東洸

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東洸(とうこう : 粟生屋東洸)は、京焼清水焼)の窯元の一つで、陶芸家の名跡。

歴代[編集]

  • 初代 東郊(とうこう)|粟生屋源兵衛(あおや げんべい)
    1798年(寛政10年)加賀前田藩の命により焼き物を研究する。
  • 二代 東郊|粟生屋源右衛門
    1822年 若杉窯の本多貞吉のもとで学ぶ。前田家の御用を受け、復興九谷焼の発展に尽力する。
  • 三代 東郊(青木栄五郎、弘化2年(1845年) - 明治39年(1906年))|粟生屋源右衛門
    本名「青木栄五郎」。二代 東郊 粟生屋源右衛門の子。廃藩置県により京都に居住する。
  • 四代 東洸(とうこう)|粟生屋東洸 中村東洸 加陽庵 
    本名「中村仁三郎」。三代 東郊の養嗣子となり倶に京に出て、陶風を養父に受け、上田丹涯画伯に師事「豊谷窯」築窯。1907年、二条基弘公「東郊」を「東洸」に更められ、以後、粟生屋東洸とする。1915年、土方久元伯より「加陽庵」の庵号と雅印を賜る。1944年、芸術保存作家・技術保存作家に指定される。
  • 五代 東洸(とうこう)|粟生屋東洸 中村東洸 加陽庵
    本名「中村昌夫」。京都市立美術工芸学校(現:京都芸大)絵画科卒業後、楠部弥弌に師事し陶芸に従事する。後父東洸に業を習い清水六和の指導を受ける。五条会 会員となり老父東洸逝去後、五代東洸を襲名する。帝展、文展、日展入選を「八回」する。1944年、三月芸術保存作家に指定される。1960年、永楽善五郎楽吉左衛門らと共に技術保存作家の集まりとして、京都伝統陶芸家協会を発起設立する。1975年に61歳で逝去。
  • 六代 粟生屋東洸(1948年- )中村東洸 加陽庵
    四代の子。本名「光三」、号「華中亭」。1976年、六世 東洸を襲名。中村東洸として、全国の百貨店美術画廊で個展を開催。2007年、屋号を「粟生屋東洸」とする。京都伝統陶芸家協会の会員として、2013年の佐川美術館での京焼 京都伝統陶芸家協会創立55周年記念展まで参加した。

参考文献[編集]

  • 京都伝統陶芸家協会記念誌委員会(編)『京都伝統陶芸家協会 創立50周年記念誌』京都伝統陶芸家協会、2012年1月。p.78-81六世粟生屋東洸略歴詳細。
  • 京焼 : 技と美の継承展-京文化の未来を開く : 京都伝統陶芸家協会創立55周年記念,井上英明, 馬場まどか 編,佐川美術館,2013.3


関連項目[編集]