安居神社

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安居神社


拝殿

地図
所在地 大阪府大阪市天王寺区逢阪1丁目3-24
位置 北緯34度39分16.13秒 東経135度30分39.35秒 / 北緯34.6544806度 東経135.5109306度 / 34.6544806; 135.5109306 (安居神社)座標: 北緯34度39分16.13秒 東経135度30分39.35秒 / 北緯34.6544806度 東経135.5109306度 / 34.6544806; 135.5109306 (安居神社)
主祭神 少彦名神
菅原道真
素盞鳴命
社格村社
創建 不詳(飛鳥時代か)
別名 安井神社(届出上)、安居天満宮(別称)
大丸天神(通称)
例祭 春大祭(4月25日
幸村祭(5月7日
地図
安居神社の位置(大阪市内)
安居神社
安居神社
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安居神社(やすいじんじゃ)は、大阪市天王寺区にある神社。旧社格村社。安居天満宮、安井神社ともいう。真田信繁が討死した地である。

歴史[編集]

創建年は不詳[注釈 1]であるが、当社は少彦名神が祭られており、天慶5年(942年)から菅原道真が祭られるようになったと伝えられている。菅原道真が大宰府に流されるときに、風待ちのために休息(安井)をとったためにその名がついたという伝承がある[1]。また、四天王寺の僧が当社で夏安居を行っていたので安居となったともいう[2]

慶長20年(1615年)の大坂夏の陣の時、当社で真田信繁が討死している。

江戸時代大丸の創業者である下村彦右衛門正啓がよく信仰していたことから「大丸天神」と称されることがある[3]

明治時代になると村社に列せられている。

1945年昭和20年)3月13日・14日に行われた第1回大阪大空襲により全焼するが、戦後に復興した。

明治時代に書かれた『大阪けんぶつ』では、当社は菅原道真ではなく少彦名神を祀る神社であり、道真が休んだから「安居」となり、近くに天王寺七名水の井戸があることから「安井」となったと伝えられるが、考証がないため信じられない、としている[誰?][4]。境内にはなどがあり、茶店もあって見晴らしがよく、遊客も多かったという[4]摂津名所図会、浪速名所図絵でも花見の名所として選ばれている。

安居天神社 (浪花百景)
1800年代。南粋亭芳雪/画
桜の名所でもあった。広重「浪速名所図絵 安井天神山花見」

当社は上方落語の「天神山」の噺の舞台としても登場する。同じく登場する一心寺とは国道25号を挟んで向かい合わせにある。

祭神[編集]

境内[編集]

  • 本殿
  • 拝殿
  • 稲荷神社
  • 金山彦神社
  • 社務所
  • 安居の清水(かんしずめの井)の跡 - 天王寺七名水のひとつ。
  • 真田信繁
  • 真田幸村戦死跡之碑
  • さなだ松(2代目)

現地情報[編集]

  • 神職は常住していない。参拝は7:00 - 16:00の間可能となっており、時間外は門が閉鎖されて境内に立ち入ることが出来ない。
所在地
交通アクセス

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 四天王寺創建とほぼ同じ頃など多説ある。

出典[編集]

  1. ^ 釜ヶ崎変遷史(戦前編)(天平元一 夏の書房刊 1978年昭和53年))
  2. ^ 幸村ゆかりの地 天王寺を歩こう!「真田幸村めぐルート」のロードサイン完成! - 天王寺区2018年6月17日 閲覧
  3. ^ 安居神社由緒略記
  4. ^ a b 『大阪けんぶつ』矢嶋嘉平次 著 (矢島誠進堂, 1895)

関連項目[編集]