小浜広隆

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小浜 広隆(おはま ひろたか、慶安5年(1652年) - 宝永2年5月13日1705年7月3日))は、江戸時代中期の旗本小浜嘉隆の子。母は牧野信成の娘。通称は孫三郎、民部。兄に小浜直隆(知隆)、弟に小浜良隆小浜重隆養子)。正室は永井尚政の娘、継室は安部信之の娘。子に亀之助、大久保忠明室(のちに離縁)、小浜行隆

兄の小浜直隆(知隆)が父より先に21歳で承応3年(1654年)に没し、その子の三之助も万治元年(1658年)に7歳で没したため、嫡男となる。父が寛文4年(1664年)に没すると家督(5000石)を継ぎ寄合に列する。寛文10年(1670年)、領地が海水に浸食され復旧の見込みがないことを言上し、相模国三浦郡武蔵国秩父郡安房国北三郡内に1000石加増の上移される。貞享2年(1685年)8月13日、大坂御船手となり、10月26日に領地を摂津国西成郡東成郡住吉郡の内に移される。元禄2年12月27日(1690年)、布衣を着ることを許される。元禄11年12月26日(1699年)、時服三領、黄金5枚を賜る。宝永元年(1704年)6月7日に公務を退き、宝永2年(1675年)に54歳で没する。法名は道起。墓所は、東京都文京区駒込の吉祥寺。

参考文献[編集]