寿司ロボット

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初期モデルの概念図

寿司ロボット(すしロボット)は、握り寿司シャリ玉を握る機械[1]。寿司ロボットは熟練の寿司職人と比べても遜色ない品質のシャリ玉を職人よりはるかに高速に製造可能であり[2]回転寿司スーパーの持ち帰り寿司の廉価な提供を可能にしたことで[3]、かつては高級料理とされていた握り寿司の大衆化に大きな役割を果たした[4][5]

機能[編集]

江戸前寿司の技術は、魚介類を調理する技術とシャリ玉を握る技術の2つに大別されるが、寿司ロボットは後者を自動化するものである[6]。熟練の寿司職人が握ったシャリ玉は、外側はつまんでも崩れない保形力の固さがありつつ、内側は口に入れた時ホロリとほぐれるよう均等に適度な空気が入っており[6]、このいわゆる「うかし握り」は[7]板前が最低5 - 7年は修業しないとできない技術だが[8]、寿司ロボットはこれを本物と遜色ないレベルで再現可能にしている[2]。また4 - 5年修業した寿司職人が手で握れるシャリ玉はせいぜい毎時300 - 350個だが[9]、寿司ロボットは1983年時点で1,200個[10](150人前[6])、2004年時点で3,600個[4]の製造を可能にしている。機械の操作自体は簡便でパートのような単純労働力でも扱えるようになっている[8]

寿司ロボットの技術を応用して、のり巻きロボット、いなり寿司ロボット、軍艦巻きロボットなども作られている[1]

構造[編集]

(以下、特記ない限り1980年代 - 2000年代鈴茂器工の機種を前提に説明する)

寿司ロボットの構成は、まずシャリをほぐして空気を含ませる「供給機構」、次いでシャリを一定量に取り分ける「定量分割機構」、最後にシャリをシャリ玉の形に整える「成形機構」の3段階に大別される[11]。これらはいずれも内蔵されたコンピュータが制御・調整している[2]

供給機構
シャリは客や店の好みによって水気や粘り気が違っていたりするが[12][† 1]、3の容量があるホッパー[1](シャリの受入口)に投入されたそうしたシャリの状態、量、密度をセンサーが分析し[15]、それに基づいて攪拌羽根ないし櫛ローラーでシャリに空気を含ませながらほぐし[8][12][1]、上下方向のコンベアないしローラーで程よくシャリを圧縮して[8][12]適量の空気が抱き込まれるよう調整しながら下の定量分割機構へ送ってゆく[2]
定量分割機構
ここでシャリは1貫(1個)分の適量へ順に切り分けられる[8]。シャッター式だと米粒が切断されてしまうため、機種によっては両脇から櫛歯を差し込んで米粒を傷めないよう取り分ける形式になっていたりする[12]。機種によってはシャリ玉のサイズを何段階かから選べるものもある[2][3]
成形機構
1貫分のシャリが水平方向のベルトコンベアに落ちると[6]、上から2本の弾性成形体(キャビティ、いわゆるロボットアーム)が下りてきて[8]、まず1本目がシャリを左右から押さえて予備形成し[14]、2本目が上から押さえて本形成して[14]シャリ玉の形になる[8]。この「ニギッ、ニギッ」という二回握りは寿司職人の動作を再現したものであり[1]、おにぎりのように強く握って風味を損なわないよう、熟練職人の手加減も再現されている[14]。出来上がるシャリ玉の形は、握り寿司で最も一般的な利休である[1][† 2]
アームの先端は人間の指の感触に近づけるため特別に調整したシリコンゴムを用い[13]、粘性がある米粒が付着しないようテフロン膜をかけている[13]
機種によっては、寿司ロボット用に調合されたワサビをシャリ玉の定位置へ塗ったり[1]、カセットにセットされた寿司ネタを自動的に乗せたり[15]セロファンで1貫ずつラッピングしたり[16]するものもある。

部品の衛生状態を保つため、日常的に洗浄が必要な部品は工具なしで分解・取り出しできるようになっており[8]、1985年時点で分解に2分、洗浄に3分、再組立てに5分となっている[8]。電源は 100V の家庭用電源を用い、設置面積は1985年時点で 1/3 程度となっている[8]。コンパクト化はその後も進み、外観は木目調の飯櫃のようにして厨房の卓上に置いても違和感のないタイプが1999年に発表された[3]

運用[編集]

典型的なパック寿司

寿司ロボットは、一般消費者から認知されることは少ないが回転寿司の運営やパック寿司の製造に欠かせない設備であり[9][17]、大衆化路線の外食産業、給食、各種パーティー[10]、宅配専門業者[16]など多くの業種で活用されている。寿司ロボットは寿司フランチャイズ業界の経営合理化に貢献し[8]、和・洋食レストランや焼肉レストランなど外食業界全般でも本職の寿司職人なしでの寿司の提供を可能にした[8]。また従来、スーパーなどの持ち帰り寿司は稲荷寿司ちらし寿司が主流だったが[7]、寿司ロボットの登場により握り寿司もバリエーションに加わるようになった[7]

