去蔣化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
かつて多くの反体制派が収監された緑島監獄にある蔣介石像。赤いペンキがかけられている。

去蔣化(きょしょうか)とは、民主化後の中華民国台湾)において、かつて総統を務めた蔣介石に対する個人崇拝権威主義的な扱いの痕跡を排除するために、陳水扁率いる民主進歩党(民進党)政権下の中華民国政府が実施した政策である。中国国民党(国民党)をはじめとする泛藍派や統一派はその目的や正当性に疑問を呈し、難色を示している。

沿革[編集]

1987年(民国66年)に戒厳令中国語版が解除される以前、国民党の党国体制下にあった政府は蔣介石を「民族英雄」や「民族救星」とみなしてその業績を大々的に宣伝し、個人崇拝を実践していた。蔣介石が死去した1975年(民国64年)、政府は「塑建総統蔣公銅像注意事項」を公布し、「蔣介石の銅像は慈悲深い表情で肯定的なイメージを持った外観でなければならない」と定めた[1]。戒厳令解除後も、国民党は蔣介石が党や国に対し多大な貢献をしたと認識していた。一方、民進党は蔣介石に批判的であり、彼を含む蔣一族や国民党による支配中に為された罪を広く国民に知らせるべきと考えていた。

2007年(民国96年)以降、当時の民進党政権は、二・二八事件やそれ以降の台湾人への弾圧(白色テロ)の責任を蔣介石に求め、「去蔣化」を掲げて、権威主義を否定する一連の移行期正義の政策を開始した。政府は中華民国国軍に対して基地から蔣介石の銅像を撤去することの要求や、各地の蒋介石に関連する施設の改称などを実行した。一連の去蔣化は陳水扁政権の末期に差し掛かって急速に実施されたため、蔣介石時代の与党であった国民党は「国民党の台湾における歴史や業績を抹殺する行為だ」と批判した。

2008年(民国97年)の総統選挙で国民党が政権を奪還すると、政府が主導していた去蔣化の動きは鎮静化した。2016年(民国105年)の総統選挙で再び民進党が与党となると「促進轉型正義条例」が施行され、「権威主義時代の支配者の象徴は撤去、改名またはその他の方法で処理されるべきである」と明確に法的に規定された[2]

実行された「去蔣化」の具体例[編集]

改称[編集]

台湾民主紀念館と改名されていた頃の中正紀念堂
撤去される「大中至正」の文字
  • 台湾総督府庁舎は1945年(昭和20年)5月31日の台北大空襲で被害を受けた。台湾光復後の1946年(民国35年)に各界から寄付が寄せられて修復工事が行われ、蔣介石の還暦を記念して「介寿館」と命名された。1949年(民国38年)、中華民国政府の台湾移転に伴って総統府の機能が介寿館に移転した。2006年(民国95年)、陳水扁総統は介寿館を「総統府」に改称した[3]
  • 陳水扁は台北市長在任中の1996年(民国85年)3月21日、総統府正面の道路である介寿路を、かつて台北一帯に居住していたケタガラン族にちなんで「凱達格蘭大道」と改称した[3]。しかし、凱達格蘭大道沿いに設置されている台北市政府警察局中正第一分局の派出所は現在も「介寿路派出所」という名称である。
  • 2006年9月6日、中正国際空港(中正國際機場)は「台湾桃園国際空港臺灣桃園國際機場)」に改称された。蘋果日報の調査によると、国民の60%がこの改称に反対していた[4]
  • 2007年(民国96年)3月2日、中正紀念堂は「台湾民主紀念館」に改称された[5]。同年5月10日に行政院によって「国立台湾民主紀念館組織規程」が制定され、12月8日には、正門に掲げられていた「大中至正」の文字が「自由広場(自由廣塲)」に架け替えられた[6]台北市長郝龍斌はこの動きに反発し、台北捷運中正紀念堂駅を改称しないことを表明した[7]。国民党が政権を奪還した2008年(民国97年)8月21日、行政院は「国立台湾民主紀念館組織規程」を廃止し、中正紀念堂管理処の組織を復活させた。2009年(民国98年)7月17日、台湾民主記念館は正式に「中正紀念堂」に改称されたが、正門の「自由広場」の文字は現在まで変更されていない。
  • 2016年(民国105年)8月22日、高雄市政府中国語版高雄市美濃区にある中正湖を「美濃湖」に改称した[8]
  • 2023年(民国112年)3月8日、台南市政府中国語版台中市中西区にある中正路の一部を、1947年(民国36年)に二・二八事件で命を落とした台南出身の弁護士である湯徳章にちなんで「湯徳章大道」と改称した[9][10]

