影響を与ええないものであったと認識しています。

  • 「現在赤穂を訪れても、浅野一色で」内容としては事実に過ぎないかも知れませんが、表現において偶然の一致かどうかに疑いがあります。もちろん、これ一箇所であれば、即断できないかもしれません。
  • 「関ヶ原の合戦後~改易。」表現は差異もありますが、かなりの長さで内容は一致しています。こちらについては、私の能力では事実の記述としてやむを得ない一致かどうかは悩むところです。

総じて、同一のソースがあった可能性は高いと考えられます。これが著作権侵害になるかどうか私は判断を下しませんが、念のため、第三者が削除依頼を出すことに同意されることを希望します(ブロック渦中でなければご自身で出して頂けるのがいいのですが)。それはなぜなのか。

今までにも、明らかに転載であった件(「Webページからのコピー」を含む)や、同一のソースがあった可能性が濃厚な件が複数報告されています。これでどうやって第三者が百楽天さんを信用できるでしょうか。しかも、それらを、原典はもう覚えていないというものも多いです。今後執筆されるとして、百楽天さんがお持ちの資料にあとどれだけそれが含まれているでしょうか。含まれているけれど、ご自身では気づくことが出来ないものが多数あると判断するのは、非常に常識的だと思います。この件でも、他の未発見の資料との一致の可能性を私は疑わなければなりません。もちろん、ないかも知れませんが、百楽天さんの記事に関しては、証拠もないのに断言するなという原則を適用しようとは、残念ながら思えません。


百楽天さんの執筆再開を私が快く受け入れるためには、お手元の資料について、完全に出典が明かなものだけで執筆され、かつそれが転載とならない形で書かれる場合に限るというのは最低条件となるでしょう。しかも、当初は、お手数をかけますが、第三者が信頼できるように、参考資料をノートなどに明記して第三者確認が取れるようにするということも必要でしょう。

残念ながら、百楽天さんは、どなたかが特定の資料を挙げて転載の可能性を指摘されても、詳細な検討を第三者に任せることが多く、その結果、(念のための物を含めて)削除をお認めになるケースが多いです。指摘された段階で、なぜご自身でされないのか、非常に疑問に感じます。これだけ繰り返されている現状では、第三者にかけている負担がいかほどの物か、お考え頂きたいと思います。

これだけ疑いのあるものが多いのですから、百楽天さんが提案されているルール等に関する議論は、他のことが全部終わってからでなければ、応じる人も非常に少ないものと思います。 Kozawa 2004年9月7日 (火) 01:13 (UTC)[返信]

内容的には余談に至るまで一致していますが、表現の一致が見られない(文節単位で存在しなくはないのですが)ため、転載と断ずるのに躊躇します。内容の一致をもって判断してもよいのかもしれませんが。他の方の判断を仰ぎたい。Corruptresearcher 2004年9月9日 (木) 13:01 (UTC)[返信]

私には侵害であると断言することはできませんが、ノート:日進市などを見る限り、違うと断言することも私には出来ません。 Kozawa 2004年9月13日 (月) 04:43 (UTC)[返信]

事実に関する記述については、表現以外は保護されないものと思っておりました。内容についても保護される、ということですよね。そうであれば、この件、著作権が侵害されているおそれがかなりあるように思います。一方、この件について抗弁するべき利用者:百楽天さんが誠実な議論に応じておられない点から見て、この件に関して著作権が侵害されていないという証拠を示していただける見込みは薄いと思われます。以上の点から、削除を支持します。Corruptresearcher 2004年9月15日 (水) 12:49 (UTC)[返信]

百楽天さんは井戸端BBSへのご自身のコメントがこちらに反映されないのをご不満のようです。転載の可能性のあるにうちあるの21文字に対して3文字の差異があり、私が読む限りうち少なくとも1文字は比較対象となっている文書の誤認であるという意図の文章と解釈しまいしましたが、それだけのことでこの問題がどれほど回避されているのか、私にはまるでわかりかねます。 Kozawa 2004年9月16日 (木) 03:08 (UTC)[返信]