一方で、客の目の前で寿司を握るような寿司専門店の場合、客と板前のコミュニケーションも食事体験の一部であり[18]、そこへロボットを持ち込むなど興覚めだという批判はある[14]。特に寿司ロボットが登場したばかりの頃は、寿司業界のみならず世間からも[10]賛否両論が巻き起こり[6]、職人の聖域を侵すものとして寿司職人らから反対やボイコットの声が大きかった[8]。とはいえ一般的な寿司店の場合、売り上げの半分以上は出前や持ち帰りが占めているにもかかわらず、営業中は店内の客を優先せざるを得ないため、繁忙期の突発的な出前注文はやむなく断って商機を逃しがちというのが悩みでもあった[8][† 3]。そうした店は寿司ロボットを導入することで、出前の迅速化、オーダー待ち時間の短縮化が可能になり[2]、昼・夜のピーク時、日曜・祝日の大量注文をさばけるようになった[9]銀座の高級寿司店でも大量注文をさばくため、やむなく寿司ロボットをこっそり導入している例はある[7][† 4]。日本の寿司専門店で寿司ロボットを導入する場合、客の目に入らない場所へこっそり設置している例が多いが[18]、海外では素手で握る調理に抵抗を感じる客が多いことから、逆によく見える場所に置いてアピールするケースも見られる[19]

寿司ロボットの価格は1984年時点で1台180万円[6]、リースなら3.5万円/月[2]としており、いずれにせよ人間の職人を雇うより格段にコスト削減につながり[15]、機械なので腱鞘炎の心配もない[9]。1987年時点で全国の寿司店は8万軒と見積もられていたが、その時点で寿司ロボットの出荷台数は5千台に達していた[9]

また寿司職人の調達が難しい海外において寿司ロボットの需要は高く[20]、鈴茂器工が寿司ロボットを発表した直後の1982年の時点で既に米国から鈴茂器工に問い合わせが相次いでいた[14]。鈴茂器工は1985年に米国の製品安全規格であるUL規格を取得して輸出可能な体制を整え[20]、2021年時点で米国やシンガポールの拠点を中心に20か国以上で販売代理店を開いている[20][† 5]

歴史[編集]

最初に実用化された寿司ロボットは、1982年に鈴茂機械工業(現・鈴茂器工)が販売を始めたものである[9]

1932年静岡県で生まれた鈴木喜作は、上京して苦学の後に設立した鈴茂商事で和菓子製造機械などの開発・販売を成功させ、食品業界で一角の地位を築いていた[2]1976年6月、鈴木が自宅でテレビニュースを見ていると[14]減反政策に従って稲作規制をしようとする北陸農政局の役人と田植えを強行しようとする稲作農家が新潟県豊栄市福島潟干拓地で激しく衝突しているニュースが目に入った[10]。かつて太平洋戦争の惨禍で食糧難に悩んだ日本が今や逆に過剰米を問題視するという矛盾に鈴木は戦中派として憤りを感じ[14]、日本人全体が米飯のおいしさを再認識して米の消費を拡大させる必要がある、という思いを強くした[21]。そして戦後の日本の経済成長に思いを馳せると、それを後押しした一因が自動機械の進歩による省力化であり[21]、それなら握り寿司の調理を自動化すれば、廉価になったぶん寿司が家庭にも普及し、結果的に米の消費量が増えるだろうという考えに至った[14]。当時の握り寿司は高級料理であり、家庭にせよビジネスシーンにせよ接待の時しか口にし得ないものだった[14]

鈴木はさっそく東京工場長に“自動にぎり寿司機”の開発を指示したが[14]、当時50人ほどいた社員はかなり畑違いな製品開発を始めることに面食らった[4]。完成に何年かかるか見当もつかず、市場調査の結果も芳しくなかった[9]。ともあれ開発担当者として3名が割り当てられ[21]、まず最優先事項としてプロの寿司職人と同等以上の味を実現すること[9]、加えて1 - 2時間程度は鮮度を保てるようにすること、店の繁忙時間帯に活躍できるよう加工速度が速いこと、といった点を重視して開発が始まった[21]。他にも開発上の制約として、寿司店の調理場に置ける程度には小型化すること、機械に不慣れな板前でも扱える操作性を持たせること、衛生的に使えるよう部品の分解・洗浄が容易であること、食品を直接扱う機械であるため厚生省が認可した素材で構成しなければならないこと、など課題は多かった[6]。寿司職人のシャリの握りは極めて高度な技術であり[8]、微妙な握りの感覚は机上で数式化できるようなものではないため実験を重ねるほかなく[2]、板前の動作や握り方を分析してはコンピュータにフィードバックするという試行錯誤を辛抱強く続けた[6]。開発にあたって鈴木は強力なリーダーシップを発揮し、設計のコアとなる部分も大部分は鈴木によるアイデアだった[5]