廃止[編集]

蔣介石の銅像[編集]

高雄市文化センターから慈湖紀念雕塑公園に移設された蔣介石の銅像
慈湖陵寝に安置されている蔣介石の棺
中正紀念堂の蔣介石像

1987年(民国76年)の戒厳令中国語版解除以降、各地に設置されていた蔣介石の銅像の存在は国民の間でしばしば議論の対象となり、像の破壊や撤去が相次いだ。

  • 2003年(民国102年)3月、国立中央大学にある蔣介石の座像の頭部が切り落とされた。数週間後に像は解体され、台座とともに撤去された[15]
  • 2007年3月13日、高雄市政府は市内にある高雄市立中正文化センター(高雄市立中正文化中心)を「高雄市文化センター中国語版高雄市文化中心)」に改称し、施設内にある蔣介石の銅像を解体・撤去させた[16][17]。撤去された銅像は桃園県大渓鎮(現:桃園市大渓区)の慈湖紀念雕塑公園に移され、再び組み立てられて公開されている。
  • 2007年4月、雲林県北港鎮の運動公園にある蔣介石像がスプレー落書きされた[18]
  • 2012年1月、国立中山大学にある蔣介石像の頭部が、ピエロの顔のような落書きを受けた[19]
  • 2012年2月28日、国立成功大学にある蔣介石像に赤いペンキがかけられ、周囲に冥紙が撒き散らされた[20]。事件後、銅像の撤去に関する論争が起こり、賛成派は撤去を求めるオンラインキャンペーンを開始した[21][22]。2013年(民国102年)1月9日、銅像は目立たないように校史室に移された[23]
  • 2013年3月24日、嘉義市中正公園中国語版にある蔣介石像が、台湾国家聯盟などの複数の団体によってペンキをかけられた[24]。2015年(民国104年)3月3日、嘉義市長涂醒哲中国語版は像を慈湖紀念雕塑公園に寄贈することを発表した[25]
  • 輔仁大学にある蔣介石像は、度々学生による被害に遭い続けてきた。2014年(民国103年)には端午節に斗笠を被せられ、ハロウィンには呪符招魂幡中国語版蓮の花十字架、「威権独裁元凶」などと書かれた紙で飾り付けられ、クリスマスと同時に行憲紀念日中国語版である12月25日にはサンタクロースの姿にされた[26][27][28]。2015年2月28日には全身に二・二八事件の被害者の名が書かれた紙を貼られ、周囲に冥紙が撒き散らされた[26]。2016年2月28日にはの姿にされ、「蔣介石政権は蚊のように台湾を搾取した」などと書かれた[29]。2017年2月28日には何者かがグラインダーなどで像を破壊しようとし、結果的に像の左足が破損した[30]。同年4月29日、像は撤去された[31]
  • 2015年2月27日、基隆市の獅球公園内の蔣介石像の頭部が切断され、行方不明になった[32]
  • 2015年2月28日、台南市長頼清徳台南市立小学・中学から蔣介石像を撤去するよう指示した[33]
  • 2015年4月1日、高雄市の橋頭糖廠中国語版の入口にある蔣介石の石膏像がハンマーで破壊された[34]
  • 2017年1月14日、基隆市の碧砂漁港中国語版付近にある蔣経国像が「実践正義騎士団」を名乗る団体によって全身に赤いペンキをかけられた。像の台座には「白色恐怖元凶」「228」「林宅血案中国語版」「陳文成命案中国語版」などの文字が書かれた[35]
  • 2017年1月、国立中興大学は校内の蔣介石像を撤去し、代わりに湯惠蓀中国語版元校長の像を設置した[36]
