ノート:高橋保 (実業家)

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経歴に関する注意[編集]

以前の版で高橋保の経歴に関し、『日本の創業者 近現代起業家人名事典』(日外アソシエーツ・2010年)という書籍を出典に、

  • 独自に主要河川を調査し、水利権を取得
  • 長野電灯が設立された際に水利権を出資して取締役となる
  • 東信電気が設立された際に取締役に就任

という記述がありますが、一部は明確な誤り、残りは誇張であると考えます。同様の記述は高橋に関する記述が最も多いと思われるクレハの社史『呉羽化学五十年史』(1995) にもあり、前記書籍はこちらからの引用のようです。そして社史の記述はおそらく石川悌次郎『鈴木三郎助伝森矗昶伝』(日本財界人物伝全集 第18巻・1954年。NDLJP:2987087)の99-104頁付近を参考に書かれているのだと思いますが、この内容が酷い。

まず明治末期・大正初期に独自に河川を調査し水利権を取得したというのは、当時水利権は起業の確実性を確認した上でしか許可されないものですので個人で取得など不可能です。高橋が個人で水利権を取ったことを示す同時代の史料も存在しません。河川調査に携わったとしても会社の仕事としてでしょう。「松永安左エ門などが高橋を追かけ廻して水利権の譲渡を懇請しにきた」(101頁)とありますが、松永は長野で事業をした経験がないので誇張そのもの。次に、千曲川の水利権を出資して取締役兼技師長になった、との記述は、技師長を辞めてしばらく経ってからようやく取締役になっているのが資料から確認できるので誤り。東信電気の設立時に取締役兼技師長となったという記述も、設立後しばらくしてから技師長、さらに数年を経て取締役、という過程なのでこれも誤り。ここまで質の悪い史料は珍しいな…と思う内容です。

以上のことから、上記の記述を事実として記述することは避けるべきです。注意喚起としてメモを残しておきます。--継之助会話2022年11月10日 (木) 14:04 (UTC)[返信]