ノート:足利学校

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

「大学」というのは16世紀に来日したイエズス会士の表現だろうが、このような外国人の説明を何の断りもなしに使用するのは誤解を招きやすい。教育制度自体が全く違うのだから、足利学校は当時の西欧の大学と比較しても大学の実質があったといえるだろうか。その名のとおり、学校施設あるいは専門教育施設という表現に止めるべきであると思う。Trek011 2004年7月4日 (日) 08:23 (UTC)[返信]

その表現には問題があると思います。第一に、単に「学校」といった場合、小学校・中学校・高等学校・専門学校、などの、現行制度上名称に学校がつく機関に類似のものと誤認される心配があります。教育施設という表現は、施設に重みがおかれすぎ、制度として、また機関として認識されない可能性もあります。該当部分は恐らく、フランシスコ・ザビエルの1549年の記述を元にしていると思われますが、ザビエルは足利学校が当時のヨーロッパの大学に似た機関だと認識した上でそのような記述(アカデミーという表現を使ったようです)を残したのだろうし、当時、足利学校とヨーロッパの大学機関を比較できて記述を残したのがザビエルだけだとすると、その評価は認めてよいものだと思われます。ザビエルによると、足利学校は当時11あった日本の国立私立大学またはその類似機関(アカデミー)のうち最大のものだったそうです。事実上の最高学府だったと思われます。ので、そう書き足しておきます。Modeha 2004年7月4日 (日) 10:43 (UTC)[返信]

どうも説得力に欠ける反論です。まず、ザビエルは足利学校を直接見たわけではないし、滞日期間も短く、ちょっと噂に聞いただけでしょう。通訳も満足な者がいたかどうか。ザビエルの表現をあまり過大に評価するのはどうでしょうか。当時の西欧の大学はまず修道院のセミナリオに通ってラテン語や幾何学などを学んでから行くもので、少なくとも初等教育機関と高等教育機関(大学)の違いはあったが、寺子屋さえろくになかった戦国時代の日本にどんな初等教育機関があったのでしょうか。最初は漢字の手ほどきからやったのではないでしょうか。初等教育を必ずしも前提にしていないのであれば、現代日本語として「大学」と表現するのはやはりためらわれます。もちろんザビエルが「坂東の大学」と書いたというだけなら別に問題はないのですが。足利市の英語サイトでも大学とはいっていませんね。

http://www.city.ashikaga.tochigi.jp/english/index.html


Trek011 2004年7月7日 (水) 08:56 (UTC)[返信]

上とは無関係のことですが、足利市のサイトで足利学校を「日本最古の学校」と書いているのは大問題です。この点については足利市のノートに書いておきました。Trek011 2004年7月7日 (水) 09:33 (UTC)[返信]

ですから、定義部分から「大学」という文字は消して、「高等教育機関」に変えてあります。また、ザビエルが名を聞いた11の大学およびアカデミーのうちで、というような文章も付け加えておきましたので、ひとまず本文のほうをごらんください。そもそもラテン語が使えないと入れなかったヨーロッパの大学とラテン語なんか関係ない日本の当時の高等教育機関を同じ単語でくくろうとしたら大学かアカデミーくらいしかなかったんじゃないですかね。それと、初等教育機関がないと大学は存在しないという説をとっておられるようですが、たぶん、制度としては初等教育機関よりは大学のほうが先ではないですか? ヨーロッパの初期の大学に入学するのに、何らかの初等教育機関の卒業資格が必要とされたという話は聞いたことがありません。初等教育機関には行かず、丁稚奉公みたいなことをしながら独学で学び、奨学金試験に合格して大学入学した人々も当時のヨーロッパには多くいたはずです。また逆に、大金持ちで、ろくに初等教育など受けてもいないのに、寄付金と紹介状だけで入学した貴族だっていたはずです。日本でも、そもそも入学資格にいずれかの中等・初等教育機関の卒業資格という条項を外している大学ってありますよね?中卒で、大検資格なしで入学できる大学が。

そもそも、ヨーロッパの大学だって初期のものは自然発生的に成立したものも多く、そもそも基盤が違うんだから、似たものを同じ単語でくくっても困らないとは思います。また、ザビエルが信用ならない記述者だという意見もあまり聞きませんし、ザビエルだって神学校くらいは出てるんだろうし、そういう人が似ているものがちゃんとある、といっているんだからある程度信用してよいと思います。そうでないと、そもそも、紀元前8世紀のギリシャの歴史はヘロドトスしか記述を残していないし、ヘロドトスだって自分で見たわけじゃないんだからその記述は信用ならないとかいう話になっちゃいます。ひとまず、信用できる、と思われている記述者の記述は、明らかに事実と異なるという別の有力な証拠を見つけないと、あなたの説は信用されないと思います。もちろん、当時の記述で「ザビエルの日本の大学に関する記述は信用ならない」とかいう記述がもっと有力な記録者によって残されていれば、それもまた有力な証拠になるでしょう。が、当時特に異議が唱えられなかったんだとしたら、それはある程度信用してしかるべきだと考えます。なお当時、寺子屋は既にあったようです。

「日本最古の学校」の話は、ノート:足利市に書いておきます。でもそれは足利市に文句を言うべきであってWikipediaに言うのは筋違いかと。Modeha 2004年7月7日 (水) 10:24 (UTC)[返信]

おやおやもう返事がいっぱい来てますね。ザビエルはパリのソルボンヌ大学神学部を出ていたはずです。ですから、ザビエルは信用できないといっているのではなく、その日本情報がどの程度正確かという話です。本文をみると「大学」は消えているので、もういいですが。それから、ウィキの足利市には「日本最古の大学」という文章があるので書いただけです。市のホームページを受け売りするだけでは客観的で中立的とはいえないのでね。Trek011 2004年7月7日 (水) 10:38 (UTC)[返信]