  • 2017年3月以降、各地の蔣介石像の頭部が台湾建国工程隊などの台湾独立派団体によって切断される事件が多発した[37][38][39][40]。4月16日、台南市の烏山頭ダムのそばにある、日本統治時代の土木技師である八田與一の像の頭部が中華統一促進党の党員によって切断された(八田與一銅像破壊事件中国語版)。像は同月中に修復され、5月7日に除幕式が行われた[41]。この事件は、相次いだ蔣介石像の破壊に対する報復とみられる[42]。4月22日には台北市陽明山の蔣介石像の頭部が切断されてペンキがかけられ、台座に「殺人魔」などの文字が書かれた。台湾建国工程隊は「これは八田與一像の破壊に対する報復である」とする声明を発表した[43]
  • 2018年(民国107年)2月28日、桃園市慈湖陵寝中国語版にて、台湾独立派団体であるFETN蛮番島嶼社のメンバー10人が蔣介石の棺と肖像に赤いペンキをかけ、「支那権威を排除し台湾共和を創建する」と書かれた布を掲げて抗議運動を行った。事件を受けて慈湖陵寝は閉鎖され、同年7月8日に一般開放が再開されたが、建物内の見学には事前に団体での予約が必要となった[44][45]
  • 2018年4月9日、基隆市警察局中国語版は局内にあった蔣介石像を慈湖紀念雕塑公園に寄贈した[46]
  • 2018年5月8日、国立台中教育大学は校内の蔣介石像を撤去し、慈湖紀念雕塑公園に寄贈した[47]
  • 2018年7月20日、台北市の中正紀念堂にある蔣介石像がFETN蛮番島嶼社のメンバー2人によってペンキをかけられた(2018年中正紀念堂銅像汚損事件中国語版[48]
  • 2018年7月23日、国立中山大学は学生による投票の結果、校内の蔣介石像を撤去した[49]
  • 2018年8月10日、国立政治大学は校内の蔣介石像を、蔣介石の妻の宋美齢が設立した華興育幼院に移転させた[50]
  • 2018年10月2日、台北市立大学の学生が、校内の蔣介石像に「拒絶洗脳銅像」などと書いた紙を貼り付けた。[51]
  • 2019年(民国108年)2月22日、国立政治大学の裏山に設置されている蔣介石の騎馬像の馬の左脚が切断され、右足にオレンジのペンキがかけられた[52]促進転型正義委員会はこの行為に理解を示しつつも、「このような暴力的行為は報復行為に繋がり、悪循環をもたらす」として遺憾の意を示した[53]。翌2月23日、反台湾独立団体が台南市の黄昭堂紀念公園を訪れ、蔣介石像破壊に対する報復として、台湾独立活動家の黄昭堂の像にペンキをかけた[54]
  • 基隆駅前の蔣介石像が慈湖紀念雕塑公園に寄贈されることになり、2021年(民国110年)3月3日に撤去作業が行われたが、作業中に像がバラバラになる事故が発生した[55][56]

各方面からの反応[編集]

民主進歩党[編集]

民進党の一部の人々は、民主的で自由な国家において、蔣介石や国民党などの一個人や一政党を崇拝するような象徴は存在してはならず、完全に排除すべきと考えている。しかし、民進党内には蔣介石を肯定的に評価する人々も存在する。2019年、民進党所属の高雄市議会議員である簡煥宗中国語版民視新聞台中国語版のインタビューにおいて蔣介石を肯定的に捉え、「私の認識では、蔣公は外部の圧力に抗い、正義の名の下に台湾を守った人である。韓国瑜と蔣公の差を考えると、蔣公は怒って慈湖陵寝から飛び出してくるだろう」と、2020年総統選挙での国民党の候補である韓国瑜と蔣介石を比較する発言をした[57]

