ノート:阿部仲麻呂

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執筆の姿勢を確認しましょう[編集]

この項目の執筆にあたり、次の方針を再確認しましょう。

  署名失念--Tzzzy 2008年7月16日 (水) 17:45 (UTC)[返信]

改名の提案[編集]

 阿部仲麻呂 (神学者) への改名を提案します。 現在、阿倍仲麻呂(奈良時代の学者)との混同が生じています。 この人名には「安倍仲麿」「阿部仲麻呂」「阿倍仲麿」の表記も歴史的に存在します。 現代人である本項を括弧つき表記とし、誤解を避ける必要があると思います。--Tzzzy 2008年7月24日 (木) 13:48 (UTC)[返信]

曖昧さ回避の括弧をつけずとも、otherusesテンプレを使えば十分のように思います。--122.26.255.164 2008年7月24日 (木) 13:50 (UTC)[返信]
私も同様に、Template:Otherusesを使用すれば、改名の必要はないと考えます。--123.225.132.111 2008年7月24日 (木) 14:22 (UTC)[返信]
Template:Otherusesで誘導することも必要ということは理解しました。当初から奈良時代の学者として阿部仲麻呂を検索したユーザーには、阿倍仲麻呂を知らせる必要がある。一方、他の項目で奈良時代の学者を「阿部」と書く選択は常に可能です。その際、執筆・加筆者がリンク先を未確認の場合、ユーザーが奈良の「阿倍」「安倍」を読むためにここを経由しないとならなくなる手間を、簡単に許容してよいのでしょうか。ちょっと現代人のこの阿部神父の「名乗ったもの勝ち」の観がありませんか。--Tzzzy 2008年7月24日 (木) 19:22 (UTC)[返信]
「他の項目で奈良時代の学者を「阿部」と書く選択は常に可能です」の意味がわかりません。そのようなリンクを貼る際は加筆する人間がきちんと確認して貼らなくてはいけませんし、そうでなかったならば速やかに修正されるべきことです。読者への利便性の確保は、間違ったリンクが速やかに修正されることのみによってなされるべきです。
参考までに公式な方針であるWikipedia:曖昧さ回避を引用しますと、
内容が異なるトピック(主題)なのに適切な記事名が同じになってしまうときに、それらを判別しやすくすることを曖昧さ回避と呼びます。
曖昧さ回避は、「フリーウェア」(無料ソフト)と「フリーソフトウェア」(変更、再配布等が自由なソフト)のように、類似した名前で異なる内容のページが作られている項目と混同してはいけません。

とあります。「阿部仲麻呂」という記事名が適切であるのは現状当該記事の方だけですので、曖昧さ回避をする場合にあたりません。「名乗ったもの勝ち」などというあなたの価値観を持ち込む余地はありません。--122.26.255.164 2008年7月24日 (木) 22:12 (UTC)[返信]
「名乗ったもの勝ち」の観がありませんか。の表現は改名提案の理由ではなく感想なのです。「阿部」と書く選択は常に可能ですというのは、記事名としては「阿倍仲麻呂」がとられていますが、歴史的に行われた別表記まで項目名に揃えて改竄できないという意味です。リンクが適切であればそれで問題ないと思いますが。「阿部仲麻呂」という記事名が適切であるのは現状当該記事の方だけとのことですが、

 いま安倍仲麿安倍仲麻呂はリダイレクトで処理されています。ちなみにWikiquoteでは、「阿部仲麻呂」[1]でもリダイレクトを行ってます。

方針Wikipedia:曖昧さ回避には

読者がその言葉でその項目を探す可能性が大きいかどうか、また読者が探しているページへの誘導が簡単かどうかを総合的に判断してください。

ともあります。まあ現状「阿部仲麻呂」名での実質先着順式で、Otherusesでの対処が消極的ながらも適当でしょうかね? ともかく執筆・加筆時にリンクを間違える場合のすみやかな修正を念じましょう。--Tzzzy 2008年7月25日 (金) 08:09 (UTC)[返信]

テンプレートをつけました。これで駄目というのであれば、百科事典に相応しくない項目として削除依頼に出すのが適当でしょう。改名案には現段階では反対します。--M3HR 2008年8月4日 (月) 21:49 (UTC)[返信]
改名提案を除去しました。--Tzzzy 2008年8月8日 (金) 14:01 (UTC)[返信]