シャリ玉の型に酢飯を詰める方式の試作機1号機がまず1978年に完成したが、助言役となった池袋の寿司職人からは「まるで押し寿司ではないか」と酷評だった[4]。また他の助言役として、ライオンズクラブを通して鈴木と旧知の間柄だった東京元祿商事常務の牛丸義博がいた[2]。回転寿司市場は1970年の大阪万博より拡大を続けており[22]、それに乗って元祿寿司チェーンの大衆化路線を推進するためには人件費の圧縮が大きな課題と牛丸は捉えており、寿司ロボットの実用化に強い関心を示していた[14]。牛丸は店員を連れては開発工場に通いつめ、現場視点からのアドバイスを色々と与えて機能の改善に協力した[14]

リリース製品の原型となる最終的な試作機は1981年9月に完成した[4]。そして翌10月5日に[5]寿司ロボットは早速テレビ朝日アフタヌーンショーで取り上げられ[23]、寿司職人との握り競争をして40人が試食したところ、味は両者で殆ど差が無く、数量では寿司ロボットの圧勝という結果になった[5]。これをきっかけに他のテレビ、雑誌、新聞など各メディアから取材が殺到し[14]アメリカフランス韓国など海外メディアでも取り上げられるほどの話題となった[6]。“寿司ロボット”という名称もフジテレビ逸見政孝が言い出したのをそのまま拝借したものであり[23]、それまでは“江戸前寿司自動にぎり機”と名付けていた[23]

寿司ロボットの販売は1982年1月に始まった[9]。寿司職人からの批判もあったが、最初の月には月産20台のところを120台の注文が入り、その多くは大口注文をさばくのに苦慮していた家族経営の小規模寿司店だった[4]

