ノート:風神雷神図

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三島の言う[編集]

三島の言う「奇抜な構図」と出典からの鬼神の彩色の変更にかかる深意につき、2015年8月15日13:54時点の編集においては体系的な説明がなされているのに対し、現在の記述ではその点に対する視点が欠落している。また、彩色の変更が色味のバランスを取るという説明では、なぜ白と緑青が選ばれたかという疑問に対して何の説得力もない。バランスを取るなら赤と群青でも良いではないか?。加えて雲の表現については、銀に墨ばかりではなく代赭も重要な役割を演じていることにも触れられていないなど、このまま表示しておくには問題が多々ある。 とにかく宗達の「風神雷神図」は、構図、出典からの彩色、細部の描写の改変等、伝統的に仏画に描かれてきた風神雷神図と比較して特異な点が目立つ。それゆえに、個々の特異点につき場当たり的な印象を述べるのではなく、宗達の作画の基本方針を措定し、そこから個々の特異点に対する解釈が矛盾しない意味の体系を構築することが、「風神雷神」の形象を借りて宗達が何を表現したかを解明する道である。 今後の編集にあたっては、公にされた研究成果を比較し、構図や表現に加え、作画にあたった宗達の思想的背景などから総合的にに蓋然性の高い学説を選択してゆくべきである。 Petrojohane

この記事の履歴を見れば、利用者:Petrojohane会話 / 投稿記録さんと利用者:石川県立美術館 村瀬博春会話 / 投稿記録さんは同一人物であるということが分かります。ウィキペディアでは多重アカウントの不正使用は禁じられていますから、現状、あなたの言動には説得力がありません。
記事の約3分の1を石川県立美術館 村瀬博春さん自身の論文で埋め尽くすという編集[1][2]は、「宣伝・広告投稿」とみなしうるものです。Wikipedia:検証可能性の文書が言っている通り、「記事は公表済みの信頼できる情報源に基づいて、全ての大多数の観点と重要な少数派の観点を、それぞれの勢力差に応じて公平に執筆しなければなりません。ごく少数派の観点は、それを専ら記述するための記事を除いて、含める必要はありません」。石川県立美術館 村瀬博春さん自身のご意見をあたかも通説であるかのごとく書き加えるのは、あまり感心しません。
美術館、図書館、公文書館、博物館などに所属する利用者のウィキペディアへの貢献の仕方については、en:Wikipedia:GLAM(日本語版の文書「プロジェクト:GLAM」は整備途上なので、とりあえず英語版の文書を貼っておきます)が参考になるでしょう。--153.206.177.39 2015年8月19日 (水) 16:45 (UTC)[返信]

→この記事の履歴を見れば、利用者:Petrojohane会話 / 投稿記録さんと利用者:石川県立美術館 村瀬博春会話 / 投稿記録さんは同一人物であるということが分かります。  学問的な良心を持った人物ならば、「風神雷神図」という偉大な文化的所産について、何をなすべきかは自明でしょう。先の編集は特定の説を通説と見做しているのではなく、作品に検証すべき問題が存在することと、それがどのように取り上げられ、論じられているかを比較検討する重要性を述べたもので、それは特定の学説の提唱者ゆえではなく、学問の徒としての当為であることを強調しておきます。そして、この作品に「通説」と呼ぶに値するものがあるのかという疑問も合わせて呈示しておきます。Petrojohane

会話ページでも案内しておきましたが、利用者:Petrojohane会話 / 投稿記録さんと利用者:石川県立美術館 村瀬博春会話 / 投稿記録さんは同一人物なら、直ちにWikipedia:多重アカウントのガイドラインに則った対応をしてください。
ウィキペディアは学会や学術雑誌ではないですから、ありとあらゆる学説を記載する必要などないのです。Wikipedia:独自研究は載せないの文書にも「もしある観点が極めて小さな(あるいは極めて限定された)少数派に支持されているのであれば、それが正しいかどうかに拘らず、あるいはあなたがそれを証明できるかどうかに拘らず、その内容はウィキペディアで言及するに値しない」と書いてあります。ウィキペディアでは、その重要性に応じてバランス良く記述することが求められています。
法華経の観点から風神雷神図を捉えるべきという石川県立美術館 村瀬博春さんのご意見は、三島由紀夫の批評(出典は示されていなかったけれども)を押し退けて本記事の3分の1を占めるほど支持あるいは言及されている、というわけではないでしょう。にもかからわず、あなたがウィキペディアの方針を無視して記載を強行するから、私は「宣伝・広告投稿」と判断しているわけです。大抵の人は、「蓋然性の高い学説」として自分の論文だけを掲げるようなことはしません。--153.230.151.98 2015年8月20日 (木) 12:56 (UTC)[返信]

