服部久太夫

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服部 久太夫(はっとり きゅうだゆう、生年不詳 - 天正11年3月19日1583年5月10日))は、戦国時代武将服部保長の子。久左衛門とも [1]

略歴[編集]

永禄3年(1560年桶狭間の戦いにおいて敗戦の報を受けた 元康は、家臣である服部久左衛門(久太夫)、平岩元重平岩基親らを偵察に向かわせ真偽を確かめた[2]天正11年(1583年)に死去。関ヶ原の戦いまで家康に仕えたとする資料もある。法号は正春。

参考文献[編集]

  • 『寛政重修諸家譜第7輯』(榮進舍出版部 、1918年、85p)
  • 『日本戦史 桶狭間役』(元真社、1910年、137p)

脚注[編集]

外部リンク[編集]