ノート:長崎市への原子爆弾投下

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2枚目の画像[編集]

2枚目の画像は「原子爆弾投下前の長崎市中央部」となってますが、 これは長崎市北部の浦上地区の画像ですね。 実際に投下された場所に変わりはありませんけど、誤解を生みそうな気がします。 「爆心地付近」と直した方がいいのではないでしょうか。

中央部の表現はご指摘の誤解を生むような気がします。官公庁街や、交通の拠点である長崎駅、商業の中心である浜町などを連想される方もいらっしゃるかもしれませんから。
また、記事中にも
長崎市街中心部上空へ接近を試みた。しかし、ボックスカーより遅れて発進した写真撮影機(B-29ビッグ・スティンク号)との合流待ちのため屋久島上空で約45分旋回を繰り返したことと、小倉上空での3回の航程失敗のため燃料に余裕がなくなり、その上ボックスカーは燃料系統に異常が発生。本来の投下予定地点より北寄りの地点であったが雲の切れ間から一瞬だけ覗いた工業地帯を臨機目標として原爆を投下した。
ともあります。そこで原爆投下前の爆心地付近(長崎市浦上地区)に修正しましたがいかがでしょう。--Sonic883 2006年6月26日 (月) 12:28 (UTC)[返信]

ファットマンの威力[編集]

ファットマンの威力はリトルボーイより数段大きいため、平地で爆発した時の被害は計り知れない。東京都心上空で爆発すれば山手線内側が壊滅。等々と記述されていますが、過大評価ではないでしょうか? 衝撃波(爆風)はエネルギーの立方根に比例しますので、22キロトンのファットマンによる破壊は15キロトンのリトルボーイのそれの1.13~1.14倍に広がるに過ぎません。熱線による焼夷作用は平方根に比例しますが、それでもおよそ1.2倍程度です。広島では爆心から1.5キロメートル以内の可燃物が輻射熱で発火したそうですが、ファットマンなら1.8キロメートル以内となり、それほど広範囲になるとも思えません。61.122.217.180 2006年8月4日 (金) 08:48 (UTC)[返信]

爆発による破壊力が爆心点からの距離の3乗に反比例して減衰する特性は既知の事実です。それだけ原爆とは他の爆発物同様に爆心に破壊力が集中するので、狭い土地に人口が密集している地域での攻撃は核爆発の効果を最大限に高めるものです。したがって現在の東京都心、それも朝夕のラッシュピーク時に新宿駅上空で爆発させた場合は数万人ないし十万人程度の死者では済みません。瞬間最大の乗降客や乗換客だけでも40万人近く、半径2.9kmの致死半径を含めた人口は100万人を簡単に超えます。致死半径外でも相当数の死傷者を出すものと推察されます。決して過大評価ではないと考えています。2006年8月26日(土)1:47