CiNiiにオープンアクセス登録されている論文は、Wikipediaが定める独自研究などではありません。ましてや、それをもとに2005年1月にNHKエデュケーショナルが制作・放映した新日曜美術館「尾形光琳 紅白梅図屏風に秘めたメッセージ」に出演し、自説を語っている事実があるので、同番組がDVD化され、全国の大学、高等学校や国公立図書館で誰もが視聴可能な状況であることとともに「極めて限定された少数派に支持されている言及するに値しない少数意見」などではないことも明白です。Wikipediaは利用者の知的関心に適切に応える使命があるでしょう。したがってその可能性を閉ざし、さらにはエッセイと学説を混同したり、問題を矮小化、すり替えたりするのではなく、真摯に「風神雷神図」と向き合うべきではありませんか。Petrojohaneさんのような方の積極的参入を期待して、宣伝・広告との狭量な誤解を招くことなく、ある学説と反証可能性が検討され、この作品が持つ深い精神性が広く共有されていくことが望ましい解決点でしょう。 石川県立美術館 村瀬博春

「Petrojohaneさんのような方の積極的参入を期待して」と述べられているということは、利用者:Petrojohane会話 / 投稿記録さんと利用者:石川県立美術館 村瀬博春会話 / 投稿記録さんは同一人物ではない、と主張されているのですか。
ウィキペディアは、「CiNiiにオープンアクセス登録されている論文」の全てを詳細に取り上げる場所ではありません。『新日曜美術館』では、正確には紅白梅図屏風をめぐる6つの説の1つとして、法華経を通して風神雷神図との関連を分析する石川県立美術館 村瀬博春さんのご意見が紹介されたのであって、それが一般的な解釈として紹介されたわけではないでしょう。Wikipedia:中立的な観点の方針に従うなら、石川県立美術館 村瀬博春さんのご意見については、本記事では1文か2文ほど言及しておけば十分です。何度も申し上げているように、三島由紀夫の批評を除去した上で、記事の3分の1を費やして自説を披瀝する編集[3][4]は、「利用者の知的関心に適切に応える」行為ではなく、「宣伝・広告投稿」を疑われても仕方のないものです。--153.228.119.153 2015年8月21日 (金) 11:18 (UTC)[返信]

誤謬を正しましょう。石川県立美術館 村瀬博春さんが行った、2015年7月30日の編集では、“三島がこれを評して「奇抜な構図」と呼んだ”の一文は削除されていません。あなたが「押しのけた」というのは、2015年8月13日、16:39の私の編集であり、村瀬さんには何の関係もありません(もっとも同氏は以後私の編集に賛同されたと推察しますが)。ところで、現在の記事にあなたが「押しのけた」と言えるほど三島の言説が正しく紹介されているでしょうか。出典すら明記されていない、無視しても構わないレベルの無責任な言及と断言します。そして、あなたの言う「一般的解釈」とは何ですか。何をもって一般的であるか否かを線引きするのか、その点を説明してください。Petrojahane

上のコメントを読む限り、利用者:Petrojohane会話 / 投稿記録さんと利用者:石川県立美術館 村瀬博春会話 / 投稿記録さんは互いに別人であると主張されているようです。会話ページで案内したWikipedia:多重アカウントの文書は読まれているという前提で質問しますが、「同一人物」でも「友人や親族や、自分と同意見のコミュニティの人々」でもない、ということでよいですか。「はい」か「いいえ」でお答えいただければ結構です。
出典が明記されていない記述は他にもあります。なぜ三島由紀夫の批評だけを除去したのかが説明されていません。また、私が「一般的な解釈」と書いたのは、多くの人々に支持されていたり言及されていたりするもの、という意味です。石川県立美術館 村瀬博春さんのご意見が一般的な解釈であると証明されない限り、現在の記事の容量を考えれば、せいぜい1文か2文で言及するのが妥当なところです。なぜ、記事の3分の1を自説で埋め尽くす編集[5][6]が「宣伝・広告投稿」ではないと言えるのですか。「蓋然性の高い学説」として石川県立美術館 村瀬博春さんの論文だけを掲げる行為が「利用者の知的関心に適切に応える」行為だと今でも考えておられるのですか。--153.229.158.39 2015年8月22日 (土) 13:09 (UTC)[返信]

