ノート:鶴見事故

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競合脱線(新規記事)への統合提案[編集]

記事を単発で記載するよりも、同種事故やインシデントをまとめて記載する方が一連の動きの見通しがよくなると考えます。競り上がり脱線の概要・メカニズムの解説を冒頭に置き、鶴見事故東急横浜駅脱線事故営団日比谷線脱線衝突事故とそれに類する営団地下鉄半蔵門線鷺沼車庫脱線事故等のインシデントを統合対象とします。--Station 2006年12月2日 (土) 11:10 (UTC)[返信]


  • 反対意見が多いとのことでタグは戻しますが、ダラダラ自説を長い文章で延々と書く某氏が来てから収拾がつかなくなっているような気がします。--Station 2006年12月8日 (金) 02:08 (UTC)[返信]
    18年も前に持ち上がった議論に今さらながら意見するのも遅すぎると思いますが、敢えて書きます。この記事には特筆性があり、事故そのものも特異かつ歴史に残る甚大な鉄道衝突事故であることから、独立した記事として残すのは当然だと思います。競合脱線に統合する必要はないでしょう。長年議論が凍結されていることからしても、既に結論は出ていると考えられます。いまさらながら失礼いたしました。--Zeamonde会話2024年5月8日 (水) 18:28 (UTC)[返信]
競合脱線は「様々な原因が重なって発生している脱線」という意味合いが強く、決まった発生メカニズムがあるわけでもないので、脱線と別記事にしたり、「競合脱線」とされる事故を一覧化したりするといったことはあまり意義がないのではと思われます。鶴見事故営団日比谷線脱線衝突事故など事故規模が大きいものは独立記事にするとしても、東急横浜駅脱線事故(当時就役したばかりの9000系が脱線した事故)など人的被害の皆無な事故やインシデントまで収録する必要性は薄いでしょう。--Muyo会話2024年5月9日 (木) 02:38 (UTC)[返信]

 事故現場で、当日の午後10時05分から救助活動をしていた私は、何人かを何回も抱いて道路まで運び、通行する自動車を止め、病院まで負傷者の搬送を指示していた。 午後11時より少し前、橫須賀線下りの車両の中で、パジャマ姿の医者が、未救出の負傷者に、止血剤を注射している姿を見た、それは友人の前広進さんだった。

事故現場の位置および座標について[編集]

「要検証」テンプレートを貼付した事故現場の位置および座標について、実際の事故現場の位置とは約300mのズレがあります。どの事故の位置を「事故現場」とするのかによって見解は分かれると思いますが、脱線した貨物列車の貨車最後部3両が架線柱に激突し、旅客上り線側にはみ出した箇所を「事故現場」と見做すなら、正確な位置は「滝坂踏切から川崎寄りに210m」の場所になります。その根拠は、警察および国鉄が現場検証ではじき出したキロ程によります。滝坂踏切は「キロ程24.080km」に位置し、貨車が架線柱に激突した地点は「キロ程23.870km」地点ということで、計算上で滝坂踏切から約210m川崎寄りとなります。この210mの場所は、上り2000S列車が貨車と激突し下り2113S列車の4両目と5両目に突っ込むきっかけとなった地点でもあります。この地点が衝突事故の起点となる場所と考えられるので、座標位置を正確に変更する必要があると思います。

現在の記事の事故現場位置と座標は、「滝坂踏切から500m」とされています。提示されている出典に「500m」と具体的な数値が書かれていることから、それに従って座標を定めたのだろうと推測します。しかしながら、実際の事故資料からは290mもずれており、明らかな間違いだと思います。当時の報道写真や映像で多角的に検証しても「500m」に全く根拠がないというのは容易に理解できると思います。おそらく出典元の記事を書いたライターの独自感覚が優先され、「だいたい500mくらいかな?」と安易に取材や検証なしで書いたのでしょう。昔の新聞記事などには良く見られるパターンですね。また「おおよそ」という概念、範囲も人によって感覚や見解は異なると思います。ほぼ正確な位置を特定できる場合には、290mの誤差はあまりにも大きすぎると言わざるを得ません。当該部分を執筆された方が独自に再検証していただき、適切に正しく書き換えていただくようお願いいたします。--Zeamonde会話2024年5月5日 (日) 07:25 (UTC)[返信]

事故発生時刻について[編集]

インフォボックスの発生時刻(事故発生時刻)に対して大いに疑問があるので要検証を貼らせていただきました。「21時40分」は誤りの可能性が極めて高いです。なぜなら、多重衝突事故のきっかけを作った下り貨物列車が新鶴見操車場を実際に発車した時刻は21時44分です(定刻から4分遅れ)。すでにこの時点で「21時40分」という事故発生時刻に信憑性が無いのは明らかです。貨物列車の事故当日の発車予定時刻が「21時40分」なのであり、その一点を以てしても事故発生時刻「21時40分」というのは完全な誤りであるといえます。鶴見操車場から事故現場まで約6分間を要することからすれば、事故発生時刻は21時50分ないしは51分とするのが妥当でしょう。あとは上り2000S列車が横浜駅を実際に発車した時刻と下り2113S列車が川崎駅を実際に発車した時刻を検証すれば事実は明白になります。キロ程と運転速度は現在と事故当時とでは大きく変わっていないはずですから。貨物列車と下り2113Sは同時に事故現場にほぼ並走して進入しており、上り2000Sは貨物列車脱線から40秒から1分30秒後に進入したとされていますので、その点も加味すれば事実が見えてきます。

ネット検索を見ると、21時40分派と21時50分派に大別できます。主要メディアが21時40分と報じているところもあり、誤りを広める一因になっているのではないでしょうか。事実を検証できる方のお力を必要とします。ぜひお願いしたいところです。--Zeamonde会話2024年5月20日 (月) 16:05 (UTC)[返信]

鉄道ファン誌1986年8月号(通巻304号)107ページ(連載記事「鉄道保安要史その8」、久保田博)に「21時51分」という記述があります。--Muyo会話2024年5月21日 (火) 09:08 (UTC)[返信]
返信ありがとうございます。Muyoさんが示された「21時51分」という時刻には信憑性があります。その時刻は、脱線した貨車と2000Sが衝突して2113Sの4両目と5両目を粉砕した時刻だと思います。「21時50分」は貨車が架線柱に激突して編成から切離され、同時に現場へ進入した2113Sが緊急停止した時刻でしょう。「貨車の脱線+2113Sの緊急停止+停電」は同時に起こっていますが、「2000Sによる貨車衝突・脱線・2113S粉砕」は40秒後から1分30秒後の出来事だとされており、時間差があります。事故に遭遇しかけたフリーアナウンサーの高嶋ひでたけ氏の証言によれば、氏の記憶だと事故当日の夜に東京駅13番線から2113Sに乗車した際、発車時刻は21時27分だった、というものがあります。これは遠い記憶なので信憑性と信用性が担保できませんが、仮に正しいと仮定すると、東京駅から川崎駅までの所要時間は、おおよそ20分前後ですから、川崎着21時47分となり、すでに怪しい定説「21時40分」を超えています。川崎駅から事故現場までの所要時間は3分30秒ほどなので、事故発生「21時50分ないし51分」という時刻は、だいたいの辻褄は合うと思います。当時の時刻表、報道、資料を調べると、よりはっきりするかと思います。当該記事の信用性に関わる問題なので、時刻についても検証しなければなりません。事実と確認された場合は時刻を「21時51分」に書き換えたいと思います。その前にどなたかが出典付きで修正していただいても構いません。--Zeamonde会話2024年5月23日 (木) 16:55 (UTC)[返信]