この手の問題で著作権侵害かどうかを判断する材料としては、たとえば、

  • 実際に、出典の可能性を指摘される、類似のある資料を見たことがあるのかどうか
  • 類似が、表現や「事実の選択という創作性」などといった点で、偶然の一致であると十分に判断できるかどうか

などといった観点になるかと思いますが、そういった観点でどうなのかわかりやすく説明されようという努力が少なくとも私には伝わらない文章を書かれることが百楽天さんは非常に多いので、どう対処すればよいのやらよくわからないのですが、また井戸端BBSに反論のようなものを書かれています。 比較対照の文章との差異部分は、少なくとも自分のものの方が正しい、と主張されているようである風には、なんとか理解できたのですが、一致した部分が、たとえば「偶然に一致する可能性が高い」のかどうか、といった点については、私には残念ながらまったく読み取れませんでした。そうでなければ、何らかの特定の文章を引き写した上で誤り等の改定を入れた可能性を排除できないわけですので。 確かに、素人の私から見ても、割とお決まりの表現も多く、一致部分も、過去の事実についての記述であって、事実の取捨選択の余地がそんなに多いようには思われない部分であり、私には白黒の判断を下すには荷が重すぎますが、率直に感じる一致への疑問は依然として晴れないままです。 Kozawa 2004年9月20日 (月) 00:56 (UTC)[返信]

BBSでの議論姿勢に全く変化が見られないので、あえて無視しておりましたが、削除依頼で賛成意見を出した責任上、対話を試みてみます。ただ、ここで姿勢が変化すると期待できる要素は何もないため、あくまでも「試み」です。姿勢に変化がないようであれば即刻あきらめます。Corruptresearcher 2004年9月20日 (月) 02:40 (UTC)[返信]
一日で結論に至ってしまいました。やはり誠実な議論を期待することは無理であるようです。加えて言えば、「このくらいの知識は自分も持っていて、書こうと思えば書ける。だから、表現をコピーしても問題ない。」あるいは、「コピペしたが、新たな知見を加えたり正したりしたのだから自分の文章の方が正しく、コピペも問題ない」といった特異な観点をお持ちなのでは、という印象を受けました。Corruptresearcher 2004年9月20日 (月) 15:30 (UTC)[返信]

この記事一つであれば、私は偶然の一致の可能性を信じてもいいのですが、同じ程度の一致があっちにもこっちにもあっては、何らかの引き写しをベースにされた可能性というのを強く感じてしまいます。この記事については、内容の選択の独創性や表現の独創性は、非常に検討が難しいと思って、私にはとても判断下せませんが、一つ一つはわりと決まり切った表現であっても、一致する長さが長すぎるという印象は強すぎます。「それ以外書けない」表現でもないのですから(「妻娘」と「侍女」の間の中点など)、引き写しを元にしてそのまま表現を温存されたのであれば、なんでそういうことをするんでしょう、という疑問がぬぐえず、非常に印象が悪いです。 Kozawa 2004年9月21日 (火) 01:30 (UTC)[返信]

百楽天さんによるとされるBBSの書き込みによれば、類似の指摘される9文字の中に、 ・娘は殺害ではないけれど、妻と侍女は殺害された ・侍女は2名だった という選ばれなかった事実が二つあるということです。 まぁ、確かに、内容からいってここに取り入れられなかったことが別段驚くに値するものではありませんが、書くことが出来たのに、選ばなかったという状況証拠の一つではありましょう。文体も、この手の文章ではありがちな文体であって、単語が似る可能性も高いような表現ですから、この記事だけを見るならば確かに偶然の可能性も十分に考えられますが、事実の選択の点でも表現の点でも、偶然でも一致しうるとはいえ、(一致箇所が多いために)偶然でない可能性が高いと思われる類似が見られると。何らかの引き写しを元にされたのではという疑念は晴れませんね。百楽天さんは、このノートはまだ熱心にご覧になっているようなのですが、ノート:日進市やそこから辿れる判例、それから最近の朝日新聞の件については読まれていないのか、とても不思議です。 Kozawa 2004年9月21日 (火) 08:27 (UTC)[返信]