まず、私は石川県立美術館 村瀬博春さんとは別人です。しかし、1989年の美術史学会全国大会の発表以来、同氏の研究動向には特段の注目を持つ美術史学会会員です。ここで「コミュニティ」の概念が抵触する可能性は認めますが、美術史学会は排他的なカルト集団ではありませんから、問題の埒外です。  三島の除去については、あなたが私の編集内容と「三島の批評」とやらを対置し、論者の知名度の落差に問題をすり替え、一般的と特殊とのレッテル貼りをしようという暴挙に及んだからです。ウィキペディアンならば真っ先に削除すべき無責任な言及と、真摯な編集作業を同一次元で論ずること自体、あなたの主張は支離滅裂です。また、同一人物でないことを明確にした以上、「宣伝・広告投稿」との主張も失当します。「多くの人々に支持されていたり言及されていたりするもの」が「一般的」の定義ならば、美術史学会にも美学会にも支持者は多くあり、また公共放送の美術番組で取り上げられた事実をもって、「一般的」言及の要件は満たしているではありませんか。Petrojohane

Ptrojohaneさんのご尽力には感謝申し上げますが、どうか冷静にお願いします。私の不備を補って頂いたことで、同一人物との誤解を招いたこと、申し訳なく思います。そこで、「利用者の知的関心に適切に応える」は、私の主張ですから一言申し上げます。観察→仮説→検証、これが現在京都大学を中心に行われている児童を対象とした博物館教育の重要な方針です。私が三島の「俵屋宗達・1957」からのイレギュラーな引用を削除しなかったのは、「奇抜な構図」とみた、その観察眼に注目したからです。だったら、なぜそのような構図を取ったのか、当然疑問に思うでしょう。そして、宗達の「風神雷神図」を観察すればするほど、伝統的な風神雷神図と異なる描写が目に付くのです。そうすれば、宗達が何を考えそのような描写を行ったか仮説を立て、それを検証した研究が周知されていることを示すことが、「利用者の知的関心に適切に応える」行為だと思います。  宗達の「風神雷神図」の構図を三尊形式の観点で考察した先行研究に、東京大学名誉教授、辻惟雄氏の「遊戯者の美術・1984」があります。こうした研究史の上に成り立っている学説は決して個人の所有物ではなく、万人の比較検証に資する道具です。小学館の『日本美術全集 13』217ページに不完全な形でやや批判的に言及されている事実も、学説が社会的に機能している証左と言えるでしょう。 石川県立美術館 村瀬博春

「1989年の美術史学会全国大会の発表以来、同氏の研究動向には特段の注目を持つ美術史学会会員」では、いささか不明瞭な回答だと言わざるを得ません。利用者:Petrojohane会話 / 投稿記録さんと利用者:石川県立美術館 村瀬博春会話 / 投稿記録さんは、何らかの手段で連絡を取れるような親しい間柄にあるのではないですか。その点を詳らかにされない限り、「美術史学会は排他的なカルト集団ではありません」などと言ったところで何の弁明にもならないです。
三島由紀夫の件に関して、時系列を整理しておきます。石川県立美術館 村瀬博春さんとPetrojohaneさんによる除去[7][8]の後、編集合戦により本記事が保護され、そのあとに私が本ノートページで「論者の知名度の落差に問題をすり替え、一般的と特殊とのレッテル貼りをしようという暴挙に及んだ」わけでしょう。にもかかわらず、Petrojohaneさんは、出典が示されていない記述の中で三島由紀夫の批評だけを除去した理由を問われて、「あなたが私の編集内容と『三島の批評』とやらを対置し、論者の知名度の落差に問題をすり替え、一般的と特殊とのレッテル貼りをしようという暴挙に及んだからです」と発言し、また、石川県立美術館 村瀬博春さんは「三島の『俵屋宗達・1957』からのイレギュラーな引用を削除しなかった」と主張しておられる。もう一度お聞きします。なぜ、出典が示されていない記述の中で三島由紀夫の批評だけを除去したのですか。
石川県立美術館 村瀬博春さんのご意見に対して「史学会にも美学会にも支持者は多くあり」と主張するならば、その方々の名前を列挙してください。「公共放送の美術番組で取り上げられた事実」点については、本ノートページで反駁してあります[9]。石川県立美術館 村瀬博春さんの論文に本記事の約3分の1を費やす編集[10][11]を正当化したいなら、それに足るほどの石川県立美術館 村瀬博春さんの論文に対する支持や言及があったことを示されなければなりません。--153.173.227.47 2015年8月23日 (日) 03:23 (UTC)[返信]

