ノート:黄禍論

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「黄禍」なる言葉を最初に唱えたのが新興のドイツ帝国皇帝であったことを考えると、ヨーロッパにおける黄禍論発祥の部分が必要でしょう。--ウミユスリカ 2005年8月1日 (月) 09:21 (UTC)[返信]

「黄禍論」とは、いわば黄色人種脅威論であるから、差別の発生要因の一種とみなし、差別行為そのものとは分けて論じないと焦点がぼけてしまわないかと思いますが。221.114.128.194 2005年9月8日 (木) 01:51 (UTC)[返信]

もともと中国に対して使う言葉のはずが、殆ど日本にとってのそれしか言及しないのはどうかと。

先にも述べましたが、「黄禍」なるスローガンの始まりは、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世の唱えた"gelbe Gefahl"であり、彼が1896年にヨーロッパの元首、君主たちに配った絵画『ヨーロッパ諸民族よ。なんじらの神聖なる財宝を守れ!』いわゆる『黄禍の図』によって世に広まったものです。確かに新大陸における中国系労働者の流入によってアメリカなどにおける社会的ストレスは高まっていましたが、文字通り「黄色のわざわい」などという露骨な表現をあおったのは、ヴィルヘルム二世に他なりません。新大陸におけるアジア系労働者流入による労働市場の奪い合いの危機意識と、ヨーロッパにおける思想的黄禍論は車の両輪だったはずで、それがあまりにも日米関係に突出した記事になっているのは不可解です。本当のところは、ドイツにおける黄禍論をベースに書き直したいところですが、現状ではあまりにも日米関係の記事が肥大していて、それとの整合性を取った記述が困難です。関心ある皆さんのお知恵を拝借したく存じます。--ウミユスリカ 2006年5月16日 (火) 06:07 (UTC)[返信]