石山基文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
石山 基文
石山基文
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 文政10年1月7日1827年2月2日
死没 明治24年(1891年11月4日[1]
改名 千代麿(幼名)[1]→基文
主君 仁孝天皇孝明天皇明治天皇
氏族 姉小路家石山家
父母 父:姉小路公遂、養父:石山基逸
兄弟 姉小路公前基文澤宣嘉
甘露寺篤子(甘露寺勝長の二女)
基正
テンプレートを表示

石山 基文(いしやま もとふみ)は、幕末公家明治期の官僚華族子爵

経歴[編集]

山城国京都で、姉小路公遂の二男として生まれ、石山基逸の養子となる[1][2]天保12年(1841年)に元服し、昇殿を許され左京権大夫となる[1]安政5年(1858年廷臣八十八卿列参事件に加わった[1]文久3年10月1863年左少将に就任、さらに左兵衛督となる[1]元治元年7月19日(8月20日)の禁門の変では長州藩側として動き、参朝停止、他人面会・他行の禁止を命ぜられた[1][2]慶応3年1月1867年)赦免され、その後、左近衛権中将に任じられた[1]

慶応4年9月7日1868年10月22日)弁事として出仕[3]。以後、左近衛督、宮内省出仕、次侍従などを歴任し、明治4年9月29日1871年11月11日)侍従に就任[3]。明治5年4月28日1872年6月3日)免本官となった[3]

1884年7月8日、子爵を叙爵した[4]

栄典[編集]

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 『明治維新人名辞典』78頁。
  2. ^ a b 『幕末維新大人名事典』上巻、124頁。
  3. ^ a b c 『百官履歴 下巻』301-303頁。
  4. ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
  5. ^ 『官報』第2271号「叙任及辞令」1891年1月27日。
  6. ^ a b 『平成新修旧華族家系大成』上巻、127-128頁。

参考文献[編集]

日本の爵位
先代
叙爵
子爵
石山家初代
1884年 - 1891年
次代
石山基正