2006年8月26日のノートを書かれた方への反論です。本来ならもっと早く書くべきで、今頃書いても読んでいただけないかも知れませんが、恥ずかしながら当方は自宅にパソコンが無いという、今時珍しい人種で、職場のを使って投稿しておりますので、なかなか思うようにならないのが現状です。ご了承下さい。
それはともかく、貴殿のおっしゃるとおり、爆発力が距離の3乗に反比例するのは全く周知の事実で、だからこそそれを基にしたご意見をいただきたかったのですが。つまり、広島原爆に比べてわずかしか殺傷や破壊の範囲が増えないファットマンで、なぜ広島を数倍も上回る犠牲者が出るかという事を具体的な例を挙げて証明してもらいたかったのですが。新宿駅の瞬間最大の乗降客が40万人というのは信じられません。新宿駅がいかに大きいとはいえ、40万人も一度に詰め込むのは物理的に不可能でしょう。或いは、1日当りの数字ではありませんか? 
当方には幾つか資料があります。1960年代に出された国際連合事務総長報告では、人口116万人、10キロメートル四方の都市における1メガトンの核爆発の被害想定として、爆風と輻射熱による死者を27万人、放射性降下物によるそれを9万人、合計36万人としています。古い資料ですが、充分信頼が置けると考えられます。1メガトンでこれですから、その50分の1の爆発で100万人も死ぬとは考えにくい。東京などは、小さな住宅がごたごたと集まり、いかにも狭い範囲に大勢住んでいるように見えますが、それは錯覚で、そのような所は、高層住宅が集合した欧米の大都市より人口密度は小さいものです。又、最近の資料としては、雑誌「SAPIO」2006年11月22日号で軍学者の兵頭二十八氏が書いているものがありますが、詳細を引用すると長くなるので結論だけ記しますと、東京都心で広島原爆(15キロトン)が爆発しても死者は1万人以下ということです(同誌16ページ)。
むろん、核爆発の被害は様々な条件でかなり違って来るでしょうから、断言はできませんが、死者100万人はいかにも過大に過ぎると思います。最も、昨年10月に北朝鮮が核実験をした直後、恵谷治氏が、長崎型原爆が東京都心で爆発したら死傷者1000万人、と言っていました。首都圏の人口の大部分が小型原爆1発で死傷するという事ですが、当方としては、広島に原爆が投下された直後に、今後50年間広島には草1本生えないだろう、とする説があったのを思い出します。恵谷氏の説も、50年間は草1本云々と同じレベルでしょうか。61.122.217.180 2007年1月27日 (土) 07:41 (UTC)[返信]
61.122.217.180さんの情報を元に計算してみました。結果は33.6万人が死亡する、ということになりました。仮定は昼間の新宿区にTNT換算で22キロの長崎型(プルトニウム)原爆が落とされたということにしています。計算方法は以下の通り。
・新宿区に隣接する区(文京区、渋谷区、豊島区、千代田区、中野区、港区)の面積合計は105.23km2
・上記中で昼間人口()の合計は406.6万人、100km2に修正した場合386.4万人
・長崎型原爆の威力は1メガトンの45.5分の1、爆風は3.57分の1(立方根による)
・上記から61.122.217.180さんの情報と同じ原爆で人口のみ変化させると、119.9万人が死亡することになる
・その威力の1/3.57なので33.6万人
まあ、簡単な手計算なので、実際には人口密度などを考慮にいれていなかったり、ほかの要因があるせいでこれより前後すると思いますが、参考になれば。ちなみに新宿区は18.23km2。致死半径が2.9kmとすると、約26.40km2になります。この範囲をこの計算で使った平均密度で計算すると、約102万人となります。--Lyiase 2008年1月18日 (金) 05:45 (UTC)[返信]
あ、出典忘れてました。昼間人口は[1]の平成12年より。

“北海道へ進出したソ連に対抗する”[編集]

冒頭に“北海道へ進出したソ連に対抗する”とありますが、正確には“ソ連に北海道まで進出させないため”ではないでしょうか。2006年8月24日(木)0:00

原爆投下の映像が返還された?[編集]

アメリカ軍が撮影した原爆投下の映像が、「日本に返還」されたのは正しい表現なのでしょうか?--218.222.41.4 2006年10月7日 (土) 14:53 (UTC)[返信]


「1945年の広島・長崎に対する原爆投下」という記事について[編集]

この記事のリンク元に1945年の広島・長崎に対する原爆投下という曖昧さ回避のページがあることをご存知でしょうか。曖昧さ回避としての役割を果たしていないということで、記事名変更と大幅改定の案が出ています。背景として、他言語版では広島と長崎の原爆投下の記事がまとめられており、一方、日本語版では広島と長崎が別記事に分かれているという現状があります。そのため、他言語版からリンクしやすいように広島と長崎の記事の一部をまとめたページを作成しては、という議論が行われております。議論は当該記事のノートで行っておりますので、ぜひこちらの記事を執筆された方もご参加ください。--Clapon 2007年1月28日 (日) 15:43 (UTC)[返信]

今のままでよいのではないですか?「広島・・・」の記事も「長崎・・・」の記事も別々に編集成長してきた記事です。記事の内容も別です。他言語版に合わせて無理やり「合体」させようなどという案は論理が無茶苦茶です。

広島も長崎も日本が一番情報が豊富であり、その結果記事2つとなった。他言語では情報が少なく合体記事となった。それだけのことでしょう。Northface 2007年1月31日 (水) 15:31 (UTC)[返信]

本記事の加筆について。[編集]

爆弾投下機の機長の著書等を参考文献として爆弾投下までの状況等を加筆しました。

現在、ノート:1945年の広島・長崎に対する原爆投下での色々な議論があるようですが、記事長崎市への原子爆弾投下の加筆については特段、見合わせることとはなっていないようでしたので加筆させていただきました。--竹富島 2007年4月6日 (金) 10:43 (UTC)[返信]

改名提案[編集]

