吉田静致

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吉田静致

吉田 静致(よしだ せいち、明治5年7月25日1872年8月28日) - 昭和20年(1945年10月4日)は日本の倫理学者

人物[編集]

長野県水内郡飯山町(現飯山市)に旧飯山藩士・吉田信義の長男として生まれる。旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)、第一高等学校を経て、1898年東京帝国大学哲学科卒業。

1899年文部省留学生となり、ドイツイギリスで倫理学を学び、1920年に帰国して東京高等師範学校教授となった。1919年「倫理学の原理に関する研究」で文学博士号を得て、東京帝大教授を兼任した。1925年 帝国学士院会員に推され、1928年倫理学会初代会長に就任し、日本の倫理学の発展に指導的役割を果たした。   倫理学の原理に関する研究で同円異中心の理を唱え、著作に「倫理学綱要」などがある。

参考文献[編集]

  • 『信濃人物略志』1919年
  • 『長野県歴史人物大事典』 郷土出版社、1989年

関連項目[編集]

  • 花まつり - 言葉の起源とされる、1901年にベルリンで催された「Blumen Fest(ブルーメンフェスト)」の発起人の一人。灌仏会とは異なる。