私は、寺院、仏像、文化財などの記事をちょこちょこと書いている者です。もちろん、自分の今まで投稿したものについては、100パーセントオリジナルの文章ですが、たとえばお寺の創建縁起などは、いくら工夫して書いても既存の資料と多少似たものになってしまうのはある程度避けられないと思います。「○○寺は北条○○が、父○○の菩提を弔うため、僧○○を開山として○○年創建した。○○年の火災で全焼したが、藩主○○の援助で○○年に再建」。このような寺院が実在するとして、中立的立場で私見を入れずに書けば、だいたい誰が書いても似たような記述になると思われます。上でどなたかが述べておられたように「一定量の類似があれば転載とみなされる」ということが文字通り適用されたら、寺院の由来などは非常に書きにくくなると思いますが、そのへんはどう考えたらよいのでしょうか。
私は「赤穂藩」という記事(正確にはその第三版)が「削除依頼」に出ているのを見て、このような微妙なケースまで削除されるのかと疑問を感じ、「保留」に1票を投じました。「削除依頼9月」では他のベテランユーザーの方も「判断に迷う」とおっしゃっていますし、この記事が他のユーザーの投稿であったら、これほど問題にされたかどうか疑問です。ただ、1晩間を置いてよく考え、「Wikipedia:削除の方針」を再読してみますと、「Wikipediaの安全」のためには、多少微妙なケースでも削除はやむをえないのかなあ、という考えにもやや傾きつつあります。
以下に「赤穂藩」の記事(以下、「本記事」という)と指摘されている外部サイトとを比較してみて、自分なりに感じたことを書かせていただきます。
本記事が、外部サイトの文章をまるまるコピーして、多少順番や「てにをは」を変えた程度のものであれば、「転載」と判断されてもやむをえないと思います。本記事の1段落目(3つの文章から成る)に相当する内容は外部サイトには見当たらず、記事の最後の1文(森蘭丸に言及している部分)も同様です。したがって、比較の対象になるのはそれらの中間の数行の部分だけであると思われます。この部分について、両者にはたしかに似た記述があることは否定できませんが、この箇所は、池田家→浅野家→永井家→森家という、赤穂の領主の変遷に関する歴史的事実を述べたもので、領主の人名、移封先の地名、石高、領主継承の順番等は変えようがありません。記述の順番についても、年代的に古いものから新しいものへと順に記述するのが普通であり、多少表現を工夫しても似通った記述になるのはある程度やむをえないのではないかと思います。むろん、歴史的事実の列挙であっても、外部の資料と一字一句同じであれば転載と言われてもやむをえませんが、本記事にはあって外部サイトにはない情報も若干認められます。もっとも顕著な点は、外部サイトの文章には、領主の交替時期等に関する年代表記が欠如しているのに対し、本記事には「元和五年」「正保二年」「宝永三年」などの年代が明記されている点です。浅野家領主時代が「57年」、森家領主時代が「165年」という年数の表記も外部サイトにはありません。また、外部サイトと本記事では「藩」という用語ないし概念の解釈に明確な相違が認められます。外部サイトでは池田政綱が赤穂二万五千石を分知されたことをもって赤穂藩の「成立」と見なしていることが文脈から明らかであり、二代目の池田輝興は赤穂藩を「継いだ」ことになっていますが、本記事の筆者は近世前期における「藩」の存在を認めない立場のようで、この部分の記述のしかたは外部サイトとは明らかにスタンスが異なっています。1段落目については、現在、赤穂を訪れても「浅野一色」だという記述は外部サイトの「浅野浪士一色」というフレーズと似ていると言えば似ていますが、「赤穂」といえば、幕末までもっとも長く領主を務めた「森家」ではなく、「浅野家」「赤穂浪士」がまずイメージされると思いますし、そもそも外部サイトの「浅野浪士」というのはあまり聞いたことのないフレーズです。よって「浅野一色」というフレーズの存在をもって転載と見なすのは無理があると思われます。こうして見ると、問題になるのはBBSなどでこれまでたびたび言及されている「突如乱心、妻娘・侍女を斬って改易」云々の一文だけかと思われます。この部分が外部サイトと似ていることは否定できませんが、「突如乱心」というのはそれほど特殊な言いまわしとも思えず、この一文の類似をもって「著作権侵害のおそれあり」とすべきものでしょうか。冒頭にも述べましたように、私自身もハッキリ「削除に反対」とまでは言いきれない状態です。記事の削除の可否については、最終的には管理者の方が決断されると思います。大所高所からのご判断で「削除」に決するのであればそれに異議は申し上げません。Urania 2004年10月7日 (木) 15:35 (UTC)[返信]
