北田正平

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北田正平

北田 正平(きただ まさひら[1]1881年明治14年)5月20日[2] - 1939年昭和14年)2月27日[1][3])は、日本の弁護士政治家衆議院議員(千葉県第三区選出、当選1回)[1]

経歴[編集]

東京府の弁護士北田正董の三男として生まれる[2]1906年(明治39年)、京都帝国大学法科大学英法科を卒業し、南満州鉄道株式会社に入社した[2]長春駅長などを務めた後、山東鉄道に聘せられ、運輸部長をつとめたが、1917年大正6年)に辞した[2]

その後、満州で東亜貿易公司主となり、北満及び南満地方貿易業を創めた[2]。また鉱山業に従事した[4]1927年(昭和2年)に弁護士登録をした[2]1930年(昭和5年)、第17回衆議院議員総選挙に千葉3区から出馬し、当選した。立憲民政党に所属[1][2]

人物[編集]

宗教は禅宗[2]。趣味は運動、書画俳句[2]。住所は東京市牛込区戸山町[2][4]

逸話[編集]

京大在学中、旧京大寄宿舎(吉田寮の前身寄宿舎)に住んでいた。当時の旧寄宿舎には規則や役職がなく「風紀の乱れ」が著しかった。そこで北田は、舎生有志とともに規則と役職を設定、旧寄宿舎の更生に成功した。北田らの作った規則と役職は、自治寮としての旧寄宿舎及び吉田寮の基礎になった[5]

家族・親族[編集]

北田家
親戚

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 『議会制度七十年史 第11』き166頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年8月17日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『帝国人事大鑑 昭和7年版』キ23頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年8月17日閲覧。
  3. ^ 衆議院事務局『衆議院議員略歴 第一回乃至第二十回総選挙』、1940年
  4. ^ a b 『人事興信録 第11版 上』キ105 - 106頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年8月18日閲覧。
  5. ^ 冨岡勝「学生団体「自彊会」による京都帝国大学の校風改革運動」『京都大学大学文書館研究紀要』第2巻、京都大学大学文書館、2004年2月、55-75頁、CRID 1390009224839562880doi:10.14989/68846hdl:2433/68846ISSN 1348-9135 

参考文献[編集]

  • 『昭和七年版 帝国人事大鑑』帝国日日通信社、1932年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第11版 上』人事興信所、1937 - 1939年。
  • 衆議院、参議院編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年。