 ここでは、長崎市への原爆投下についての事がらだけのことについてはなすものとする。--Moritaku1105

  • (コメント)ナガサキという項目ではそれが長崎市への原爆投下である、という説明は必須だが、長崎市への原子爆弾投下なら項目名を見ただけでそれと分かる。提案の意味が全くもって不明。第一。長崎にしろ広島にしろ、それぞれの原爆投下の事を調べたい人間がいたとして『ナガサキ』『ヒロシマ』と見て一目でそれと分かるとは思えない。○○市への原爆投下、つまり今のままの方が遥かに分かり易いと言える。手間を増やすだけで何の益にもならない --あな@34 2008年10月30日 (木) 00:13 (UTC)[返信]
  • Moritaku1105氏による改名提案ですが、ノート:広島市への原子爆弾投下#ヒロシマへの改名案のテンプレートは既に削除されているようです。本稿においても改名に対しての議論は進んでいないようですし、提案者は他の項目のページにおいても、不要な改名提案を繰り返す問題行動をなさっているようですので、これ以上『ナガサキ』への改名提案テンプレートを貼り付ける必要性は無いと思われます。暫く様子を見た上で、本稿のテンプレートも削除したいと考えますが、皆様方のご意見はいかがでしょうか?--43.244.216.46 2009年1月20日 (火) 09:17 (UTC)[返信]
  • (コメント) 蛇足ながら 福島第一原発事故のあたりも「フクシマ」とカタカナ表記のうごきがちらほら。

一部の方がそういうご自身の 信条でされることがあるようです。 --河童工房会話2015年10月17日 (土) 00:34 (UTC)[返信]

  • -河童工房さんのご指摘は解ります。『ヒロシマ・ナガサキ』と記述する事と、『フクシマ』と記述する意図は全く異なっております。後者は原発反対の思想を持つ者が、原爆投下と同列に原発事故を論じようとする政治的思想が考えられます。福島県においては原爆は投下されず二次被爆も無く、『目玉が飛び出し、皮が剥がれた人達が「水を下さい」と良いながら亡くなっていった』という現象は発生していませんから、原爆投下と原発事故を同列に論じるのは、被爆死者に対して無礼な行動だと解釈出来ます。個人的には福島原発事故を『フクシマ』と記述している項目は、削除を願いたいと思うばかりです。--男梅会話2021年8月9日 (月) 03:01 (UTC)[返信]

項目内の記述を原爆もしくは原子爆弾に統一しませんか?[編集]

詳細はこちら(広島市への原子爆弾投下ノート) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E5%BA%83%E5%B3%B6%E5%B8%82%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE%E6%8A%95%E4%B8%8B

内容としてはこちらでも同じだと思いますので、こちらでも提案いたします。手間を省くため、意見、議論は広島市~の方でお願いします。 --あな@34 2008年11月3日 (月) 00:29 (UTC)[返信]

遅ればせながら、原爆に統一しました。議論の経緯については広島市への原子爆弾投下の方を参照で --あな@34 2009年1月15日 (木) 18:11 (UTC)[返信]

転載疑いのタグについて[編集]

2009年7月11日 (土) 05:13に Tamtarmさんが、「転載疑い」のタグを貼られていますが、それは2009年7月10日 (金) 07:54に、211.124.255.83さんが書かれた原稿に対するものと思われます。しかも、その記述内容は価値あるものと思いました。Tamtarmさんがこの原稿を211.124.255.83さんの著作物ではなく、著作権違反であると確信するにいたった理由をお聞かせください。 --Nife 2009年8月1日 (土) 00:37 (UTC)[返信]

まず最初に申し上げておきますが、“確信”ではなく“疑い”です。ここを混同しない様にお願いしておきます。今回の場合、執筆者の著作物であるかどうかは執筆者でないと証明は出来ないかと思います。もちろん執筆者が独自に文章にまとめて投稿した可能性もあるでしょう。ただ、万が一転載であった場合、Wikipediaでは著作権を侵害した部分を残しておく事は出来ずその版を削除をしなければなりません。(直後の版での差し戻しは、削除する事になった際に履歴の関係で他の版が巻き込まれない様にする為です。)2009年7月10日 (金) 07:54 (UTC)版での加筆は、内部リンク部分のみが数字を半角処理している事(それ以外の数字は全て全角で打込まれています)や、文体など不自然な部分が見受けられる事から、どこかのソースをコピーアンドペーストし物理的に作動しない部分のみを修正し投稿した可能性があるのではないかと言う疑いを持ちました。そして私の能力ではそれを断定するまでに至ってない為、調査依頼をかけさせて頂いています。--TamtarmかいわP 2009年8月1日 (土) 02:18 (UTC)[返信]