中国国民党[編集]

国民党は「台湾における国民党の歴史や貢献を抹消するものである」として民進党の去蔣化政策を批判している[58]

2017年元総統の馬英九は「蔣介石・蔣経国父子の負の側面だけを見て批判すべきではない」と考えており、「蔣介石総統が台湾を光復し、防衛し、建設した」とも述べた。また、同時に「彼らの業績には良い点も悪い点もあったが、良い点の方が上回っていると私は考える」と述べた[59]

中国共産党[編集]

中国大陸でも1949年の中華人民共和国建国後、中国共産党が「蔣介石率いる国民党反動派が人民を迫害した」として各地の「中正路」という名称の道路を改称するなどの去蔣化と類似した行為を実施した。しかし、中華人民共和国政府は台湾における民進党政権による去蔣化に対し、「脱中国化」の色合いを帯びているとして批判した[60]

蔣家[編集]

蔣経国の子である蔣孝厳や同じく蔣経国の子の蔣孝勇未亡人である蔣方智怡中国語版は、去蔣化政策に反対の立場を示している[61][62]

蔣孝勇の長男の蔣友柏は「蔣介石の死後すぐに大規模な顕彰施設を建てるのは間違いだ。死後100年後にその時の人々が顕彰施設を建てたいと考えて建てるのなら、それは素晴らしいことだ」として去蔣化に対してある程度の同意を示し、中正紀念堂正門の「大中至正」の扁額を「自由広場」に架け替えることに賛成したが、「去蔣化が単に支持を集めるための手段であることは望まない。蔣介石・蔣経国の台湾における功罪の評価は公正かつ学術的な方法で行われることを望んでいる」と述べた[63][64][65]

蔣孝厳の長男の蔣万安は「蔣介石・蔣経国が台湾の防衛や発展に貢献したのは誰の目にも明らかな事実だが、今日の台湾の経済的・民主的な成果は特定の個人や一族の努力の結果ではなく、多くの民族や世代の努力の結果である」と述べ、中正紀念堂を「台湾建設紀念館」と改称し、台湾の全ての人々が台湾のために行った努力にフォーカスした施設へ作り変えることを提唱した[66]

その他[編集]

2000年(民国89年)、作家李敖総統選挙出馬時に公約として「中正紀念堂を取り壊し、国家両庁院(国家戲劇院・国家音楽庁)の身を残す」ことを掲げていた。李敖自身が白色テロの被害を受けたこともあり、蔣介石を快く思っていなかった。陳水扁が当選して総統に就任した後、李敖は「中正紀念堂は葬式の祭壇のようでとても醜いので爆破すべきだが、民進党政権はその勇気がなく尻込みしている」と批判した[67]

