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本間 資貞(ほんま すけさだ)は、鎌倉時代後期の武将。
経歴・人物[編集]
本間氏は相模国小野氏の一族[3]。北条高時に仕えた御家人の人見光行に従い、楠木正成の守る河内赤坂城に攻めいり、光行と共に抜け駆けをし、討死した(上赤坂城の戦い)[1][4]。
- ^ 『太平記』巻六「赤坂合戦事付人見本間抜懸事」の記述、「相摸の国の住人本間九郎資貞、生年三十七、鎌倉を出でしより軍の先陣を懸けて、屍を戦場に晒さん事を存じて相向かへり。」を元に逆算。
- ^ a b デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『本間資貞』 - コトバンク
- ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『本間資忠』 - コトバンク
- ^ 三山進 著『鎌倉仏教』新潮社、p.250 (1988)
- ^ 『太平記』巻六「赤坂合戦事付人見本間抜懸事」