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プロジェクト:アウトリーチ/図書館総合展2022/紹介/W123ウィキペディアにゃウン


ウィキペディアにゃウンは、京都府京丹後市で初のウィキペディアタウン。2018年9月以降、毎年秋の「こまねこまつり」関連企画として開催している。

ウィキペディアサロン2022関連企画[編集]

未定

企画概要[編集]

企画名
ウィキペディアにゃウン
初開催時期
2018年9月
最新開催時期
2022年10月23日(予定)
開催地
京都府京丹後市峰山町 金刀比羅神社周辺
参加人数(募集人数)
当初は各回20人で募集し、会場キャパで可能なかぎり20人以上最多35人程度が参加した。2020年以降は感染症予防として募集人数をしぼり、参加者10~15人程度で開催している。
参加者
制限なし。京都府北部の比較的広域な地域の住民のほか、「こまねこまつり」にボランティア参加している京都市内の複数の大学の学生が参加した。また、関東や近畿圏からもウィキペディアンの自主的な参加があった。
参加費
各回の必要に応じて500円~1,000円を徴収する。別企画「こまねこウォーク」との共催の場合はその参加費が必要であったり、昼食を主催者側で用意する場合などの実費のみ。

企画内容[編集]

企画のねらい[編集]

  • ウェブに情報が少ない地域のギャップを埋め、京丹後市の魅力を発信する。
  • 地域の人々、とくに若い世代に、地域の歴史や文化に興味を持ってもらい、それを広めて引き継いでもらえるひとつの手段としてWikipedia編集に親しんでもらう。
  • まちや人々の営みの歴史を着実に伝え遺す、ひとつの手段として、質の高い情報を探しやすくするために、Wikipediaに情報を集約する。

当日の日程[編集]

スケジュール
終日イベントとして開催。10時開始で午前中にまちあるきを行い、12時から1時間程度を昼食休憩にあて、13時頃~16時半頃までWikipediaについての講習、文献調査、Wikipedia編集、成果発表(講評)を行った。
ガイダンス
主催者あいさつ(5分)、ウィキペディア解説(30~40分)、講評(15分)
ウィキペディア編集時間
2時間半~3時間

編集題材[編集]

第1回(2018年)
第2回(2019年)
第3回(2020年)
第4回(2021年)
第5回(2022年)
  • 新規作成項目 -
  • 加筆編集項目 -

運営体制[編集]

主催者
こまねこまつり実行委員会ウィキペディアにゃウン事務局 こまねこまつり公式サイト
(担当者連絡先)edit Tangoホームページ「たんご百科事典」よりお問い合わせフォームをご利用ください。
協力者
edit Tango(執筆協力)、京丹後市立図書館(資料協力)、京都府立図書館(資料協力)、金刀比羅神社(会場・機材提供)、こまねこまつり実行委員会(資料・情報協力)
運営スタッフ
こまねこまつり実行委員会のなかの3名(うち、1名がまちあるきガイドを兼ねる。)
ウィキペディア講習担当
(第1回)Miya.m氏、Ujigis氏、(第2回)さかおり氏、かんた氏、(第3回)かんた氏、(第4回目以降は初参加者にのみ個別対応)漱石の猫
準備物
文献資料、レンタルwi-fi(2個)、プロジェクター、モニター、名札、筆記具、メモ用紙、テーブルタップ、パイプ椅子、長机
その他
グループファシリテーターとして、初回は4名のウィキペディア編集経験者に参加していただいた。

背景[編集]

  • 初回は、近隣地域で前例のない取組であり、ウィキペディアそのものについても懐疑的にみる風潮が濃厚な地域だったが、こまねこまつり実行委員会のなかに過去に他地域で開催されたウィキペディアタウンに参加した経験者が1人いたことで、ウィキペディアタウンを開催することについて委員会のなかで一定の理解と協力を得ることができた。
  • 実行委員会のなかに、過疎地域のアーカイブに関心が高く、まちの古い風景写真を自身でデジタル化していてそれを現代の地図に投影させるような方法はないものかという構想を持っていた人がいたことで、関連のある取組として協力してもらうことができた。(その後、マッピングパーティを開催し、構想を実現していただくことができた。)

影響 あるいは 展望[編集]

成果発表後のファシリテーターの講評で、メインの「こまねこまつり」という記事を担当したウィキペディアン・さかおり氏から、記事構成についてアドバイスをいただき、イベント後も主催事務局で加筆を続けていたところ、イベントに関係していなかった地域の方が加筆で充実した記事を読んで、こまねこまつり実行委員会の活動に対して高評価をされた。このことが、翌年以降の開催にむけて大きな弾みとなった。

課題 あるいは 後進へのアドバイス[編集]

初回は主催者側に編集経験者がほとんどおらず、企画の継続性の見通しもなかったため、Wikipediaに限らずオープンストリートマップやほかのオープンデータ系コンテンツについても、参加者のニーズがありそうなら対応できるように様々な編集経験者を招いた。しかし、主催者側のねらいは、必ずしも協力いただいたウィキペディアン達の念頭にあったアウトリーチ活動と必ずしも一致してはおらず、かえってイベントのねらいを見えにくくしてしまった。

また、途中参加(見学)を認めたことにより、途中で来て途中で帰る人を含めれば参加人数は30人以上と多くなり、折々の対応でも主催者側に負担がかかった。そうした結果、イベント直後の主催者側の手ごたえは疲労感が強く、継続開催は期待できない空気が強くなってしまった。その後現在まで継続開催できているのは、初回に参加した人々がその後次々と主催者になっていったことで地域全体でウィキペディアタウンの認知度が高まり、地元に編集経験者が増えたことと、作成した記事に対して地域の第三者から高評価を得たことに因るところが大きく、運がよかったと言うほかない。

ウィキペディアンのスキルや考え方には個人差が大きく、経験者が多くいることが企画全体にとってプラスに働くとは限らない。主催者が手厚く対応できる人数(当地域であれば上限10~15人程度)で開催するほうが望ましいと思う。

また、イベントでウィキペディア編集を体験しても、その後、ウィキペディア編集者となっていく人は限られており、そのほとんどは、元々その題材に高い関心を持っていたり、なんらかの地域活動など情報発信が重視される主体的な取組をしている顔ぶれとなっている。このことから、既存の活動団体や地域との連携がひじょうに重要で、「主催者になりそうな人」に参加してもらえるかどうかが比較的重要な要素となっている。

参考情報[編集]