物部志太大成

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物部志太大成(もののべ の しだ の おおなり、生没年不詳)は、奈良時代の人物。常陸国信太郡の大領。

経歴・人物[編集]

延暦5年(786年)10月、私財を使って百姓(人民)の危急をすくったとして、正六位上から従五位下を授けられたとあり[1]、4年後の同9年12月(791年1月)に「或は官に居りて怠らず、頗る効績を着し、或は私物を以て所部を賑恤す。貧乏の徒、因りて済はるること得たり」として、改めてほかの郡司大領や少領とともに表彰され、位階を従五位上に進められている[2]

なお、志太郡に関連する物部姓の人物として、坂東惣領の高向大夫に要請し、白雉4年(653年)に筑波郡茨城郡から700戸をわけて信太郡を設置した大乙上・物部会津と小山上・物部河内[3][4]養老7年(723年)3月23日に信太連の姓を賜った、常陸国信太郡の人・物部国依がおり、同族とみられている[5]

官歴[編集]

続日本紀』による

脚注[編集]

  1. ^ 『続日本紀』延暦5年10月21日条
  2. ^ 『続日本紀』延暦9年12月19日条
  3. ^ コトバンク「物部会津[1]
  4. ^ コトバンク「物部河内[2]
  5. ^ 『続日本紀』養老7年3月23日条

参考文献[編集]