レモンストラント派

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レモンストラント派は、狭義では、ヤーコブ・アルミニウス(ハルメンセン)により唱えられ、その死後1610年に5箇条の反対意見書(Remonstrantie)にまとめられた信条を支持する神学者たちを指す。

その5箇条とは

  1. 神は御子イエス・キリストを信じ、信仰に留まる者に救いの決定を適用したもう。
  2. キリストはすべての人の救いのために死にたもうた。
  3. 聖霊は真実に善なることをしようとしている者を助ける。
  4. 神の救いの恵みは不可抗的ではない。
  5. キリスト者が恵みから脱落することはあり得る。

というものである。これはカルヴァン予定説を修正しゆがめる見解として攻撃され、ドルトレヒト会議で決定的に斥けられた。

広義のレモンストラント派[編集]

広義のレモンストラント派は、オランダにおける改革派教会予定説瓦解的な精神運動を指す。エラスムスによりヨーロッパに広まった、理性による聖書批判と宗教上の寛容を受け継ぎ、17世紀オランダの学者・文人に大きな基盤を持った伝統だった。「聖職者に対する世俗権力の優位」を認め、オランダの貴族層に支持された。 そう云う訳でレモンストラント派はエラストゥス主義とも近親主義である。エラストゥス主義によって教会をカトリック主義からも守ってもらおうと云うのであった。結果的にツヴィングリが行った剣を持ってでも改革を推し進めることと同様の結果に成って仕舞うのではあったが。ただエラストゥス主義自体ももともとはキリスト教教会の外にある世俗権という概念であり、教会が中心に世俗権もの肉の剣を執る訳ではも無かった。そう云う意味では東方正教会世俗権的頭の首長では無くして政治と宗教とは分離の西方教会教皇制度長老改革派に所属するカルビニスム修正主義でもあるのでもある。ドルト規準では堕罪前予定説までもは明言されて規定されてはもいないので堕罪前的には完全アルミニウス主義否定されてはいないものであるドイツ・チューリッヒ系再洗礼派的改革派自体が受け入れ容量があるものであるのであるが、改革派強硬に予定説に固執するきらいがあるために、レモンストランスの信仰目立って改革派希望的期待的な見通しの下に水面下工作をしていたが聖書の御言葉の信仰を背景にカルヴィンの聖書注釈の御言葉への信仰から予定説修正主義証しをもするツヴィングリの最初の聖書の霊感チューリッヒ系再洗礼派的信仰に近いものがあるものである。フランスの民間[1]長老派の復讐の鋭角の信仰告白ではも無いのでもある。

しかし、アルミニウスの教説が引き起こした論争が政治闘争へと発展し、神学論争は1618年ドルトレヒト会議で、政治闘争は1619年アールミニウス主義を支持したオランダ議会議長の政治家オルデンバルネフェルト総督マウリッツに処刑されることで、それぞれ一応の決着がつけられる。レモンストラント派であるとみられたヒューゴー・グロティーウスは投獄され、追放された。

しかしこの派の影響力はその後復活し、ソッツィーニ派デカルト霊魂消滅説イエズス会の中知神学哲学が普及するのと同様に進み、オランダを思想的自由の避難場所・啓蒙思想の中心地とした。

脚注[編集]

  1. ^ 為政者との分離?の再洗礼派の杖派の影響!?ツヴィングリ系世俗権肉の剣教会内から放棄するが代わりに堕罪前予定説がある?改革派のドルト会議が再洗礼派からの言葉でカトリックの宗教裁判と比較し得ると云う定評が今日にあるものである。カトリックの非予定説的な正統的信仰の思想史にも改革派のドルト規準はも裏切って対抗しているものであるが。

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