:→なぜ、出典が示されていない記述の中で三島由紀夫の批評だけを除去したのですか。←話をモティーフの項に限定すれば、そこで論者の名前があるのは三島だけです。しかも、出典も示されず、三島のアイロニカルな含意に満ちた批評を文言一つ引いて言及することは、利用者をミスリードする危険があると判断したためです。 :そして印象批評と、根拠に基づく判断や考察を明確に区別することが、それこそ利用者の知的関心に適切に応えることとなると考えました。編集にあたり、なるべく前文を活かす努力はしたつもりです。したがって、事実の認識として妥当と思われるものと、「制作年代元和末とする説」のように、弱いながらも判断の根拠が示されているものは活かしました。 このように、三島の文言への対応の相違は、そのまま編集者の考えの相違によるものですから混同しないでください。 :→その方々の名前を列挙してください。←国会議員のパクリとしては笑えますが、ナンセンスです。村瀬氏の学説は私が把握している限り、査読付の学会発表あるいは学会誌の掲載実績が美術史学会、美学会、日本認知科学会、日本ミュージアム・マネージメント学会、そして ICANAS=International Congress of Asian and North African Studies、CIHA=Comité international d'histoire de l'art と内外に及んでいます。そこには当然発表あるいは論文掲載を審査する委員会があり、内容が支持されなければ実現されません。そして、これらのどの学会においても現在のところ村瀬氏の学説に対する明確な反論はなされていません。したがって、支持の範囲は申し分ありません。さらには、テレビ番組、美術全集などにおける言及も曲りなりにあります。 :原稿の分量は、印象批評を書いても「だったら何」との知的関心に応えられないため、最小限度回答した結果です。いずれも特定の人物の宣伝に資するためではなく、利用者、特に夏休み期間であることを考慮した結果と了解してください。Petrojohane

まだ「利用者:Petrojohane会話 / 投稿記録さんと利用者:石川県立美術館 村瀬博春会話 / 投稿記録さんは、何らかの手段で連絡を取れるような親しい間柄にあるのか」という私の質問にお答えいただいておりません。
私は、印象批評を書け、と言っているのではなく、石川県立美術館 村瀬博春さんの論文には1文か2文ほど触れれば十分だ、と言っているのです。決して小さくはない記事の3分の1で自説を展開する編集[12][13]を行いたいのなら、それに見合うだけの支持や言及があることを具体的に示さなければなりません。「明確な反論」がなされていない意見なら何をどんな分量で掲載してもかまわない、というわけではないでしょう。2アカウントが同一人物かどうかということとは無縁に、現状では、Petrojohaneさんと石川県立美術館 村瀬博春さんの編集は「宣伝・広告投稿」の域を出ません。当然のことながら、「夏休み期間である」ということは、あなたの編集を何ら正当化するものではないです。--153.229.228.232 2015年8月23日 (日) 13:11 (UTC)[返信]
→何らかの手段で連絡を取れるような親しい間柄にあるのか ←ありません。

:分量についてまだ問題視されるなら、村瀬氏の学説は複数の学問領域の学会で是認されたもので、なおかつ同氏の博士論文「知識創造の場としての美術館」(北陸先端科学技術大学院大学提出)の重要な部分ともなっていることから、多方面の批判的検証に堪える極めて信頼できる学説と言えます。「風神雷神であって風神雷神でない」という宗達作品の根本構造を説明するには、相応の文言が費やされるのは当然のことです。しかし、それが遺憾ながら「宣伝・広告投稿」の疑念に結びつくのであれば、出典を明示して→「石川県立美術館 村瀬博春さんの論文には1文か2文ほど触れれば十分だ、と言っているのです。」とのご意見に賛同し、そろそろ事態を収束させるのが宜しいでしょう。夏休みも終わる頃ですし(笑)。 Petrojohane