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ 內政部訂定「塑建總統蔣公銅像注意事項」” (中国語). 政府公報資訊網 (2008年5月9日). 2022年3月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月6日閲覧。
  2. ^ 促進轉型正義條例” (中国語). 全國法規資料庫. 2022年7月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月6日閲覧。
  3. ^ a b 洪健倫 (2019年8月6日). “台湾のあるじは誰なのか――総統府と総統府前広場の変遷”. TAIWAN PLUS. 2024年5月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月4日閲覧。
  4. ^ “中正機場改名桃園機場” (中国語). 蘋果日報. (2006年9月2日). オリジナルの2017年7月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170705160318/http://www.appledaily.com.tw/appledaily/article/headline/20060902/2861403/ 2017年4月5日閲覧。 
  5. ^ 拆中正紀念堂圍牆? 北市槓中央” (中国語). 中華電視公司 (2007年3月3日). 2024年5月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月4日閲覧。
  6. ^ 台当局完成安装"自由广场"牌匾 替换"大中至正"” (中国語). 中国新聞社 (2007年12月9日). 2024年5月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月4日閲覧。
  7. ^ 中正紀念堂遭改名 郝龍斌:車站牌不會改名” (中国語). 中国評論通訊社 (2007年5月12日). 2024年5月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月4日閲覧。
  8. ^ 王栄祥 (2016年8月22日). “改名了!高雄「美濃中正湖」更名「美濃湖」” (中国語). 自由時報. オリジナルの2016年8月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160826114605/http://news.ltn.com.tw/news/life/breakingnews/1803075 2016年9月3日閲覧。 
  9. ^ 台南湯德章大道掛牌註記「原中正路」 基進黨:轉型正義做半套” (中国語). 自由時報 (2023年3月14日). 2024年5月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月4日閲覧。
  10. ^ 広報うと 令和6年3月号 宇土にルーツを持つ台湾の“英雄”湯德章(とうとくしょう)が結ぶ台南市との友好交流”. 宇土市 (2024年3月1日). 2024年5月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月4日閲覧。
  11. ^ 關於三軍儀隊” (中国語). 中華民国三軍儀隊退伍弟兄協会. 2019年9月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月5日閲覧。
  12. ^ 國旗國父遺像及元首玉照懸掛要點” (中国語). 内政部. 2020年10月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月6日閲覧。
  13. ^ 立法院公報” (中国語) (1994年1月24日). 2020年7月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月24日閲覧。
  14. ^ “破除神格化「塑建蔣公銅像注意事項」內政部廢了!” (中国語). 民報. (2017年3月7日). オリジナルの2020年7月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200726173448/https://www.peoplenews.tw/news/68f5f4e6-b294-46fb-885f-e63f76ff2143 2018年10月7日閲覧。 
  15. ^ 顧敏耀 (2007年6月3日). “中央大學的驕傲” (中国語). 自由電子報. 2020年7月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月24日閲覧。
  16. ^ 高市府拆蔣公銅像 綠營:回歸純粹文化園區” (中国語). 中央通訊社 (2007年3月14日). 2020年7月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月5日閲覧。
  17. ^ 10年前她拆銅像挨轟 10年後滿意度奪冠” (中国語). 新頭殼 (2017年3月1日). 2020年7月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月5日閲覧。
  18. ^ 北港運動公園 蔣介石銅像被潑漆” (中国語). 大紀元時報 (2007年4月9日). 2013年11月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月6日閲覧。
  19. ^ 蔣介石變小丑?高雄中山大學蔣介石銅像遭噴漆(圖)” (中国語). 華夏経緯 (2012年1月16日). 2013年11月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年3月1日閲覧。
  20. ^ 成大蔣中正銅像遭潑紅漆、灑冥紙” (中国語). 自由時報 (2012年2月28日). 2024年5月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月5日閲覧。
  21. ^ 老蔣銅像去留 成大兩派喬不攏” (中国語). 自由時報 (2012年6月28日). 2012年7月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月5日閲覧。
  22. ^ 「移除成功大學光復校區成功湖畔蔣介石銅像」連署” (中国語). 2016年3月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年7月4日閲覧。