Uraniaさんがおっしゃるとおり、もはや管理者の方の判断に任せるべき段階なので、私からわざわざ申し上げる必要もないかとは思いますが、考え方をまとめる意味で述べさせていただきます。
まず、私が削除が適当と考えたのは、以下の2点からです。
  • 偶然とは考えられない表現の一致が、一部ではあるが見られる
  • 上記から、おそらくは当該外部サイトを参照したことが推測され、それを考慮に入れると話の展開の類似性もおそらくは参照の結果と推測される
いわば、上記2点の合わせ技とでもいいましょうか。
一点目についてですが、例としてあげられている「突如乱心、妻娘・侍女を斬って改易」について、『「突如乱心」というのはそれほど特殊な言いまわしとも思えず』とおっしゃっておられますが、いみじくも百楽天さんが参考文献として挙げられた「大猷院御実紀」によれば、「しかるにこの十五日忽に発狂し妻(黒田筑前守長政が女/原註)を切殺しをのが女に手負せ侍女両人をも切て捨たりしかば、けふ所領を収公ありて、長子五郎八政種、二子万千代政成と共に備前岡山に配流せられ松平新太郎光政にあづけられ四年十月十七日輝興は卅七歳にて死すといふ。」との表現だったとのこと。つまり、「乱心」ではなく「発狂」でもよかったわけです。いやむしろ、本当にこれを参考にしていたのであれば「発狂」としない方が不思議です。他にも表現として「狂乱し」でも「狂を発し」でも「精神に異常を来し」でもいいんですが、なぜ選択肢のある中で2つのサイトは同じ表現を使っているのでしょうか?「妻娘・侍女を斬って改易」の部分も、本当に上記の参考文献を元にしたのであれば、いくらでも多様な表現が考えられます。私は当初、両者の表現と似た古文書を百楽天さんが原文として示される(そして問題が丸く収まる)可能性も考えていたのですが、結局具体的な表現が示されたのは上記のみです。これでは私にはこれが偶然とは思えません。当初はこれだけではどうかとも考えていたのですが、今となってはこの点だけでも著作権侵害のおそれありとしていい、と考えています。この文章を示して、「転載しただろう」と当該外部サイトの作者から突きつけられた場合、私が対応するとしたら防御のすべをしりません。
二点目については、一点目がなければ、つまり、表現の類似が全くない状態であれば、内容の類似については偶然の一致だろうと考えたと思います。しかしながら、執筆に当たって外部サイトを見たであろう、という前提に立つと、内容についてもまねしたのだろう、と推測することは比較的自然かと思います。
最後に、Uraniaさんがお書きになっている中で気になりましたのは、記述が似ていない部分、追加されたとおぼしき部分について言及されている点です。百楽天さんも繰り返しこのような点について述べておられましたが、この点は著作権侵害のおそれがあるか否かを論ずる際には無関係だと考えます。たとえば、ABCという文章にDという文章を加えてABCDという文章を作成しても、あるいはAを若干変更してA'という文章にし、A'BCという文章にしたとしても、どちらの場合も著作権侵害のおそれがあるはずです。類似部分こそが検討されるべきであり、追加部分は議論の対象にしても意味がないと考えます。にも関わらず、百楽天さんはD部分、あるいは如何にAをA'にしたことが意義深いことなのかを強調するのみで、類似点についての議論は避ける傾向があり、非常に難儀しました。
以上、蛇足かもしれませんが。Corruptresearcher 2004年10月11日 (月) 10:29 (UTC)[返信]