皆様のご尽力に感謝申し上げます。文章量が問題となっていることは、私も遺憾に思いますが、すべて私の責に帰するところです。

俵屋宗達の「風神雷神図」の構造を、最もシンプルに言表するならば「風神雷神であって風神雷神ではない。それゆえに風神雷神である」となるでしょう。宗達は構図や描写の特異性を前面に出し、判じ物として観者の読み解きを促し、まず「毘盧遮那三尊像」の見立てと把握するように誘導します。しかし、最も重要な中尊を切断することになる画面形式をもって、「仏に逢うては仏を殺す」との臨済の思想が、究極の深意であるとの理解に到達させます。そしてこの知の登高を促すことが、形あるものに囚われる迷妄を打破する悟りの禅境を実感してもらうという、宗達の法華経信仰に立脚した慈悲の心のあらわれであり、それゆえに、恵みの雨を降らせる風神雷神の形象が選ばれたのです。宗達の「風神雷神図」は、このように、観者が重層する認識の深化の過程を経て「風神雷神であって風神雷神ではない。それゆえに風神雷神である」との知恵に至るように導く、法華経信仰が禅的契機により先鋭化された文化的所産ということができます。  ※「1文か2文」にはとてもまとめられませんでしたが、一応、私なりの改善案として、皆様でご検討賜れば幸いです。 これは蛇足ですが、「風神雷神図」は、意味と認識の重層構造を持つとの共通理解に立たない限り、解釈の議論は決して噛み合わないと思います。その点でも「風神雷神図」は今日なお生きていると言うことができるでしょう。 石川県立美術館 村瀬博春石川県立美術館 村瀬博春会話2015年8月25日 (火) 04:09 (UTC)[返信]

↑学説を提唱した人物にしかできない要約と思います。これを見ると、単なる文章量の多寡を問題にすべきではないとも思います。Wikipediaは多数決主義ではないと謳っている事実もあり、明確に数値化できない「多数の支持」に拘泥するのではなく、様々な学会により批判的に検証され、オーソライズされた信頼度の高さも、記事構成の重要な判断基準とすべきではないでしょうか。「風神雷神図」の表現上の特異性が、意味と認識の重層構造によるとの立場の解釈として、村瀬氏の要約を、先の編集からの文言を補い記述することを改めて提案します。私にも広告・宣伝」の疑念が及んでいるようなので、多方面の迷惑を考え、これ以上は申しません。 そして編集にあたっては、「おおらかな線質」という表現は曖昧で不適切です。さらに養源院杉戸絵と「風神雷神図」の線は高精細の画像を拡大して確認できるとおり似ていません。色味のバランスを取るための彩色変更という主張では、なぜ赤から白あるいは緑青となったかの根拠が示されない限り記載すべき内容ではありません。そして、光琳の「風神雷神図」の部分54行目?「両神の顔が、やや柔和な印象を受け、卑俗な擬人化」の表現も主観的で削除を提案します。そのかわり*「連鼓の描写については、宗達は胴が薄い太鼓の革の中心を太い輪で貫通しているのに対し、光琳は太鼓の胴を幾分厚くして、輪を革の中心ではなく胴の背面に繋ぐ形に改めている。」これは客観的事実ですから削除しないでください。 以上ですPetrojohane会話2015年8月26日 (水) 06:16 (UTC)[返信]

利用者:Petrojohane会話 / 投稿記録さんが利用者:石川県立美術館 村瀬博春会話 / 投稿記録さんとの関係について「何らかの手段で連絡を取れるような親しい間柄にあるのか ←ありません」と述べておられることは残念に思います。あなたのツイート[14][15][16][17][18][19]を見れば、少なくとも一方が他方を「畏友」と呼ぶ程度には親しい間柄であることや、あちらこちらで石川県立美術館 村瀬博春さんの宣伝を行われていることは分かります。以前にも申し上げた通り、ウィキペディアで「宣伝・広告投稿」は認められていません。Petrojohaneさんには本件から身を引いていただきたく思います。--153.230.72.88 2015年8月26日 (水) 11:42 (UTC)[返信]