  23. ^ 蔣介石銅像搬家/ 成大低調 遷進校史室” (中国語). 自由時報 (2013年1月10日). 2013年1月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月5日閲覧。
  24. ^ 《漆攻蔣介石》中正公園銅像 民眾喊拆” (中国語). 自由時報 (2013年3月25日). 2013年5月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月6日閲覧。
  25. ^ 老被噴漆 嘉市2老蔣銅像將移桃園” (中国語). 自由時報 (2015年3月4日). 2020年7月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月6日閲覧。
  26. ^ a b 二二八將至 輔大陽明蔣公銅像又遭「佈置」” (中国語). 自由時報 (2015年2月26日). 2020年7月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月6日閲覧。
  27. ^ “蔣中正也過萬聖節? 南瓜蓮花都上身” (中国語). 蘋果日報. (2014年10月31日). オリジナルの2017年3月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170302112143/http://www.appledaily.com.tw/realtimenews/article/new/20141031/498124/ 2017年3月2日閲覧。 
  28. ^ “【更新】蔣中正變耶誕老人 輔大生:威權退出校園” (中国語). 蘋果日報. (2014年12月24日). オリジナルの2017年2月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170222155728/http://m.appledaily.com.tw/realtimenews/article/new/20141224/529656/ 2017年3月2日閲覧。 
  29. ^ “蔣中正銅像 輔大生上蚊子妝批「如瘧蚊」” (中国語). 自由時報. (2016年2月27日). オリジナルの2020年7月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200726173552/https://news.ltn.com.tw/news/politics/breakingnews/1614849 2017年3月2日閲覧。 
  30. ^ “【衝突有片】輔大生拆蔣介石銅像 4人妨害公務法辦” (中国語). 蘋果日報. (2017年2月28日). オリジナルの2017年3月7日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170307042629/http://www.appledaily.com.tw/realtimenews/article/new/20170228/1065589 2017年3月2日閲覧。 
  31. ^ “輔大蔣介石銅像拆了 網友:有進步” (中国語). 自由時報. (2017年4月30日). オリジナルの2020年7月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200726171707/https://news.ltn.com.tw/news/politics/breakingnews/2052176 2017年4月30日閲覧。 
  32. ^ 基隆獅球公園蔣銅像 身首異處” (中国語). 自由時報 (2015年3月1日). 2016年4月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月4日閲覧。
  33. ^ 感念民主前輩守護的價值與精神 賴市長參加二二八和平追思會” (中国語). 台南市政府 (2015年2月28日). 2016年10月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月6日閲覧。
  34. ^ 喝茫 持鎚敲下老蔣石膏像” (中国語). 自由時報 (2015年4月2日). 2016年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月6日閲覧。
  35. ^ 基隆獅球公園蔣銅像 身首異處” (中国語). 自由時報 (2017年1月15日). 2020年7月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月4日閲覧。
  36. ^ 興大蔣介石銅像已移走 換成已故校長湯惠蓀銅像” (中国語). 自由時報 (2017年1月26日). 2017年2月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年2月26日閲覧。
  37. ^ 又有蔣銅像遭「斬首」 背後疑有行動者「全台串聯」” (中国語). 自由時報 (2017年3月15日). 2024年5月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月7日閲覧。
  38. ^ 蔣介石又被斬首「手起刀落,蔣頭落地!」” (中国語). 蘋果日報 (2017年3月29日). 2017年4月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月7日閲覧。
  39. ^ 蔣介石像又被斬首 建國隊:台灣不需景觀垃圾” (中国語). 自由時報 (2017年3月29日). 2020年7月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月7日閲覧。
  40. ^ 蔣介石忌日前頭像又落地 建國隊再嗆柯P:患斯德哥爾摩症” (中国語). 民報 (2017年4月3日). 2020年7月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月7日閲覧。
  41. ^ 損壊された台湾の八田與一像、修復終え除幕式 台南市長「台日の感情、試練経てさらに良くなった」”. 産経新聞 (2017年5月7日). 2024年5月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月7日閲覧。
  42. ^ 日本統治時代の石碑損壊相次ぐ、八田與一像事件が影響か”. ワイズコンサルティング (2017年5月16日). 2024年5月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月7日閲覧。
  43. ^ 以頭還頭!獨派團體草山砍蔣銅像:你砍一顆八田頭 我砍你無數蔣介石頭” (中国語). 民報 (2017年4月22日). 2020年7月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月7日閲覧。