またしても百楽天さんは井戸端BBSに意味の通じないことを書いていらっしゃいますが、「お疑いならばコピーをお送りします。」と書こうとも、例えば、それを誰かが検証し、これを元にしたことが示されるまでは疑いはあるままですから何も変わりません。この記述だけで反論というのでしょうか?類似点には著作権が存在しないような言及をしながら、それなら完全一致でも似ていても何の関係もないはずなのに一文字の違いを強調してみたり(短文の一致は、必ずしもそれ単独で問題視されているのではありません)。自分がこの事実の著作者であるならば、やはり強調するのは時間の無駄のはずです。「 書き直しはいくらでもできるし」ということは、自他ともにすでに納得されていることのはずなのに、求められていることは無視して、頼まれていない演説を繰り返す。不思議な方です。ちなみに、現在のウィキペディアで、著作権侵害を断言しすぎる方が多いのは不思議に思いますが、罪が確定するまではすべて断言するのも危険だというような思想はまたそれで過激だと思います。 Kozawa 2004年10月21日 (木) 08:12 (UTC)[返信]

念のため。Uraniaさんの、「一定量の類似があれば転載とみなされる」という意見を言ったのは私のことですか? そうであれば、私はそうは言っていません。少なくとも、誰が書いても似たようになることが明らかなら、誰も問題にしないでしょう(誰が書いても似たようになるというのはそんなに長い文にはならないでしょうし、定義のようなもののところが中心になるでしょう)。例え、慣習で世間で広く行われている範囲であるかも知れなくとも、「創作性がある」と感じるものには私は素直に感想を申し上げています。一致の個々の部分がそれぞれ25文字以下なら即大丈夫であるわけでもありませんし、事実の選択もその選択に創作の余地があれば、問題になりえます。もちろん、これの記事がその点で問題になると断言出来るとは思えませんし、逆に念のため削除というのに反していると言えるほど、創作性に欠く類似であると理解できる状況であるとも思っていません。この記事については、例え引き写したとしても問題にならない可能性も十分検討出来る、百楽天さんが出典である可能性もある、しかしながら、少なくとも偶然の一致と信じるにはまだ足りません。百楽天さんは、表現の創作の余地のもっと多い記事より、少ない記事での徹底抗戦がお好きなようなので、余計に悩みます。一個ずつ議論するならば、こういうものほど議論が長くなるのはやむを得ないのかも知れませんが。 Kozawa 2004年10月21日 (木) 16:03 (UTC)[返信]

指摘の編集に「正保二年(1645)、常陸笠間にあった浅野分家の浅野長直が五万三千石で入封。長友、長矩と継ぐが、浅野長矩は世に有名な殿中刃傷事件で改易。 下野烏山より、永井直敬が三万三千千石で入るが、宝永三年(1706)に信州飯山へ転封となる。」という部分がありますが、類似が指摘されているサイトにある文章と比較して相違しているのは、年代の明示、文末の相違、数字表記が漢数字、という点だけに見えます。長友~改易の箇所は同一ですね。