芸術作品に対する言説に、どのように中立性と批判的検証が担保されるか。この問題に正面から取り組み、利用者の知的関心に適切に応えるには、複数の学会により権威付けられた学説を、アクセスの利便性を強調して紹介することが最良の解決であるというのが今回の編集の意図です。利用者は、編集履歴を見ればその真意が理解されるでしょう。  関連する人物に及ぶ迷惑に思いを致さぬならば、これ以上何もいうことはありません。誰かのツイートを拡散させてこれ以上私の「宣伝」をして頂かなくても結構です。--石川県立美術館 村瀬博春会話2015年9月14日 (月) 00:05 (UTC)[返信]

利用者:石川県立美術館 村瀬博春会話 / 投稿記録さんは、「風神雷神図 (俵屋宗達)」節を書き換えて、「参考資料」節に石川県立美術館 村瀬博春さんの論文を追加しておられました[20]。ノートページで「これ以上何もいうことはありません」と言いつつ、記事で「宣伝・広告投稿」を継続すれば、心証は悪くなるばかりです。なお、当該論文は「もっとも、(中略)は難しい」という記述の出典たりえていないため、Wikipedia:検証可能性の方針に反すると判断し、この編集を差し戻しました。
ウィキペディアは、ありとあらゆる学説を紹介する場所ではなく、その重要性に応じて適切な分量で記載することが求められています。この点については本ノートページで再三申し上げたはずですが、石川県立美術館 村瀬博春さんが納得できないのであれば、ウィキペディアからは手を引くことをおすすめします。--153.230.155.19 2015年10月3日 (土) 19:48 (UTC)[返信]

最初に、「心証が悪くなるばかりです」との言葉はそっくりそのままお返しします。先に私が述べた「これ以上何も言うことはない」の真意を誤解しないでください。あなたに言う価値もないとその時思ったことを以下に記します。 まず、当方が迷惑行為につながるとして削除した内容を何の釈明もなく単純に戻したことは、当方に対する悪意が明白な敵対行為と判断されます。さらに当事者の公式アカウントでないツイートの強引な紐付けを行ったことは明らかな行きすぎであり、そこには善意の編集行為を委縮させる悪意が存することは明白です。

そして、あなたが従来から「ウィキペディアは〇〇する場ではない」とあたかもウィキペディアの総意を代弁するような口調で述べるのは不遜を通り越して奇異です。我々研究者は、学生、生徒がレポート等に安心してウィキペディアを参照できるよう、ウィキペディアが提唱する「中立性」と「検証可能性」に沿った形でウィキペディア記事の信頼性向上に微力を尽くしているつもりですが、あなたの言動は自らウィキペディアの信頼性や生産的な発展可能性を否定している事実を自覚すべきです。

あなたの編集差し戻し行為は、何らの建設的意図もない敵対行為に他ならないことは、ノートにおいて指摘された明白な事実誤認を修正することもなくそのまま放置している事実が示す通りです。そして先の私の編集で追加した参考資料の削除を、検証可能性の観点から正当化しようとしていますが、それなら石川県立美術館「俵屋宗達と琳派」展図録までも削除したことは致命的です。国立国会図書館で同書にあたり124ページの下段7行目以降を括目して読まれたし。そこには検証可能性に十二分に応える記述がなされています。このように、あなたの言動には何ら正当性はなく、また記述内容の改善や建設的な合意形成に対する真摯な姿勢が根本的に欠如しており、悪意ある敵対行為以外の何物でもありません。

私の「風神雷神図」編集作業はまだ終わっていませんが、「観測気球」段階であなたが例によって敵対行為を示したので、その不当性、記述内容の改善や建設的な合意形成に対する真摯な姿勢の根本的欠如、攻撃性、明確な悪意の存在を明らかにしておきました。このような人物の行為に対して、後はウィキペディアの自浄能力が遺憾なく発揮されるべきです。私の編集方針は、あくまで「利用者の知的関心・探究心に適切に応える」ために、最も中立的で信頼のおける情報を提供することであり、そこにはあなたが執拗に絡んでくる「宣伝・広告」などの意図は毛頭ありません。俵屋宗達の「風神雷神図」について、多方面からオーソライズされ、批判的検証にも堪えかつ反論もない学説であることを最良の中立性の担保として、主観的に傾きがちな芸術作品に関する記事の在り方を提示しようとしているまでのことです。 このように、日本の文化・教育の将来を思うと、ウィキペディアから真っ先に手を引くべきは、他ならぬあなた自身ではありませんか?--石川県立美術館 村瀬博春会話2015年10月5日 (月) 00:38 (UTC)[返信]

