望厦条約
望厦条約 / 望廈条約 | |
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署名 | 1844年(清:道光24年)7月3日 |
署名場所 | マカオ郊外の望厦村 |
締約国 | 清とアメリカ合衆国 |
主な内容 | 南京条約とほぼ同じ内容 |
関連条約 | 黄埔条約、南京条約 |
望厦条約(ぼうかじょうやく、Treaty of Wanghia)は、1844年(清:道光24年)7月に清とアメリカ合衆国の間で結ばれた最初の条約[1]。
概要[編集]
アヘン戦争でイギリス帝国に敗北した清は、イギリスと南京条約、虎門寨追加条約を結んだが、その内容は関税自主権の喪失、治外法権などを定めた不平等条約であった。
このことを踏まえ、1844年7月3日にマカオ郊外の望厦村において、南京条約でイギリスに認めた内容とほぼ同様のことを定めた修好通商条約が結ばれた。これを望厦条約と称する。アメリカ側はケイレブ・クッシング、清国側は耆英が調印した[2][3]。
この後10月に、清はフランスとも黄埔条約を結び、中国への列強進出は本格化していった。