「世界最初の原子爆弾を実戦で使用し、その効果を測定したいと考えていた」と「これは、原爆が爆発した時の様子を、記録するという必要性からでした。」の2つの文章でgoogle検索してみたところ、大変に残念ながらこの記事は、http://kids.s24.xrea.com/heiwa/nagasaki/riyuu/index.htm と完全に一致し、また、第一段落は、http://www.d1.dion.ne.jp/~gotou_m/esperanto/hpm/hpm2.pdf とも一致していて、Tamtarmさんのご指摘のとおり、著作権上の問題があったと思います。ただし、すでにTamtarmさんが当該投稿をRevertしているので、現在の記事には問題ありません。「転載疑い」のタグを外していただけますでしょうか。--Nife 2009年8月1日 (土) 07:27 (UTC)[返信]

情報ありがとうございます。私が未熟であったり、なおかつ検索の時間も割けなかった為、これが探せずにいました。転載元が明らかになり、かつ元となった場所の一つにはCopyright表示もされていますので、削除依頼(問題版のみの特定版削除の依頼)を提出させて頂きます。{{転載疑い}}は外させて頂きますが、削除依頼の審議中{{sakujo}}{{copyright}}を貼付致します。審議期間の目安としては1週間を見て頂ければと思います。Wikipediaは、新規立項から最新版までを履歴として残しているので、過去に著作権侵害の記載があった場合、性質上その記載も残ってしまいます。その為、法的リスクも伴う著作権を侵した問題版を削除してしまわなければならないのです。削除審議中、目障りで不快にお感じになるかも知れませんが、何卒ご理解いただきたいと思います。削除依頼に伴い貼付させて頂くテンプレートは、審議、または削除と確認の完了次第取り除かれます。--TamtarmかいわP 2009年8月1日 (土) 09:33 (UTC)--脱字補完--TamtarmかいわP2009年8月1日 (土) 09:58 (UTC) 追記--TamtarmかいわP 2009年8月1日 (土) 10:01 (UTC)[返信]

長崎原爆投下都市の選択 の分離提案[編集]

長崎市への原子爆弾投下#長崎原爆投下都市の選択の記事について、記事の書きかけになっていますが、長崎市に限った内容でないし、広島市や小倉市、京都市といったところにも影響を与えた内容ですので、日本への原子爆弾投下という記事に分離移動することが、ノート:1945年の広島・長崎に対する原爆投下#議論が停滞しているようですがで議論されています。移動後の本記事の同項目は、簡単な要約記事に編集いたします。ご賛同・ご意見は、ノート:1945年の広島・長崎に対する原爆投下#議論が停滞しているようですがにお願いいたします。--Nife 2009年8月31日 (月) 21:39 (UTC)[返信]

長崎原爆投下について影響力のあった宗教的解釈 について。[編集]

これはあくまでも永井博士の個人的見解であって、浦上住民、および長崎市民の見解では無いと考えられます。またホロコーストがカソリック信者によく知られているという部分は、原爆投下と何ら関係がありません。一部を永井隆の項目に移した上で削除したいと思いますが、皆様方のご意見は如何でしょうか?--男梅 2011年7月15日 (金) 17:08 (UTC)[返信]

この記述を『永井隆』の項目に移します。--男梅 2011年8月9日 (火) 00:06 (UTC)[返信]

小倉と八幡の距離についての提案[編集]

文中に 7㎞という記述がみられるが 実際はもっと近い・・・理由:私の故郷なので実感として。 八幡空襲は 枝光(母が住んでいた)~黒崎間の被害が大きく(現在の小倉北区境川~戸畑~黒崎この間約10㎞の工業地域海岸は新日鉄住金八幡製造所敷地になる) この間の距離の基準の取り方により大きく距離が違ってくるので。 ウェブにある地図などを添付するやり方もあると思う。 現実は行政区境界がいりくんでいることもあり八幡東区枝光~小倉北区旧小倉造兵工廠との直線距離は 約半分というのが実感です。 どこを基準に7㎞なのか 明確にすべきではないか?--河童工房会話2015年6月23日 (火) 17:03 (UTC)河童工房[返信]

長崎市への原子爆弾投下を長崎大虐殺と表記しましょう[編集]