利用者:Petrojohane会話 / 投稿記録さんが公の場で「畏友」利用者:石川県立美術館 村瀬博春会話 / 投稿記録さんの宣伝をおこなったこと[21]は、隠しようのない事実です。自分のことをあちこちで宣伝してくれている友人をかばいたいのかもしれませんが、私の発言を除去した石川県立美術館 村瀬博春さんの編集[22]は、ウィキペディアでは荒らしとして扱われます。
石川県立美術館 村瀬博春さんの「宣伝・広告投稿」がウィキペディアで継続している限り、「学生、生徒がレポート等に安心してウィキペディアを参照できる」状況は訪れません。私の発言を「あたかもウィキペディアの総意を代弁するような口調で述べるのは不遜を通り越して奇異」としか捉えられないのは、石川県立美術館 村瀬博春さんがウィキペディアの方針文書を十分に読んでいないことの証でしょう。
上で書いた通り[23]、石川県立美術館 村瀬博春さんの加筆された「もっとも、(中略)は難しい」という記述には、それを直接的に裏づける情報源が示されていません[24]。すでに本ノートページにてWikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないWikipedia:中立的な観点の方針は案内してあります。「そこには検証可能性に十二分に応える記述がなされています」と主張するのであれば、その記述を具体的に示してください。なお、虚偽の出典を元に加筆すれば投稿ブロックの対象となります。--153.218.129.159 2015年10月5日 (月) 09:18 (UTC)[返信]

まず、Petrojohaneさんがあなたの引いたツイートの主であるか否かは自明ではありません。あなたは当初このかたと私が同一人物と断じておきながら、今では平気で「友人」と見なしています。そのように、あなたの行ったツイートの紐付けも別人である危険があることから私には承伏できません。私とPetrojohaneさんとの関係は、このかたの主張された通りです。もっとも所属が明確である以上、何らかの連絡をとることができることは否定しません。ウィキペディアの提唱する中立性の観点から、この方は私の当初の編集を独自研究との誤解を招かぬように改めてくださいました。対立する主張も、また「評判の良い」主張もない著名な作品の解釈に関わる記述が、特定の著者の論考となっても、それが複数の学会における批判的検証に堪え、なおかつ査読付学会誌に掲載され、かつ有力な反論がなされていないものであれば、それは最も中立的て信頼度の高い情報といえます。それに基づく投稿が「宣伝・広告」として排除されるならば、「『学生、生徒がレポート等に安心してウィキペディアを参照できる』状況は訪れません」。

あなたの一連の敵対行為は、良識ある人々の建設的協力への意志を萎縮さらには畏縮させるもので、ウィキペディアの方針文書を十分に読めば読むほど、そこから真っ先に立ち去るべき人物だと得心します。

出典については公刊されている書物と、そのページ数まで丁寧に示してあるので、あなた自身が確認すべき問題です。それすら行わず、威圧的な態度で臨もうとするようでは問題外。まともに議論することができません。--石川県立美術館 村瀬博春会話2015年10月6日 (火) 01:08 (UTC)[返信]

「参考文献」として示された論文を確認しましたが、利用者:石川県立美術館 村瀬博春会話 / 投稿記録さんの編集を直接的に裏づける情報は記載されていませんでした。虚偽の出典を元に加筆することはお止めください。そのような編集は差し戻されますし、最悪の場合、投稿ブロックの対象となります。また、石川県立美術館 村瀬博春さんが「最も中立的て信頼度の高い情報」として自分の論文だけを掲げている限り、「宣伝・広告投稿」の疑いは免れません。
残念ながら、石川県立美術館 村瀬博春さんは勤務時間中にウィキペディアを編集しておられるようですね。Wikipedia:井戸端/過去ログ/2007年12月/上旬#職場内において勤務時間中のウィキペディアの使用はご注意をを読むことをおすすめします。また、公務員が公用のパソコンを使ってウィキペディアを編集することは問題となりますので[25][26][27]、ご注意ください。--153.202.169.142 2015年10月6日 (火) 10:31 (UTC)[返信]

