フランス王フランソワ1世の肖像

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『フランス王フランソワ1世の肖像』
フランス語: François Ier, roi de France
英語: Francis I, King of France
作者ジャン・クルーエ英語版
製作年1527-1530年
種類板上に油彩
寸法96 cm × 74 cm (38 in × 29 in)
所蔵ルーヴル美術館パリ
ジャン・クルーエ『洗礼者聖ヨハネとしてのフランソワ1世の肖像』、1518年、ルーヴル美術館

フランス王フランソワ1世の肖像』(フランスおうフランソワいっせいのしょうぞう、: François Ier, roi de France: Francis I, King of France)は、16世紀のフランスルネサンス期の画家ジャン・クルーエ英語版が1527-1530年に板上に油彩で描いた絵画で、1515年に父の従弟であったルイ12世からフランス王位を継承したフランソワ1世 (1494-1547) の肖像画である[1][2]。制作には、おそらくジャン・クルーエの息子であるフランソワ・クルーエの手も入っているとみられる[2][3]。フランソワ1世のコレクションにあった作品で、現在はパリルーヴル美術館に所蔵されている[1][2][3]。なお、ルーヴル美術館には『洗礼者聖ヨハネとしてのフランソワ1世の肖像』も収蔵されている[1]

作品[編集]

フランソワ1世はイタリア戦争を初めとするいくつもの対外戦争を行い、フランス国内では中央集権化を進めた強力な王であった[2]。彼は、すべての文書を「何となれば、かくの如きが (ちん) の喜びとするところだからである」という書式で結び、代々の王が「殿下」 (アルテス) と呼ばれたのに対し、自身を「陛下」 (マジェステ) と呼ばせた[2]

その一方で、フランソワ1世は、ローマ教皇ユリウス2世レオ10世フィレンツェメディチ家マントヴァゴンザーガ家にならって、自身も学芸や美術の保護者になろうとした。彼はルネサンスの先進地イタリアからレオナルド・ダ・ヴィンチを初め優れた芸術家を招くとともに、美術品の収集を積極的に行った。今日のルーヴル美術館の最初の礎を築いたのは彼である。また、王はフォンテーヌブロー宮殿など各地に宮殿を造営し、フォンテーヌブロー派を育成した[2]

フランソワ1世はジャン・クルーエを宮廷画家に任命し、画家はフランソワ1世とその家族の優れた肖像画を描いた[1]シャンティイコンデ美術館には素描によるフランソワ1世の肖像が所蔵されている。ジャン・クルーエは王本人をモデルにしてこの素描を描き、それをもとに本作を制作した。王の顔立ちはコンデ美術館の素描そのままであるが、豪華な宮廷の衣装は画家が思うままに描き加えたものである。このため、顔と衣装が統一されていない印象を与える[1]。しかし、聖ミカエル騎士団英語版勲章は、王が身に着けていたものを正確に写し取ったものである[1]

本作が描かれた当時、フランソワ1世は全盛期を迎えており、それは控えめながらも画面の王の姿にうかがわれる[1]。また、武人というより美術愛好家、愛書家で、感覚的、熱狂的な資質を持った王の姿も捉えられている[2]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 『ルーヴル美術館 収蔵絵画のすべて』、2011年、479頁。
  2. ^ a b c d e f g 『NHKルーブル美術館VI ルネサンスの波動』、1986年、114-116頁。
  3. ^ a b François 1er (1494-1547), roi de France”. ルーヴル美術館公式サイト (フランス語). 2024年5月18日閲覧。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]