  44. ^ “潑漆四個月後慈湖重啟 除特定節日內部不開放”. 蘋果日報. オリジナルの2020年5月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200526032639/https://tw.appledaily.com/new/realtime/20180708/1387371/ 2018年7月8日閲覧。 
  45. ^ 故・蒋介石氏が眠る慈湖陵寝、再び一般開放へ”. Facebook. Taiwan Today 日本語版 (2018年7月13日). 2024年5月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月7日閲覧。
  46. ^ 基市警局蔣介石銅像 连夜搬遷到大溪兩蔣園區” (中国語). 自由時報 (2018年4月10日). 2020年7月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月7日閲覧。
  47. ^ 校園去蔣化! 台中教育大學拆銅像” (中国語). 中華電視公司 (2018年5月9日). 2024年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月6日閲覧。
  48. ^ 「中正紀念堂」蒋介石像に赤ペンキ 台湾独立派の2人拘束”. 産経新聞 (2018年7月20日). 2024年5月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月7日閲覧。
  49. ^ 去年228遭潑漆破壞 中山大學蔣公銅像被拆了” (中国語). 三立新聞 (2018年7月23日). 2020年7月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月6日閲覧。
  50. ^ 政大蔣公銅像遷移完畢了!校友牽線搬到這....” (中国語). 新頭殼 (2018年8月11日). 2020年7月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月6日閲覧。
  51. ^ 拒絕洗腦!台北市大學生惡搞蔣公銅像” (中国語). 三立新聞 (2018年10月2日). 2020年7月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月6日閲覧。
  52. ^ 政大蔣介石銅像馬腳被砍 校方報警並將求償” (中国語). 自由時報 (2019年2月22日). 2024年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月6日閲覧。
  53. ^ 政大蔣介石騎馬銅像馬腳被鋸 促轉會:恐造成惡性循環” (中国語). 新頭殼 (2019年2月22日). 2024年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月6日閲覧。
  54. ^ 台獨領袖雕像被潑紅漆 潑漆者:其人之道還治其人之身” (中国語). 自由時報 (2019年2月24日). 2024年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月6日閲覧。
  55. ^ 基隆蔣公銅像 先被潑漆後斷3截” (中国語). 中国時報 (2021年3月4日). 2024年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月6日閲覧。
  56. ^ 基隆駅前の蒋介石像、頭と胴体が真っ二つに 撤去作業でアクシデント”. 中央通訊社 (2021年3月4日). 2024年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月6日閲覧。
  57. ^ 韓粉捧「蔣公再世」 王世堅:蔣公會從慈湖跳出來” (中国語). YouTube. 民視新聞. 2021年7月29日閲覧。
  58. ^ Storm.mg (2016年8月19日). “分析:國民黨的台北故宮國寶「黨產論」” (中国語). www.storm.mg. 英国放送協会媒. 2024年5月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月7日閲覧。
  59. ^ Storm.mg (2017年3月4日). “蔣中正是不是元凶?馬英九:他的功大於過” (中国語). www.storm.mg. 風傳媒. 2021年7月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月29日閲覧。
  60. ^ 促進轉型正義條例” (中国語). 全國法規資料庫. 2022年7月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月6日閲覧。
  61. ^ 蔣孝嚴轟陳菊去蔣化 儼然在鞭屍” (中国語). 中国時報 (2007年4月5日). 2024年5月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月7日閲覧。
  62. ^ 反「去蔣化」 蔣方智怡發動護蔣” (中国語). TVBS (2007年4月5日). 2024年5月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月7日閲覧。
  63. ^ 蔣萬安不答銅像?蔣友柏14年前表態” (中国語). 三立新聞 (2022年4月14日). 2024年5月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月7日閲覧。
  64. ^ 蔣萬安晚15年!蔣友柏開啟後蔣時代” (中国語). 三立新聞 (2022年4月14日). 2024年5月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月7日閲覧。
  65. ^ 蔣:某種程度贊同去蔣” (中国語). 自由時報 (2007年12月26日). 2024年5月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月7日閲覧。
  66. ^ 拋「中正紀念堂」轉型方案 蔣萬安:改為「台灣建設紀念館」” (中国語). 自由時報 (2022年4月8日). 2024年5月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月7日閲覧。
  67. ^ 李敖:中正紀念堂應該炸掉,陳水扁沒種” (中国語). 中國評論新聞 (2007年5月21日). 2021年1月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月18日閲覧。

関連項目[編集]