また「播磨平福二万五石」「永井直敬が三万三千千石」「備中西江原二石」と言う誤記が見られますが、後から漢数字に表記を変えたが故の誤記にも見えます。考えすぎでしょうか?--KZY 2004年10月23日 (土) 08:48 (UTC)[返信]

最近のBBSでのやりとり(こちらのスレッドの3340以降)で赤穂藩の話が出たので、削除の是非と、これまでのKozawaさん、Corruptresearcherさんの発言について改めて考えてみました。他の件も併せて書いてあることと、余りに長いのとで、利用者:Tomos/赤穂藩の件などに投稿しました。百楽天さんからお返事があれば、また意見が変わることなどもあるかも知れませんが、とりあえずご報告まで。Tomos 2004年10月24日 (日) 08:07 (UTC)[返信]

早速読ませていただきました。私の思考過程等については、ほぼこのとおりです。どうもありがとうございました。お疲れさまでした。とりあえずはお礼だけ申し上げますが、何かアクションを取る必要があるのであれば、ここででもメールででもおっしゃっていただければと思います。Corruptresearcher 2004年10月24日 (日) 09:03 (UTC)[返信]

どうもありがとうございます。僕が憶測で書いていた部分も、それほど的外れではないということで、少しほっとしました。今後どうすればよいかについては僕もまだわかりませんが、対話が順調に続いて何か見えてくれば、と思っています。

なお、その後百楽天さんに頂いたお返事を受けて書いたものを、利用者:Tomos/赤穂藩の件など2においておきました。

Tomos 2004年10月28日 (木) 01:55 (UTC)[返信]

勘違いされていると思う点が多々あるので、私の意見を補足しておきます。一般論として著作権侵害のないことを証明するのは悪魔の証明でありうるというのは間違いないです。この記事に関しては、判断に関係あると思われている情報が開示されていない状況で悪魔の証明うんぬんを持ち出すのはどうかと思います。さて、ここまで百楽天さんが示された情報からは、私はこの記事をもって著作権侵害の裁判が起こされたとしても、少なくとも著作権侵害という判決を訴える側が引き出すのは、容易で自明なこととはいえないだろうとは感じました。これがウィキペディアでなく、個人の契約のプロバイダで個人のみの責任において公開したものであれば、この記事をたとえば削除することに対して断言することに対して必死に抗議する行為は、特段おかしなものとは思いません。しかしながらこの記事を削除することになったとして、それがウィキペディアという特性を考えてもなお著しく不当であるともやはり思えません。この記事をさして、例えば百楽天さんが著作権侵害を多数行っている証拠の一つだとまで断言された場合に、それを不当だと感じることについては共感するところがないでもないです。井戸端BBSはともかくとして、ウィキペディア中に百楽天さんに対する名誉毀損に該当する発言があると思った記憶はないですが、百楽天さんにおいてはそのペンネームで執筆活動があり、その活動がそれなりに認知され、ここでの活動においてもそれが特定の人物を認識されている場合があるようですので、ある発言が百楽天さんに対する名誉毀損になる可能性は、ウィキペディアとしては考慮に値するでしょうし、ウィキペディアのルールを変えなければ名誉毀損で訴えるといった、脅迫なのか何か区別のつかない要望ではなくて、特定の発言をさして、削除しなければ名誉毀損で訴えるというような話であれば、ものによっては削除されるものもあるかもしれないという風には思います。著作権侵害のおそれに関しての、やや予防的なルールからすれば、名誉毀損にもその予防的基準を適用するのは、削除の方針からも何も不自然ではないと思います。と赤穂藩に直接関係ない話題が続きましたが、私がこれを著作権侵害でないと断言しないこと、削除に反対しないことには、何ら他意はありません。疑う人は疑うでしょうが、そちらの方がより悪魔の証明というにふさわしいと感じています。 Kozawa 2004年11月11日 (木) 11:24 (UTC)[返信]