米軍は、長崎へ原子爆弾を投下し、約20万人の民間人を惨殺しました。広島大虐殺と同様の悲惨な光景がそこでは広がっていました。このような大虐殺を単に「原子爆弾投下」と表現し、米軍による残虐行為の加害性を歪曲・美化することには断固として反対です。後世への教訓として「大虐殺」を使いましょう。

「大虐殺」を意図的に「原爆投下」へリダイレクトして歴史の事実の矮小化を促進することに断固として反対します。--義務教育学校及び高等学校学習指導要領会話2023年3月17日 (金) 13:42 (UTC)[返信]

提案者の方はWP:SCRUTINYによる無期限ブロックとなりました。つきましてはこの議論の終了が良いと考えます。--遡雨祈胡会話2023年3月21日 (火) 03:41 (UTC)[返信]
終了提案に賛成します。--おっふ会話2023年3月21日 (火) 04:21 (UTC)[返信]

情報いまさらだがWikipedia:改名提案に掲載されていない。--伊藤太郎会話2023年3月21日 (火) 08:26 (UTC)[返信]

「午前11時02分」は「投下時刻」ではなく「炸裂時刻」です。[編集]

「長崎市への原子爆弾投下」

長崎市への原子爆弾投下(ながさきしへのげんしばくだんとうか)は、

第二次世界大戦太平洋戦争)末期の1945年(昭和20年)8月9日(木曜日)

午前11時02分に、連合国アメリカ合衆国枢軸国日本長崎に対して

原子爆弾ファットマン」(以下原爆と記す)を投下した出来事であり、

この原子爆弾が人類史上において2回目かつ実戦で使用された最後の核兵器である。

の中の「午前11時02分」は「投下時刻」ではなく「炸裂時刻」です。 また、下記の

注釈2.^ アメリカ軍の記録による投下時刻は午前10時58分。

は、正しいです。 しかしそれは「ボックスカー」機内にあった或る時計の表示時刻であり、

その投下瞬間の正確な日本標準時(JST) ではありません。 

したがって下記の記述も間違っています。

長崎上空

スウィーニーは直ちに自動操縦に切り替えてビーハンに操縦を渡した。

工業地帯を臨機目標として、午前10時58分、高度9,000メートルから「ファットマン」を

手動投下した。ファットマンは放物線を描きながら落下、約4分後の午前11時2分、

市街中心部から北へ約3キロメートルそれた松山町171番地の別荘テニスコート上空

503メートル±10メートルで炸裂した。

上記の、 「午前11時2分、・・・・ 炸裂した。」は正しいですが、直前の

約4分後」とその前の「午前10時58分、高度9,000メートルから」は間違いであり、

正しくは恐らく、「午前11時01分、高度9,600メートルから」になると思われます。

正しいのは「ファットマン」が投下後43秒後に自動炸裂するように設定されていたことです。 

したがって「炸裂時刻:午前11時02分」であれば、逆算して「投下時刻:午前11時01分」と

なります。

< 問題 >

長崎市上空の高度9600mを450 km/h (279.6 mi/h) で飛行しているB-29

ボックス・カーから投下された下記仕様の原子爆弾(Mark-3 Fatman )がB-29に

よる慣性の法則の影響を受けて放物線の弧を描きながら自然落下していき、

炸裂したと推測される上空500mまで到達するのにかかるおおよその秒数を

計算によって求めてください。 この際、気温・湿度・風速は考慮に入れない

ものとします。

原子爆弾(Mark-3 Fatman )

長さ: 12 ft (366 cm)

直径: 60 inch (152 cm)

重量: 10,300 lbs (4,670 kgs)

の計算で、はたして上記の「ファットマン」が上空9600mでリリース(投下)されて、

炸裂高度500mに到達するのに「約4分」もかかるという記述は物理的に明らかなる間違い

であり、また米軍資料に投下時刻として記録されている「ボックスカー」機内の或る時計の

「投下時刻:午前10時58分」を単純に「炸裂時刻:午前11時02分」と結び付けて、「約4分後」と

記述するのは学術的ではありません。

したがって、

・ 1945年(昭和20年)8月9日(木曜日)に、連合国アメリカ合衆国枢軸国日本長崎に対して

  原子爆弾ファットマン」(以下原爆と記す)を投下し午前11時02分に炸裂した出来事

  であり、

・ 「午前11時01分、高度9,600メートルから」

・ 「約43秒後」

と訂正されなければなりません。

以上


nagagensaku1102--Nagagensaku1102会話2023年4月8日 (土) 04:56 (UTC)[返信]