その後はパック寿司や回転寿司が一般化するにつれ、スーパーや弁当工場などでも寿司ロボットの普及は進み[4]、2004年時点で鈴茂器工は寿司ロボットを年間で数千台出荷している[4]。寿司ロボットのシェアは鈴茂器工が1996年時点で85%[5]、2013年時点で60%[24]を占めており、他に茨城県の立ち寿司屋から発展した回転寿司屋の機械開発部門が会社として独立した「ともえ」[25]CD の登場によるアナログ・オーディオ市場の縮小を受けてレコードプレーヤーのカートリッジ製造以外の多角化経営を模索し寿司ロボットの開発を始めたオーディオテクニカ(オーテック)[26]など、1999年時点で8社が寿司ロボットの開発・販売を行なっている[25]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 寿司ロボットの寿司は持ち帰りや作り置きが多いため、シャリの鮮度を保つためにシャリ自体の調理にも工夫がされている。まずシャリは炊くときに専用オイルを水に加え、炊きあがった時に油被膜ができるようにしている[13]。またシャリになじませる割り酢は砂糖を混ぜるのが普通だが、代わりに転化糖を使うことで水分の分布が均一化されツヤが増すだけでなく米粒がコーティングされて保水性が良くなり、時間が経過しても味が落ちにくくなるようにしている[14]
  2. ^ 握り寿司のシャリ玉の形には他に扇、舟、箱、俵などがある[1]
  3. ^ 一般に寿司店の注文は日によって7 - 8倍の変動があるといわれる[15]
  4. ^ 大量注文で何百貫と人手で握っていると時間がかかりすぎ、握り終えた頃には最初に握ったシャリの風味が変わってしまうのも問題であるため[7]
  5. ^ 米食の習慣がない地域への輸出にあたっては、洗米、浸漬、シャリ切りの一連の動作を自動化して酢飯を作りやすくする仕組みもセットで用意している[16]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 鈴茂器工「お米の一生と油空圧 (2) 寿司ロボット・いなり寿司ロボット」『油空圧技術』、日本工業出版、1998年4月、35-38頁。 
  2. ^ a b c d e f g h i j 斎藤光二「「寿司ロボット」の対米輸出を開始」『近代企業リサーチ』第1984-12-10号、中小企業経営管理センター事業部、1984年、40-43頁。 
  3. ^ a b c 「ニュースファイナル お櫃型寿司ロボットでプロの握りを再現!?」『Trigger』、日刊工業新聞社、1999年10月、116-117頁。 
  4. ^ a b c d e f g h 西島徹「[失敗伝説]寿司ロボット 手のひらの弾力、職人のヒントで適度な固さ」『読売新聞 東京夕刊』読売新聞社、2004年6月19日、8面。
  5. ^ a b c d e 坂本茂「マーケット・インで寿司ロボット日本一」『戦略経営者』、TKC、1996年8月、20-21頁。 
  6. ^ a b c d e f g h i 「「寿司ロボット」が大ヒット、業界に新風を吹き込む」『近代中小企業』、中小企業経営研究会、1984年7月、94-97頁。 
  7. ^ a b c d e 清水高「エクセレント・カンパニー物語 (18) 寿司ロボットの開発で日本の食文化に新風を吹き込んだアイデアマン」『財界』第1993-06-01号、財界研究所、1993年、140-142頁。 
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 鈴木喜作「寿司自動製造機(寿司ロボット)の開発」『機械振興』、機械振興協会、1985年3月、31-35頁。 
  9. ^ a b c d e f g h i 井桁光「身近かなオートメ最前線 (1) 寿司ロボットは職人を超えたか」『通産ジャーナル』、通商産業省、1987年8月、62-64頁。 
  10. ^ a b c d 「『寿司ロボット』開発で米・消費拡大へ」『政経人』、政経社/総合エネルギー研究会、1983年7月、196-199頁。 
  11. ^ 鈴木和裕「寿司ロボット ―職人の技を使う機械」『日本機械学会誌』、日本機械学会、2008年12月、2-3頁。 
  12. ^ a b c d 見ル野栄司「「スゴ技カンパニー」調査室 ― 鈴茂器工株式会社(前編)」『週刊ポスト』第2015-07-17/24号、小学館、2015年、70-73頁。 
  13. ^ a b c 三戸節雄「ミダス王の手 (5) 寿司ロボットで米飯文化を復活 鈴茂器工」『エルメディオ』第1994-10-29号、時事通信社、1994年、42頁。 
  14. ^ a b c d e f g h i j k l m n 大木英吉「寿司ロボットと私〈2〉鈴木喜作氏」『食品と科学』、食品と科学社、1982年9月、40-45頁。 
  15. ^ a b c d 省力と自動化編集部 編『最新メカトロニクス技術百科』オーム社、1988年、226頁。ISBN 978-4274085949 
  16. ^ a b c 浅田「ニュービジネスセンサー 寿司ロボット」『商工ジャーナル』、日本商工経済研究所、1995年11月、82-85頁。 
  17. ^ 速水亨「トップ・インタビュー 寿司ロボットで世界に広げよ、日本のおいしい米文化」『季刊ビジネス・インサイト』2013 Autumn、現代経営学研究学会、2013年、60頁。 
  18. ^ a b 「ロボット寿司、味はいかが ― 伝統の世界にも時代の波、速さ板前の2-3倍。」『日本経済新聞 朝刊』日本経済新聞社、1982年4月29日、23面。
  19. ^ 見ル野栄司「「スゴ技カンパニー」調査室 ― 鈴茂器工株式会社(後編)」『週刊ポスト』第2015-07-31号、小学館、2015年、72-75頁。 
  20. ^ a b c 三ツ井創太郎 (2021年5月29日). “「スシロー」には1台250万円の寿司ロボットも! 回転寿司チェーン支えるメーカーの知られざる実力 (2/4)”. ITmedia ビジネスオンライン. アイティメディア. 2024年3月28日閲覧。
  21. ^ a b c d 渡辺秀則「巻頭インタビュー「だからこう設計した」寿司自動にぎり機 寿司ロボット」『機械設計』、日刊工業新聞社、1985年6月、-1-3頁。 
  22. ^ 廣川州伸「ヒット商品を生み出す燃える集団づくり お櫃型寿司ロボット」『クオリティマネジメント』、日本科学技術連盟、2007年6月、10-13頁。 
  23. ^ a b c 「近代企業リサーチ」『寿司ロボットの開発で黄綬褒章に輝く』第1987-11-10号、中小企業経営管理センター、1987年、46-49頁。 
  24. ^ Naoko Fujimura, Takashi Amano (2013年4月6日). “Sushi machine maker upbeat about yen's fall, high overseas demand” (英語). The Japan Times. The Japan Times. 2015年10月10日閲覧。
  25. ^ a b 安倍良子「ベンチャーリポート (3) 回転寿司を支える隠れた立役者「寿司ロボット」を生んだ企業 ともえ」『産業新潮』、産業新潮社、1999年7月、58-60頁。 
  26. ^ 鬼頭勇大 (2024年3月16日). “音響メーカーのオーディオテクニカは、なぜ「寿司ロボット」を開発したのか しかも40年前から”. ITmedia ビジネスオンライン. アイティメディア. 2024年3月28日閲覧。