石川成綱
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石川 成綱(いしかわ なりつな、生没年不詳)は、戦国時代の武将。通称志摩守、対馬守 [1]。
略歴[編集]
石川数正の長男であったが、家督を継がなかったとされる。
はじめ松平信康に仕え、信康の自害後は家康の近習となった。小田原征伐時に同輩を切って三河国にて隠遁したが、のちに結城秀康に仕え御番組衆となり1千500石を領した[2]。
脚注[編集]
- ^ 歴史図書社 1975, p. 143.
- ^ “諸氏”. 2022年10月4日閲覧。
参考文献[編集]
- 『越藩史略』(歴史図書社、1975年、143p)