倭大国魂神

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倭大国魂神(やまとのおおくにたまのかみ)は、日本神話に登場する

概要[編集]

日本書紀』のみに登場し、他に日本大国魂神とも表記する。大和神社奈良県天理市)の祭神として有名。

『日本書紀』の崇神天皇6年の条に登場する。宮中に天照大神と倭大国魂の二神を祭っていたが、天皇は二神の神威の強さを畏れ、宮の外で祀ることにした。天照大神は豊鍬入姫命に託して大和笠縫邑に祭った。倭大国魂は渟名城入姫命に預けて祭らせたが、髪が落ち、体が痩せて祀ることができなかった。 その後、大物主神を祭ることになる件が書かれている。

同年8月7日倭迹迹日百襲姫命大水口宿禰伊勢麻績君の夢の中に大物主神が現れ、「大田田根子命を大物主神を祀る祭主とし、倭国造市磯長尾市(いちしのながおち)を倭大国魂神を祀る祭主とすれば、天下は平らぐ」と言った。同年11月13日、大田田根子を大物主神を祀る祭主に、長尾市を大国魂神を祀る祭主にした。

これらの記事からも、豊鍬入姫命が祖神の天照大御神を祀り、意富多々根古が祖神の大物主神を祀ったように、倭大国魂神が倭国造の祖神であったことがわかる。

考証[編集]

この神の出自は書かれていない。大国主神の別名の一つに「大国魂大神」があることから、倭大国魂神は大国主神と同神とする説がある。『大倭神社注進状』では、大己貴神(大国主神)の荒魂であるとしている。また倭国造やその同族である久比岐国造の支流・青海首が祀った。しかし、本居宣長の『古事記伝』では、この神を大国主神と同一神とする説を否定している。神名から大和国地主神とする説もある。

祀る神社[編集]

関連項目[編集]