参考文献「石川県立美術館 俵屋宗達と琳派展図録」の124ページ確認したと言うなら、そこに「舞楽図」との比較による制作年代の比定が明記されていることを読み飛ばしたと言う他はありません。同様の趣旨の記述は、記事の参考資料に提示した「美学」論文「俵屋宗達と尾形光琳の思想的紐帯」17ページにも明記されています。また同時にに掲載した「Cognitive Studies」論文「俵屋宗達《風神雷神図》にみられるデザイン思考」567ページには「宗達の最晩年期と判断することができる.」とも明記されています。今回の編集意図を「制作年代の考察を修正」と定めていることから、これら文献はいずれも編集の直接的根拠となるものであり、掲載する相当の理由があるものです。したがってあなたの言動は事実無根です。さらに虚偽の出典とまで言及していることは、明かな石川県立美術館 村瀬博春に対する名誉毀損行為です。

また、勤務時間中の編集につきご心配をいただいたことには感謝しますが、私が所属と氏名を明確にして作業にあたっているのは、公立美術館による広義のアウトリーチ活動の一環すなわち職務として行っているからに他ありません。それゆえに編集する対象も自身の主たる研究テーマや、石川県立美術館で開催した展覧会の波及効果に関する部分に限定しており、何ら問題はありません。--石川県立美術館 村瀬博春会話2015年10月7日 (水) 02:16 (UTC)[返信]

やはり利用者:石川県立美術館 村瀬博春会話 / 投稿記録さんはWikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないWikipedia:中立的な観点の方針を読んでいらっしゃらないようです。上記コメントで明らかになったように、石川県立美術館 村瀬博春さんの編集は「特定の立場を推進するような、公表された情報の未公表の組み合わせ」(WP:SYN参照)です。これはウィキペディアでは禁じられています。虚偽の出典を元に加筆すれば投稿ブロックの対象となることは既に2度お伝えしてあります。次に同じことをやれば管理者伝言板へ報告されるものとお考えください。
石川県立美術館 村瀬博春さんは自分の「宣伝・広告投稿」をおこなっているだけです。これを「アウトリーチ活動」と呼ぶのは無理があるでしょう。公務員が公的パソコンを使って勤務時間中にウィキペディアを編集し、しかもウィキペディアのルールに従おうとしない。このままでは石川県と石川県立美術館の評判を傷つけることになります。その点については理解しておられますか。--153.228.141.40 2015年10月7日 (水) 09:38 (UTC)[返信]

あなたの言う「宣伝・広告投稿」につき共通理解に達することができなかったことを残念に思います。私の立場は、あくまで「利用者の知的関心に適切に応える」ために信頼性の高い情報を提供することでした。「論文を確認しましたが、編集を直接的に裏づける情報は記載されていませんでした」ということ自体が虚偽ですが、そのような思考の方とこれ以上の合意形成は無理のようです。利用者が俵屋宗達「風神雷神図」の現状の文面と、私が添付した参考文献の内容の相違から、何かを学び取っていただければアウトリーチ活動の目的は達成されます。--石川県立美術館 村瀬博春会話2015年10月7日 (水) 10:00 (UTC)[返信]

虚偽の出典を元にした加筆が改善されずに再投稿されたので差し戻しました。なるべく分かりやすいようにウィキペディアの方針を案内してきたつもりですが、利用者:石川県立美術館 村瀬博春会話 / 投稿記録さんに納得していただけず「これ以上の合意形成は無理のようです」と発言されたことを残念に思います。--153.228.141.40 2015年10月7日 (水) 10:08 (UTC)[返信]

私も残念に思いますが、最後に注意を喚起している現在のページには、私の編集の痕跡が一切ありませんので、あなたの行為は最後まで自己矛盾に貫かれたということと理解します。時節柄どうぞご自愛ください。--石川県立美術館 村瀬博春会話2015年10月7日 (水) 10:13 (UTC)[返信]